19 ウォルコットの五人兄弟
マット・ブラウンの頭の乗った小さな背中。
ツンツンとした髪は綺麗にセットされていた。
ピンと伸ばされた背中は、それでも小さな体で椅子にすっぽりと収まっている。
髪の毛より濃い茶色の瞳はじっと手元に注がれている。
他人から見ると元々目つきが鋭いこともあって不機嫌なように見えるが、これでもボウっと気の抜けた表情だ。
「ヴィ! 食事中はダメって言ったでしょ!」
姉のミラが意識的に出した大きな声に気がついてヴェルンドが顔をあげる。
「……」
そのまま、手に持っていた鉱石をテーブルの上に置いた。姉に注意されたがそれに対して逆らうそぶりはなく、スプーンを手に取るとノロノロと目の前のスープを口に運んだ。ただ目はずっと石に向けられたままだ。
「もうっ」
十三歳のミラはまだ何か言いたそうだったが、歳が半分以下のまだ幼い顔つきの弟にあまりきつく言うのも躊躇われて、それ以上は言葉にせずに、ドスンと自分の椅子に座った。
ウォルコット家の朝食風景である。
ミラが大きくなったこともあり、両親は先に出勤することも多くなった。いつもは父親のウォルボルトが朝食を共にするのだが、今日は幹部会議があるらしく両親揃って早朝出勤だ。
そう言う事情もあり、母親代わりのミラの二人の弟達に対して構いすぎるきらいがあると本人も自覚している。しかし半分は弟達にも原因がある。なにせ街でも有名な変わり者の兄弟だ。
兄のヴィこと、ヴェルンド六歳。
ウォルコット家の父と母の特徴を受け継いだ茶髪と茶色い目。顔つきはどちらかと言えば母親のマーサに似ているだろう。ただふくよかな中年女性であるマーサと違い、神経質な性格も手伝って六歳にしては目つきが悪いと言われることもあるが、真剣な顔が様になるので大きくなればそれなりに女泣かせな顔になりそうだ。性格は父親と違って真面目で人に関心が薄いのでその類のトラブルも少なそう。というのは姉としての願いか。
ただ、興味のあること、それは物を造ることを始めると、周りが見えなくなる癖がある。
昨晩も夜遅くまでミラにはわからない設計図を土間の土にガリガリと書いていた。紙は落書き帳に使えるほど安くはないので、そうしているのだ。そうやって夜遅くまでいつまでも訳の分からないことをやっているので、いつもミラが聞こえるように大声を出して無理にでも寝付かせなければならない。そして遅くまで起きているものだから、朝はいつも眠そうにしている。
今、テーブルに置いた石ころも昨日どこかで拾ってきたものだった。ミラには黒い石にしか見えないが、弟には宝石と同じ価値のあるものらしくずっと手の中でいじくりまわして離さない。
神経質で自分のやっていることを邪魔されると怒りだすが、約束事を決めてマナーは破らないように言っているので、ミラが今のような場合に叱っても、機嫌は損ねることはない。熱中しすぎて周りのことが見えなくなること以外はとても素直な弟だと言える。
弟のエドこと、エドゥアルド六歳。
ミラの対角上斜め前、ヴェルンドの隣。ミラとヴェルンドに挟まれるように座っている。
白い髪を丸坊主にしている、赤目の白人少年。
外見の違いからもわかるがミラ達三人姉弟の間に血のつながりはない。ミラは六歳の時にこのウォルボルト家の養子になり、その一年とちょっと後にマーサがヴェルンドを産んだ。エドが養子になったのはその数ヶ月後である。ミラもその時のことはよく覚えている。
顔つきは、少しタレ目というのか笑っているような目つきなことを除けば、それほどおかしなところはない。おかしなところはないが目つきが笑っているように見えるのでよほど気合を入れなければ真剣な顔に見えないというのは、将来苦労するかもしれない。
しかし、この弟の場合は外見的なマイナス要素よりも、行動面で姉でさえ理解不能な部分がヴェルンドと比べても多すぎる。
髪の毛もある日突然スキンヘッドにしてしまった。
理由は「頭皮を衛生的に保つためだぁ。健康は光り輝く頭皮から」ということだった。
弟の髪の毛が次の朝にはツルツルになっていた衝撃を想像できるだろうか。あれは確か六歳になっていなかった頃である。両親は勝手に刃物を使ったことを怒っていたが、ミラは突然丸っパゲになった弟の姿がショックで我慢できずに思わず涙が出てきた。姉の美意識と、弟の原因不明の健康志向。その折衷案が今の丸坊主である。以来二人の髪の毛を切っているのはミラだ。絶対に弟達には自分で髪を切らないように申し付けている。
このように、時々爆発する弟だが、エドの性格は基本的には大らかというかのんびり屋さんだ。
赤ん坊の頃から暇さえあれば昼寝をしていた。そのせいか今も朝の目覚めはヴェルンドよりもよく、早起きは兄より優れている点だろう。
が、健康志向だけに食べ物には煩い。出されたものはちゃんと食べるが、文句も多い。今もスープと黒麺麭をブツブツと言いながら食べている。
「エド、ブツブツ言わないの」
ミラが言ったが、エドは顔をしかめながら「硬い」とか「薄い」とかを繰り返している。
「毎日食べられるだけでもありがたいと思わなきゃ」
とミラが言うと、
「ミラ姉ちゃん。食物の最上の調味料は飢えなりと言ったって、塩と豆だけじゃ人に必要な栄養素にはならないよ」
と意味不明なことを呟く。
教会での勉強はヴィの方が出来がいいらしい。でも変なことを知っているのはエドの方だ。
知識の出処は、相談役のジガが所蔵している書物である。毎日時間を見つけてはジガの書斎に出向き、本を見せてもらっており、おかしなことを聞きかじってくる。ジガは面白がっていろいろな本を見せているようだが、姉としては弟の将来が心配になっていた。
男の子って基本馬鹿なのよね。大きくなれば少しは大人しくなるのかしら?
そう言えばアイツも小さい時はバカ丸出しだったわね。
ミラは自分と同い年だった姉弟のことを思い出した。
そう考えると、一般的な男の子としてはヴィよりエドの方が普通なのかもしれない。
いや、普通っていうのはちょっと違うか?
とはいえ、兄のヴィも勿論だが、弟のエドも性格は悪くない。家族思いのいい弟だということは、過保護なミラの贔屓を差し引いても間違いないだろう。この謎の健康志向の原因も家族のことを想ってのことなのだ。
しかし、突拍子もないことをしでかすエドが悩みの種であることも間違いがない。
この弟は三歳で家の外に出歩くようになった。
そしてさっそく家の食糧事情を改善しようと邸内の道端に生えているキノコを拾ってきて、試しに自分で食べてみた。その結果痙攣して失神し、苔みたいな顔色になって発見された。
その後、その影響かどうかはわからないが、意味の分からない発声をしながら踊りだすようになった。
ミラが恐る恐る尋ねたところによると、自分で考えた独自の健康体操だということだ。できるだけ傷つけないように辞めたほうがいいのではないかと言ったが、本人はまったく気にもとめずに今も毎朝変な踊りと発声体操を続けている。
この頃からか? 弟がちょっとおかしい、という噂が立ち始めたのは。
三歳の時には糞尿を弄くり回していたかと思えば、肥溜めに頭から飛び込み。
四歳の時にスキンヘッド。
五歳の時にはまだ肥溜めの中で、今度は謎の物質を爆発させてウ○コの雨の中で佇んでいた。
六歳になった今では貧民街にまで出歩くようになり、変なものを色々持って帰ってくる。
大切な食料である大豆を炙って、謎のどす黒く毒々しい液体を作り出したりもした。あろうことかそれを飲もうとしたのですぐに取り上げて叱ったが。
そう言えば半月ほど前にも納屋を謎の爆発でふっ飛ばしたっけ。
危ないので事あるごとに怒って注意しているのだが、ミラも働いているので四六時中監視しているわけにも行かず、ミラの目を盗んで歩き回っているようだ。こちらはヴィと違い、注意しても言うことをなかなか聞かない。
お陰でエドの奇行は知れ渡り、すっかり頭の可怪しい子供という評価が定着している。同い年であるソルヴの娘、ナタリーに至っては「恐怖を感じている」状態だ。
「ごちそうさま」
ブツブツといいながらも、エドが先に食べ終えた。文句は多いがちゃんと好き嫌いなく食べるのもエドである。ヴェルンドの方は食事自体に興味が無いのかいつも遅い。
「はい、口をちゃんと拭いて」
そういいながらミラがナプキンでエドの口元を拭く。六歳の割にはこまっしゃくれた兄弟なので、いちいちミラがそんなことをしなくても自分でできるのだが、これは姉の仕事で譲る気はない。
エドは素直に為すがままになっている。
男の子だとこういう世話焼きを嫌がるものだが、エドもヴィも抵抗しない。ヴィは諦めているだけだが、エドの場合は女性に甘える事自体が好きなようだ。
だが誰にでも甘える訳ではない。取捨選択の決め手は主に顔。血は繋がっていないが、さすがウォルボルトの息子だと言われている。問題はあるがまだ小さい子のすることだし、ミラ自身が『有』の方に入れてもらっているので見てみないふりをしていた。
「じゃあ、エド。今日の予定は?」
尋ねると、末弟からスラスラと答えが帰ってくる。
「午前中は厩舎の掃除、午後からはジガ様のところにいけって」
「え? 午後からは教会でお勉強じゃなかったの?」
「うん。今日からジガ様が紹介してくれる魔術師の人と一緒に働くことになったよ。ヴィももう行く必要はないってさ」
「本当?」
訝しげなミラに、ヴェルンドはさして興味もなさ気に頷いた。
となると、お嬢様、ナタリーの心労の種は一先ずなくなったわけだ。
とは言え、この家でナタリーと弟達は唯一の同い年である。どうせなら仲良くして欲しい。
突拍子もない行動をするエドはまだ幼い女の子には刺激が強いのかもしれないが、几帳面でガサツさとは無縁のヴェルンドは慣れれば、仲良くなる可能性は高い。エドだって慣れれば基本的な女の子に対する態度は無関心なヴィよりも紳士的だ。ヴェルンドを突破口に三人仲良く慣れるかもしれない。
そんなミラの思案を外に、ヴェルンドはエドに顔を向ける。
「エド、何時になったら来れる?」
「ん?」
「俺、黒銅をいじってみたいんだけど」
「ああ」
エドはテーブルに置かれている黒い鉱物の塊を見た。
黒銅とは、黒味銅ではなく、加工の方法でも呼ばれていることはあるが、鉱物を指す場合は魔力を微量でも浴び変質した金属のことを言う。貴金属の場合は個別に名が付けれているが卑金属の場合は黒鉄や黒銅などと呼ばれている。当然変質した度合いでその価値が変わる。
テーブルの上に置かれているのは微弱な魔力を浴びた辛うじて変質が見られるもので、銅としても質は悪い。アーガンソン商会として仕入れた中で使い物にならなかったものを貰ってきたいわゆるクズ鉱石というやつだ。
エドが鉱石に手を伸ばす。
「うーん、普通の銅と同じだと思うけど。でも銅ならトンカチがあれば簡単に伸ばせるから……まずは父ちゃんに頼んで精製してもらったら?」
エドが石ころを眺めながら言うと、ヴィはその手元に顔を寄せた。
「せいせいもやってみたいな。でもやっぱりクズなのか?」
「うん。ほとんど魔力はないね」
「わからないなぁ……」
ヴェルンドは不思議そうに何の変哲もない石を眺めている。
ミラにも単なる石、しかも本当に銅なのかさえわからない。
ウォルコット家の中でエドだけが魔術師としての素質があることが分かったのは最近のことだ。素質と言ってもミラには詳しくはわからない。魔力は誰でも持っているものだが、魔術師になれるのはほんの一握りで、彼らとミラにどういう違いがあるのか、彼女自身には分からなかった。
だからミラはエドが手に持っている鉱石の魔力による変質具合を判断できている特異性に気がついていない。『魔力探知』を使わないで魔力の存在を知覚できる感覚の鋭敏さを持っている人間は魔術師と呼ばれている者であっても、さらに少ない。
「僕にも何で分かるのかわかんないよ。でもこれくらいの大きさじゃ大した銅はとれないよな~」
「うん。でもせいせいの練習用にはなるから。仕事が終わってからやるから見に来いよ」
「あーでも魔術師の勉強会が何時に終わるかわかんないし。別に待ってなくてもいいよ」
「じゃあ今日じゃなくてもいいよ、一緒にやろう。また色々教えろよ」
「ヴィに教えられることなんてないと思うけどね。でも分かった。夕食までに終わったら工房にあそびにいくよ」
「うん」
兄弟たちの会話が一段落をついたのを見計らってミラが口を挟んだ。
「ヴィ、ちゃんとごちそうさまするまでは食事に集中して。エドは用意するものはある?」
「うん」
「僕はなんにも言われてないから、何にもいらないんじゃないかなぁ」
ミラはちゃんと食事を再開し始めたヴェルンドからエドに視線を定める。
もっと早くに注意していてもいいのだが、せっかく弟達が仲良くしているのだからそれを邪魔するのもかわいそうで待っていたのだ。
神経質できっちりとした性格、そして、ひとつの物事に打ち込むタイプのヴェルンドと、のんびりとしていて大らかなのに、突然予想外の行動をするエド。まったく性格の違う二人だが、それ故か馬が合うようだ。
いや、性格の違いなんて関係ないのかも。やっぱり兄弟なんだなとミラは思う。
「じゃあ、気をつけてね」
姉が家の錠をかけているのを背にヴェルンドとエドは歩き出した。
女中として働いているミラに対し、工房に行くヴェルンドと厩舎に行くエドは方向が違うので先に出かける。
「フンフンフー♪」
エドが鼻歌を歌いながら先を歩く、その後ろから黒銅を触りながら歩くヴェルンドが続く。
「アオッ!」
興奮した叫びを上げ、エドが何かを発見して道から外れた。
そのまま草むらに入るとやたらめったら周りの草を引きちぎり始める。他人から見たら眉をひそめるか、引きつり笑いをしそうな光景だが、一緒にいるヴェルンドはまったく顔を上げないで歩く。
エドは引き抜いた草を持っているバッグに乱暴に突っ込んでいく。無理やり引きちぎったために手のひらと布製のバッグが草の汁で染まり、強い春の草の匂いが立ち込めた。きっと家に帰ればマーサとミラからお小言を頂戴するのだが、エド本人は気にした様子もない。
「ヴィ! ほらほらぺんぺん草!」
エドが大量にとってきた雑草の一掴みをヴェルンドに向かって掲げる。呼ばれたヴェルンドは弟の手にある草に目を向けたが、興味が無いのが明らかだった。
「雑草だろ」
「これを干して調合するとお腹関係の万能薬になるんだぜ!」
「ふーん」
「ワオ! 反応が薄い!」
「だって草じゃないか」
「草木染めにも使えるんだぜぇ……多分な」
そこでようやく「へぇ」と声を上げ、少しは興味が出てきたようだったが、すぐに
「今は染料はいらないや、あと汚いし臭いよ」
と、突き出された緑色の物体をベシっと払って退ける。
「それよりイネージェ姉さんに持っていく花を忘れるなよ。俺は兄さんにこの黒銅鉱を見せるから」
「んー、わかってるぅ。忘れるわけないじゃん」
「時間もないしさっさと行こう」
ヴェルンドに促されて、またエドが先頭を歩いて行く。
「ペンペンペペペン、ペペペペン!」
独創的な歌を創作しながら歩き出す。気に入ったのか「ペン」から「ぺ」だけになってリズムも早くなる。
「ぺー! アハハハハ!!」
楽しくなったのか両手を鳥のように広げ走りだした。ヴェルンドはそんなエドを全く無視して鉱石を眺めて考え込んでいる。
「はっけーん」
急停止。遠心力が働いて土道を革の靴で滑り土煙が少し上がった。
ヒョイッとエドは道端にしゃがみ込む。
ヴェルンドがゆっくりと後ろから歩いてきて、エドの手の中にある白い花を見た。
「なにその、花?」
花びらというより、白い種子みたいなものがたくさんついている。
「これはねー……ネルの花だよ。実際は種なんだけど。茎の方は栄養満点体力向上。学名は……グルーネルチーベル」
「ああ、あのスープに入っているやつ?」
「そう、これは野生のやつで生でかじるとっても苦い。罰ゲームに使える。あと、この茎をケツに挟むと風邪が治る、ウケケ」
「嘘つけ。でもそれを持っていくのか?」
ヴェルンドはあんまり綺麗な花だと思わないのだが、エドは頷いた。
「ほら、俺にそっくり」
そう言って自分の白い丸坊主頭を撫で、そして「ムフフ」と笑った。
「そう、じゃ行こう」
それ以上は反対せずにまた歩き出す。エドもまた鼻歌を歌い、ネルの花を振り回しながら歩き出した。
やがて二人は邸宅の外れ。敷地内でも他の施設がない寂しい場所にやってきた。
そこは墓地だった。
アーガンソンに関わりのある人なら、老若男女問わず埋葬されている。
ここに二人で通うようになって一年は経っただろう。
ミラ、ヴェルンド、エドゥアルド。
ウォルコット家が三人姉弟になって、二度目の春になった。




