36 妙にジッと見つめてくる人って苦手
そして、ナタリーは息を呑んだ。
少し薄暗い教室内に扉からの太陽の光が雪崩れ込む。
それを背に、一人の少女が立っていた。
歳はナタリーと同年代であろうが、大人びた顔立ちの少女だった。いや大人びた云々以前に恐ろしく造形の整った少女だった。
髪も、瞳も、肌も、雰囲気の何もかもがキラキラと透明度の高い光を放っている。それは陽の光を背にしているという理由だけでない気がする。
美しいという理由でブルりと体が震えた。それは生まれて初めての経験だった。
服装は至って単純で地味な麻服のようだ。それは少女の発する生気に完全に負けて、ちっとも似合っていない。彼女にはもっと豪華で、最先端の服装が似合うのではないだろうか。
金髪が微かに風に揺れていた。その長い髪から覗くどこまでも澄んだ蒼い瞳がこちらを見つめている。まるで魂が吸い込まれそうな感覚を覚えて、ナタリーは下を向いて視線から逃れた。
向けられた無数の瞳に臆することなく、視線を返し、なおかつその全ての視線を俯かせた少女は、注目をまったく気にした様子もなく、教室の前へと歩いて行く。ナタリーは少女が自分より前、つまり背中だけ見えるようになってようやく視線を上げた。そしてそこで少女だけでなく、後ろを歩く女兵士の姿に気がついた。
女兵士は、司祭と同世代。まだ十代の中頃。軽鎧と剣を帯びているが、傭兵の様には見えないから官憲の類だろうか。ただナタリー達の興味はすぐに少女の方に戻った。
少女? 幼女? とにかく彼女はビアーセ司祭の前までいくと、黙ったまま年上の女性を見上げた。
ビアーセ司祭は、高貴な雰囲気の少女に気後れした様子も見えず、いつも子どもたちに話すように、言葉を発した。
「心待ちにしていましたよ、クレオリア。それに領主様の補佐官クレア様ですね」
いつもどおりの司祭の口調に、息を止めていた子どもたちの時間が戻る。そして隣同士でヒソヒソと視線を合わせた。
「なんかスゴイのが来たね。公爵家のお嬢様だって」
「あれが噂の神童なんだー、すごいねー」
アルトナとプラムが両脇から、やはりヒソヒソと耳打ちしてきた。
「うん」
と、ナタリーは頷くことしかできなかったが、確かに二人が言うように、何かわからないが『スゴイ』のはわかる。
神童で、美しく、乱暴者の姫君。
ナタリーはこれほど美しい人を見たことがなかったから、噂に間違いはないのだろう。
しかしそうなると粗暴という噂も本当だろうか。そうとはとても思えない。服装は簡素で、このギルベナは田舎中の田舎であるにも関わらず、どこか都会的な雰囲気のある洗練された雰囲気がある。
確かこの公爵令嬢は生まれも育ちもサウスギルベナであったはずだ。ナタリーは彼女よりも高級で綺麗な服を着ているにもかかわらず地味な風にしか見えない自分がなんだか少し恥ずかしかった。
女兵士と言葉を交わしていたビアーセ司祭がクレオリアに目を向け、何かを尋ねている。
「司祭様、こちらの教室にウォルコット家の兄弟が通っていると聞いたのですが?」
それに答えて公爵家の姫君が初めて口を開いた。
清流の様に澄んだ声に子どもたちが、感嘆の息を漏らす。だが、その声は可愛らしいというより、大人びたかっこいい感じの声だというのが、ナタリーの印象だった。
しかし、それ以外にも気になった言葉があった。
「今、ウォルコットって言った?」
アルトナがナタリーの代弁をするように言った。三人のいる席は一番後ろではあるが、確かにウォルコットという単語が聞こえた。プラムも相槌を売っているのでナタリー達の聞き間違いということもないみたいだ。
なんで公爵家の神童が、あの兄弟のことを知っているのだろう。ナタリーの疑問は、ビアーセにとっても同じだったようだ。
「ウォルコット兄弟? ヴィーとエドのことね。お友達なの?」
「いえ、天才児と噂になっている兄弟と話してみたかったものですから」
クレオリアが即答する。
「あら、それは残念ね。ヴィーとエドは前回のお勉強会で卒業してしまったわ」
その言葉を聞いたクレオリアの表情は後ろを向いているために見ることはできない。
「そう……ですか」
と答えた美少女の声は、どこか残念そうだった。
「でも本人たちはいないけれど、一緒に勉強していた子たちばかりだから二人について知りたかったらみんなとお友達になれば教えてくれるかもしれないわね」
明るい声で言って、ビアーセ司祭はクレオリアの肩を掴むと、くるりと反転させて、ナタリーたちの方に向かせた。
「みんな、今日から一緒にお勉強するクレオリアよ。仲良くしてあげてね」
司祭がいつものようにハキハキした声で呼びかけてきたので、みんなが元気に返事を返していたが、ナタリーはクレオリアがウォルコット兄弟に興味を持っていたことが気になっておなざりの返事になった。
「じゃあ、クレオリア。今日から一緒にお勉強するお友達にご挨拶しましょうか」
司祭に言われてからも、暫くクレオリアはじっと子どもたちを観察するように見つめてきた。
その視線が自分で止まった気がして、ナタリーの鼓動は一段階は確実に早く強く打ち始める。
少しでも体を動かせば、粗相をしてしまいそうで、ナタリーは顔を引き攣らせたまま、動けなくなった。
すぐに視線は外れたが、早鐘のような鼓動は戻らなかった。
なんでこっちを見てたの!?
「ギルベナ領主、スコット・オブリガンの第三子で、クレオリア・オヴリガンと申します。皆さんどうぞよろしく」
うろたえているナタリーの胸中など知らずに、クレオリアがよく通る声で挨拶した。
そして頭を下げる。それは貴族女性がする簡易礼だった。ナタリーは帝都初等部に通うためにマナーも習っていたから分かった。他の子供達はその動作があまりにも可憐に見えたためにまたも言葉を失っている。
「とても美しいご挨拶でしたね。クレオリア」
ビアーセ司祭が拍手をすると、それで呪縛が解けたのか、皆が歓声を上げて拍手をした。
「可愛い!!」
アルトナは思わず大きな声をあげ、プラムも珍しく興奮したように拍手をしていた。
「それでは、新しいお友達と一緒にさっそく今日のお勉強を始めましょう」
ビアーセ司祭が皆の興奮する叫びに負けない声で言うと、しばらくしてようやく子どもたちも治まった。
それを見て、司祭が今度はクレオリアの席について少し考えているようだ。
「それではクレオリアの席は、……そうね」
ビアーセの視線が目の前の席に向く。そこはこの勉強会で一番年上の二人で、そのうち一人は貴族の子供だった。席も一つ開いていることだし、そこになりそうだった。
「ああん!」
プラムが残念そうに呻いたが、ナタリー達の席はちょうど三人で埋まっている。
他の二人とは違って、ナタリーとしてはその方がいい。クレオリアは美しくていつまでも見つめてしまいそうになるが、同じ席になると恥ずかしくて刺激が強い。遠くで眺めているだけで十分だった。
「ビアーセ司祭様」
しかし、クレオリアが司祭に向かっていった言葉に、ナタリーの思考は凍りついた。
「私はできれば、女の子たちの側がいいんですけど」
そう言って、こちらを指さしているのが現実とは思えなかった。
「やった!」
思わずアルトナが立ち上がる。
「ビアーセ先生! 私とプラムが後ろの席にうつりますから、クレオリア様をナタリーお嬢様の隣に」
あなたまでなに言ってるの!?
思わず三歳上の水色の髪をした少女を見上げた。
そんなナタリーに反対側のプラムが耳打ちしてきた。
「大丈夫ですよ、お嬢様。私達二人が後ろに行きますから」
「だから、ちがっ……」
そんな気のつかいかたしないで!
抗議の声を上げる前に、またプラムが耳打ちしてくる。
「公爵家のお姫様はお嬢様と同い年らしいですから、この機会に仲良くなってください。旦那様だってそれを望んでいるはずよ」
ニッコリと笑うプラムの顔が心なしかどす黒く見えた。
家のため、と言われると断れないのはナタリーだって分かっている。
オブリガン公爵家は、帝国でも辺境中の辺境であるギルベナ地方の領主にすぎない。最大行政区画である地方の行政長ではあるが、その実態は血統だけの貧乏偏屈貴族だ。地方商人とはいえ、帝都を含んだ各地に販路がある豪商アーガンソン家とは豊かさの上では比べ物にならない。そして豊かさとは力でもある。常備兵が両手の指より辛うじて多いだけの典型的小貴族と、一時期とはいえ中央からその力ゆえに監視対象となっていたナタリーの生家を比べるのもおこがましい。
だがそうはいっても公爵家なのだ。
おまけに、ギルベナ貴族といっても、まともな血統といえるのはオブリガン家だけで、他の家はシクロップ家を除き、数代遡ればどこのだれかもわからない。しかもオヴリガン公爵家は血だけで言えば、この帝国でもっとも高貴な血筋の一つでもある。
このギルベナでの表と裏を支配する三つの力であるうちの一つ、盗賊ギルドは表立った権力機構ではない。それはアーガンソン家も同様で、非合法ではないが正確な意味での権力者ではない。貴族社会の帝国において正式な唯一のギルベナの支配者とはオヴリガン家なのだ。
親は親、子は子などということは長い歴史を前提とした身分社会ではありえない。特に権力者の家同士では。
オブリガン家とアーガンソン家に生まれた限り、親友になる必要もないが、嫌な相手であっても、薄い笑顔くらいは貼り付けて、会えば会釈するくらいのことは当然の責務である。
分かってはいる。分かってはいるのだが。
「ああ言ってくれているようですし、かまいませんよね?」
ナタリーとはとても同い年とは思えない大人びた声で、公爵令嬢が司祭に念を押している。
ダメー!!
と、心のなかで叫ぶが、
「そうね」
司祭の無情な声が確かにナタリーの耳にも届いた。
アルトナとプラムが嬉々として後ろの席に移っていく。
「アルトナとプラムだったわね。席を譲ってくれてありがとう」
礼の言葉を奏でた声色は、女性らしさには溢れていたが、幼女らしさという点では違和感を感じるほどしっかりとしていた。
言われた二人のほうが随分年上にも関わらず、感極まった面持ちで、アルトナにいたっては首を縦に振るのが精一杯のよう。
ナタリーはクレオリアの顔を見上げることができず、俯いたままだ。恥ずかしくて顔を伏せているのではなく、ビビっているのだが。
すぐ側までクレオリアがやってきたのが視線の端に映った。
公爵令嬢は隣の席に座らずに、たったままじっと自分を見つめているのが分かる。見なくても視線の圧力はビンビンと伝わってきた。
「さっきも名乗ったけれどクレオリア・オヴリガンよ。よろしくねナタリー」
「は、はい。こちらこそ……」
ナタリーは思わず立ち上がって頭を下げた。口から心臓が飛び出そうという体験を六歳で味わうことになったのだ。
自分でもビビり過ぎだろうというのはナタリーにも分かっていたが、この体の奥底から漏れ出てくる感情を制御する術がなかった。もっと言えば泣き出さないだけ褒めて欲しいくらいだ。
顔面蒼白なナタリーに公爵令嬢は
「……座ったら?」
と、呆れたように言った。その冷水のような声色に、心臓が停止するほどの衝撃を受け、
「はい!」
っと電撃を受けたように素早く座る。
クレオリアがため息をついた。
おそらくは臆病な自分の様子に失望しているに違いない。
なんとかそっとクレオリアの顔を盗み見ると、生贄の調理法を考えるように艶やかな頬に手を当ててこちらの様子をじっと見ていた。




