03 補佐官は17歳。既に出世街道から離脱中
ギルベナ地方。
オヴリガン公爵家が三百年にわたり領主として治めている、帝国最南端の土地。
ギルベナ地方自体の領地面積は小さいものではないが、西に大山脈からなる高地、東に砂漠、北側に荒野を抱えており、利用できる耕地面積は二割にも満たない。そのため全体的に貧困に喘いでおり、税も免除されている。
その最大都市は港町サウスギルベナ。
人口は千人に満たない程度の小規模都市。ただし貧民街の人口は不明。
対する常設兵の数は十五名。他の村に至っては自警団だけが治安維持に努めている。
治安はかなり悪く、乳幼児の死亡率も高い。全体的な死亡率自体が高いが特に三年前に疫病が蔓延し、一気に高齢者、若年者層の人口が減ってしまった。人口が千人を割り込んだのはそれが原因だ。
主要産業は塩、鉱石、対王国貿易。
庶民と貴族の主な食事は豆と芋。ただし、食料の輸入依存率も高く、つまり自給率は低い。
帝国政府に納める税が免除されていると言ってもその中に地方間で必要な輸出入関税については含まれていない。これが領地経営にとってはかなりの大問題だった。主産業の塩や鉱石などが今ひとつ振興財源にならないのはこの税金が障害になっている。どちらも高付加価値というものでもないので、長距離輸送するとほとんど利益が出ないのだ。
もうひとつ問題があるとすれば、
「……治安が悪くて飯が不味くて高いってこと?」
クレア・ホーキンスはゲンナリと、虚ろな目を馬車の外に広がる町並みに目を向けながら、事前に調べておいたサウスギルベナの情報を頭の中で反芻していた。
市街地は一応メインストリートは舗装されているが、しかし歪曲しているし、くぼみがあるので時々体が浮き上がるほど馬車が揺れる。
17歳の若き役人には些かハード過ぎる場所に思える。
「なんで、こんなことに……」
ポツリと呟いた声は暗い。そしていつもは若葉を思わせる澄んだ色をしている瞳は、今は虚ろな翠玉色。
17歳にしては子供っぽいというか、肩にかからない長さの金髪や、顔立ち自体が少年のように見える丸顔に目を凝らさなければ判別できないほど薄い胸元だが、これでも女性で、立派な帝都のお役人である。
服の上から布鎧を着ているが、新人の衛兵ではない。
治副司。
それがクレアの今の役職である。
治副司は中央政府から地方領主の元に送られる補佐官で、大体は若手が任命されるのが普通だ。
クレアも帝都の学院の高等部を2年前に卒業して、各役所で下積みを経た後に、治副司に任命された。
同期の若手役人の中にも治副司に任命された者は少なからずいるが、率直に言って、ギルベナ行きになったクレアはハズレである。
布鎧を着込んでいるのも、貞操の危機を感じるほどにはサウスギルベナは治安が悪いからだ。まぁ、男の子のような外見をしていることは自覚しているので、ちょっと自意識過剰な気もしたが、暴漢がどんな趣味をしているかはわからないので着込んできた。
ギルベナ地方領主の治副司はハズレなのだが、そのハズレをクレアが引き当てたのはある意味必然ではあるのだ。
ホーキンス男爵家は中央地方の小さな村を治めている泡沫貴族である。
クレアはそのホーキンス男爵家に長女として生まれた。
高等部へは特待生として入学し、士官科に在籍していたが、就職活動の結果、結局どこの騎士としても雇ってもらえずに途方に暮れ、背水の陣で挑んだ高等文官試験になんとか受かることができた。
帝国でもっとも名門校である『学院』士官科、つまり上級騎士育成部門を卒業した。
帝国では女性でも騎士になることはできるし、領主になることもできる。代々騎士の家系であったホーキンス家の長子としてクレアは士官科に進んだのである。
騎士にはなれなかったとはいえ、帝都学院の高等部を出たクレアはエリート。士官科卒業のクレアがもし騎士団に入団できていたなら将来騎士隊長以上を狙える学歴だ。
ただ、クレアの騎士としての個人武力は学院の騎士課程の同期では中の下。家柄で言えば下の下である。
入学したのは二年ある中等部の後期から『学園』の特待生枠に合格し、そこから学園、学院と進んだので、成績や家柄を覆すほどのコネはなかった。
だから、手当たり次第受けた騎士団への入団試験に落ちたことも、クレア自身が納得はしていた。それなら初めから高級役人の育成課程である吏官科に入学していればよさそうなものだが、もし騎士団に入団できていたらホーキンス家の歴史の継続問題も、村の領主の継承資格も一気にカタがついたかもしれない。
逆に騎士になれなかったとしても、弟がいるので領地の継承問題はそれほど深刻ではないことがこういった選択をクレアに選ばせた。もし弟に何かあった場合でも、士官科卒業で軍部の上層部にあがるだろう同期生達とのつながりがあるのは賢い選択だったとクレア自身は思っている。
だが結果、士官科卒の、小貴族出身の文官という中途半端な若手役人のできあがりである。卒業間際から文官登用に転身し、独学で高級国家官僚試験に合格できたクレアは筆記試験の面では優秀だったと言える。
ただ後々にこの経歴が家督問題に有利に働くとしても、それまでのキャリア形成はそれなりにしんどい道を選んだのは間違いない。
そして人事を司る上司からすれば治安の悪いサウスギルベナの治副司としてはまたとない人材に見えただろう。
そうなると、クレアに着任拒否をする余地はまったくなかった。なにせ今回の異動辞令は宰相直々の命である。なぜ国家の最大権力者の一人が辺境領主の補佐官人事に首を突っ込んだのかはわからない。2つ前の治副司が宰相の腹心が派遣されていたことも考えると、何やらきな臭いがクレアには想像もつかない。
だが、どんなつもりだろうとクレアに断れるはずは当然ない。そして胃が痛い。
「公爵令嬢の素行調査ってそんなのオーランドさんに聞けばいいじゃない」
言っても仕方のない文句が口から漏れる。
宰相(実際にはその副官)からは公爵の長女であるクレオリア・オヴリガンの素行調査をするように言われていた。
オーランド・オヴリガンはそのクレオリアの兄で、ギルベナ領主スコット・オヴリガンの長男。
現在は書令府、つまり宰相の直属組織に勤めている上級役人で、クレアより2期ほど上の先輩にあたる。クレアは新人研修の際に少し世話になっただけでほとんど面識はないが、彼が件のクレオリア嬢の歳の離れた兄であることは知っていた。
「三年……三年の我慢」
ブツブツと自分に言い聞かせる。
治副司の任は通常三年交代。それまでの我慢と自分に言い聞かせるが、治安よりも、豆と芋の食生活に耐える自信がない。そもそも三年で交代といっても後任が決まらなければその期間も延長される。
騎士にはなれなかったが、れっきとした戦士としての訓練を受けてきたので身を守る自信はあるし、公爵邸や役所での事務仕事が大半の治副司だからそれほど身の危険は無い気がするが、実家は貧しい田舎ながら食糧事情だけは豊かな中央地方出身で、学生時代も帝都で過ごしたので舌は肥えているのだ。
「着きやしたぜ」
自分の行く末に暗い未来しか描けないでいたクレアに御者から声がかかった。
箱馬車から大型旅行鞄を持って歩く。三年間の任務に着くための荷物は結構な大きさで、一応雨くらいは防げる防水仕様だが、外から見える荷台に積むのは物騒なので持ち込んでいたのだ。
「どうも」
御者に硬貨を払う。
この馬車は街の入口で拾った。少々育ちの悪そうなというか、ガラの悪そうな御者だったから、お金を渡すのにも体をできるだけ離して渡す。街の入口に馬車の乗り場があってそこで捕まえた。できるだけマトモそうなのを選んだつもりだが、それでも十分ガラの悪そうな風体の御者しかいなかった。
馬車が立ち去るのを確認してから、目的地の方を振り返る。
石造りの館が建っていた。
オヴリガン公爵家の邸宅だ。十人くらいが住める住宅だろうか、公爵家の本邸としては小さい。それでもギルベナの住居としてはかなり大きい部類に入ると言える。
クンクン、と鼻をひくつかせたり、ジロジロと館を見回す。
この不毛の地に三百年も封じられているオヴリガン公爵家、スコット卿とはいかなる人物なのか。
三年間自分の上司になると思うと、クレアは館の中に足を踏み入れるのが躊躇われた。
もちろん事前にどんな領主なのか、前任者からの引き継ぎは行っている。
その情報からでは評判はあまりよろしくない。
息子のオーランドを見れば、それほど悪い人物とは思えないが、彼の行政能力が遺伝によるものとは限らない。
二人の前任者からの領主スコット・オヴリガンの評判はとにかく領主としての仕事に興味が無い人物だということだ。
豊かな領地の貴族ならそれでも構わないが、貧困にあえぐギルべナの領主としては大問題だろう。悪事を働くような人物ではないらしいが、領地経営がうまく行かなければ、暴動が起こってもおかしくない。
「でも、暴動が起こったっていう記録もないのよね」
なかなか館の中へは足を踏み入れずにクレアは、つま先で地面をホジホジといじくり回す。
ギルベナが発展しないのは、地理的な条件が大きいがそれに起因する幾つかの事が原因だ。
産業の育たないことと、定期的な自然災害、異民族や魔物の侵攻。
この三点である。帝国でも有数の盗賊ギルドがある犯罪都市にも関わらず、暴動が起こったという記録は意外に少ない。もしかしたら住民たちにとってこのギルベナという地方が底辺の底の底、これ以上落ちようのない最果ての地であるということを自覚しているからかもしれないし、 住民間の貧富の差が低水準ながら少ないことが要因かもしれない。
何はともあれ、貧困地方ギルベナの行政は治副司の手腕にかかっているし、これほど治副司に権限も与えられる任務地もない。
とは、めったにクレアのような木っ端新人役人には接点がないラウールによる助言である。
確かに、ここの領地経営を上手くできれば、どこの領主でも務まるだろう。
けれどまあ、ラウールの慰めの言葉であるのは百も承知だ。
ため息をついて、諦めて、クレアは旅行鞄を持ち上げて門の中に足を踏み入れる。門から十歩も歩かないで正面玄関にたどり着いた。
扉も二人並んでは入れないほどの大きさで、帝都で城壁内に住居を構える庶民ならこの程度の家はいくらでもある。
そもそもこの治安の悪いサウスギルベナで門兵もいないのはどういうことだろう。
クレアは門の方を振り返り、不用心な警備に首を捻りながらも、空いている手で扉をノックしようとした。そういえば呼び鈴もないのはいくらなんでも領主の公邸も兼ねる屋敷としてどうなのだろう。
手首で軽いスナップを利かせながら、木製の扉をノックしようとしたが空振りに終わる。
「?」
視線を前に戻すと、扉が開けられていた。
半身分ほど開けられた正面玄関の扉が、そのまま一気に全開になる。
「あら、遅かったわね」
ニッコリと壮年の美女が笑いかけてきた。




