30 一年前 中編
「父ちゃん、母ちゃん。俺、警備部にうつる」
突然の発言に他の兄弟達が兄の顔を不思議そうに眺める。
両親であるウォルボルトとマーサは顔を見合わせた。その様子からは両親だけは兄の意志に気がついていたみたいだ。
「とりあえず飯を喰え、話はそれからだ」
ウォルボルトが穏やかに、しかしきっぱりと言った。
それで食事は再開される。ただいつもは騒がしい食卓が誰も口を開かない。普段なら率先して喋るラグがかきこむように黙々と食事に専念していたからだ。
食後、ラグ以外の子供たちが隣の部屋に行かされる。しばらくすると両親とラグが話し合う声が聞こえた。
十二歳のミラはいつもの様に衣服のほつれを直し始めたが、顔は不機嫌なのがわかった。
子供部屋は五平方メートルほど。成長するに連れてかなり狭くなった。ただ寝るのにも苦労するほどだった。姉のイーネがいなくなって、部屋は少し広くなったがもちろんそれを喜ぶものなど誰もいない。寂しいと口にだす者もいない。
ミラのすぐ側で、同い年の兄弟は対座していた。
こちらは格子線の書かれたボロボロの紙でチェスを行っている。駒は木製でヴェルンドが作った。たびたび滑らかになるように手を加え続けているので五歳児が作ったとは思えないほど完成度は高い。ヴェルンドはもっと小さな頃から工作遊びにはまっていて、暇があれば何かを作っていたが、家の中では禁止されていた。単純な話で、家の中が汚れるからだ。夕飯後の暇な時間はラグがちょっかいをかけてくるか、今のように遊んでいる。
板状を見つめたままジッと動かないで長考するヴェルンドと対照的に、エドはさっさと駒を動かしている。ヴェルンドが考えている間に、イイ加減に打っているように見えて、五人兄弟の頃から一番強かったのもエドだった。ただチェスをやるのも二人だけだったが。
いつものように、ヴェルンドが長考の末に打ったすぐ後に、すぐさまエドは塔で歩兵を一体仕留める。エドの木製の白い塔は帝都の宮廷ヴァルハラを模したもので、ヴェルンドが取られた黒の歩兵はゴブリンを模している。どちらも絵本の挿絵からとったものをヴェルンドが掘り上げて、エドが木材染色したものである。
エドはとったゴブリン兵を脇に放ると、座ったままズリズリと姉のミラの方に寄った。
「ミラ姉ちゃん。兄ちゃん警備部に移るの?」
ヒソヒソとすぐ隣の部屋にいる両親たちに聞こえないように声を抑えて話しかける。ミラはその問にすぐに裁縫の手を止めたが、しばらく表情は険しいままだった。気を落ち着けるように息を吐き出すと、エドの方に顔を向けて微笑んだ。
「アンタたちは心配しなくていいのよ」
弟へはそう答えたが、すぐに、
「あの馬鹿」
と同い年の兄妹を罵る。
警備部はその名の通りだが、職務上、行動範囲はかなり広域にわたる部署だ。屋敷内の警備だけでなく、アーガンソン商会の商隊の護衛や、総帥であるソルヴに随行して帝都まで出かけることもある。
警備部は商会のNo.2でもあるアベルが取り仕切っている部署だ。商人たちの部門である商営部と重ねっている部分もあった。
「大体、警備部なんかいけるわけないわ。馬鹿なんだから」
ミラの言うとおり、警備部に行けるのは一握りの優秀な人間だけだ。
ミラやラグたちアーガンソン商会の子供たちは、将来の幹部候補でもある。警備部の仕事は文字が読めなくてもできるようなものもあるが、幹部たちの仕事はソルヴの秘書としての役割や、商隊が旅をする時には道の選定や予定のやりくりなどもしなくてはならない。もちろん警備体制全般の計画をたてるのも幹部の仕事だ。勉強が苦手なラグに向いているとは家族の誰もが思っていない。
「でも、兄ちゃんなんでそんなこと言ったんだろうね?」
ラグは今、鍛冶師の見習いとして父親であるウォルボルトの元で働いている。今年からはエドとヴェルンドも見習いとして鍛冶師の修行を始めた。つまりウォルコット家の男衆はみんな鍛冶師として働いているということだ。ウォルコットの女達、マーサやミラも、それが一番いい形だと思っていたに違いない。
技術的なことにしてもそれなりに器用なラグは順調に仕事を覚えているように見える。少なくとも不器用なエドに比べれば鍛冶師としての将来は明るい。
「……さあね、馬鹿だから思いつきでしょ」
ミラのラグへの評価は相変わらず低い。
しばらくして、ラグが子供部屋に戻って来た。顔を見れば、不満気に歪んでいたので反対されただろうことは分かった。
「警備部なんて行けるわけないでしょうが」
ミラがキツい口調で言ったのを、ラグは言い返さないで空いている場所に胡座を組んで座る。
「なぁ、みんな聞いてくれないか?」
ラグが兄弟たちを自分の周りに座るように促す。一番最初に動いたのはエドだった。エドは盤面を睨んでいるヴェルンドの肩を叩いてから、兄の側に座る。そのエドに付いていくようにヴェルンドが座り、それを見たミラがしぶしぶ移動する。兄弟達が車座になったのを見てから、ラグは口を開いた。
「俺が警備部へ移動したいって言ったのは聞いたと思う」
ラグはゆっくりと、自分の考えが言葉になるのを待つように喋りだした。それはこの兄にしては珍しいこと、というより初めてのことだった。
「……イーネが死んで、二年間。俺、ずっと考えてたんだ。なんでイーネは死んだんだろう。どうやったらイーネを助けられたんだろうって……それに、さ」
「アンタになにができたって……」
ミラが否定の言葉を口にするのを遮ったのはエドだった。七歳下の弟は、手だけでミラの言葉を止めて、兄に先を促す。その瞳はジッと兄の顔を見つめていた。
言葉を切ったラグが、しばらく間を空けまた自分の中でとぐろを巻いている思いを口にする。
「それにさ、イーネが死んでも次の日は来た。働かなきゃ生きていけないしそれはしょうがない。それでも俺は遊べるようになったし、笑える日も来た。ミラの言うとおりだ。俺にできたことなんてない。でも……これからさき、もしも同じようなことがあったら、また同じ様になにもできないんだ。そしてまた飯食って遊んで、笑える日が来るんだ。なんか……わっかんないだけどさぁ、嫌なんだよ。悲しいことがあったら飯食うなとか、笑うなとかじゃなくて。しょうがないって何もしないっていうか。やぱよくわかんないけど、なんとかしなきゃって思ったんだ」
他の兄弟達にもラグの言っていることはよくわからない。
エドもそうだ。だが兄の言葉になにかチクリとするもの感じていた。それは言っていることがわからないとかいうものとは少し違っている。自分の中にあった液状のものが少しだけ形をなしたような気がした。
「うん。だから兄ちゃんは何とかできるようになりたいんだよね?」
心のうちに芽生えた不純物を無視して話を進める。
「でも、なんで警備部なの?」
エドの問いかけに、ラグはボリボリとくすんだ短髪を掻いた。
「エドは頭がイイよな」
顔を上げて、七歳下の弟を見つめる。
「そりゃ、アンタに比べればね」
ミラの嫌味にラグは素直に頷いた。
「ヴィは鍛冶師になりたいか?」
ラグは特に発言もせずに黙って話を聞いていた唯一血の繋がった弟を見つめる。
ヴェルンドはしばらくラグの言ったことを考えていたが、コクンと首を振った。
「ヴィはきっとスゴイ鍛冶師になれるよ」
それから、ラグはミラの方を見た。
「ミラは家のことなら何でもできるよな」
「え!? ……なに、言ってるわけ?」
普段馬鹿話しかしていない同い年の兄の、打って変わった様子にミラは戸惑っていた。
「じゃあ、さ。俺は何ができるんだろうってずっと考えてたんだ。俺は長男だし、お前らを守るのが俺の役割だろ」
「だから警備部なの?」
ミラにラグは頷いた。
「バッカじゃないのっ」
罵声にもラグは笑って頷くだけだ。
「そうだよな。馬鹿な俺でもできることって考えたら、体張ってお前らを守ることじゃないかって」
「だからってアンタが命かけるって? だからアンタは馬鹿だって言うのよ」
投げつけるように言葉を発したミラはギュッと手元の縫い物を握り締めると、顔を落とした。
「……アンタだって、兄弟の一人じゃない……」
両親が警備部を反対したのも、そのことだろう。
警備部は職務上生命の危険もある職業だ。邸内の警備であれば、今のアーガンソン家の置かれている情勢から襲撃を受けることも、盗賊に襲われることもない。しかし警備部はこのサウスギルベナの外の警備も行なっている。盗賊団、異民族、魔族等といった者達と戦うことも少なくない。
ソルヴがラグを警備部へ異動させるというならまだしも、ワザワザ自分から危険な部署へ異動させる必要などどこにもないのだ。
それにそもそも、
「警備部の異動って難しかったんじゃないの?」
エドの言うとおりの理由がある。
まず、能力的な面でラグが異動を承諾されることはないだろう。
先に述べた通り、警備部の幹部になるには腕っ節だけではなれない。全体の危険管理をする知性も必要なのだ。
それなら幹部でなくとも一般職員でいいではないかという選択肢は、ラグ達、アーガンソン家の邸宅内で育てられた子どもたちにはない。彼らの衣食住が保証されているのは将来の幹部候補として育てられているからだ。適正がどの部署にあるのかで振り分けられ、将来的にその部門の幹部になるのだ。
そもそも戦闘能力という点から見ても、ラグはそれほど優れているわけではない。五歳の頃から鍛冶場で育っていたので腕力はあるほうだが、別に武芸の素養があるわけでもない。
ラグとミラは現在十二歳だが、アーガンソン商会の見習いの中では最年長の子供になる。そして二人が知る中で、警備部に見習いとして回された子供はいない。どういう能力が必要なのかも大人たちは教えてはくれなかった。それほど警部部は高い能力を必要とされるし、重要な立場なのだ。将来的にも幹部は今と同じように外部からの登用になることは十分考えられる。
「そうなんだよ」
ラグが言うには、すでに警備部のトップであるアベルには直談判をしたらしい。返答はやはり、能力的にラグには無理だという話をされ、更に職場の上司で父親でもあるウォルボルトにまず相談するようにと言われたらしい。そして父親達の反応は先程のとおりだった。
「やれるかどうかは別として、僕も姉ちゃんの言うとおり反対だよ」
エドはできるだけ静かに言った。
「警部部みたいに荒っぽいところは兄ちゃんには向いてないよ」
ラグはミラが口うるさく言うように確かにガサツな性格だが、暴力的な部分は全くない。少なくともこの数年は兄が他の子供に乱暴を働いたこともない。子どもたちの間でもリーダー的な存在だが、それは兄の性格がなにより皆が仲良くなるように誰に対しても明るく接することができるからだ。
それに加えて警備部は非常時には誰を助けて、誰を切り捨てるかを決断しなくてはならない。
兄の性格からしてその決断ができるとは思えなかった。
「そもそも家族を守るのに警備部に行くって、姉ちゃんの言葉じゃないけど短略過ぎない?」
ミラはその言葉に大きくうなずき、ラグは七歳も年下の弟の言葉に落ち込んでいる。
確かに腕っ節を鍛えるには警備の仕事がうってつけだろう。鍛冶師の仕事はいくら腕力がついてもそれで戦えるようになるわけではない。ドワーフの様に生まれながらに膂力の優れた鍛冶師であり、戦士であるような者もいるが、あれは種族的特性によるものだ。
「でもさ、俺も何とか役に立ちたいんだよ」
「なら今の仕事を頑張りなさいよ」
ミラが言っているのは鍛冶師の仕事のことだ。ラグは五歳からずっと鍛冶師として父親の元で修行している。今年で七年。各部署に定期的に回されて適正を図られる子どもたちの中では珍しい。
「でも鍛冶師ならヴィがいるだろ?」
「エドだっているけどね」
そう言って姉は白い髪の弟に微笑む。
「そもそも鍛冶師が五人になったっていいでしょうが」
少なくとも専属鍛冶師の数が多いか少ないかを決めるのはラグではない。
「鍛冶師よりもっとできること、あんじゃねぇかなぁ。それに俺もエドも鍛冶師に向いてない」
最後の言葉を言った途端にミラがラグの頭を張り飛ばす。
「ごめんネ、エド。馬鹿の言うことだから真に受けちゃダメよ?」
悶絶しているラグをほったらかして、ミラはエドを抱きしめると髪を撫でた。
「うん、兄ちゃんも姉ちゃんも、大丈夫だよ。自分のことだからちゃんと分かってる」
エドは苦笑しながら答えた。
鍛冶師修行を初めて一月ほどだが、自分の才能の無さはエドも認めていた。形を整えるということが全体的にできないのだ。どうしても歪になってしまう。ついでに言えば文字もかけるのは速かったが、字は汚い。子供だからというのとは違うと思っている。丁寧に書こうとしても滑らかに書けないで、のたくってしまう。指先の器用さがどうしてもヴィと比べると劣っていた。
だからといってエドは落ち込んではいない。職人に興味があるわけでもない。手軽に作れるならともかく便利だろうが、苦労してまで技術を身につける意欲はなかった。それよりは魔導や料理を含めた家事の方が興味がある。早晩いまの鍛冶師の修行は終わりを告げて、他の職場に回されるだろう。
「なんにしても腕力をつけたからって、一人で皆を助けられるわけじゃないじゃん?」
エドは肩をすくめた。
「だいたい警備部の仕事はアーガンソン商会の護衛なんだから、僕達のことを守れるわけじゃないでしょ?」
「エドはおりこうさんね」
ミラが抱きしめる腕により一層力を込めた。ラグの方は不満げに口を尖らせている。家族の誰もが反対しているのが流石に気に入らないのだろう。
「それにさ、家族の役に立つっていうならもっと他の方法があるよ」
その言葉にラグが動きを止めて、ミラが抱きしめたまま上から弟の顔を覗き込む。
「商人になればいいんだよ」
エドの言葉に一瞬兄と姉は動きを止めたが、
「俺に金勘定とかできると思ってるのかよ」
「いい、エド。みんながみんな自分みたいに頭のいい子じゃないんだからね?」
口々に否定の言葉の述べるが、エドは何でもないというふうに再び口を開く。
「そもそも警備部に行くつもりだったなら、商人にくらいなれるよ。勉強なんてある程度までは努力すれば誰でもできるしね。あとは本人のやる気次第だよ。色んな情報や物をやりとりできる術のある商人の方が、腕っ節だけ強い人間よりよっぽどやれることは多いよ」
エドの言葉に珍しくラグとミラが顔を見合わせて、お互い同じ意見であることを確認する。
「俺が……商人?」
「うん、むいてると思う。家族で一番物怖じしないのは兄ちゃんだからね。読み書き計算は絶対に努力すればできる。こんなのは反復練習だからね。ヴィも僕もそうやってたから三歳の時には文字が読めたんだから」
エドの言葉にもラグとミラの表情は微妙だ。何しろエドとヴィはどの年代の子どもと比べても頭(勉強の成績)がいい。それは努力と言うにはあまりにもかけ離れている気がしてならないのだ。
「とにかく商人になる方が、警護人になるより簡単だし、役に立つのは分かるだろ? イーネ姉ちゃんの時だって、喧嘩が強いってだけじゃ役に立たなかったんだしさ……」
エドは自信満々に兄の方を見る。
「俺が……商人?」




