20 補佐官はお疲れちゃぁーん
書類、書類、書類、書類、書類、書類、書類、書類、書類、書類、書類、書類。
執務机の上は山のような書類が、いっこうになくならない。
カビのようにへばりついて、軽いはずの書類がなくならない。
クレア・ホーキンスがギルベナ領主スコット・オヴリガンの治副司になって半月が経った。
「あー、朝になっちゃった」
呆然と窓の外から入ってくる朝日を見つめた。
透明度の高い陽光が目に染みる。
また徹夜で仕事をした。
「……なんで貧乏なのにこんなに仕事が多いのよ」
もう愚痴にも力がない。
貧乏だから仕事が多いのだが、もっと大きな原因は領主が仕事をしないからだ。
やりがいのある仕事場だ。
なんてやる気に溢れていた二週間前の自分に出会えたら、唾を吐きかけてやりたい。
とは言え、小心者の自分には職務を放り出すなんてことはできないし、前任者たちのようにオヴリガン公爵の尻を叩いて仕事をさせるにはまだ経験が浅い。あの人の良さそうな公爵の顔を見ていると強くは出れないのだ。いや慣れればスコットに仕事をさせられるようになると思っているところがまだ青い証拠だと、前任者達が見れば口をそろえて言うだろう。
「あー、眠い……」
朝日が登ったが、今日の公務まではまだ時間がある。だが仮眠を取ると寝坊しそうだ。
クレアは自分の部屋を出ると、階下の厨房へ向かった。
もう食事担当のニレーナ夫人は起きている時間だろう。厨房にいなかったとしても執事のマヨイは出てきてくれるはずだ。
眠気覚ましの香茶でも貰おう。
そう考えて、厨房に入った。
誰の姿もないが、鍋が火にかけられているのが分かる。きっと夫人だろう。姿が見えないのは裏庭の畑に野菜でも取りに行っているのか?
そう思っていると、居間の方から老執事がやってきた。
「おはようございます、クレア様」
きっちりと黒い燕尾服を着こなし、きっちりと腰を折って挨拶される。
クレアはぼへーとした顔のまま、
「マヨイさんもおはようございます」
と返す。最初の頃は慇懃な態度にこちらも畏まった反応をしていたが、今ではすっかり慣れたのと、忙しさのためにどうでも良くなってきたので取り繕うのは辞めた。
ゲコウの着ている燕尾服は明らかに、主人であるスコットより良い物に見える。いや、これは手入れが行き届いているからそう見えるのか、それともスコットが汚い服を着ているのか。もはやクレアの脳裏には庭いじりで土に汚れた領主の姿しか浮かばない。
家庭菜園する暇あるなら、仕事しろよ。
心のなかでツッコむ。声を出すのもしんどいからだ。
目にクマを浮かべたクレアの様子を見かねたのか、優秀な執事としての能力なのか、
「眠気覚ましに効くお茶をいれましょう」
そう言って、ゲコウは戸棚から茶葉の入った筒を取り出した。
戸棚は高い位置にあるので、クレアにはあの戸棚には手が届かない。長身のニレーナ夫人に使いやすいようにできているのかもしれない。
鶴の口をしたヤカンが火にかけられ、水蒸気を吐き出すのをボーと見ながらクレアは取り留めないことを考えていた。
「そう言えば、マヨイさんはいつ寝てるんですか?」
この二週間で疑問に思っていたことを口にする。
仕事に忙殺され、就任半月で徹夜が日常になったクレアだが、この老執事はそんな彼女がどんなに夜遅く、食堂に飲み物を取りに行っても出てきてくれる。しかも今のように常にきっちりとした服装でだ。今までこの燕尾服姿以外のマヨイを見たことがない。
何着持ってるのかしら?
思考がまたズレる。
「それが私の仕事ですから」
マヨイからの答えも少しズレていた。だが、ボーとした頭ではそれ以上聞き返そうという気も起こらない。名前にしてもゲコウ・マヨイなんて言うのはかなり珍しい名前だ。出身が東方以東の異民族なのかもしれないが、聞いたことはなかった。外見自体はまったくもって帝国民にしか見えないが。まぁ、そんなことよりも今は、
「どうぞ」
と、差し出してくれた香茶の香りに神経が向かっていた。ティーカップではなくマグカップに入れられたお茶からは、湯気と強い薬草の匂いが漂い、クレアの意識を少しずつ覚醒してくれる。
「おはようございます、お嬢様」
突然マヨイが頭を下げた。
「おはよう」
薬茶を飲みながら あー効くわぁ。と魂の抜けるような気分に浸っていたら背後から声がした。
振り返るとクレアより更に背の低い女の子が立っている。
「おはようございます、クレオリア様」
「おはよう」
クレアは公爵家の神童を見下ろした。
これが本当の目も覚めるような美少女ってヤツ?
フヘヘ、と自分の冗談に内心で笑う。まだ目が覚めていないようだ。
しかし、朝から美少女とは。
これが若さか。などと欠伸を一つすると目の端に涙が浮かんだ。
男には分かるまい、この凄さはね。
自分の六歳の時と比べると、それは年齢など関係ないし、今だってクレアは十七歳なのだから、やっぱり年齢の問題ではない。
クレアは自分の酷い有様を思い出して、顔を洗って、化粧してこようと思い至る。
クレオリアが寝起きでも肌が光って見えるのは年齢のせいか、持って生まれたモノの差か。問うてみるまでもない。
「?」
ぼんやりと自分の顔を眺めてくるクレアに訝しげな視線を投げてくる。
外見は置いておくとしても、この公爵令嬢の神童ぶりにはこの二週間でほとほと思い知った。
すでに公爵家にある書物は全て読んでしまったらしい。
もちろんそれを目撃したわけではないが、時々クレアに質問してくる内容を考えると、読んだだけではなく、その内容全てが頭に入っているのがわかった。クレアとしては質問にはなんとか答えられているので、今のところ高学歴者としてのプライドは守られている。
「寝むそうね?」
クレオリアが今にもあくびを漏らしたクレアの様子を見て言った。
何と言えばいいのか、顔が美しいと、声まで綺麗になるのだろうか。
この幼い姫君の声は不機嫌そうでも、まるで楽器のように冷ややかでよく通る。具体的な楽器の名前まではクレアにはまったく浮かばないのだけれど。
そして六歳の子供の口調ではない。少なくとも自分の六歳の時とは大違いだ。尊大な幼児というものは、帝都では珍しくないが、ここは帝国で一番田舎の一つと言っても間違いではない都市、サウスギルベナである。
こういうものはやはり育ちより血というやつなのだろうか。
クレアは十歳以上年下の物言いに気分を害することもなくそう思った。
クレアは薬茶をグビリと喉に流し込んだ。また意識が覚醒の階段を登る。
このお嬢様が他人にも厳しいのはこの二週間で理解した。
しかも彼女自身が自分にも厳しいのだから問題はないだろう、と思っているのがありありと分かる。
だったら自分の父親にも厳しくしてよ。と思わなくはないが、勿論そんなことは言わない。
それにクレアはこういう貴族の子供には慣れている。
十三歳から三年間、中央地方の片田舎から大都市帝都の学園と学院で過ごした。
そこにはこういう高飛車な貴族の子供も多い。というより幼稚舎から上がってくるような連中はほとんどがそうだ。
辺境とはいえクレオリアも皇室の血を引く公爵家のお姫様である。クレアは憤慨するより、さすがに始皇帝の血筋の子供だなぁと変な感心をしていた。
それに怠け者で他人にだけ厳しい帝都の大貴族に比べれば、クレオリアの方が公平で好感が持てる。
「眠気覚ましに剣の稽古をつけてちょうだい」
前言撤回。面倒臭い子である。




