54 殺氏家結末
自由を冠する街がある。
絶対的な身分社会であるこの帝国において、血よりもあやふやな才が尊ばれる街だ。
それ故に、彼らと他者は、その都市のことを自由都市フリスタッドと呼ぶ。
帝国の首都、つまり血の象徴と呼ばれる千年都市から、南西に帝国領の端まで進むとそこにある。同じ南方にあるギルベナ地方の都市サウスギルベナが唯一の王国間貿易港を有しているのなら、ドリッチ地方にある自由都市には唯一の大陸間貿易港がある。
しかし両者には圧倒的な差がある。豊かさという指標だ。
心の、ではなく、単純に黄金の量の違い。
近年最も発展している都市として、急速に勢力を伸ばしている自由都市。
開拓以来三百年間、一度として満たされることのないサウスギルベナ。
同じ南方の二つの地方行政機関の本庁舎が置かれている都市という共通点があるだけで、そもそもこの二つを比較しようという者はいない。だからここでも比較しない。
自由都市が、他都市とどうであれ、豊かさという点では疑いようがない。
しかし、だ。
黄金の光は、影も作る。
これは不可避のことであるし、この都市でも同じことだ。
豊かさは文化を育て、文化は芳醇を通過して、あっという間に腐敗に至る。
腐敗は発酵と同義でもあるが、害を及ぼすという意味でやはり違うものだ。
その腐臭を、心地良いと考える者もいる。
ある魔道士の場合もそうだ。
魔導の研究は、ある一つの研究対象に、人間の魔道士が行っている場合には、集約される。
それは生命研究というものだ。
人間も生物なのだから、そして知性を持った有限な生き物なのだから、これは必然で当然だろう。
ある魔道士の場合もそうだ。
名前は、必要ないだろう。
なぜなら、彼は学術的専門書に名前の乗るようなまっとうな人物ではなかったし、なにより、これから先に彼が名を成すことはないからだ。
彼は富と腐臭の都市で、生命研究をする魔道士だった。
魔導における生命研究とは、人間自身を対象に能力を高めるか、人間のような高度な生命体を作るのかに大体のところ分かれるが、その二つは不可分だったり、同時並行だったりする。
理由は研究費を貰うためという、俗なものだが、これも研究者の常ではある。彼の研究の出資者はいわゆる地下娯楽という非合法な宴を主催する組織で、彼はそこで催される闘技会の(強制的)参加者を『作り出す』ことだった。
彼が作っていたのはいわゆる『複合生命体』である。
出資者の要望に答えるために、最終的には人と異種族を掛けあわせたものになった。
エルフと人間を掛けあわせても、視覚的にはあまり喜ばれない。喜ばれるのは如何に醜く残酷な運命下にある生命体を作れるかだ。
屍喰鬼の毒素を注入した人間。
ゴブリンと人間の交配児。
複数の人格を一つの身体に入れた人間。
醜ければ醜いほど、出資者たちと宴の観覧者は喜んだ。どれだけ人の部分を残しておくかが難しいところだ。闘技場を観る人間たちにとって、異形のしかしあくまで人間である存在が殺しあうことほど愉悦はなかったのだから。
結局この魔道士は、自分の創りだした生命体に殺されて、名も無きままにこの世から姿を消した。そして彼の作った生命体のいくつかも街から結末不明のまま姿を消した。
その後地下娯楽の組織がどうなったか、魔道士が残していた研究記録がどうなったかは分からないし、ここでは関係がない。
彼ら三人もそうだった。
ヨランダには分からないことばかりだ。
ゼフは興味もない。
グルーエフは気にする頭脳もないだろう。
三人は自由都市という名の不自由な檻を逃げ出して、自由で何もない荒野に逃げ込んだ。
けれど、結局、彼らは自由にはなれなかった。
なぜなら、彼らは魔道士によって習性を埋め込まれ、それは彼らにはどうにも修正することのできないものだったからだ。
ヨランダは生きるために死体を喰らわなければならない。
ゼフは犯すために殺さなければならない。
グルーエフに関しては、精神を結合しておくために、逆に人をバラバラにする必要があった。
三者三様ながら、金のためでも、偶発的でもなく、人を殺す彼らは自身を殺人鬼と呼んで、自分たちの関係を家族と呼んだ。悲しいかな、哀れかな、彼らは人間であるが故に、何かに属していなければ生きていけない。
精神的な充足を得るためにも、どんなに日の当たらない場所であろうと彼らは社会の下にいなければ生きていけない。人を殺すにも社会がなければ話にならない。分かってもらえないことも多いが、これだけ人が死んでいる街であっても、人を殺して殺して殺しまくるには、何かしらのカラクリが必要だった。
だから三人が選んだのは、またどこかの誰かに飼われることだった。
新しい街の新しい飼い主は、また非合法組織の長だった。
盗賊ギルドの長。
こんなことなら、こんな田舎まで行かずに、自由都市にいればよかったと、三人は思うことはある。
いたとしても、逆のことを思っているか、死んでいるかしているのだろうけど。
現状に不満を漏らすのも、人らしい行いだ。
とりあえず、三人はまた、鎖で繋がれて過ごす毎日が始まった。
やることと言えば、気持ちよくなる薬をやるか、気持ちよくなって眠るか、気持よく性行為に励むか、だ。
相変わらずの牢屋暮らしだったが、ここは酒と食べ物には困らない。一般的な自由はないがその範囲内で自由だった。
そう言えば、性行為と言えば、三人にはもうひとつ悲しいことがあった。
唯一の女性ヨランダは、夫であり、兄妹である二人の男と、それ以外の男と、それこそアソコが化膿するほど性行為に及んだが、ついに新しい家族を得ることができなかった。
生殖機能を止められているのではない。
妊娠はするが、生まれてくる子供が、赤ん坊とは呼べない肉塊でしかないのだ。
なんど試しても、出てくるのは血だらけの肉の塊だ。
ヨランダが誰と妊娠しても、ゼフとグルーエフが誰に受精させても、でてくるのは同じ肉の塊だった。
これは、彼らがすでに異種交配によって、生物としてデッドエンドに入り込んでいることが原因だ。
彼らはもう、生物として進化することもできないし、人間として子孫を残すこともできない。
だから生殖行為はできず、快楽行為だけだ。
だから彼らはせめて家族であることを選んだ。
この行き止まりに辿り着いたのは、とりあえず、自分たちだけだったから。
屍喰人のヨランダ。
ゴブリン混血種のゼフ。
多重人格人形(MPSP)のグルーエフ。
三人が収監されているのは、長方形の土壁の平屋だった。
高い天井の部屋の中に、大きな鋼鉄製の檻だけがある。
中にはベッド代わりのソファと、便器替わりの壺が置いてあるだけだ。あとはゴミのたぐいが散乱しているだけ。特に不満はない。
彼らはとりあえず、この薄暗い場所で過ごす。いつの日か、この命が終わる日まで。
別に死にたいわけでも、死が怖くないわけでもない。
それどころか、四六時中、人を殺したくてしかたがないわけでもない。
他の欲求に支配されている人間たちだって、四六時中喰っているわけでもないし。四六時中やりまくっている訳でもないし、四六時中何かをしているわけでもない。
だから、この日、盗賊ギルドの長の使いが、彼らを収めている檻にやってきた時、彼らはイマイチ気分が乗らなかった。
前日酒をしこたま飲みながら、しこたまブチ込んだり、ブチ込まれたり、一晩中騒いでいたお陰で、今朝はどうにもこうにも気だるく、食欲は無いし、性欲は吐き出しきって、感情はピクリとも動かなかった。
「出ろ」
盗賊ギルドの男がそう言っても、三人はピクリとも動かなかった。
変なシミと臭いのあるソファに三人共絡まるようになって寝ている。どうしてこうなったのかはよく覚えていないが、平常通りと言えばその通りだ。違うのはこんな朝早くから、飼い主から声がかかったことだろう。
男は檻の外から声をかけてくるだけで入ってこようとはしない。
恐れているようだ。何を恐れているのかは分からない。
とりあえずゼフとヨランダは男の声を無視した。グルーエフに関しては本当に寝ているようだった。
「おい、出ろよ!」
男が怒鳴る。いや、懇願するような声だ。実際そうなんだろう。
しばらくして、ヨランダは男の方に目を向けた。このまま無視していても、立ち去りそうにない。
ということは仕事だろう。仕事でも、食事でも、ヨランダには違いがなかったが。
屍喰人であるヨランダは死体でなくても、腹を満たすことはできる。肉だって野菜だって、よく考えて見れば何かの屍体には違いないのだし、それについてはあまり気にしていない。ただしそれら、人の死体以外の物は時々湧き上がる飢餓感を癒してはくれなかった。身体半分の種族特性なのか、あの魔道士がそうしたのか、どちらにせよあまり問題の解決にはならないので、調べたことはない。
屍喰鬼因子を組み込まれた屍喰人であるヨランダが、死体を喰らうことは生来の性質だとも思えるが、飢餓感は生きている人間の肉でも、死んでいた人間の肉を喰らっても治まらない。自分で殺した人間の屍体を喰らうことだけで満たされる。
屍喰鬼というものの存在がどうなのか知らないが、そこには邪悪な意図を感じる。だからあの魔導師がわざわざそういう風に作った可能性もある。それにヨランダは人を殺して罪の意識がなかったわけではない。あの魔導師は、そこだけはヨランダも確信しているが、人としての倫理観を残したまま、ヨランダを化け物に作ったのだ。理由はその方が観客たちが喜ぶからである。
さすがに、今となっては『慣れ』てしまったが、最初の頃は血の涙を流しながら、人を殺して、その肉を喰らっていた。
『慣れ』た原因はわからない。人としての生存装置が働いたのか、狂ってしまったのか。
どちらにしろ、それはヨランダが人間だったという証明だ。
ヨランダは立ち上がると、フラフラと覚束ない足取りで、檻の隅に置かれている壺へ寄った。
粗末な、薄い布切れしか身につけていない。
女性としても小柄な体。病的に華奢な体つきで、胸だけが不自然なほど突き出していた。
胸以外を見れば、幼い子供のようにも見えるほど。肌は蝋のように白く、その白い顔には墨のような黒い染料で、線が描かれている。
薄い布切れはその膨らみをかろうじて隠す分だけしか無く、凹んだ腹や細い腕はむき出しだ。
ヨランダは壺の前にしゃがみ込むと、顔を突っ込む。
中に溜まっている糞尿の臭いも手伝って、昨日の酒と胃の内容物を嘔吐する。
しばらく、吐き続けると漸くぼんやりとしていた思考がハッキリとしてきた。
そのまま二人のところに戻り、蹴っ飛ばして起こす。
やりたかないが、仕事をしなければ生きてはいけないし、それが人間社会だ。
三人は着替えて、建物を出る。
着替えと言っても、ヨランダはショートパンツとフード付きの上着を着ただけで後は腰に鎌の一種である武器を二本差しているだけだ。他の二人も似たようなものである。
正確な時間は分からないが、日の高さを考えると、朝の九時か、十時、というところか。
肌寒さもあるが、それより陽の光が煩わしい。
「で。なんだった?」
ゼフが迎えに来た男に尋ねる。外には盗賊ギルドの男が他に四人待っていた。
こんな時間に仕事というのも珍しいが、人数も少し多い。
「いつもどおり」
ということは、殺しだ。それ以外のことはできないし、殺し以外でヨランダ達が使われることはない。
「相手は今までと違って、巨人族の手練だ」
巨人族。
亜人の一種だが、体の大きさと膂力以外にはこれといって人と違いはない。
殺り合ったことは、自由都市にいたころに一度あったような気がする。
犯り合ったことは、ない。巨人族というだけあってアソコもデカそうなので興味はある。
「殺すだけか?」
条件をゼフが尋ねる。
ヨランダとグルーエフは黙ってブラブラと貧民街を歩くだけだ。
犬面で一目でまともじゃない外見のゼフだが、三人の家族の中では交渉役でもある。
見た目のまずさなら、他の二人も違わない、性格がまだ理性的なのはゼフだし、性質的に殺意の発露条件が限定されているのも彼だ。
「殺すのは奇食の奴ら全員だが、手強いのは巨人族の父娘だけだ。巨人族なのは父親の方だけだが、娘の方も剣を使うようだ」
「人数は?」
「三十人」
「そりゃ、大漁だ」
ゼフが無意識に股間をボリボリと掻く。
昨日あれだけ出しておいてまだ足りないのかと思うが、昨日は殺しをしたわけでもないし、そもそも『ゴブリン混血種』であるゼフの精力は文字通り絶倫だ。死ぬまで出し続けることもできる。相手も性別は関係ない。あまり大きい個体は魅力を感じないらしいが。
とにかく殺して犯せれば、つまり殺して犯すしか、衝動を抑えることはできない。ヨランダが自分で作った屍体を喰らうことと同じだ。ゼフが犯してそれでも殺さずいられるのは同じ殺人鬼のヨランダと、どう考えても好みじゃないグルーエフだけだ。
「巨人、でかい、強い、力」
グルーエフがポツポツと細切れの単語を話す。
「ボク、待ちきれ、ないワ」
グルーエフの話す言葉は語尾と人称があっていないが、口から漏れる声質も男だったり女だったり様々だ。
「そうだね、一度ワタシは殺したことがあるよ。何回刺しても死なないし、動脈を奇麗に切らないと暴れそうだね」
グルーエフは多重人格人形(MPSP)と呼ばれる人工多重人格者だ。多重人格人形(MPSP)はあの魔導師の言っていた言葉で、正式な言葉なのかはわかならい。多重人格などと大仰に言っているが、実際は人格だけを、でっかい皮袋の中に複数人数をぶちこんだだけの無茶苦茶な生き物だ。時間が経過するほど、人格間での整合性が取れずに、肉体機能が喧嘩し合い、どんどんと知性と人としての形が失われている。それを癒やすには、少し抑えるには、人をバラバラにして、一つの人間を複数に分割する必要がある。
「三十人か……」
ヨランダは人差し指を口に突っ込んでねぶる。反対の手をショートパンツの中に差し込んで弄る。屍喰鬼因子の証である真っ黒なだけの瞳は表情に乏しいが、それ以外の部分は興奮していた。胸の突起は痛々しいほど勃起していた。最初は気が乗らなかったが、三十人も殺せるなら別だ。
だんだんと、心の一番深い部分からゾリゾリと何か蝕むものが噴き上がってくる。
それを感じ取ったのだろう。五人の盗賊ギルドの男たちが心なしか離れる。
こうなってはあとは殺すか殺されるか、だ。
目に映る者を気が済むまで、腕が痺れて動かなるまで、ヨランダは鎌を、ゼフは幅広剣を、グルーエフはナタを、とにかく上から下に打ち付けるだけだ。
喰うのも、犯すのも、解体するのも、とにかくその後だ。三十人となると、何をするにも大変だが、とりあえず片っ端から、思う存分皆殺しだ。
待ちきれないがすぐに狩場に到着した。
「奴らは、隣の通りにいる筈だ」
後ろから盗賊ギルドの男が言ってきた。よくわからないが、ここから隣の通りまでにいる人間の全てを殺してしまえばいいのだろう。
体内から沸き上がる黒い炎に焼かれ、気が狂うほど興奮し、意識は逆に乖離していくようだ。
目の前に、まずは三人の子供たちが歩いてくる。
仲の良さそうな、自分たち家族のような、楽しそうで不幸な兄妹が歩いてくる。
真ん中を歩く姉は十歳前くらいだろうか。
右側には女の子、左側には男の子。どちらも五歳ほどだ。
「ワタシは妹を喰う」
ヨランダは腰に挿してある鎌に手を伸ばす。
「俺は姉を犯す」
ゼフは広中剣を抜かずに呟いた。
「だ、た、ら。私、弟君を、千切る」
グルーエルはナタの背で掌を叩いて値踏みする。
通りには姉弟以外の姿は見えない。どうやらゆっくりと、最初の行為を堪能できそうだ。
ヨランダは妹の首を切り、屍体を喰らう。それを見届けてからゼフが姉の首をへし折って、犯す。グルーエフは弟にそれを見せてから、バラバラにぶつ切りにする。
あっという間に、手順が三人の中で、言葉にせずとも共有される。
姉弟達は、気が付かずに、楽しそうに目の前にやってきた。
これはもう、神さえもそうしろと啓示しているんだろう。
こんな地獄のような、辺泥の底のような街で、自分たちのような気狂いな三人の前に、三人の姉弟が楽しそうに、警戒もせずにやってきたのだから。
ヨランダは躊躇わずに、躊躇ったことなどもうずいぶんとしたことはないが、鎌を凪いだ。
旋風が吹いたように、ヒュっと幼い少女の、柔らかい喉を通り過ぎた。
少女の首が、それ以外の部分は、それまでの動作を阻害せず、落ちる。
落ちた首の、その顔は、笑っていた。
少女の体は、姉の手とつないだまま、数歩そのまま歩く。
やがて、鮮やかな真っ赤な切り口から、血が吹き出し、姉の白い肌に飛んだ。
ヨランダはもう、姉の表情も、叫んだかどうかも、聞いてはいなかった。
落ちた頭の、その凍結したような笑顔ままの頭部に我慢できず、飛びつくように地面にしゃがみこんで首を抱え込む。
もうダメだ。イッてしまいそうだ。
死んでも柔らかな幼女の頬を撫で回す。
そして口を大きく開けた。
そこには鮫のような、ギザギザに尖った歯が並んでいる。人ではない歯が並んでいる。
勢い良く、まだあたたかい生きている様な顔に、齧り付いた。
狂ってる。
何が? 彼女が? 世界が?




