38 人間関係の構築なんて所詮は運
「ヴィとエド?」
意外な質問だったのか、ビアーセ司祭は少し瞳を大きく見開きながらも、記憶を手繰って思い返している。
「さすがにここまで暗算に強いことは無いと思うけど。そうね、二人とも計算はすごく早かったわね」
「二人とも? ヴェルンドとか言う子も?」
クレオリアにとっても予想外の答だったので、思わず聞き返してしまった。
エドが計算が速かったのはわかる。なにせ曲がりなりにもエドは前世で上郡美姫であったクレオリアと同じ大学に受かっていたくらいなのだ。しかも確か理系を受験していた筈である。計算能力は学年で常にトップだったクレオリアと同程度は元々あるだろう。
しかし、ヴィとかいうエドの兄弟は記憶を引き継いだ転生者であるはずがない。とするとこちらは噂通り正真正銘の才能ということだろうか?
「どちらかと言うと、ヴィの方が勉強はできてましたよ?」
後ろからアルトナが教えてくれた。
「本当に?」
今度は本当に驚いてしまった。現代日本の知識がある現役受験生だったエドより、基礎計算能力が高いとは。
いや。クレオリアはすぐに思い直した。
エドがわざとそうしている可能性もある。
エドは六年前の時もどちらかと言うと策を弄するタイプだった。転生者であることを隠そうとしたなら、余り目立たないように、少なくとも一番にはならないようにしていた可能性はある。
クレオリアからすればそんなことは小手先のこと。それより自分の能力を高めるために一心不乱に行動すべきだと思うのだが、まあ、個性というやつかもしれない。
「あの二人は昔から自分たちで算学の遊びをしていたからそれで速いのかもしれません」
今度はプラムが教えてくれた。
「遊び?」
「ええ、なんだか地面に何百問も問題を解く遊びを昔は延々としていましたから。ね、お嬢様」
プラムが同意を求めたお嬢様が頷いているので、その遊びについて詳しく聞いてみた。
「ええ!? ええっと……」
いきなり自分の発言を求められたナタリーはしどろもどろになりながらも、辿々しく二人がやっていたという遊びについて説明してくれた。
何のことはない、百○す計算というやつだ。
話を聞いているとどうやら調子に乗って百マスではすまないところまで最終的には到達していたようだが。
ただ遊びというだけあって、元の百○す計算をアレンジしていて、二人で同じマス内を解き始める。ただし一方が左上から、もう一方は右下から。一番初めの升目以外はどこを解いても良いが、答えた升目が繋がっていないと得点にならない。もちろん答えが間違っていても同じだ。イメージすると囲碁を組み合わせたような感じだ。囲碁の知識はないのでなんとも言えないが。とにかくそうやってどちらが多く陣地をとるかという遊びらしい。
なるほど、それならヴェルンドという少年の異常な計算能力も納得できる。
この世界の人間は、日本の学生のように日常的に計算の訓練を受けているという人間が少ないだけで、知能が特別低いというわけではないのだ。小さい頃から継続して練習していればこんなものはある程度までは速くなるものである。
「クレオリア様は……」
一旦口を開いたので、幾分話しやすくなったのだろう。ナタリーの方から初めてクレオリアに話しかけてきた。「クレオリアでいいわよ」と言ったのだが、またアワアワと狼狽えだしたので呼びたいように呼べばいいと、そのまま発言を促した。
「帝都の学園に進まれるんですか?」
「ああ。一応選択肢の一つには考えているけど? ナタリーも?」
「え、ええ。一般入試ですけど……」
「あら? 特待生でも受かりそうだけど」
クレオリアはナタリーの手元を見ながら素直に感想を述べた。
クレオリアは特待生試験の過去問を見たことがあった。
上の二人の兄が受験した時のものだが、どちらもレベル的にはそれほど大したものではなかった印象がある。次男のウェントアースは落ちたらしいし、合格ラインも知らないのだが、満点を取れば受かるだろう。受験なんて基礎さえあれば後はやりようである。ナタリーの解法を見ていると本人が思っているほど悪くはないとクレオリアには見えた。
「私が特待生ですか?」
ナタリーは考えたこともなかったらしい。学費が払えれば特待生なんてデメリットしかないので当然か。
「死ぬ気でやればだけど。どのみち学園に入れば特待生だろうが、一般入試だろうがやることはかわらないんだろうし、勉強ができて損はないでしょう」
「死ぬ気で、ですか……」
クレオリアが言うと、本当に死ぬ寸前までやらなければいけない気がして怖気づく。
「だって特待生試験まであと三ヶ月ほどでしょう。入学は秋だったかしら……」
クレオリアの見たところ今のナタリーの解答スピードのままでは受からないだろう。別にナタリーの場合はそれでも構わないのだろうが、クレオリアからすれば一般入試で入ったからといって、勉強をしない理由にはならない。このあたりはまだ日本の優等生感覚が抜けきっていないのだ。ナタリーの様な立場からすればそこそこ教養を身につけて、学歴と人脈さえ作れればそれで十分で学者になるつもりもないのなら、勉学はそれほど重要ではない。
ちなみに、帝都の学園初等部特待生資格試験の科目は、四教科。
算学、国語、教養、特筆のことである。
このうち教養とは貴族社会におけるマナー試験で、ダンスや食事作法などの試験だ。特筆というのは面談を兼ねた実技形式の一芸入試である。他の三教科以外の特技を披露する試験だ。特になにと決められている科目ではないが、だからといって美味しいケーキを作っても受かるわけではなく、大抵は魔法技術の優れた子供のための科目である。まれに武家の子供が剣の腕前を披露するらしい。
この四教科のうちどの試験を受けるのも自由だ。ただ特筆だけは面談も兼ねているので受けなければならない。魔術の素養が飛び抜けている子は特筆だけで受かる場合もあるし、四教科全て受験してその総合力でアピールする子供もいる。
クレオリアは受験するなら算学と国語だろうと試験科目を聞いた時に思った。教養は一通りのマナーについては身につけていると思っているが、特待生としてアピールするほどでもない。帝都あたりなら小さな頃からみっちりと教育されている子供などいくらでもいるだろう。おまけに試験の課題が当日その場で発表されるらしいので、苦手なことや知らないことだった場合にはマイナスに働く。
特筆科目に関しても、クレオリアにはいまいちアピールポイントがない。魔法技術に関しても体内精錬の技はみっちりと特訓しているが、発現として使えるのは『雷撃』と『風』のみ。雷属性の魔術を使えるのはかなりのレアスキルだが、この魔術を人前で使うわけにもいかない。『風』というのは本当にそのまま風を起こすだけ。対流操作はバッチリだが、そんなものの価値は暖炉に使ってエアコン代わりにできるくらいだ。
剣術に関しても対外試合の経験もないので自分の実力がどれくらいなのかわからない。少なくともクレアに一本取られる程度では特待生としてのセールスポイントにはならないのではないかと思っていた。もちろんクレアは曲がりなりにも学院の騎士科を卒業しており、それとある程度まで戦えた六歳児の腕前が普通であるわけがない。だが、それに気づくにはあまりにもこの街は田舎で、クレオリアは経験がなかった。
それに対して、算学と国語なら今のところどんな問題を出されても解ける自信がある。ならばこの二教科で満点をとってアピールするほうがいい気がしたのだ。他の二教科に関してはもしものときの保険ぐらいに考えておいたほうがいいだろう、と。
「一般入試ってことは、一応特待生じゃなくても試験はあるのね?」
先ほどのナタリーの一言に気がついて尋ねる。てっきり特待生以外は莫大な学費さえ支払うことができれば無条件で入学できると思っていたのだ。
「そう、ですね。書類を送って、それに合格すると帝都で先生に会ってお話をして、作文を書くんだそうです」
どうやら一次の書類選考、二次の面談と小論文というのが一般入試らしい。だがナタリーのその後の話を聞いていると、ほとんど形だけのようだ。よほど問題がなければ合格するのだろう。
「……」
クレオリアはなにかを考えているようで、ナタリーの顔を黙って見つめた。
「ねえナタリー……」
再びクレオリアが口を開きかけたところへ、ビアーセが口を挟む。
「クレオリア。仲良くなったのは嬉しいけれど、ナタリーのお勉強を邪魔しちゃいけないわ。ナタリーも頑張ってお勉強に集中しましょう」
「ああ、そうね。ゴメンナサイ、ナタリー」
少々お喋りに夢中になっていたようだ。話を打ち切って、頭を軽く下げる。
「いいえ! 姫様。私も楽しかったです」
ナタリーが顔を俯かせながら慌てて答える。先ほどまでの青白い顔から、頬がピンク色に染まって上気しているところをみると、存外悪い印象ではなかったらしい。一歩前進と言えるかもしれない。
そこで、
「私が見ててあげるから解いてみなさい」
と、もう一歩距離を詰めるつもりで言ってみた。
「はいぃ!!」
なぜかナタリーは必死の形相で目の前の石版に目を向け問題に取りかかりはじめた。やる気は見えるが明らかに空回りして、ミスを繰り返している。「あれ?」とか「なんで?」とか言うつぶやきが頻繁に聞こえてきた。
「……」
顔面蒼白に戻ったナタリーを見ながら、クレオリアは少し急ぎすぎたことが、はっきりと分かった。




