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06◆ 藤花の髪飾り(6)

 トゥイーディアが泊まっている宿は、シェルケの中心部に近いところにある。


 見た目は完全に、少し大きい邸宅、といった感じだったが、入口をくぐった広間には、宿屋らしい帳場があった。


 帳場はただのカウンターではなく、壁を抉って居心地よく整えた、といった風になっていて、カウンターの奥では品も恰幅もいいご婦人(ここを切り盛りしている未亡人だろう)が、優雅に寛いで新聞を読んでいた。


 眉間に小さい眼鏡をちょこんと載せている彼女が、「ただいま」と言わんばかりの態度で宿に入ったトゥイーディアを見て、眼鏡を取って微笑んだ。


「やあ、お嬢さん、お帰り――」


 そこまで言って、ご婦人が俺を見た。

 途端、きゅうっと顰められる眉。


 なんだよ、と思いつつ、俺はぺこりと会釈。

 荷物を抱えている以上、会釈の角度も限られる。


 トゥイーディアは、ご婦人の表情を察知していないらしかった。

 彼女が朗らかに言った。


「ごきげんよう、レミ夫人。昨日お話しましたけれど、厨房をお貸しいただいてよろしい?」


 レミ夫人、と呼ばれたご婦人がトゥイーディアに目を戻して、あら、と目を見開いた。


「あら、お嬢さん。この人が昨日言ってたご婚約者さまなの?」


 トゥイーディアが赤くなって、俺の後ろに隠れた。

 可愛いけどなんでだよ、と思いつつ、俺は愛想笑い。


「そうです。――お邪魔させていただきます」


「あら、構わないけれど」


 と、レミ夫人。

 矯めつ眇めつ俺を見て、上から下へ、それから下から上へ、折り返すように俺を観察して、レミ夫人はあっさりと言った。


「びっくりね。お嬢さん、なんていい男を捉まえたの」


 このご婦人の前にカルディオスを引っ張って来るべきかな、と思ったものの、俺はそうは言わなかった。

 取り敢えずの笑顔で、「恐縮です」とだけ答える。


 トゥイーディアが、ちょんちょん、と俺の上着を引っ張った。

 彼女がめちゃくちゃ恥ずかしそうに、「行こ……」と言ってきたので、俺は頷いて、もういちどレミ夫人に会釈して、トゥイーディアの先導に従って奥へ入った。



 厨房は一階の奥、食堂の更に向こうにあり、土間になっていた。

 煙突付きの立ち竈と、その傍に調理台、そして水が引かれていることが分かる水場がある。

 調理器具は整然と壁の鉤に掛けられて整理されており、銅製のそれらがあかがね色に鈍く煌めいている。


 俺は上着を脱いで、それを食堂のテーブルの椅子の背に掛けて、シャツの袖を捲った。


 トゥイーディアが俺を見ながらぼんやりしていたので、思わず彼女の前でひらひらと手を振り、「大丈夫か?」と。


「大丈夫か? 疲れた? 俺がやるから座っとく?」


 トゥイーディアがはっとした様子で我に返り、赤くなってふるふると首を振った。


「だ――大丈夫。大丈夫よ。――きみ、格好いいのね」


 消え入りそうな声でそう言われて、俺は危うく彼女を抱き締めそうになったが自重した。



 立ち竈で熾火になっていた火を熾して、銅鍋を壁から下ろして、立ち竈の上に天井から下がっている鉤に引っ掛けておく。


 俺がそうしている間に、ブラウスの裾を捲ったトゥイーディアが木製の俎板を取り出してきて、買い込んできた食材を広げて、ざっと洗ってくれた。


 それを横目に平鍋を熱して、適当な包丁を選ぶ。

 トゥイーディアが広げた食材のうち、皮を剥くことが必要なものを剥いていく。じゃがいもとか。


 トゥイーディアが、バターを銅鍋に入れた。

 俺からすると立ち竈の高さは低いくらいだから、彼女にはちょうどいいらしい。

 ()()でバターを溶かして、トゥイーディアが平然と厨房の床の跳ね戸を開けて、小麦粉が入っているらしい袋を取り出したので、俺は慌てた。


「おい、ほんとに使っていいの?」


「大丈夫だってば、昨日、ぜんぶ確認してるから」


 トゥイーディアが苦笑混じりにそう言った。

 まあ、レミ夫人としても、食材をじゃっかん持て余しているところはあるのかも知れない――


 トゥイーディアが小麦粉を鍋に篩い入れる頃には、俺はじゃがいもと人参を刻んで、平鍋に放り込み終えていた。

 そこで合図して、トゥイーディアと交代。買ってきたミルクの瓶を持ち上げる。


「――きみって料理上手だよね」


 と、トゥイーディアがしみじみ言ってきた。


「カルとは大違い」


 俺は顔を顰めた。


「カルはほんとに下手だからな」


 最初の人生では、あいつも料理をしていたとのことだったが本当か。


 ミルクについては、当然、日持ちしない。

 しかしながら、どうやらシェルケの近くに牧草地があるらしく、そこからほぼ連日、ミルクの行商が来てくれるそう。

 買う側からすれば有り難いが、売る側はもっと必死である。

 これまで世双珠の恩恵があって、多少ミルクの寿命は延びていたものを、唐突にその恩恵がなくなったわけだから、売れる量にも限りが出てくる。

 そんなわけで、ミルクについては価格が下落しているそう。

 俺はこのへんでのミルクの価格の相場を知らないが、コリウスに見せたら盛大に顔が曇りそうだ。


 バターと小麦粉をミルクで伸ばしてソースを作る。

 トゥイーディアが使用許可を確認してくれているらしい塩や胡椒で味を調える。


 そうこうするうちにトゥイーディアが炒めた野菜をこっちのソースに滑り込ませてきて、続いて塊で買ってきた肉を気前よくぶつ切りにして、これも炒めた上でソースに滑り込ませてきた。


 俺がどうでもいいことを話しながらシチューを煮込んでいるうちに、トゥイーディアが、買ってきたパンを慎重に切り分けてくれた。

 残りを丁寧に布でくるんでいる。レミ夫人に進呈する心積もりのようだ。



 時刻はまさに夕餉時。

 シチューを椀によそって、トゥイーディアは輝くような笑顔。


 俺は思わず、ぼそっと言った。


「なんか、あれだな」


 トゥイーディアが首を傾げる。

 俺は少し声を小さくした。


「早く一緒に住みたいな」


 その瞬間に椀を取り落としそうになったトゥイーディアの手を押さえ、彼女の火傷を防いだ俺に、誰か勲章でもくれないものだろうか。








 そう盛大に灯火を入れられるものでもないので、薄暗い食堂で燭台ひとつの明かりを頼りに夕食を摂り、食事の後片付けを終える頃には、お開きに相応しい時刻になっていた。


 トゥイーディアが――極めて騎士道精神に富むことに――「送って行こうか?」と言い出したので、俺は、どうか俺に男としての面子を保たせてほしいと頼み込むことになった。


「俺が部屋まで送って行くから」


 そう? と首を傾げ、頓着なく立ち上がるトゥイーディア。


 俺は彼女の手を取って、「階段はあっち」という彼女の誘導に従って、日が落ちて暗くなった宿の中を進んだ。


 この宿は決して新しくはないだろう――床板が軋み、特に階段は、下から数えて五段目が、悲鳴のような音を立てて軋んだ。


 俺はぎょっとしたが、それを見たトゥイーディアはくすくす笑っていた。


「私も、初めてここに来たときはびっくりしちゃった」


 ちなみに、トゥイーディアは(くだん)の五段目をひょいっと跨いで階段を昇っていた。

 いや、先に俺にも教えてくれよ。



 狭い階段を昇って、トゥイーディアの部屋は二階にあるらしい。


 今は、この宿にはトゥイーディアの他には、レミ夫人の親族が寝泊まりしているそう。

 コリウスは札束でレミ夫人を引っ叩いて(いや、実際にはそんなことはしていないだろうけれど、比喩的には)、親族のあいだにトゥイーディアを滑り込ませたのだろう。


 俺はちょっと顔を顰めた。


「居辛くないか? 大丈夫か?」


「大丈夫、みんないい人よ」


 軽快にトゥイーディアは答えてくれたが、俺はちょっと躊躇ったあと、小声で尋ねた。


「――なんか、変な男とか、いない?」


 トゥイーディアが息を吸い込み、俺の顔を覗き込んだ。

 ちょうど明り取りの小さな窓の下でのことだったので、差し込む薄い月明かりがトゥイーディアの頬を照らし、瞳に映り込んだ。


「――私のこと心配してるの?」


 俺は息を吸い込んだ。


「他の誰のことよりも」


 トゥイーディアが唇を噛んで、俯いた。

 もういちど顔を上げたとき、彼女はじゃっかん涙ぐんでいた。


「――大丈夫よ、ありがとう」


 なおも心配になりながら、俺はまじまじとトゥイーディアを観察してしまう。


「なら、いいけど――俺の宿と替える? 俺のところならコリウスがいるし、いざとなったら助けてもらえるけど」


 何しろ、この宿にトゥイーディアは一人だからね。


 トゥイーディアは笑って首を振った。

 ちょうどそのとき、俺たちはトゥイーディアの部屋の前に着いた。


 彼女が、俺に握られた手を軽く引いて、「ここ」と教えてくれる。


「あ――そう」


 彼女の手を離して、俺は儀礼的に彼女の部屋の扉を開いた。

 蝶番が軋んだので苦笑する。


 薄暗い部屋の中の空気が冷え込んでいるように思えて、俺はまたちょっと顔を顰めた。


「ちゃんと温かくして寝て」


 トゥイーディアはくすくす笑った。

 彼女の頬が少し赤くなった。


「うん。きみこそ」


 それからちょっと俯いて、彼女が俺を見上げて微笑んだ。笑窪が浮かんだ。


「――今日、本当にありがとう」


 俺は瞬間、息を止めて、それから息を吸い込んで、言った。


「――こちらこそ」


 トゥイーディアはますます恥ずかしそうに笑った。


 それを見た結果、俺の心臓が音も無く破裂して、恋心が身体中にぶち撒かれたために、ただでさえ飽和状態だった恋情がいっぱいいっぱいになって、俺は息も苦しくなった。


 少しの間を置いてからそれを落ち着かせて、俺は微笑んだ。


「――おやすみ」


 トゥイーディアも微笑んだ。


「おやすみなさい。――あ」


 俺が扉から手を離し、トゥイーディアが一歩部屋の中に入ったところで、彼女が不意に振り返り、俺の上着の裾を握った。



 俺はきょとんとしていた――トゥイーディアが一歩を戻るようにして俺に近付いて、爪先立ちになった――俺の頬に彼女の唇が触れた。



「――――」


「おやすみなさいっ!」


 茫然とする俺に、赤らめた頬の残滓だけを残して、トゥイーディアが素早く部屋の中に逃げ込んで扉を閉めた。



 俺はしばらく、馬鹿みたいにその場に突っ立っていた。


 それから軽く自分の頬に触れて、指先でそこをなぞった。


 心臓が鼓動を思い出し、凄まじい勢いで俺の肋骨を叩き始めたために、俺は呼吸の仕方をしばらく思い出せなくなったほどだった。





◆ ◆





 レミ夫人は今年で齢五十三を数える。


 二人の兄の下の子として、そして一人の妹の姉として生まれ、十六で顔も知らない男と結婚した。

 結婚した男は十も上の歳であり、嫁入りの前夜は涙で枕を濡らしたことを青春の残滓として覚えているが、彼女が恐れたようなことは何一つとしてなかった――夫は誠実かつ温厚な男だった。

 彼は船舶を所有し広く商いを行っていた。


 彼との間に、レミ夫人は三人の子宝に恵まれた。

 その三人のうち、次男はレヴナントの災害で亡くしてしまったが、長男には二人の子が、そして次男には清楚な嫁と一人の忘れ形見があって、末っ子である長女は領都に嫁に行った。

 長女が嫁に行った頃、レミ夫人の夫は船を嵐で失い、酒に溺れるようになり、そのうちに病を患って他界した。


 喪服を纏ったレミ夫人がこの宿を開き、今年でもう十六年になる。


 宿はおおむね順調に、レミ夫人の懐を潤したが、先だって大災厄が起こった。

 ――世双珠の喪失である。


 これはどうしたことか、危ぶんだ夫人は賢明な判断を下した。

 つまり、身内をこの宿に呼び集め、世相を見極めることとしたのである。


 が、物事はそう上手くいかない。

 まさに世双珠が消失した翌日に、領主の息子が現れ、一人の少女をこの宿の客として捻じ込んでいった。

 少女は明らかな軍人の格好、そして重傷。

 面倒なことになったと呻きつつも、生来の人の好さが災いし、レミ夫人は彼女の傷の手当を行い、次男の未亡人もそれを手伝った。


 数日して回復してみれば、トゥイーディアと名乗った少女は客としての非の打ちどころのなさを示した――礼儀正しく、綺麗好きで、金払いが良く、(たま)に目を瞠るほど綺麗な友人を連れて来る。

 レミ夫人はいたく彼女が気に入って、日頃からあれこれと世話を焼くこととした。


 昨日には彼女から、「厨房を使わせていただきたい」との申し出があって、一も二もなくそれを快諾したほどである。

 だが、厨房を使いたいとは風変わりな頼みだ。

 理由を尋ねてみると、どうやら婚約者と一緒に使いたい、とのことだった。


 それを話すトゥイーディアの表情が、明らかに恋に浮かされたものだったために、ついでにいえば、その浮かされ具合が尋常ではなかったがために、レミ夫人は警戒を強めた。


 軍人であろうが――いや、トゥイーディアと名乗った少女は自分の素性をはぐらかしてはいたが、ここへ来たときの彼女の格好は、明らかに軍人のそれだった――、しっかりしているように見えようが、恋は盲目。

 まだ十八かそこらのトゥイーディアが、悪い男に騙されているようであれば、それとなく警告してやらねばならない。



 ――帳場で見たところでは、それほど悪い男には見えなかったけれど――、と、レミ夫人は人気(ひとけ)のなくなった厨房を点検しつつ、慎重に思い返した。――けれど、油断は出来ない。

 確かに重い荷物は男が持っていたが、そんなものは気持ちがなくともどうとでも出来ることだ。


 厨房は綺麗に使われており、さすがお嬢さん、と、レミ夫人は一人頷く。

 使った場所は綺麗に拭き清められ、銅鍋に作られたシチューは明日の分まで残っている。

 丁寧に布にくるまれたパンもあり、レミ夫人はいたく感心して頷いた。

 なんていい子かしら。


 そしてまた、内心は帳場で見た例の男の品評に移る。


 ――まあ、いい男ではあった……それは認めよう。

 滅多にないほどの長身で均整のとれた身体つきをしていて――あれはもしかしたら軍人かも知れない。


 珍しいほどの漆黒の髪は、噂に聞く魔王のものを想起させてやや縁起が悪く思え、否応なく警戒心を掻き立てるも、容姿にけちをつけるものではない。

 目の色が変わっていた――光に当たると空色に見えたが、影になると黒に近い深青色に映る、複雑な色合いの瞳。

 やや表情には乏しく見えたものの、整った顔立ちをしていた。


 そして、会釈の仕方であったり――トゥイーディアを振り返る仕草であったり――そういうものに、時折この近辺の高級宿(ホテル)を使っているのを見掛ける、貴族たちを彷彿とさせる気品があった。

 軍人ではあれ、あれは身分のある部類だろう――



 そこまで考えたとき、階段が悲鳴のようにけたたましく軋む音が聞こえてきた。


 レミ夫人は内心で安堵の息を漏らす。

 もし仮に、あの男がトゥイーディアの部屋に押し入るようならば、何が何でもレミ夫人もまた、トゥイーディアの部屋に押し入ってあのお嬢さんを救わねば、と決心していたところだったのだ。



 床板を軋ませながら、例の男が食堂に入ってきた。

 食堂を抜けねば広間へ戻れないのだから、これは当然といえる。


 レミ夫人は厨房を出て、さも親切そうな顔で彼を出迎えた。



 漆黒の髪は、やはり彼女の胸をざわめかせる。

 ここでぼろを出すようならば話は早い――と、彼女は警戒心を募らせていたものの、一目例の男の顔を見て、おや、と違和感を覚えることとなった。


 男は、帳場で見掛けたときに比して、明らかに上の空だった。

 なんなら食堂のテーブルに腰をぶつけていた。


 あら、と口を開け、レミ夫人は瞬きする。

 そして、軽く咳払いをした。


「――あら、お嬢さんはお部屋?」


 その声で、ようやくレミ夫人がそこにいることに気付いたらしい――男がレミ夫人を見た。


 あ、と声を出し、軽く会釈をしたうえで、「あの、」と。


「なにかしら」


 ややつっけんどんに応じると、男はこの上ない真顔で言った。


「――あの、女性が男の頬に口づけするときって、どういうときですかね」


 レミ夫人は眉を寄せた。


「それは――」


 挨拶であったり、と思ったものの、この時刻であれば意味は違おう。

 レミ夫人は少々の躊躇いののち、応じた。


「――まあ、愛情表現じゃないかしらね……」


「――っ、ですよね!」


 男が、隠すことなく拳を握って快哉を叫んだ。


 ――表情に乏しいなど、とんでもない。

 今や彼の瞳は輝いていた。


「ですよね! ――あいつ、俺のこと好きなんだな……」


 片手で口を覆い、心底嬉しそうに呟く男に、ついついレミ夫人は呟く。


「――あら、好き合って婚約したわけではなくて?」


「あ、いや、そのはずなんですけど」


 男がレミ夫人を見て、照れたように笑った。


 その笑顔を見て、レミ夫人は彼が悪人であるという説を永久に葬り去った。



 あけっぴろげに嬉しげな、あけすけな喜びが満ちた笑顔で、彼が言った。



「ずっと俺が片想いしてたんですよ。やっと振り向いてくれたんです。

 それが嬉しくて」





◆ ◆





 宿のご婦人によって、トゥイーディアが俺の頬に口づけた理由に関する考察が補強され、俺はいよいよ上機嫌だった。


 これはすごい、トゥイーディアは俺のことが好きなのだ。


 鼻歌でも唄いそうな勢いで夜の町を歩き、意気揚々と自分が泊まる宿に戻る。


 そのまま幸せな気分で部屋に戻ろうとした俺だったが、覚えのある声が聞こえた気がして、眉を寄せて寄り道することになった。



 俺が泊まっている宿は、一階の広間の奥に談話室がある。

 そちらの方に蝋燭の明かりが揺れている。


 そして聞き覚えのある声が――



 半信半疑で談話室を覗き込んだ俺は、馴染みの顔をそこに見付けて、思わず咳き込むように尋ねていた。


「――カル、おまえなんでここにいるんだ?」


 カルディオスである。

 カルディオスとコリウスが、差し向かいで晩酌している。


 珍しい――コリウスは、カルディオスやトゥイーディア(つまり酒豪)と酒を飲むのを嫌うのに。


 琥珀色の酒が揺蕩う玻璃の杯を手に、カルディオスは何かをしみじみと語らっていた風だったが、俺に気付いてぽかんとした。

「へ?」と声を上げて、お手本のような戸惑い方で目を擦っている。


「――へっ? え? ――おまえ、……なんでここに居るの?」


「いやこっちの台詞だけど」


 なんでも何も、俺はここに泊まっている身だが。



 友人がいる以上素通りするのも変な気がして、俺は談話室に足を踏み入れた。

 足許でふかふかした絨毯が沈み込む。


 カルディオスはいよいよ唖然として俺を見て、「え? え?」と呟いて、慌てた様子で杯をテーブルに置いた。


 なぜか分からないが、コリウスが無言で肩を震わせている。



 目の前に立った俺を茫然と見上げて、カルディオスが俺の後ろを見た。

 そしてそこに誰もいないことを確認した上で、なんだか魂が抜けたような声で、


「――イーディは……?」


 と。


 あ、そういうこと。

 俺も納得した。

 俺が、町中にトゥイーディアを放り出して戻って来たと思ったのか。


 舐めないでほしいものだ。


「ちゃんと送って来たよ。当たり前だろ」


「あたりまえ……」


 茫然と呟いて、カルディオスがコリウスを見た。


 コリウスは声を堪えるのが難しくなってきたのか、ふふふ、と声を漏らして笑っている。

 片手で目許を覆って、それはそれは可笑しそうだ。


 ――え、なにこれ?


 眉を顰める俺を再び茫然と見上げて、カルディオスが、魂の抜けた声で呟くように。


「……イーディを宿に送って……それでここまで戻って来たの……?」


「そりゃそうだろ」


 俺は顔を顰めた。


 カルディオスが翡翠の瞳を大きく見開いて、息を吸い込んだ。


「――なんでだよ!!」


 突然元気よく叫ばれて、俺は唖然。


「は――はあ?」


「なんでのこのこ戻って来てんだよ! 普通! 違うだろ!

 やることあんだろ! この臆病者!!

 こっちはおまえが一つ大人になるのかと思って、しんみりしながら酒飲んでたってのに! なんだよ!!」


 半ばまでをぽかんとして聞いていた俺だったが、さすがに最後まで聞いて意味が分かった。


 自分の顔がかっと熱くなるのを感じつつ、俺は倍の勢いで言い返す。


「――婚姻前だぞ!!」


「こんだけ長い付き合いで、婚姻前もクソもある!?」


 悲鳴のように叫ばれて、俺は思わずぱくぱくと口を動かす。



 コリウスが笑いながら顔を上げて、「まあまあ」と言うように手をひらひらと動かした。


「カルディオス、言っただろう――ルドベキアはおまえと違って紳士なんだ」


「紳士っておいぃぃぃ……」


 その場でがっくりと頽れるカルディオス。


 俺は怒ればいいのか笑えばいいのか分からず、思わず顔を覆った。



 コリウスだけが、その場で朗らかに笑い続けていた。

























これにて、『藤花の髪飾り』編は終幕です。


ちなみに藤の花言葉は、「恋に酔う」「決して離れない」です。

二人にぴったりですね。




次話から、『いざ北へ』編が開始です。


これからの身の振り方を考える、救世主もとい魔王たち。

そんな中で、ルドベキアとトゥイーディアがけっこう重要なことを思い出すが……


といった感じで始まる、《新婚旅行編》です。


が、ここでいったん完結マークをつけさせていただきます。

次話投稿する日をお約束できないためです。


(続きが気になるという方は、どうぞ更新通知をそのままに……。)







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― 新着の感想 ―
[一言] 2人がいちゃつくところが見れてなんだかとても嬉しい気持ちになれました。本当に良かったなあ 新婚旅行編!めっちゃ楽しみです!
[一言] 周りから見てもお互いが純粋に好きあっているのがわかる二人、良いですね…… 普段カルディオスとお酒を飲まないコリウスが上機嫌に晩酌していたのも印象的でした。 とても彼ららしい締めくくりで良かっ…
[良い点] 更新お疲れ様です。 1000年以上も生きてきて色々な人と付き合ってきたカルディオスからすると想像の埒外でしょうけど、二人共キスもしたこと無いですからね。婚前交渉どころか初キスですら結婚式ま…
感想一覧
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