09 塩と鴉と苺の世界
ちなみにたしかBGMはチャゲアスのマンアンドウーマンを聞きながら執筆
朝陽と夕日の違いを意識したことはない。
どっちも同じような光景が広がっている。違っているとしたら、それは太陽光線の波長の違いよりも、見る人の気持の違いの大きさのほうが重要に違いない。
丘がある。
丘というより、崖の傍だ。ここに来るには丘を登って、この先には崖があるからどちらも間違いではないけれど。
深い森の中に、ぽっかりとこの丘だけが浮いている。深い闇しかささない森のなかでこの丘だけが陽の光に照らされている。
朝陽が指す丘だ。実は夕日のほうが近い時間だが、今は朝陽が指している。
どちらでも、間違いはないのだし、目の前の光景が朝陽であることを知っている。
誰が知っているのか、といえば、この丘の、崖に腰掛けて、朝陽を眺める少年だ。
雪のような髪を短く坊主頭にした少年だ。
その瞳が赤いのは、朝陽の照り返しのせいではない。
小さな体を、切り立った崖に腰掛けて、飽きることも見せずにずっと朝陽を眺めている。
雲海が緑の絨毯の上を滑っていく。これこそ朝陽にしか見れない光景だ。
さっきまであった闇をあっという間にパステルに変えていく。
それはもうあっという間に、せっかくの夜が積み上げていたものをなかったことにするように。
年の頃は5歳前後に見えた。少しタレ目がちな瞳が甘えん坊な印象を与え、悪戯好きな少年の風貌をしていた。どこでもみかけるような、いつの時代にでもいる幼い少年だ。
「……」
口元が動き、わずかに言葉が漏れている。
鼻歌なんだろう。しかしその言葉はよくわからない。鼻歌がよくわからないのはよくあることなので誰も気にしないだろうけど。
楽しそう、というよりも、寂しそうに朝陽を眺めている。
寂しそうに鼻歌を口ずさむ幼い少年は珍しい。
こんな森のど真ん中の、丘の上で鼻歌を口ずさむ少年は珍しい。
誰もいない世界に思えた。
たった一人の世界の住人は、白い髪に、赤い瞳の少年だ。
鳥の鳴き声さえ聞こえない。そんなものは朝の世界には不要だった。
不自然な世界という人もいるだろうけれど、この光景の中に、少年の価値観では音は不必要だった。
ビー、ビー、ビー。
無粋な音が、世界に響き渡る。
なぜこのような頭に響く音が必要なのか、誰もこの世界の人間には理解できないどんな場面でも不愉快で不似合いな音だった。
少年は顔をあげると、ため息を吐いた。
それは不快な音というよりも、その音で不快な事が起こるかのように。
少年はその小さな手を上げた。
その途端だ。まさにその瞬間。その刹那。時間という概念さえ不要なほど突然。
世界が消えた。
世界は真っ暗な闇になった。闇の中に世界が埋没したのではなく、闇しかない世界だ。
先ほどまであった、丘も、崖も、朝陽はもちろん、ない。
少年は歩く。
どこにも目印もない、どこにもなにもないような黒いだけの世界を歩く。
やがて、闇の世界に、そこだけぽっかりと光の指す場所があった。
朽ちかけた塔が見えた。少し離れた場所に黒い階段が見える。
朽ちかけた塔はよく見れば朽ちかけた塔ではなくて、作りかけの塔であることがわかる。
黒い階段は塔の上につながっているわけではなくて、どこか上の遠くにつながっているようだが、先は見えない。
塔は巨大だが、二階どころか、一階部分さえも半分ほどしか完成していない。
半円を描く作りかけの内側には一つのオブジェと一人の子供がいた。
オブジェは銀と金で作られた円環を二つ持つ球体だった。球体は円環のどこにも支えられていないのに浮かんでいる。オブジェ自体も浮かんでいた。そのオブジェの下にはこれも金と銀の二つの宝箱がある。
二つの円はクルクルと球体の周りを廻っていた。そして細い光線を放って、塔の内壁を照射している。照射された部分には新たな壁が作られる。どのような魔法によるものなのかわからないし、それはゆっくりとした作業であったが、塔の建設が続いていることを知らせた。
少年はそのオブジェがちゃんと動いていることを確認してから、子供の方を見た。
自分だって十分子供だが、こっちはさらに小さい子供、女の子に見えた。ようやく新生児を終わりを告げたばかりのようだ。
その幼い女の子がデッキチェアに寝転んでいる。
寝ているのかどうかはわからない。頭に変な仮面をつけているからだ。その仮面は頭から顔の上半分、鼻のあたりまで覆っている。
その変な仮面から流れている長い髪は、少年と同じく白い雪のような色をしている。
その変な仮面のせいで顔が見えないが、少年はそれが誰だか当然知っているので間違えることはない。
変な仮面、少年の方はそれをヘッドギアと呼んでいるが、少女の方は変な仮面と呼んでいるそれをつけたまま少女が気配を感じて顔を上げた。
そして反射的に変な仮面を取ろうとして、少年はそれを頭ごと押さえつけて止めた。
一瞬覗いた少女の瞳は髪と同じく、少年と同じ色をしていたように見えた。
だが、間に合わなかったのか金と銀の円を持つ球体オブジェからまたあのビーという不快な音が響き渡った。
「デバイスヲテイシスルマエニトリハズシガオコナワレマシタ。データガクラッシュスルキケンガアリマス。デバイスヲアンゼンニトリハズスニハタダシイホウホウデテイシシテクダサイ」
オブジェがカクカクした言葉を発する。おそらく男性の声だが、生物らしさは微塵も感じられない。
少年は舌打ちすると、ゴンとヘッドギアを叩いた。
「ニ゛ゃ」
と少女が変なうめき声を発する。それを聞いた少年は内心「コイツがニャってどうなんだろう」と思ったが口にしなかった。
「ちゃんとしろ」
短く注意すると、幼女はバタバタとその細い足と腕をデッキチェアの上で振り回して抗議する。
「我がなぜこんな変な仮面をつけなければならんのだ、兄者!」
「見てもわからん奴には言ってもわからん」
「むぅー」
ヘッドギアから除く口元を尖らせて不満気にしているが、それ以上は言っても無駄だと思ったのか、言ってもわからんということに納得したのかは知らないが、要求を他のものに変えた。
「なぁ、兄者。我はまたあれを見たいのだが」
そう言って少女はオブジェを指さした。変な仮面をつけているために位置がずれているがさしていたのはオブジェの下においてある金銀の二つの宝箱だ。
「セキュリティ上お前にはもう見せられねぇって言ったでしょうが」
「だって暇なんじゃもん。晴ウッドムーべーとやらを見たい!」
「どこの田舎のGさんだお前は。ダメなものはダメ」
「そんな冷たいこと言うなよ、兄者。な? なんなら『未亡人、義息の生贄』でもいいから」
「色んな意味でアカンわい。本ならこの世界のものが一杯あるだろ?」
その言葉に幼女は外見に似合わぬ仕草で肩をすくめた。
「人間の書いた魔導書を我が読んだところで面白くもなんともないわ」
「とにかく、ダメ、ゼッタイ。あれは俺らにとって文字通り『蛇に林檎』だ」
少年はそれ以上議論するつもりもないのか、幼女に背を向けて、オブジェを見上げる。
「まったく、男は都合が悪くなるとすぐ背を向ける」
どこでそんな言葉を覚えてきたとツッコミそうになったが、少年は無視した。
「渡鴉、結果の報告を」
少年がオブジェに話しかける。
「イチゴヒメノムニンハ88%マデカンリョウシマシタ。ソレニヨルフニンノサクセイカイシマデ2パスチェックニヨルショヨウジカンハ200ヲキリマシタ」
渡鴉と呼ばれたそのオブジェの無機質な声に少年は微妙な表情になった。
代わりに後ろで幼女が寝転んだまま自慢げに鼻を鳴らした。
「ふふん、どうじゃ兄者。我もちゃんと仕事をしとるだろう?」
「うんうん、えらいえらい。ってお前、苺姫とか呼ばせてんの? 正直引くんだけど」
「その名をくれたのは兄者じゃろう。魔導師の癖に名づけの重要性も認識しておらんのか」
「ああ、あれは適当……」
「なに?」
ピリッとした空気が流れたので、
「いや、かわいいと俺は思うけどね」
とごまかす。
「フン」
少女は怒るというより、呆れているようだった。
「ま、幼名など仮初のものだと我とてわかっておるわ。ただし契約の折にはもっとちゃんと考えてもらうぞ」
「その件に関しては、持ち帰って検討させていただきます」
色んな物を有耶無耶にして、少年は渡鴉から報告の続きを求める。
「ニーズヘッグハヘイムダルニヨッテクチクサレマシタ。セイズノサクセイニシッパイシマシタ。シンカシュミレーションヲオコナウニハデータガタリマセン」
「やっぱり絶対量が足りないか……」
続く報告は芳しくない。とは言え、予想通りでもあったのでこれで落ち込んでいてもしょうがない。
「我はよくわからんが」
と、変な仮面という名を付けられたヘッドギアをしたままの幼女がデッキチェに寝そべったまま口を開いた。
「そっちの空の方を埋めたほうがいいのではないか? できることをできることまでやっておくのは最低限の努力というものだと我は思うが?」
と、先ほどと同じように金と銀の宝箱を指さす。ただし、その意味のするところは先程とは別のものだと少年も知っている。
「数百年もヒキニートやってた奴に言われるとは」
「兄者が寝たままでできる簡単なお仕事ですとか言ったんじゃろが」
「その前のことも含めてゆーとるのですよ僕は。まぁいい。それは確かにそのとおりではある」
「ふむ。素直なところは兄者の美徳じゃな。しかし、いまいち腰が重いのは欠点じゃの」
「くっ。何百年もヒキニートやってた怠け者に言われるとは」
「何回もヒキニートってしつこいな。我が少なくとも今、怠け者なのだとしたら、それは兄者の影響だぞ」
うーん。と苺姫と名乗り、自分を兄と呼ぶ幼女の言葉に少年は考え込んだ。
ピンポンパン。
答えが出る前に闇の世界に再び異音が流れる。今度はそれほど不快な音ではない。聞いたこともない音という意味では違いがないが。
「午後ノ就業開始一〇分前デス。世界ノ終了準備ヲ始メテクダサイ」
渡鴉と同じく無機質な声だが、女性のものだった。
「おっと、遅刻遅刻」
少年はその声に闇の空を見上げると、階段の方へ走っていた。そのままヒョイヒョイと昇っていく。
「とにかくその辺りも、また今度考えるということで」
誰に言い訳しているのか、黒い階段を逃げるように上へあっという間に昇っていった。
「『明日から本気だす』と言ってやった奴がおらんのは、どこの世界でも同じじゃな」
ポツリと幼女がつぶやいた。
しかしその時には少年の姿は見えなくなっていたから、その呟きに『だからどこからそんな知識を得たんだよ』というツッコミは入らなかった。
目の前の渡鴉と名付けられた球体オブジェがそんなことを言うはずもない。
少なくとも現時点では。




