39 大きいことは良いことだというのは旧時代的な話
ほとんど無駄話で終わったな。
と、あまり進歩のなかった初日を振り返りながら、エドは入り口に鍵をかけた。
そうして魔道士ギルドの建物を後にしたエドとナイジェルはすぐに立ち止まった。
二人は顔を見合わせる。
「何か騒がしいですね」
ナイジェルもその言葉に頷いて目を向けた。
視線の先にあるのは街の出入口である正門。ざわついているのは兵士たちが三人、この正門に詰めている警備兵の全てになる。
その兵士たちに囲まれているのは大男。しかもエドが初めて見るほどの大男だ。なにせ人の顔が判別できないくらいには離れている距離で、その男だけが遠近法が狂ったかのようにデカい。門の大きさや周りの兵士たちと比較すると、おそらく身長は三メートルはある。横幅もそれに負けないほど大きい。
「ありゃ、巨人族って奴だな」
黄色味を帯びてきた陽光を遮るように手を額にかざして、ナイジェルが呟いた。
「初めて見ました」
エドも同じポーズで視線を向ける。
巨人族と一言に言っても種類が多いが、ここで言っているのは人類種の一つで、魔族や怪物としての巨人族ではない。人類の一種である巨人族の特性はこれといって特筆すべきものはなく、生物としての特徴は人間族と同じだ。違いは巨体というだけだから、ある程度の教養がないと、彼らを巨人族という人種であることを知っている者はいない。男性で三メートル前後。女性で二メートル五十以上だろうか。普通の人間族にはありえない身長だから巨人族に分類されている。
「怪しい者ではないと言うとろうがっ!!」
「うへぇ、すごい声ですね」
エドは思わず自分の耳を触って、聴覚がおかしくなったのではないことを確かめる。まるですぐそばで怒鳴られているようだ。
「面白そうですけど、はやく屋敷に帰って仕事をしないと」
しばらく二人は言い争っている大男を眺めていたが、すぐに背を向けて歩き出した。
「あれも都落ちかねぇ」
と、落ちぶれた痩身の魔術師が呟く。六歳児はその問に頷いて肯定する。
「サウスギルベナは帝国の底ですからねぇ。亜人種はあんまりいないですけど、異民族の混血児も普通にいますしね」
エルフやドワーフ、それに獣人といった人類がこの都市まで堕ちることはほとんどない。エルフはここまで来る前に奴隷として売られるだろう。ドワーフや獣人は労働者として金を稼げるからここまでやってくることはやはりあまりない。
「巨人族も同じですけどね。彼らはデカいだけあって力がありますから。この街までやってくるのは大抵逃亡者。関所で止められたってことは手配書でも回ってきてたのかもしれません。そういやナイジェルさんはどうしてこの街に?」
「うん? 言ってなかったっけ? 借金」
無精髭の顎をさすりながら針金みたいな灰魔術師が理由を話す。
「借金? それはアンガーソン商会に来ることになった理由でしょ。金貨十枚」
ナイジェルはヒラヒラと痩せ細った手の平を振る。
「それはサウスギルベナで作った借金。それ以外にもお兄さん、色んな所でちょっとだけ借りてるのさ」
「なるほど、まごうことなく駄目オヤジdeathね」
「俺はまだ二十五だっ」
高所からゲンコツが落ちてきた。思わずエドはピっと変な声を漏らしたが、それ以外には反応せずに歩き続ける。
「ワシは山帝門の守壁士長だぞ!」
「なんちゅう声だよ」
サウスギルベナの街門からは随分離れたのに大男の声はまだはっきりと聞こえた。
「山帝門の守壁士長ってなんですか?」
エドは立ち止まって、振り返り小さくなってしまった都市への入り口へ目を向ける。
固有の名前が付いている門となると、軍事拠点になっている関所砦か、大都市で歴史のある大門のことだろう。守壁士長というのは官職と推測できる。
「山帝門ってのは確か帝都の外壁門のことだったから、守壁士はそこの守備兵のことじゃね?」
「なんで帝都の守備兵が?」
「さぁ、知るかい」
「……」
エドの赤い瞳が細められて、俯かれる。
「戻りましょう」
すぐにエドは門の方へと歩き出す。
「おいおい、なんなんだ」
分けがわからないが、ナイジェルもそれに続く。
行ってみると、大男の姿が一番に見えた。
やはり普通の人間にはありえないような巨躯で、六歳児のエドが近づくと小山を見上げるようだ。金属製の胸当てから伸びる腕はエドの体より太い。
手には珍しい形の長物武器を持っていた。穂先は細くなっておらず、突くより切るための物であると推測できる。エドの日本人の知識としては薙刀のようなものだろうか。矛というものか。
「モジャモジャだ」
エドは思わず呟く。大男の顔はヒゲで覆われていた。癖っ毛の伸びた黒髪を引っ詰めているが、モミアゲが髪につながって輪郭をなぞっている。剛毛の天をつく眉、黒々とした逆への字の髭と顎鬚。ギョロリとした目玉と発達した顎。
達磨か樋熊みたいな顔だな。
と、エドは口をあんぐりとして眺めた。
「とにかく規則だ。犯罪歴の有無が確認できるまで入れるわけにはいかないよ」
警備兵の言葉に、大男がまた声を上げる。
「ワシは天に背くような行いはしたことはない!」
「だから、怒鳴んじゃねぇ! とっとと払うもの払いやがれ!」
怒鳴り返した守備兵達が大男に長槍の穂先を突きつける。
「怒鳴ってなどおらん!」
大男が矛を持っているのとは反対の手で兵の穂先を無造作に掴んだ。
「抵抗する気か!」
「待った待った!」
殺気が沸騰し始めた場を制止の声が飛んだ。
大男の影から、ひょこりと女性が顔を覗かせる。
耳にかかるくらいの金の短髪にブラウンの瞳。大男と同じように胸当てと具足をつけて、腰には剣を下げていた。
大男と比べると顔も体も小さく見えるが、巨人族と比べなくても小柄な体つきの女性だ。年の頃は十代半ば。二十代には達していないだろう。
「お父さんも喧嘩腰で話さないで!」
女性は父親と呼んだ大男と守備兵達の間に入ると、突きつけられている槍の柄をポンポンと叩いた。
「私達も事を荒立てる気なんてないんだから」
ニッコリと兵士たちに向かって微笑む。化粧けのない顔で、女性的な媚には貧しい顔だが、清潔感がある丸顔だ。
「私達は旅の者なの。この辺の習慣には疎いから、歪曲に言われてもわからないわ。どうしたら街に入れてもらえるのか教えてもらえない?」
女性がとりなしても、しばらく大男と守備兵達は槍と女性を挟んで睨み合っていた。
女性は顔だけを父親の方に向けて睨みつけ、再び槍の柄を軽く叩いた。
大男が不満げに穂先を離す。
それを契機に三人の守備兵達も一応槍を立てて、内二人が一歩下がった。
女性と残りの一人が相対する。
どうやら守備兵達の間でも、交渉相手として女性を選んだようだ。
最初っからそうするべきだったよな。
端から見ているエドから見ても、大男は交渉に向いているとは言えない。
「街に入るには入場料が必要なのさ」
守備兵が女性に告げる。
「おいくら?」
「新参者は銀貨一枚」
「ギルベナの村や街に入るのに入域税は必要ないはずだぞ!」
大男がまた大声をあげる。
「そうなのか? 俺も払ったんだけど」
ナイジェルが小声でエドに尋ねた。エドは頷くとやはり小声で返す。
「税金じゃありません。まぁ簡単にいえば兵士たちの小遣い稼ぎです」
「お父さん!」
女性が一喝して黙らせると、守備兵の方に微笑みかける。
「……えっと、私達手持ちがなくって。どうにかならないかしら?」
「じゃあ、腰の物を代わりにおいていきな」
「あー、これは母さんの形見だから勘弁してよ」
「それは帝都で買ったものだろう!」
後ろからまた大声が飛んだ。
馬鹿なのか?
エドとナイジェルだけでなく、守備兵達も呆然と大男を見上げた。女性も額を指で抑えて、何かに耐えている。本人だげが不思議そうに自分の娘を見ていた。
「と、とにかく払えなきゃ入れるわけにはいかねぇ」
守備兵がシッシと追い払うように手を払った。
「お主らにそのようなことを言われるいわれはない!」
大男が吠えた。今度は大きいだけでなく、怒気を孕んでいる。
その声に男たちも距離をとって槍を構えた。
女性も危険を感じたのか、腰の剣に手をかけて後ろに飛び退く。
「なんかヤバくねぇか?」
ナイジェルがエドの袖を引っ張る。荒事が起こりそうな雰囲気に、とばっちりが来る前に立ち去ろうと促した。しかし、エドはその手を振り払って前に進み出る。
「お、おい!」
制止の声も聞かずに、守備兵達の後ろから場に近寄る。
ナイジェルの声で気がついたのか、大男が近寄ってくる小さな男の子をジロリと睨む。
「なんじゃ、小童!」
エドは耳に指を突っ込んだ。まるで突風が吹いたような大声だ。
大男の声に、その場にいた守備兵達もこちらを振り向く。
全員の注目を集めた幼子はまずペコリと頭を下げた。
「お取り込み中申し訳ないです。僕はアーガンソン商会の奉公人エドゥアルド・ウォルコットです」
頭を上げて、守備兵達の方を見た。
「ソルヴさんのところの?」
男たちが怪訝そうに眉を寄せ、お互いの顔を見合わせる。
エドはそれを見て、後ろを振り返り、ナイジェルを指さした。
「あちらは僕のお師匠様。アーガンソン商会の魔術師ナイジェル先生です」
「え? 俺?」
突然呼ばれて、ナイジェルがギョッと自分を指さした。
「アーガンソン商会の魔術師……?」
守備兵達のザワメキが大きくなる。
恐れを含んだ目でナイジェルを見つめる者もいた。
「さきほど帝都の門兵だと名乗っておられましたが、そのような方がなぜこんな遠方に来られたのですか?」
戸惑っている隙を縫うように、エドが大男に尋ねる。
女性の表情が微かに動いたのを、エドは見逃さなかった。
「それは言えん!」
大男の方はやはり大声で答える。
なんでそんなに偉そうなんだ。
エドは内心の呆れを表に出さないように気をつけながら、言葉を続ける。
「でしたら、この街を守っている守備隊の皆様が、あなたを疑うのは当然でしょう。入場料はあやしいヤツがこの街に入らぬようにするため、身元を保証するため取っているものです。それを払えないような者は治安を守る皆さんからすれば入れるわけにはいきません」
エドが守備隊の男たちに目を向けると、若干戸惑った後に、だが、男たちは口々に同意の声を上げる。
「ぐぬぬ! 口の減らぬ小僧め! ワシを野盗の類だと申すのか!!」
「違うと証明することもできないのでしょう?」
大声に少しも臆することなくエドが答える。そして少年は守備兵達の方を向いて、再び頭を下げた。
「どうでしょう皆さん。この場はひとつ先生に任せてもらえないでしょうか? 先生が言って聞かせますから」
「入場料の払えないヤツを入れるわけにはいかないぜ」
エドが声を抑えて、守備兵達にだけ聞こえるように囁く。
「……とは言え、巨人族の男が暴れたら、皆様だけじゃ押さえることはできないでしょう。事が大きくなれば領主様にも入場料を取っていたことがバレちゃいますしね」
エドの言葉に男たちがグッと詰まる。守備兵たちが何も知らない旅人に入場料をとっていることはこの街の人間なら誰でも知っていることだ。しかし、それは法に照らせば違法行為。ひっそりとやっている分には問題にはならないが、事が公になると確かに守備兵達の方も不味かった。そもそもエドの言うとおり大男が暴れれば、守備兵達だけで押さえる自信がない。それほど大男はデカいし、迫力があった。隆々とした筋肉といかつい顔つきは腕の立つ武人の雰囲気がある。
「ですから先生が彼らに言って追い返してやります。もちろん、街の外で、です」
エドの言葉に男たちが内輪で二、三言葉を交わす。その様子からエドは男たちがほぼこちらの提案を受け入れたことを見て取った。説得などしなくとも、アーガンソン商会の名前を使えば銀貨一枚の小遣い稼ぎなどどうとでもなるのだが、エドはあえてそれをしなかった。
「だが、なんでお前らはそんなことをしてくれるんだ。何の得が?」
守備兵の言葉に、エドがクスリと嗤いをたてる。
狙いはあるが、大男でもあるまいし馬鹿正直に言ったりはしない。
「なに、通りがかりの単なる好意ですよ。先生!」
エドはナイジェルを呼ぶと、そのまま守備兵達の返事は聞かずに、二人に近づいていった。
「どうぞ、こちらへ」
エドは手で、街の外を指し示す。
「ワシらは街に入りたいのだ!」
大男が抗議の声をあげるが、エドはそれを無視して女性の方へ促す。
「お父さんも小さい子に大声を挙げないで!」
「ぐむぅ!」
大男は娘の言葉に思わず口元を抑えた。そしてさっさと外に歩いて行く娘と幼子の後に渋々付いていく。さらに一番後ろから「何をしてるんだ」とぼやくナイジェルが続く。
守備兵達は完全に置いて行かれて、呆然と一行の後ろ姿を見送っていた。
「さっきも名乗りましたが、僕の名前はエド。この街の商家の丁稚です。こっちはサウスギルベナ魔道士ギルドに所属するナイジェル先生」
改めてエドが自己紹介すると、女性のほうがニッコリと微笑んだ。
「さっきは間に入ってくれて、ありがとうねボク。わたしはケイト。ケイって呼んで。こっちは私のお父さんでダニエル・ベイトマンよ」
「小童! 帝都の山帝門を十年に渡り守り続け、不逞の輩共から悪鬼と恐れられた守壁士ベイトマンとはワシのことだ!!」
くわっとばかりに大男が名乗ったが、娘の方は白い目で父親を睨む。
「『元』でしょ。ごめんネ、無駄に大声で。別に怒ってるわけじゃないから」
「はあ、あれで普通の音量なんですね」
エドは呆れを通り越して、感心していた。
エドは街の外壁にそって歩いて行くと、門が小さく見えるところで立ち止まった。ベイトマンの大声を考えるともう少し離れたいところだが致し方ない。
「ケイさん達は、犯罪者なんですか?」
開口一番、単刀直入に尋ねる。
「えーっと、ねぇ」
とっさのことに言葉が出てこないのか、ケイトが言いよどんでいると、やはり口を出してきたのは父親だ。
「天に恥じることなし!!」
「それは法には触れたってこと? 今は守壁士長とやらではない?」
「一時的に所払いになっただけだ!」
「違いがわかりませんが、結構です。ケイさん、ちょっとこっちへ」
親父の相手をしていると話が進まないと踏んだエドは、娘の方だけを呼んでその場を離れていった。
残されたナイジェルはなんとなくベイトマンを見上げる。その巨躯を見てから、自分の細腕に力こぶを作って見たが、針金のようにしか見えない。
「あんた、生まれはどこなんだい?」
エドとケイトの話が済むまでの時間つぶしに話しかける。
「ワシは東方と中央地方の間にある村の出身だ」
「ってことは、帝都の守備兵の前は、東方軍かい?」
「うむ! ワシは異民族との防衛戦で名をあげた。そこでのワシの活躍は……」
「声がでけぇよ!」
「むっ、そうかね? 男子たるもの覇気がなければな!」
「それは、覇気じゃねえ、単なる大声だ」
「お主は魔術師らしいが?」
「あん? ああ、積道師。灰魔術師だよ」
「灰魔術師? ああ、あの年がら年中空を見上げている連中か!」
「ああ、そうだよ。お前さんのケツに火がつかねぇように占うのが仕事さ」
「ガハハ!! よく分からんが魔術師とは大したものだ!」
バン!とベイトマンがナイジェルの肩を叩く。あまりの威力に痩身の灰魔術師が地面をのたうち回っていた。
「馬鹿力が!」
「大げさなことを言うな!」
「何をやってんですか」
話が済んだらしいエドが戻って来た。
「それじゃあ、僕たちは仕事がありますから、街に戻ります」
「それで、街には入れるのか?」
「それはケイさんに言ってありますから」
「ふむ、なにやら世話になったようだ。礼を言おう」
「どういたしまして」
あっさりと別れを告げてエドはナイジェルを促して街に引き返した。
門で守備兵たちと挨拶を交わした後、屋敷への道を急ぐ。
「で、どうしたんだ」
ナイジェルは、ベイトマン父娘がついて来なかったことを不思議に思い、街に入ってから尋ねた。
「どうしたって、まぁ、タダで街に入れる方法を教えてあげたんですけど」
「え、そんな方法あるのか?」
銀貨一枚という入場料を馬鹿正直に払ってしまったナイジェルとしては悔しい気持ちもあって聞き返す。エドから返ってきた答えは至極単純なものだった。
「前にも言いましたが、この街を覆っている外壁は、貧民街の方へ行けば単なる土が盛ってあるだけですから、そこから入ればいいんですよ。この街に住んでないと分かんないですけど、ね。そこから入ったからってお役人も貧民街のことなんて把握してないんだから」
「ああ、そうか。くっそ、払っちまったよ」
「払っといて損はないですよ。あるならね。入口が貧民街だと色々と面倒に巻き込まれる確率も多いでしょうし」
「しかし、なんで助けたんだ。わざわざ引き返してまで」
ナイジェルの問いに、エドは少し考え込んでいた。
「……ナイジェルさんを助けたのと、まぁ、同じ理由です。悪そうな人たちじゃなさそうですし」
「ふーん、まぁ、悪事ができるほど脳みそありそうじゃねぇしな。あの親父は」
「天下に縁の雫があれば、種も花開くでしょうよ」
エドはすでにあの父娘の話題を終わらせるように、手首を掴んで伸びをする。
うーん、と疲れをほぐして、夕焼けが見えてきた空を見た。
「さ、あともうひと踏ん張り。仕事、仕事」




