24 灰魔術師業界の現状について教えてもらいました。
「その顔どうしたんだ?」
ナイジェル・グラフがやって来た第一声がそれだった。
まだ六歳児であるエドの白い顔が、一部分赤くなり、醜く腫れている。
当のエドはむっすりとした顔で何でもありませんよと答えた。
「教育的指導じゃないですかねっ」
「腫れてるじゃねえか」
ナイジェルの声にも怒りが含まれている。そのナイジェルの顔色をエドは少しだけ意外そうに眺めていたが、静かに首を振った。
「大丈夫ですよ。軟膏も塗ったし、あと二,三時間もすれば治ります」
それからナイジェルの方を見上げながら、笑顔を浮かべる。
「でもありがとうございます。ナイジェルさんっていい人ですね」
「本当に大丈夫なのか?」
照れが半分、うそ臭いと思う感情が半分で、ナイジェルはため息をついた。
本人が問題無いと言っているのだから、お節介を焼く必要はないのかもしれない。事情がわからないが明日から注意して見ておく必要がある。子供同士のいざこざに首を突っ込むのもどうかと思うが、それも程度の問題だ。
「そんなことよりも」
エドは話を変えた。
「これからどうします? 僕としては直ぐにでも魔導師ギルドに向かいたいんですけど」
今は十一時を過ぎたところ。二人共酒場での仕事が終わったところだった。
ナイジェルがやった仕事はグラスの手入れなど酒場部分の雑用。娼館全体の責任者であるデイガンからは慣れてくれば酒場で使う酒や食料品の発注や帳簿も任されるようなことを言われた。魔術師であるナイジェルにとっては読書計算は苦手な分野でもないので、楽な仕事だと言えるだろう。これで朝が早くなければ言うことないのだが。
酒場での二人の仕事は十一時まで、これ以降は十五時くらいまでナイジェルはエドに灰魔術を教えることになっている。この娼館からアーガンソン邸までは片道一時間かかるから、それほど時間があるわけではない。
「ギルド? 昼飯はどうするんだ? 戻るんだろ?」
アーガンソン邸に、という意味だ。食堂で食べれば食費はかからないし、その後邸内でエドに灰魔術師を教えれば時間も節約できる。午後十六時からはエドは別の仕事をしなければならないし、ナイジェルも商人としてのイロハのイをアーガンソン商会の人間から学ぶことになっていた。
だが、エドは首を横に振った。
「いえ、今日は帰らずに、このまま街案内を兼ねて、魔導師ギルドに向かいます。ナイジェルさんは一応サウスギルベナ魔導師ギルド所属の灰魔術師に登録されてますし、僕はその弟子ということになっていますから」
「この街の魔導師ギルドの長はあの婆さんだろ?」
ナイジェルはアーガンソン邸であった皺だらけの老婆、ジガの姿を思い浮かべていた。年老いた老婆にしか見えないが、ナイジェルの積道師としての『目』で見れば、禍々しい魔力を感じられた。黒魔術師ということだったが、多分に闇魔術に精通していることがわかる魔力である。
「ここのギルドメンバーは全員がアーガンソン商会の人間だって聞いたぜ」
そしてその他の面々も、ただの商会の人間、こんな辺境の街にいる魔術師としては不自然な魔力を持っている連中が多い。
それはさておき、全員がアーガンソン商会の人間なら、ワザワザ行く必要も無い気がする。事実魔導師ギルドには普段人がいないことは事前に聞いていた。
「一回は顔を出しておきましょう。人がいないっていうのも好都合ですしね」
「あん? どういうこった」
「僕が独学で積道術を学んでいるのは秘密にしたいって言ったでしょう? だから今までは隠れてやっていたんですが、それも限界なんですよ。だから研究室が欲しかったんですよねぇ」
「そう言えば、お前の積道師としての実力ってどの程度なんだ?」
灰魔術師としてそれなりの腕があるナイジェルだ。魔力感知に優れた『目』で見ればある程度の実力は分かるつもりだが、このエドという少年に限っては、まったく魔力が感じ取れない。魔力は万人が持っているもので、全く感知できないということは無いはずで、このことはエドの魔力耐性値の高さを物語っている。
「大したことはできないですけど。時間が勿体ないから歩きながら話しましょうか」
そう言ってナイジェルの少し先を歩き出す。
「どの程度って言われても、比較対象を知らないからわからないんですけど。魔力量はかなり低いですよ。回復力も極めて低いですし。黒魔術師である他のギルドメンバーと比べてですけど。素人に毛が生えた程度です」
「そういやよ」
ナイジェルはこの少年と初めてであった時のことを思い出していた。
その時エドは、ナイジェルが創りだした幻覚の魔術を見破ってみせた。
それはつまり、
「『目』を持ってるんだろ?」
ということになる。
「? 見たとおり目はありますけど?」
「ああ、その目じゃなく、まあ、その目なんだけどよ」
「意味が?」
灰魔術師が『目』という場合は、それは魔粒子を見ることができる感知能力の高い目のことだ。魔力の残滓でもある魔粒子を捉えることができるほどの目は、同時に優れた魔力探知の目であることも意味する。灰魔術師になれるかどうかはまずこの『目』を持っているかどうかで分かれる。
そのことを説明してやると、エドは感心したように頷いた。
「ああ、そのことですね。そりゃ持ってますよ。持ってますというか初めから普通に見えましたからね」
この答えをどう取っていいのか、ナイジェルは困惑した。
エドの言動や不可解さ、そして灰魔術師の才能をアーガンソン商会から隠そうとしていることを考えるなら、エドは転生者か、魔術によって姿を偽っているかだ。だがエドと話していると、ある一部分は高い知性を感じさせるのだが、時々六歳児相応の基礎知識の足りない無知な部分を覗かせる。
初めから魔粒子が見えたということは、天才的な才能があるのだろう。だがエドの歪な知性の形が、この少年が姿や正体を偽っているという可能性に疑問を抱かせるのだ。転生や姿を変えられるなら、それは熟達の魔術師であるはずなのだから。
これはナイジェルがエドの正体、つまり異世界からの転生者であるということに思い至らないことが原因だった。歴史上そのような存在が確認されたことはないから仕方がないが。
そしてエドの方にも事実誤認がある。エドは転生した最初から魔粒子が見えていたわけではない。それどころか魔力でさえ見えてはいなかった。元々そういう世界から来たのだから。
だが、エドは最初から魔粒子つまり、セドリックのいうところの『念』を『掴んで』『操作』することはできた。『見えて』いなくともできたのである。どちらにせよ才能があるということになるのだが、とにかくエドが魔力や魔粒子を視認できるようになったのは、この世界にきて、灰魔術師としての修行を開始して魔力という存在を意識しだしてからだ。
「そう言えば、ナイジェルさんは以前自分が『真宮』だって言ってましたよね? 積道師の階位で、ジョウ、コウ、タイ、ゲン、真、神、レイ、シの真なんですよね。神詠で一人前なんでしたっけ?」
「よく覚えてるな」
「一度聞いたことは忘れません」
自慢か? とも思ったがそこは聞き流して、説明してやることにする。
「上・孔・太・玄・真・神・霊・子だな。宗家が作った位のことだ。正直なところ実力が関係するのは真までだな。それ以上は身分みたいなもんだ。実力があってもなれないこともある」
「ははぁ、なんだか灰魔術師業界も世知辛いんですねぇ」
「そうなんだよ。で、俺の真は『真宮』のシン。この位は積道術を高い水準で修めた人間に与えられる。弟子を持てるのもこの位からだな」
「へぇ、ナイジェルさんはまだ見た目に反して二十五ですよね」
「引っかかる言い方だな」
「気のせいですよ。でもそれって随分早いんじゃないですか? 『真宮』になったのはもっと前なんですよね?」
「まぁな。自慢じゃないが才能はあったんだと思うぜ。でも『真宮』までは才能があって、それなりに真面目に勉強すればわりとすんなり成れる。積道師も万年人材不足だからな」
「ああ、『目』を持ってる人間なんてそうそういないでしょうしね」
「『目』だけなら、人工的に後から持つこともできるがな」
「ほほう。それは興味深いです」
「最初っから持ってるお前には無用だよ。副作用もある方法だし。これは宗家に生まれた子供が『目』を持ってなかった場合なんかに使われる方法だよ。宗家に生まれて『持ってませんでした』じゃ許されないからな」
「わぁ、聞けば聞くほどドロってますね。ところで宗家ってなんなんです? ジガ様にも少し教えてもらったんですが、灰魔術師の元締めですよね」
「まぁ待てよ。先に階位の話を終わらせよう」
ナイジェルは右手を上げて指をひらひらと掲げてエドの質問を遮る。
「さっきも言ったとおり、灰魔術師の実力を図る目安として関係あるのは真宮以下の四つ。まず灰魔術師の修行も商人と同じで見習いから始まる。このときは位はなくて、積道衆、つまり灰魔術宗家一門の正式な一員には数えられない。で雑用をこなしながら勉強をして、魔術師としての基礎を修めたと認められたら子である『始門』。これでようやく積道衆の一員だな。次に鬼門道をひと通り修めた者には『霊行』、天文道を修めると『神詠』。ここまできてようやく一人前となれる、と」
「あの? 鬼門道を修めた『霊行』より、天文道を修めた『神詠』のほうが位が高いんですか?」
エドの感覚では鬼門道と天文道は、薬学と統計学など違う学問であってそこに優劣の差はないのだが。
「修行の順番がそうだってのもあるが、現代積道では、天文道が得意な積道師の方が評価が高いのは事実だな。天文道を扱う玉兎院は国家運営の助言機関だし」
「ふーん、現代積道ですか」
「お前の持っている本は原始積道についての本だ。売り払えば古書としてそれなりの価値はある本だぜ? そんな本をよく貧民街で拾ったもんだ」
エドは灰魔術を拾った本で独学したと強弁している。言ったことがあるのはナイジェルに対してだけで、ジガを含めたアーガンソン商会の人間には灰魔術を使えること自体を話していない。
本自体はエドが偽造のために自分で書いたものだ。見る人が見れば古物魔導書でないことはひと目で分かるだろう。
「あ、そうだ」
思い出したように顔をあげると、エドは持っていた肩掛け鞄を漁った。中から布に包まれた塊を取り出す。
「どうぞ、昼ごはんがわりの黒麺麭です。無作法ですけど歩きながら」
そう言ってナイジェルに包を差し出した。ナイジェルが受け取って包を開けると言ったとおり、中から麺麭が出てきた。ナイジェルはそれを真ん中で2つに割ると、布と一緒に一方をエドに返す。
「飲み物もありますから」
そう言ってエドが竹製の水筒を見せる。
「中身は?」
「薬茶です。加熱処理した葉と笹とか麦とか数種類を合わせたものです」
「……お前が作ったのか?」
「ええ、そうですよ」
「じゃあいいや」
「心配しなくても飲んでも倒れませんから。毒素の排出効果もある健康に良いお茶なんですよ」
言いながらもエドはため息をついて、黒麺麭の欠片を口に含む。
「……で、現代積道と原始積道って違うんですか?」
「現代積道は原始積道をより簡易に、扱いやすくしたもんらしい。昔の原始積道は才能重視の魔術で、才能がなければにっちもさっちもいかない魔術だったみたいだな。いまの現代積道はある程度使いやすくなってるんだ。さっき言った後天的に『目』を持つ技術もその一つだな。それを開発したのが宗家というわけだ」
「じゃあ、宗家っていうのは必ずしもセドリック・アルベルトと関係あるとは限らないんですか?」
「セドリック・アルベルトねぇ。随分古臭い名前が出てきたな」
「(古臭い……)ここはサウスギルベナですからね」
「ああ、この街の開拓者の一人だそうだな。そして積道の創始者か。宗家の始祖となった人物はその弟子の一人だと言われているし、逆にセドリック・アルベルトの方が弟子で、始祖が創始者だって話もあるが、まあ昔の話だし実際はどうだかわからんな」
ナイジェルは麺麭を口に運ぶと、モグモグと咀嚼してからエドを見た。
「で、お前の積道の実力なんだが……」
「実力ですか? うーん。今聞いた話だと、『始門』くらいじゃないですか?」
「あの魔導書持ってるか?」
「もちろん」
エドは鞄から魔導書を取り出し、渡す。
ナイジェルは麺麭を口に咥えると、空いた両手で魔導書を開く。
書かれているのは原始積道についての手引書、つまり魔導書だ。
だが、よく見ると原始積道ではなかった思想が見られるし、それは現代積道にもない。言ってみれば第三の積道とでもいうものだろうか。エドは貧民街で拾ったというが、もしかしたらとんでもなく価値のあるものかもしれない。
ナイジェルは魔導書を返すと、麺麭を片手に持って、エドを見た。
「あー、これ本当に拾ったのか? ところどころ真新しいインクの跡もあるんだが」
「え!? ええ、まぁ。原本ではありませんから……」
目が泳いでいるのがナイジェルにも分かった。
「原本は?」
「ボロボロだったので捨てました」
そう言ってナイジェルから返してもらった魔術書を、さっさと鞄に仕舞ってしまった。
「捨てた!?」
ナイジェルはギョッとして思わず声が大きくなってしまう。
「内容は書き写しましたからね」
「著者の名前は?」
「興味がなかったので覚えてません」
「一度聞いたことは忘れないとか言ってなかったか?」
「興味があればね。それに書いてあったことはそんなに大したことはなかったと思いますけど」
「原始積道が基なんだが、ところどころ革新的な理論もあったし、もしかしたらとんでもなく価値のあるものだったのかもしれないぜ」
その言葉を聞いたエドの顔から、先程まであった焦りがすっと消えた。
「ああ、それなら僕があとから書き加えたものですよ」
「は?」
「実際に原本の通りやってみても上手くいかないところを自分なりに変えてみたんです」
「お前何やってんの? いや変えてみたって簡単に言うけどな」
何から言っていいのかわからなくなってきた。魔導書を書き写して、その原本を捨てるなど魔導師としてありえない行動だ。おまけに六歳児が魔導書を『変えてみた』などということはもっとありえない話しである。
やはり、転生者か、変化しているのか。
ナイジェルが訝しげに見ると、その視線にエドが気がついた。
「なんですか? 別に変なこと言ってないですよ。それに書き加えたのは既存の思想ですから。ただし黒魔術とか他の魔術ですけどね」
これは本当のことだ。魔術研究者である魔導師ではないナイジェルには分からなかったようだ。魔導書の元となったのはセドリックから教えを受けた基礎の一部を書き写しただけだが、その後に書き加えた内容は、ジガの蔵書から使えそうな内容をピックアップしてみただけである。書き加えなくてもエドには記憶方法に関して秘策があるのだが、この魔導書を創った当時から、最近まではまだそれが上手く行っていなかった。
エドは自分の肩掛け鞄を見た。
しかし、やはり魔導書を拾って、独学したというのは無理がある。
早々に、ナイジェルから灰魔術を教わったということを既成事実化しなければならないだろう。
エドはもちろんそれを言葉には出さずに、麺麭と一緒に薬茶で喉に流し込んだのだった。




