28◆ 輪番制で救世主を担当してきたんだが、今度からの俺たちは魔王らしい
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俺たちは一人では不具で不完全だ。
六人一緒だったからこそ、これまでは何とかやってこられたのだ。
だからこそ、生まれ落ちたその瞬間から再会までの間、俺たちは大なり小なりの不安を抱えて、必死になってお互いを捜すわけだ。
――それを自覚している。
そもそも最初の人生では、みんな今より色んなことが出来ていた。
それは魔法に限ったことではなくて、例えば――今では最低限の愛想笑いすら疎むアナベルも、最初の人生においては卒なく社交の場を歩いていた。
トゥイーディアも、今でこそ頭脳労働のあらかたをコリウスとディセントラに頼り、時々ではあっても抜けたことを口走るが、あの当時は一言の失言も許されない宮廷を、独力で生き抜いていたのだ。
――そういったことの要因は明らかだ。
俺たちはずっと、頼り合い、支え合い、補い合って生きるようになっていた。
だから、一人で生きていくことを強いられていたあの時代に比べて、みんな肩の力が抜けているのだ。
――魔王が人の世を見守り魔法を見張るのならば、魔王のいない時代を許すことは出来ない。
そしてそのためには、そうだ、みんながばらばらの時代に生まれてくる必要がある。
一人ずつ、魔王の座を次の魔王に明け渡し続け、そうやって魔法が死ぬまでの間を見守らなければならない。
――それぞれが独りで。
少しのあいだ、全員が黙り込んでいた。
居間の時計が針を進める音が、白々しいほどにくっきりと聞こえる。
だが、やがて、大きく息を吸い込んだトゥイーディアが、きっぱりと言った。
「――まあ、それは仕方がないんじゃないかしら。先刻も言ったでしょう――全世界を弔い合戦に巻き込んだのは私たちなのよ。責任は取らなきゃ」
「駄目よ」
アナベルが唐突に言った。
大粒の薄紫の瞳でトゥイーディアを見詰めて、彼女はいっそ責めるように。
「駄目よ、イーディ。分かってるの? それだと――それだと、あなたの幸せな一生は、全部が上手くいったにせよ、たった数十年くらいしかないことになっちゃうわ」
俺は人知れず息を止めたが、無論のこと、誰もそれには気付かない。
トゥイーディアが微笑んだ。
心底愛おしそうに痛ましそうに微笑んで、トゥイーディアが囁く。
「アナベル、きみの幸せな一生は、私が五年も経たずに奪ったのよ」
「そんな風に言わないでよ」
アナベルが詰るようにそう言って、ぎゅっと両手を握り締めた。
眉を寄せて、華奢な肩を怒らせて、断固たる口調でアナベルは言った。
「そう分かってて――あたしが、あなたを尋ねていったのよ」
「ええ、本当に嬉しかった」
トゥイーディアがそう言って、衝動的にアナベルの手を取って、握り締めた。
彼女がにっこりと微笑んだ。
「私も同じよ。――まあ、私の場合は……まだなんとも……」
急に言い淀み、口籠ってそう言ってから、トゥイーディアはちらっと俺を見た。
俺は心臓が止まったかと思ったが、彼女は素早く目を逸らせていた。
軽く咳払いして、トゥイーディアがいっそ明るく微笑む。
「……まあともかく、大丈夫よ。
どうしても、この世界には生き永らえてもらわないと困るんだもの。――とってもいい案だわ」
「駄目だよ、イーディ」
頑是ないほどの口調で、カルディオスが低く断言した。
翡翠色の目が怒っている。
「百歩譲って、俺たちはいい。――けど、イーディは駄目だ」
「カル」
トゥイーディアが宥めるようにそう呼んで、それから視線を俺の後ろに向けた。
間違いなく、彼女はヘリアンサスと目を合わせていた。
ヘリアンサスが溜息を吐いて、俺とカルディオスの間の椅子に腰掛けた。
ゆったりと座って、円卓の上に少し身を乗り出すようにして、彼が両手を軽く組み合わせる。
「――正直、ここまできみたちが話を進めていることが驚きなんだけど」
ヘリアンサスが皮肉っぽくそう言ってから、にこりと微笑んだ。
「けれど、まあ、確かに僕は賭けに負けたからね。
ご令嬢、きみが必要とする助言程度ならしてあげよう」
遥か昔に俺が教えた通りの仕草で首を傾げてから、ヘリアンサスは口を開く。
「きみたちが魔王になる。救世主は二度と生まれてこないものとする。
もちろん、魔王として生まれる誰かには、他より大きな魔力を許さなくちゃならないね。
そうしないと、人間のことだから、どうせすぐに魔法は使う」
ヘリアンサスが、円卓の上で欠伸を漏らすムンドゥスを見詰めた。
彼が穏やかに呼び掛けた。
「――親愛なる僕の姉上、どう思う?」
ムンドゥスがヘリアンサスに銀の瞳を向けて、こてん、と首を傾げた。
「なあに、ヘリアンサス?」
ヘリアンサスが苦笑した。
彼が、ゆっくりと言葉を作った。
「――ここにいる連中が、次からは魔王として生まれてきたいみたいなんだけど」
ムンドゥスは反対側に首を傾げ直した。
「魔王?」
「そう。それで、魔法の番をしたいらしいよ。きみのために」
ムンドゥスは瞬きして、ゆったりと俺たちを見渡した。
そして、無情なまでにきっぱりと言った。
「――ずいぶんと多いのね」
ヘリアンサスが組んだ指の上に顎を乗せた。
「多いの? どうして?」
ムンドゥスは大きな銀色の瞳でヘリアンサスを見て、透き通るような無表情で告げた。
「魔法の番をするのなら多いわ。わたしのためのものならば多いわ。
魔王なら、わたしを傷つけることを考える魔王なら、それでもわたしのためなら、一つでないとだめ」
ヘリアンサスが微笑んだ。
そして黄金の瞳を上げて、トゥイーディアを眺めた。
「――だ、そうだよ、ご令嬢」
トゥイーディアは眉ひとつ動かさなかった。
「そう」
「そう、じゃねーだろ」
カルディオスが噛み付くようにそう言って、ヘリアンサスと俺越しにコリウスに視線を向けた。
「コリー?」
頼り切っていることが分かる声音でそう呼んで首を傾げるカルディオスに、コリウスが眉を寄せる。
そして、困惑ぎみにトゥイーディアを見詰めた。
「……トゥイーディア、カルディオスの言う通りだ。
全員が全員、独りで人生を繰り返すことはない――」
トゥイーディアはトゥイーディアで、コリウスの言葉に戸惑ったようだった。
瞬きして首を傾げ、眉を寄せる。
「どうしてそうなるのよ。――第一、別に……」
トゥイーディアが目を伏せて、ごく小さな声で呟いた。
「……無理に傍にいたいわけじゃないわ」
俺は息を止めて、身動ぎもせず、窓越しの陽光に照らされるトゥイーディアを見詰めている。
蜂蜜色の髪が陽光を弾いて小さな光輪を作っているところ、髪の一筋が額と頬に落とす影、伏せた目許の睫毛の影、きゅっと結ばれた口許――淡い色のガウンに包まれたほっそりとした肩、円卓の上で軽く組まれた細い指。
トゥイーディアが目を上げて、眩しそうに目を細めて、やや声を大きくする。
「迷う要素が私にはそもそも無いわ。生きていてくれさえすればいいの。世界だろうと何だろうと、その安否に巻き込まれていなくなってしまうなんて、そんなの絶対に嫌なの。――みんなが。みんながね」
慌てたように最後の言葉を付け加えて、トゥイーディアが決まり悪そうに咳払いする。
そして、なおも何かを言いたそうにするコリウスを制するようにして、「それに、」と言い差して指を上げた。
「頭数が足りなくなるんじゃないかしら。一人あたりの転生に、長ければ三百年くらい掛かるんでしょ?
人間一人が五十年から六十年くらい生きるとして、例えば私が死んでから次に生まれるまでで、」
順番に俺たちをぐるっと指差して、トゥイーディアが首を傾げる。
「ね? これ以上人数が減っちゃうと、どこかで魔王がいない時代が出来かねないんじゃない?」
「そうかな」
と、ヘリアンサスがやや喧嘩腰に言った。
それからちらっと隣のカルディオスを見て、不機嫌そうに。
「おまえ、無理して付き合うことはないんじゃない?」
「おまえが俺を特別扱いしてることはよーっく分かった」
カルディオスが辟易した口調でそう言って、例の手付きでヘリアンサスを指差した。
恐ろしいほど様になっている格好だった。
「あのね、俺だって一応――こういう感じでやってきたけど、一応は救世主なんだからさ。おまえに甘えて、イチ抜けたーなんて、出来るわけないでしょ」
ヘリアンサスは眉を寄せた。
「……おれは、おまえは自由にしてるのがいいと思うんだけど」
「だから、これが俺の自由意思だって。俺の自由不自由をおまえの尺度で測るなよ」
カルディオスが厳しく言って、眉間に皺を寄せて黙り込むヘリアンサスを他所に、「ただ、」と、俺とアナベルを交互に見た。
「おまえら、独りで生きていける?
俺はまあ、知っての通りの多才っぷりで生きていけるだろーしさ、トリーだってコリウスだって、まず困ったことにはならねーと思うし、イーディもしっかりしてるから大丈夫だと思うけど、おまえら大丈夫?」
「は?」
なんで名指しで俺とアナベル?
俺が顔を顰めると同時に、アナベルも思いっ切り眉を寄せてカルディオスを睨んだ。
「は?」
カルディオスは真顔だった。
「だっておまえ、愛想笑いのひとつも出来ねーじゃん。俺、心配」
アナベルは、手に何かを持っていればそれをカルディオスに向かって投げ付けていただろうと分かる表情で、見事にカルディオスを無視した。
カルディオスが眉を下げてコリウスを見る。
コリウスが口許に手を宛がった。
「――だから、例えば二人ずつ同じ時代に生まれるだとか……」
カルディオスの顔が俄かに明るくなったが、すぐにそれが萎んだ。
「でも、無理なんでしょ?」
トゥイーディアがムンドゥスを示して、恬淡とした口調で確認していた。
トゥイーディアの飴色の瞳でじっと見詰められて、コリウスが肩を竦める。
「危なっかしい人間を一人にしなければいいんだ。――例えば、二人ずつ同時に生まれると決めたとしても、そのうち一人だけに魔王としての魔力を許せば事足りる」
「でも、それだと、」
トゥイーディアが静かに言った。
「さっきも言ったけれど、頭数が足りなくなるんじゃない?」
ディセントラが大きく息を吸い込んだ。
円卓の上で指を組んで、その指先を見詰めながら、彼女が呟くように認めた。
「――ええ、そうね。確かに」
コリウスがディセントラに視線を移した。
「僕たちに、他より長い寿命を認めさせられないかな」
ディセントラが目を上げて、薔薇色の瞳で真っ直ぐにコリウスを見据えた。
表情は極めて静かだった。
「――出来ないことはないでしょう。少なくとも、最初の一人に関して言えば、そもそもそうしなければならないわ。
――けれど、」
ディセントラの扁桃形の大きな瞳が、ムンドゥスに焦点を移した。
「私たちの寿命を、常に長く保証するなんて、そんなこと――今の絶対法にも触れることよ。
本末転倒だわ。ムンドゥスの負担になってしまう」
「トリー」
カルディオスが責めるように名前を呼んだが、ディセントラはそれを無視した。
彼女自身も、息を憚っている風情があった。
「そうよね」
トゥイーディアが頷いてそう言って、コリウスを見て微笑んだ。
心底嬉しそうな微笑だった。
「コリウス、ありがとう――カルも。
確かにみんなに会えないのは寂しくなるけど、ただ私は、確実に世界を救いたい。絶対に不安要素は残したくない。出来る限りの最大のことをしたい。
――みんなが私の我侭に付き合ってくれるなら、本当に嬉しい」
――救世主らしい、と思う。
トゥイーディアは俺とは違う。
俺はひたすらにトゥイーディアに生きていってもらうためにこの世界を救いたいが、トゥイーディアはそうではないだろう。
胸が痛むほどに正しい、救世主としての振る舞いが、ずっとずっと彼女から消えない。
仮にトゥイーディアが俺の身を案じて、俺がトゥイーディアに対して思うのと同じように、俺の生きていく世界を守りたいと思ってくれているならば、それほど嬉しいことはないが、そんな奇跡は起きようもない。
ディセントラがトゥイーディアを見ていた。
愛情深い、いっそ痛ましげなほどの眼差しだった。
彼女が息を吸い込んで、微笑んで、口を開く。
珍しいことに、その声が掠れていた。
「――今生の救世主。あなたが望むなら何にだって付き合うわ。
あなたの望むように」
トゥイーディアがお礼を言うように胸に手を当てて、それから、まだなお――いっそ不満そうな顔をしているアナベルを振り返った。
カルディオスといいコリウスといいアナベルといい、呪いのせいで口に出せないだけで、恐らく、気遣いの九割方が俺宛てだ。
俺がトゥイーディアを好きだから、俺とトゥイーディアを一緒にいさせてくれようとしているのだろう。
そして、さすがにトゥイーディアの意思を無視してその気遣いを押し進めようとはしない連中だから――もしかしたら本当に、万に一つの奇跡が起こっていて、トゥイーディアが俺のことを好きだということも、期待していいのかも知れない。
一度でもトゥイーディアが、俺を特別に思っていると言ってくれるだけで、俺はもういい。
その記憶だけで、これから先の人生がどこに用意されていようが、その人生を十分に幸せに送っていくことが出来るはずだ。
俺は、トゥイーディアがずっと笑顔で幸せでいてくれさえすれば、それでいい。
トゥイーディアはアナベルをじっと見詰めて、少し困った顔をしてから、ちょっとだけアナベルの方に身体を傾けて、言った。
「――普通、そういう幸せって、どのみち生きてる限りの数十年で終わってしまうものだと思うのよ。
だから、何度も転生するからって、人より長い幸福は望んではいけないと思うわ」
俺は思わず唇を噛んだ。
彼女らしい、本当に彼女らしい、俯瞰して物事を判断している言葉ではあったが、あわよくばと望んだことがないかと訊かれれば否定は出来ない俺としては、なんだか刺さるものがある。
「それに――」
トゥイーディアが言葉を続けて、目を伏せた。
じゃっかん顔が赤くなった。
俺はそれを見ていて、もうこれ以上は大きくなりようがないと常々思っている恋心が、まだなお質量を増すのを感じている。
トゥイーディアが小声で――これ以上ないほどの小声で、アナベルに囁いた。
俺はトゥイーディアをじっと見ていて、トゥイーディアの声を聞くことに掛けては他の追随を許さない耳が、トゥイーディアの唇を読むことに掛けては異様に優れる目が、そして何より、この千年彼女を目で追ってきた経験が、トゥイーディアが囁いた言葉を拾い上げた。
「……聞いてたでしょ。生まれてきてくれただけで十分なの。そもそも私の幸福は人より長いのよ」
――俺の胸の中で、心臓が引っ繰り返った。
引っ繰り返った心臓に火が点いたらしく、喉の辺りが一気に熱くなった。
目の奥が熱くなって、いっそ痛いくらいだった。
愛おしさで息が詰まる。
あれ、これ……待てよ、さっきから、トゥイーディアの口振りが、なんというかこう……本当に、好きな人を語っているみたいじゃないか?
で、何というか、ここ最近の態度からしても、その対象が俺である可能性はあるわけで……。
――なんだか泣きたくなってきた。
今ならもう死んでもいいと心から思った。
もし本当に、奇跡のようにトゥイーディアが俺のことを好きでいてくれるなら、そして一緒にいられないのなら、彼女が俺のことを忘れてくれるように、心底から祈った。
俺の存在がどんな形であれ、もう彼女の心に傷のひとつもつけないものであるように、本当に――心から。
アナベルは、なおも躊躇うようにトゥイーディアを見詰めている。
トゥイーディアが微笑んで、頷いた。
アナベルが目を逸らせた。
トゥイーディアが息を吸い込んで、俺たちを見渡して、首を傾げた。
カルディオスが何か言おうとしたのを察して、彼女が軽く片手を上げてそれを制する。
苦笑したその表情が――何と喩えればいいのだろう、言葉も思い付かないくらいに、形容も追い着かないくらいに、本当に綺麗だった。
俺が愛するとして、この人の他には有り得ないだろうと改めて確信するような表情だった。
「――もし、みんなが、弔い合戦の後始末をきっちりつけるためなら、もうお互いに会えなくなってもいいって思ってくれるなら、」
トゥイーディアが両手の指を軽く組んで、それからその指先にぎゅっと力を籠めた。
「――救世主として魔王になりましょう」
――輪番制で救世主を担当してきたんだが、今度からの俺たちは魔王らしい。
会えなくなること、話が出来なくなること、どうでもいいようなことを言い合えなくなること、頼り合えなくなること――そういうことを全部考えても、考えてみて身を切られるほどに寂しくつらいだろうと分かっていても、俺はこの言葉に頷かざるを得ない。
トゥイーディアの望む俺は救世主の俺だから。
トゥイーディアの期待に能う俺でいたいから。
せめて少しでも、俺がトゥイーディアの希望を叶えたい――彼女の心を明るくしたいから。
――そして何よりも、俺の〈最も大切な人〉と肩を並べていたいのならば。




