53 Pitiful Pitbull Terrier
「ああ、そりゃないよ」
エドの呟きに、ナイジェルは視線を上げる。文言に反応したのではない。先ほどまでとは違う声色に反応したのだ。エドは路地の出口で立ち止まっている。明るく視界の広がる通りを見て止まっていた。
「どうした?」
エドの背後から覗きこむようにナイジェルが頭越しに通りに目を向ける。
まず目が向いたのは人の姿。
大人が幾人か、三人。子供が地面にこれまた三人。いや、
「なんだこりゃ」
うつ伏せに倒れている子供を中心に大量の血痕が広がり、その側に女がしゃがみ込んでいる。
背を向けフードを被っているので分からないが華奢な体格や露出している肌、臀部の曲線は女性のものに見えた。
うつ伏せに倒れている子供の様子は、女の背中に隠れてわからない。が、投げ出された両足がピクリとも動かないことと、大量の血溜まりからすでにこときれているだろうと判断できた。
いやそれ以前に灰魔術師としての『目』を持つ二人には、生命反応のないことを読み取り、それ以上にそこにしゃがみ込んでいる女と、側に立っている男二人の異常性に気がつく。
エドは反射的に路地に戻ろうとしたが、すぐに後ろにナイジェルがつかえていることを思い出した。
今度は逆に通りに出て、狭い路地から長身のナイジェルを通りに出す。
「弓を」
ナイジェルに指示を出し、自身も鞄の中に手を突っ込む。
落ち着け。
自分に言い聞かせて、状況を確認する。
一番目についた血溜まり以外に目を向ける。
地面に尻もちをついている二人の子供は生きているようだが、動けないようだ。怪我がないようだから、恐怖で動けないのだろう。
二人の子供は、イザベラとアレルだ。二人からは背後の位置になり、エドたちが現れたことに気がついていない。ということは、残りの倒れている少女はアレルの妹レアナなのだろう。
二人の子供と三人組までの距離は十メートルもない。
三人組の後ろ、数十メートルほど離れて五人の男たちがいる。盗賊ギルドの男達らしい。
が、五人の方はどうでもいい。
「なんだあれ、ヤバすぎるだろ」
ナイジェルが呟くほど、手前にいる三人組は瘴気に包まれていた。視覚魔力探知に優れたエドでなくとも、染み付いた魔粒子の濃さはナイジェルにも分かった。その意味までは分からないが、禍々しさは感じられる。
「逃げられますかね」
そう言いながら、エドは後ろにジリジリと下がっていく。
「助けないのかよ」
「助けられますか?」
位置的に不可能だ。それよりも魔術師である二人にとっては距離を取るほうが重要だ。特にナイジェルの長弓を活かすのにも。
エド一人逃げるのなら、路地に入ればいいのだが、その場合はナイジェルまで見捨てることになる。三人組の足が特別遅ければ逃げられるだろうが、速ければエドも逃げられそうにない。
「あれ、人間ですか?」
あれ、と言ったのをナイジェルは立っている男のうちの一人だと思った。
三人組を包む負の魔粒子、瘴気の濃さ以外にも異常性を示すことがあった。
こちらを向いている男の一人は肥満型巨体だが、巨人族というわけでもない。
鉈を手に下げている。ククリのように湾曲しているものではなく、おそらく肉用の直刀だ。
顔には白粉を塗りたくり、青で目のまわりを、赤で顎全体を、道化の化粧をしている。
だがより異常なのは、もう一人の男のほうだ。
肥満男の隣に立っている半裸の男。手足が長く鍛えられた腹筋が顕になっている。初春の肌寒い季節にサンダルにハーフパンツのみという格好で、右手に錆びた剣を持っていた。
だが、なにより目につくのは、明らかに異常で険悪感を抱かせるのは、頭部だ。
成人男性の体に、犬の顔が乗っている。
獣人というにはあまりにも顔だけが違っている。角刈りの人間の頭。だが鼻と口と目と顔の皮だけが、皮膚病のブルドックのような顔がついている。マスクの類ではない。
「ゴブリンか」
ゴブリンの頭が筋肉質の男の体の上に付いている。
ナイジェルは男の顔をみてそう呟いた。
ナイジェルの言葉にも、エドは顔を向けなかった。気に留めなかったというのではなく、三人組から目を離すことができなかったからだ。
男二人が、エドとナイジェルに気がついた。
今気がついたというより、興味を持って動き出したという感じだ。そうでなかったならとっくにエド達はこの場から逃げていただろう。
乾燥して土埃がたつ道をズリズリと足を引きずるようにダラダラと近づいてくる。
女の方はしゃがみ込み一心不乱に何かに熱中していた。
「こういう場合はどうしたらいいと思います?」
逃げられそうにはない。この連中を背後に残して逃げる気にはなれない。
交渉もできそうにない。言葉が通じるかどうかもわからない。
戦うしかないのか? ナイジェルの戦闘技能がどれほどかは知らない。サウスギルベナまでこられたのだから初実戦のエドよりは修羅場を潜っているだろう。
だが、この連中にとってそんなものは誤差でしかないのだと、エドの『目』は彼らに染み付いた魔粒子の忌みを読み取っていた。
何人殺せばこれほど純粋な魔粒子の忌みになりえるのか。
エドは男たちが近づいてくるのを見て鞄に突っ込んでいた腕を引き抜く。
その右手には刃渡り十五センチのナイフ。
「犬男の方をお願いします」
エドの声に、ナイジェルが矢をつがえ、長弓を引き絞る音がした。口は力ある詞を紡ぎ始める。
視線を向けていないのでどんな灰魔術かは知らないが、とにかく肥満男よりスピードに優っていそうな犬顔の男のほうをナイジェルに任せる。
「止まれ」
エドが二人の男に向かって懇願にならぬよう精一杯硬い声で警告を告げる。
だが、男たちは止まらない。
手に下げている武器を構えてはいないが、ゆっくりと近づいてくる。
「逃げることを最優先に」
連携などとれるはずもない。後ろに控えている五人の男たちは手を出してくる様子はない。いや、巻き込まれないようにしているのか。とにかく三人組に注力するしかない。それで手一杯どころか、どう考えても、どうにかなりそうにもない。
「僕は路地に逃げ込めば何とかなります」
エドはナイジェルにだけ聞こえるように囁く。先ほどやってきた路地は子供であるエドなら余裕で通れるが、犬男やナイジェルでは走って通るようなことはできないはずだ。ましてや肥満男は横にしようが身体自体が入らないだろう。隣の通りに逃げ込めばベイトマン父娘がいる。
「だから弓を放ったらすぐに逃げてください。犬男さえ足止めできれば逃げきれるはずです」
「確かにデブは鈍足だろうが、まだ女がいるぜ」
「まだこっちに向いてないから無視しましょう」
「大丈夫か?」
「諦めましょう」
それ以上会話はできそうにない。エドは右手に持っていたナイフの刃を左掌で握りこむ。
そしてそのまま少し刃を引いた。幼子の柔肌は粗悪な刃にも抗することはできずに赤い雫を垂らし始めた。
ナイジェルはその行為の意味が分からなかったが、尋ねはしなかった。余裕がなかったからだ。
だが、この行為が状況に変化をもたらす。エドの狙いとは別に。
それまでこの状況にまったく関心を抱いていなかった、最後の一人に変化をもたらす。
「?」
女は上を見上げた。フードをかぶり、背中を向けているせいでよく分からなかったが、クンクンと匂いを嗅いでいるようだ。
しゃがみこんだままぐるりと此方を向く。
「なんなんだよクソッタレがっ!」
ナイジェルの悪態が聞こえた。だが、エドは最初からこの女の異常性に気がついていた。近距離精密型の『目』には、相手が背中を向けているかどうかなど関係なく、その纏った魔粒子と放っている魔力を捉えていた。それでも驚愕したという点ではナイジェルと同じだ。
その女は少女の様にも見えるが、年齢を考えること自体に意味がないほどの異常性だ。
道化の肥満男や犬顔男とはまた違った異常性。それでありながら意味なすことは同じな異常性。
下半身は水色のショートパンツで足は異様に細い。白いフード付きの外套から流れているのは金の長髪。色の抜けた銀に近い金でパサついて細い髪だ。その長髪をサイドを刈り上げ、額の上で真横に切り揃え、眉毛は無い。病的というより、蝋人形のように作り物めいた白すぎる肌。
その白い肌に黒く細く、線で刺青模様が書かれている。魔術的な意味合いがありそうだが、それ以上はわからない。
だが、異常性はそこには現れていない。アバズレなのだろうし、変わり者であることはそれだけで十分だが、異常であるかどうかには不十分だ。
まずは女の眼だ。
黒い。
虹彩が黒いというのではない。黒い部分しかない。眼球でありながら真っ黒でまったく光を放っていない。全ての光を吸い込むようにただただ黒いだけの固まりが眼窩に入っているだけだ。
次に口だ。
女の口は開き、舌が覗き、血だらけだった。舌が蟲のように動いて口の周りについた血痕を舐めとっている。その唇から時々覗く、牙のような歯が並んでいた。犬歯が尖っているというのではない。全ての歯が鮫のようにギザギザに生えている。
だが、何よりもこの女の異常性を表しているのは、顔にはない。
一目見て、最初の段階で、振り向く必要もなく、エドはその異常性に気がついていた。
纏った魔粒子の忌みは、刹那に殺して害を成すこと。
放つ魔力の意味は、死んで、喰らって、生を為すこと。
だから女の外見と、瘴気が異様だったとしても、すでにエドはその女がもはや異常とも呼べず、人外の存在であることを覚悟していた。
だが、これはいけない。それはない。
女の異常性を超えた、魔族の特異性を超えた、狂った存在の証明はその手にあった。
異常に白い、だが普通に細い、普通の女性の手だった。
しかし、その手にあった。その手の中に在った。
エドは辛うじて抑えた。もう少し近くで見たなら腰を抜かしていたかもしれない。
ナイジェルには無理だった。叫んで恐怖した。エドとの違いは声に出したかどうか。違いはなかった。
「何してんだテメェ!!!」
それは生首だった。
小さな肉塊が手の中に収まっている。それは血で塗れて誰だか分からなかった。
いや、血を拭ってもわからなかったろう。性別さえも判断がつかなかっただろう。
その大きさ的には小さな子どもの頭。状況的には倒れている幼い女の子のものだ。
レアナという名の、四歳の少女の頭部だ。
だけど、その首だけでは、もう何がなんだか分からなくなっていた。
鼻は食いちぎられ、皮膚は無くなり、眼球は潰れている。
頬はごっそりと肉がなくなって、骨で辛うじて顎が千切れ落ちないだけ。
黒目女の口元を見れば原因は明らかだ。ありえないという常識を除けば。
喰ったんだろう。
それは単純な行為にすぎない。生物として基本で必要不可欠な行為。
人を食らう生き物はこの世界では珍しくはない。この世界の食物連鎖の頂点は人ではないのだから。
だけれど、魔獣だろうが、魔物だろうが、人を喰らうとしてもこれほどの恐怖は感じなかっただろう。
人が食うことも。人が殺し殺されることも。人がある日死体になることも。この街では珍しくもないのに。
なんだこれは。この気持ち悪さは。
人に近い存在。人に近すぎる存在。しかし、近いだけで両者の間に走る谷はどこまでも明確に深い。それがもたらす不快な感情は、どんな行動であろうと不明確であり、恐怖に変わる。
生物的に同じでも、決定的に違うと感じ。生物的に同じだからこそ、どこが違うのかはわからない。
恐怖と嫌悪感の正体。
二人の男はすぐ側まで来ていた。
女がクンクンと匂いを嗅いでいる動きから、視線をエドに固める。
それでもエドは動けなかった。
ナイジェルは叫び、行動を起こしていた。
原因は同じで、結果は違っていた。
長弓から魔力を纏った矢が放たれる。
かけられていた灰魔術は『飛矢』と『呪紋』。属性は風と陰だが、どちらも『強化』系統の魔術である。
『飛矢』は矢の発射速度をあげ、『呪紋』は魔力誘導の魔術。同時起動ではなく、連続発動による多重魔術だ。
必殺とまではいかないが、ナイジェルの扱える魔術の中では実戦での使い勝手がいい。
だが、恐怖に侵されていたこの時、ナイジェルの放った弓矢には、『飛矢』しか効果が発動されなかった。術の起動に失敗したのではない。『呪紋』による魔術は視線によって対象物を捉え、術者と標的とを魔力の有線で接続し、命中率をあげる魔術だ。『ロックオン』するのではなくあくまで強化系統魔術なのである。
だからナイジェルが犬男を標的にして魔術を発動したにも関わらず、黒目女に向かって矢を放った時点で解呪されている。
それでも『飛矢』による発射速度の上昇効果は発現しており、距離十メートルということを考えても、十分過ぎるほど殺傷圏内だった。
だが、苦し紛れに打った精神的敗者、運さえも見放すのか。
黒目女はしゃがみ込んだまま、獣のように横にジャンプして矢を躱した。
後にはゴツっと嫌な音がして、子供の頭部であった肉塊が、土の地面におちて残った。
横に躱し、それからまた女はジッとエドを見つめた。まるでナイジェルなどいないかのように。
この時点で勝負は決していた。
一手目で手順前後し、失着し、投了が決定した。
最初の打ち合わせ通りに犬顔男を狙っていれば、勝てはしないが逃げられていたかもしれない。
現時点での最適解だったろう。もちろんすくんでいることを除外すれば、である。つまりどの道だ。
黒目女は四つん這いの体勢で叫び声を上げた。
ギザギザの歯を剥き出しにして、甲高い声で叫びを上げた。
種族特性を伴った咆哮は、エドに効果を発揮する。それはエドがまったく予想もしなかった効果。
そこでこの戦いは終了する。
エドという少年は初実戦で敗北するという凡庸さを見せた。
エドゥアルド・ウォルコットの生まれて初めての殺し合いは為す術なく敗北に終わったわけだ。
為す術がないのだから、殺し合いでは無かったし、戦闘というにはあまりに一方的であっという間に終了した。
それでも、これは有意義な一戦で、経験だった。とも言える。
負けることにも意味があるというわけでは全くない。これは現実の、再戦の約束されない出来事なのだから。だから凡庸なのだ。平凡なのだ。劣等と言われても反論できないのだ。
それでもエドは失着し、それゆえに敗北が結果につながらなかった。
そして言葉通り、女の咆哮によって一部分天恵的な経験をしたのだ。それについてはまた述べる機会もあかもしれない。彼が生き延びることがあれば。
しかし、それをそうと現時点で検討する時間は与えられなかった。それもやはり現実だから。
エドは普通ではないが、凡庸ゆえに敗北した。
初陣で、敗北の泥を飲ませたのは三人組の男女。
黒目女の名前は、ヨランダ。
犬顔男の名前は、ゼフ。
道化の肥満男は、グルーエフ。
ある魔道士に、ある目的のために作られたという点を除き、まったくの共通点を持たない三人。
誕生も、体の構造さえも、人が人を殺す目的さえも、意図的に違う彼ら。
だが、彼らは自らを家族と呼ぶ。
職業のために殺害する殺し屋でもなく。
過ちのために殺める人殺しでもなく。
人であるがゆえに、人らしく人を殺す鬼と呼ばれる殺人鬼。
だからこそ彼らは夫婦であり、兄妹であり、紛れも無い人であり、それゆえに家族である。
そんな彼らは姓の代わりに、家名の代わりにこう呼ばれている。
殺氏家結末。




