43 イザベラ・D・コロムとエドゥアルド・ウォルコット
イザベラが目を覚ますと、貧民街の荒屋に寝かされていた。そこに住んでいたのは四人の子どもたちと、一人の老婆。老婆はイザベラと同じように寝台に寝かされていた。この街に来て、ベッドで寝るなんて初めての経験だった。いつもは土の地面に寝ていたから体が芯から冷えたが、今は自分の体温で温かい。
マットを触ると不思議な感触がする。イザベラが知っている綿の布団とも違っている。敷いてあるのは草藁の御座なのだが、その下に何か少し柔らかいものがある。
なんだろうと、何度も触っているとその様子に気がついたエドが側までやってきた。
「敷いてあるのは砂だよ」
「砂?」
「そう、海岸から採ってきた砂だよ。適度に柔らかさもあって、保温性もある。取替も掃除も簡単。意外と便利なシロモノだよ。あんまり柔らかくても身体によくないからさ、調整には苦労したよ」
エドの自慢話のような説明は続いたが、イザベラは聞いてはいなかった。
これがイザベラとエドの出会いだった。
少年はこの街の商家に仕える子供らしい。貧民街に来ているのは医者のまね事をしているせいだった。医者のまね事というのが、どんなものなのかイザベラには理解できない。だが、イザベラが出会った時にはすでにエドは『小僧先生』『死体遊びのエド』『毒廻しのエド』『気狂い童子』と呼ばれていた。
「今日からはここに住むといい」
意外な申し出にイザベラは、狭い部屋の中にいる他の子供達を見た。自分よりも年の若い子どもたちばかりだ。あとは同い年の男の子が一人、それに寝ている老婆。
「見てのとおり、若いうえに、後ろ盾のない子どもたちの組だから、イザベラがいてくれると助かる」
「組」
イザベラも組の存在は知っていた。サウスギルベナ特有の集団でたしか子どもたちの仲良し集団だったはずだ。貧民街での意味合いはもう少し切実で、そのまま生きるための生活集団でもある。
「もともと、このお婆さんが子どもたちの面倒を見てたんだけどね。今はちょっと具合を悪くしているから少しでも年長の子どもたちがいるとありがたいんだ」
結局、その荒屋には体の調子が良くなるまで世話になった。その後は自分の寝床に戻った。両親が万一戻った時に自分の姿が見えなければまずいだろうと思ったからだ。しかし、組には自然と所属するようになったし、子どもたちの面倒を見ることになった。
両親とはもう会うこともない。
そのことをイザベラが受け入れるまで、一月ほどかかった。はっきりとエドにそう言われたのが決定的な事柄だったが、それがなかったとしても受け入れざるを得なかっただろう。配慮のないエドの言葉には子供心には怒りしか芽生えなかったが、正しい言葉だったとも理解している。
納得してからは、自分の寝床を引き払い、荒屋に移った。お婆さんの病気の容態は日に日に悪くなり、世話をするには近くにいるのが一番だったからだ。
お婆さんが死んだのはそれからほんの一月後だった。
荷車の載せて火葬場へ運ぶ。死体を放置すると病気や怪物発生の原因になるので無料で火葬してくれる。無料のものなどない貧民街で唯一火葬場だけが施される。
煙が天に流れているのを眺めながら、イザベラは三人で座って待つ。
イザベラ以外には、エドと、年長の少年の二人だ。小さな子どもたちは邪魔になるだけなので置いてきた。死んでしまえば後は遺体の後始末だけで、感傷的な儀式を行えるわけではないのでそのあたりはかなり淡々と進んでいく。
死んだ老婆がいつからこの貧民街で暮らしていたのかはわからない。
子どもたちがこの街に来た時から貧民街に住んでいて、後ろ盾のない子どもたちの面倒を見ていた。いや、面倒を見ていたというのは正確ではない。老婆は子どもたちを働かせて、そこから生活の糧を得ていたのだから。それでもこの街では善人の部類に入った。少なくとも路地に放り出された子どもたちに生きていく手段と寝床を与えてくれたのだから。そこには公正な関係があったといえる。
老婆が死んで、イザベラと少年がほんとうの意味で組の最年長者になった。
子どもたち五人になって、寝床が少し広くなった。
貧民街での組は一月もすれば、所属している子どもたちの顔ぶれも変わってしまうのが常だ。
イザベラはこの組で二ヶ月ほど暮らした。
収入源はこの世界では一般的な仕事である『ゴミ漁り』と呼ばれるものだ。都市廃棄物から売れそうなものを拾ってくるというのもあるが、街の外に採集に出かけることも含んでいる。
『ゴミ漁り』は字面のように、簡単な仕事ではなかった。この貧しい街では売れるゴミなんて殆ど無いし、埃の中で呼吸するために健康を害することも少なくないし、都市の外には危険が溢れていたから、本当なら子供ができる仕事ではない。
イザベラたちは幸運な組だった。妙に物知りなエドが、売れる物や、食べられる物を教えてくれたからだ。
それでも二月たった時に残っていたのは最年長のイザベラと少年だけだった。小さな子どもたちはみんな死ぬか、どこかに消えてしまった。
そして、イザベラも組から離れることになった。組自体が無くなってしまったからである。
少年が盗賊ギルドの幹部から盗みを働き、殺されてしまった。
イザベラも共犯とみなされ捕まったが、たまたまその幹部の目に止まって娼館での雑用係の仕事を得た。十五歳になれば、売春婦として生きていくことも理解している。
それでも、幸運な部類に入るのだろうと、自分を納得させる。
ずいぶんと物分かりがいいと思うが、そう思い込まなくては生きていけないのだ。
モヤモヤとしたものはあるが、それを口に出したところでなんにもならないことを8歳でも理解していた。
ゴミを漁って病気や貧困で死ぬか、あの少年のように奪って殺されるか。
そうではない選択肢ができたのだ、笑うべきだ、そう思ってもそれは自分に対する嘲笑で、哀れみにしかならない胸の中の気持ちが消えない。
身体を売って生きる。
それがどんなものなのか、本当のところでは、八歳の彼女には理解できていない。それでも、またはだからこそ、彼女は単純に嫌だという気持ちも消えなかった。店で働いている女達が、媚を売って嗤う姿に嫌悪感を持っている。自分もそうならなくてはならないことにも。
娼館に勤め初めて一週間ほどした頃だろうか、美しくて厳しい冬が過ぎ、エドと再会した。
汚い川の水面に乱反射した朝焼けの光の中に、小さな少年が水汲みをしていた。白い丸坊主頭の後頭部が見える。
なぜこんなところにいるのだろう。後ろ姿だが、やっぱりエドで間違いがない。見習い商人ということだったが、水汲みをしているということはこの近くに住んでいるのだろうか。
じっと見ているとエドが振り向いた。イザベラの姿を見て、ビクリと身体を震わせた。
「珍しいところで会った、ね。イザベラ」
だが、それがイザベラであることを確認すると、安堵しているのが分かった。
治安の悪い地区だから、人の気配にびっくりしたのだろう。
赤い瞳が、クルクルと動いているのが見える。少し垂れ目だがこれといって特徴がない顔立ちだ。強いて言えば坊主頭の子供は珍しいということくらいだろう。散髪するのは結構手間なので、伸びっぱなしにする子も多い。
エドはどうやらきれい好きのようだ。貧民街で暮らしていた時も清潔にするように口酸っぱく言われていた。今の服装も高級品ではないが、きっちりと着崩さずに着ている。変な匂いもしなかったから毎日身体を拭いているのかもしれない。
そう言えば、自分は変な臭いがしないだろうか?
娼館に住み込むようになって以来、香をつけるように言われている。小さな頃から身なりを整えるための訓練だ。甘ったるい臭いで、イザベラの趣味ではないが、こういう臭いが男性には魅力的なのだろう。
「あー、おはよう、イライザ」
考え事をしていたら、エドが不審がったらしく、再び声をかけてきた。
「……おはよう」
数週間ぶりの再会だからか、最初の言葉は朝の挨拶だった。もっと喜んで「久しぶりね!」とでも言えばいいのだろうか。それもおかしい気がした。
「イライザも娼館で働いているの?」
その質問に、イザベラは思わず持っていた水桶を隠しそうになった。隠す場所なんてないし、意味もないのだが、エドに娼館づとめであることを知られたくない。あの組が無くなって、自分以外誰もいなくなったことも、なんだか申し訳なかった。
水汲みはあっという間に終わった。
いつもなら、水の入った桶を堤防の上まで持って上がるのは大変なのだが、今回はエドが引っ張りあげてくれた。
帰る途中で再び、イザベラが娼館にいるのかどうかを聞かれ、仕方なく頷いた。それに対するエドの言葉は「よかったね」だった。それは間違いがなく、悪意もないことも間違いない。それでもイザベラはショックを受けていた。
顔には出すまいとしていたが、エドにはわかったらしい。取り繕うように、
「あー、うん。やっぱり、ね。ほら、イザベラって美人だもんね」
言ってくれた。二つか三つ年下の男の子にだが、自分の容姿を褒められたことは嬉しい。
すぐに「梟みたいな顔で」と言われて、思わずエドを睨んでしまった。小さな子供の言うことにいちいち反応するのもかっこ悪いと思ったが、やっぱり不快だった。
それから二人はずっと黙ったまま歩いた。
エドは気まずそうにしていたが、イザベラはそれほど気にならない。じっと小さな男の子を眺めながら、考え事をしていたからだ。
エドはこの街で一番のお金持ちであるアーガンソン商会という商人のところで修行しているのは教えてもらっていた。だから将来は商人になるのだろう。
エドは頭もいいし、きっとなることができるに違いない。
いや、単純な頭の良さ、勉強ができるかどうかといったこととは別に、エドは自分の思うように生きることができるだろう。たとえ、アーガンソン商会が潰れてしまっても、エドは自分の生きたいように行動して、それがなんでもないことのように歩いていくに違いない。それが成功するかどうかを言っているのではなくて、自由に生きた結果野垂れ死んだとしても、自由に生きたという成功体験はある。それにくらべて自分はというと、立ち止まったままで、幸せや悲しいことを口を開けたまま待っているに決まってる。
八歳と六歳であるにも関わらず、イザベラにはそれが予測できて、自覚できた。もちろん、はっきりと言葉にできる感覚ではなかったけれど、それを言葉にするには幼すぎたけれど、そんなことはどうでもいいほど実感はしていた。
そしてそれを受け入れている自分がとても嫌いで、そうじゃないエドも嫌いだ。
困難に直面しても踊り、馬鹿にしたような笑いを浮かべる物語に出てくる道化の悪魔。
その結末が、幸でも不幸でも、同じように笑って死んでいく悪魔。
そんな少年がうらやましてく、妬ましくて、眩しくて、目が惹きつけられる。
イザベラはじっと見つめた。いつものように。




