02 帝都で宰相が部下と噂話をするだけの話
「ラウール、知っているかい?」
ラウールは「何がですか?」とは、尋ね返したりはしない。
目の前にいる青年がよくこういう物言いでラウールに質問を投げかけてくることはある。その時は大抵碌でもない事を言い出すのだ。彼が宰相になって以来、彼の副官として側にいるラウールは彼が何を言い出すのかを察して、その答えと対策を用意しておく。それが事態を悪化させないための最善策だ。
フィリップ・ジャン・リシュリュー。
リシュリュー公爵家の次男として生まれ、現皇帝レオナルド・トラモント・ガッテミウスの乳兄弟として育った。レオナルドがトラモント家から十五歳の時に帝位についた時に、同時に宰相に就任。
十五歳といえば、帝都の学院高等部を卒業するかしないかという歳だ。当然内政の最高位である宰相の地位が務まるわけがない。元老院がレオナルドを皇帝に推したのも、フィリップを宰相の地位に据えたのも、傀儡として扱いやすいと考えたからに他ならない。
権天事件から三百年、再び帝室の権威は揺らいでいた。
皇帝の相談役の役割で、実質的な権力を与えられていないはずの元老院が力を持ち始め、帝位の推薦役という役割も持つ彼らが宮廷を支配し始めていたのが10年前までのことだ。
だが、元老院はこの十五歳の少年の才能を甘く見ていことを後悔しただろう。
銀の長髪。切れ長の瞳。面長な顔立ち。どこか人を喰ったような笑みを浮かべる少年。
彼は傀儡になるどころか、操ろうとした元老院を逆に駆逐していった。
現在、元老院は非常設設置機関となり、任命権は皇帝にある。
現在帝国の政治を動かしているのは三人の権力者。
宰相のフィリップ。
筆頭宮廷魔術師で元元老のカスパール。
大地母神教団帝都教区大司教のバルザーナ。
カスパールとバルザーナはフィリップが元老院と対立していた時に、帝室側についた。
先見の明があったとも言えるが、そのようにフィリップが仕向けたとも言える。
ラウールは彼が宰相に就任した経緯についてはよく知らないが、元老院が彼を宰相に推したことさえもフィリップの思惑のうちであったのだろうと思っていた。
さて、そんな切れ者宰相が厄介なことを言い出すのはいつもの事だったが、ラウールにも今回はいまいち宰相の意図が読めなかった。
今、宰相の執務室の机の上には、一台の小さな機械が置かれている。
宰相はこれについて「知っているか?」と尋ねたのだ。
見たこともない機械だった。では正直に「しらない」と答えればいいのだが、フィリップがその先に意図することが見えなかった。
「よく見ても?」
本来なら仕事をして欲しいが、ラウールが応えるまで辞めないだろう。
機械を両手に取る。
大きさは子供の頭くらいの大きさ。金属製でずっしりとくる。
側面に取っ手が付いており、その反対側に小さな穴が幾つもあった。上の部分には大きな穴がある。
穴を覗くと滑車が見える。
魔術的な作用はなさそうだが、なにかの工作機械のように見える。
「ふむ、この穴から何かを入れるのですよね? 取手を回すと滑車が回るのか……臼? 何かを選別する機械ですか?」
フィリップはニコニコしながらラウールを見ている。この宰相の悪い癖だ。人が自分の問いに答えられなかったり、想像もできずにウンウンと悩んでいればいるほど嬉しそうにニヤニヤとする。
「臼というのは悪くないな。それは挽肉機だよ」
「挽肉機?」
ラウールは再び機械に目を向けた。
「挽肉とは、あの料理に使う挽肉ですか?」
「もちろんそうだよ」
「どうしてワザワザ挽肉を作るのにこんな大層な機械を使うんです?」
ラウールは料理に詳しくはないが、普通帝国では挽肉を使うことはあまりない。
食用の家畜といえば、鳥、豚、羊、牛が有名なところだ。しかしこれらの肉は高い。高い食材をわざわざ挽肉にするのことはあまり好まれない。大体が煮込むか、焼く。挽肉料理も無いわけではないが、そのためにわざわざこんな機械を使う必要はない。たまにしかつかわないので包丁を使えばいいのだ。
「この機械を使うとね、安い肉を簡単に柔らかく食べることができるそうなんだ。アーガンソン商会が帝都でも売り出している新商品だよ」
「アーガンソン商会?」
その名前には勿論聞き覚えがある。
「そう。君に監視を頼んでいたあのアーガンソン商会が卸している。商品登録もして彼らが独占販売しているんだ」
アーガンソン商会は5年前まで治副司として、ギルベナ地方に赴任していた時に監視していた地方の商人組織だった。治副司は地方領主の補佐として中央から派遣される役人で、帝都とのパイプ役兼監視役である。
元帝都の政商で、一流の冒険者でもあったソルヴ・アーガンソンの商会が、なぜ不毛の地ギルベナに拠点を移したのか。訝しく思ったフィリップがその監視役としてラウールを派遣したのである。
結局問題なしということで、フィリップはラウールを帝都に呼び戻した。
その名前を聞いたのは数年ぶりのことだ。
「売れているのですか?」
「いや、帝都では売れていないらしい。理由はお前がさっき言ったとおりだ。しかしサウスギルベナではジワジワと売れているらしい。挽肉に脂や香辛料なんかを混ぜた名物料理なんかも生まれているそうだ」
フィリップの言葉に頷く。比較的富裕層の多い帝都では挽肉専用の道具は売れないだろう。しかし食糧事情が悪いギルベナでは硬い肉をできるだけ美味しく食べるのにはいいかもしれない。香りの強い香料を混ぜれば、粗悪な鼠や犬の肉も食べれれるようになるかもしれない。ラウールは決して食べたいと思わないが。
「で、ギルベナで珍しい道具が発明されたのは分かりましたが、ベーダが持って帰ってきたのですか?」
ベーダというのは、ラウールの後任としてギルベナに赴任した治副司で、たしか数日前に任期を終えて戻って来ていたはずだ。
「いや、それは帝都で手に入れさせた物だが、ベーダから興味深い話を聞いてね」
「興味深い? 珍しい調理器具とアーガンソン商会の動向が結びつかないのですが」
フィリップがニヤリと笑う。
「実はこの道具を発明したのが、アーガンソン商会に奉公している幼い子どもなんだそうだよ」
「幼い?」
「五歳か六歳くらいらしい」
「これを!?」
話の意図に合点の行かなかったラウールだが、流石にこれは驚いた。
「もちろん、製品段階のものはちゃんとした職人が作っているが、発明したのはその少年なんだそうだ」
それにしても大したものだ。利用価値があるかどうかは別にして構造だけ見ればとても小さな子どもが発明したとは思えない。製品化する際に職人たちが手を加えたとしても基本的な思考の基盤が子どもとは真逆の熟練されたモノに見える。
「サウスギルベナと言えば、最近時々耳にする噂の姫がいる街だ。彼女も確かそれぐらいの歳だったよな?」
「今年六歳にお成りでした」
オヴリガン公爵家の長女の話はこの一年ほどの間に時々耳にするようになった。
ちなみに『姫』は帝室の血を引く未婚の女子全員に使われるが、『皇子』は継承権を持つ男子のみである。
オヴリガン家は三百年くらい前に臣籍降下した帝族の家柄で、その血筋は始皇帝に辿る公爵家だ。
オヴリガン公爵家長女、クレオリア。
ラウールにとっても忘れられない名前である。
ラウールが治副司としてサウスギルベナに住む公爵家に仕えていた頃に生まれ、誘拐されたのがクレオリアだ。
彼女は無事に帰ってきたが、ラウールはその際に彼女が太陽神の『恩恵』持ちだったことを知る。
そしてラウールはそのことをこの上司にも秘密にした。余計な火種にしたくないと自分を納得させたが、本心では公爵家に情が傾いていたのも否定出来ない。
そのクレオリアの名を最近耳にするようになった。
『恩恵』のことがばれたのではない。
不毛の地ギルベナに世にも美しい姫がいる。
1歳にして、学術書をスラスラと理解する神童。
剣を振り回し、誰かれ構わず打ち据える乱暴者。
我儘で偏屈、そして無愛想な性格の姫。
総じてみると、外見がよく、頭もいいが、我儘で乱暴者の変わり者。
それがクレオリアの評判だった。
だが、ラウールはクレオリアのことを実際知っているし、彼女の歳の離れた兄がラウールの部下としてこの宮廷に務めていることもあって、この噂がかなり誇張されたものであると思っていた。
赤子の時に見ただけだが、確かに美しく育つことを予見させる姫だったことも確かだ。
ただ乱暴者という評価はどうだろうか。クレオリアは生まれた直後はとても病弱で、このまま成長することはできないだろうと言われていた。誘拐事件の直後、なぜか病弱だった体質は改善したようだが。おそらく体を鍛えるために剣を振るっているのだろう。女の騎士もいないわけではないが、貴族の女子が剣を握ること自体ほとんどないから、そのことが噂の原因になっているに違いない。
1歳で本を読んだというが、ラウールはクレオリアが1歳の時にもオヴリガン公爵家にいたがそんなことはなかった。
兄であるオーランドの話では、頭はいいが、とてもやさしいと真逆の評価。もちろんオーランドは肉親なので割引いて聞かなければならないが。この噂がかなり尾ひれの付いたものであるのは間違いない。
しかし、クレオリアと同い年の少年。しかもアーガンソン商会に関係している子供と言えば、ラウールには一人しか思い浮かばない。
たしか、エドゥアルドとか言ったはずだ。
サウスギルベナの支配者で、アーガンソン商会の総帥、ソルヴ・アーガンソンの隠し子と思われていた子供。そして誘拐事件の際にはクレオリアと共に連れ去られた赤ん坊の名前だ。
「その子供の名はなんというのですか?」
「名前まではわからないな。気になるかな?」
なぜか探るような目で覗きこんできた宰相に、ラウールは無表情で否定しておいた。
「その子を囲い込もうというのですか?」
ラウールは上司の意図を読んで切り出す。以前からクレオリアの噂を聞きつけた宰相は駒としてクレオリアを利用するために接触を図ろうと考えていることは聞いていた。結局ラウールのクレオリアを中央政界のゴタゴタに巻き込みたくないという思いは叶いそうにない。そしておそらくこの調理器具を造った子供も宰相は駒に加えようというのだろう。
「しかし、クレオリアの場合はオーランドがここにいることや、資金的な援助を盾に囲い込むことはできるでしょうが、アーガンソン商会の場合だと難しいでしょう」
オヴリガン家は公爵家としてギルベナを治めているが、貧乏な地方の小貴族に過ぎない。いくら才能があっても帝都の学院に学ばせるということもできないだろう。それをどうにかするには学費を免除する特待生になる必要があるが、そのためには推薦が必要である。ラウールは上二人の兄の推薦者となってきたから、クレオリアを学院初等部特待生として帝都に招くのも不自然ではない。
しかし、アーガンソン商会は地方商人とはいえ、豪商である。学院の学費など端金だ。それにその少年がそこまで優秀なら、中央の人間に推薦状を書かせるくらいの人脈は持っている。
そして、自分の組織の中の優秀な人材をわざわざ手放すような真似もしないだろう。
「なに、別にソルヴがこちらの申し出を退けたとしてもかまわないさ。クレオリアは輿入れを含めて利用価値があるが、いくら天才でも市井の、しかもギルベナの子供ではね。要ははアーガンソン商会に差し出すきっかけになればいい。そのまま握手するか、払い除けるかはあちら次第さ」
「では、初等部の入学試験もそろそろ募集を開始しますし、推薦状を両名に出す用意があることを両家に通知いたします。発行者は兄二人の時と同じく私の名でしておきます」
ラウールが頭を下げて、下がろうとしたが、それをフィリップは手を上げて止める。
「いや、推薦状の用意はもうちょっと待ってくれ。ちょうど新任の治副司が赴任するからその報告を待とう。それから推薦は私の名前で行う」
フィリップの言葉にラウールの片眉が少しだけ上がる。
推薦者となる用意があることを告げるのをもう少し待つのは理解できる。フィリップのことだからオーランドやベーダから二人のことについて詳しく話は聞いているだろう。そこに念を押してもう一人に調査させるのはいいことだ。
だが、問題は推薦状の名義人の方だ。
先程も述べたように、学院で学費を免除される特待生になるには、試験に合格しなければならないが、受験のためには推薦状が必要になる。
その推薦状を発行できるのは、上級職にある役人と学園学院の学園長や学院長など教育機関の首長レベルにある者たちだ。
帝都の学院への推薦状は貧乏な貴族や庶民の子供に対して出されるものである。有力貴族や金持ちの子供ならその家自体の力が保証となるからだ。そもそも学費を免除してもらう必要もない。
そして推薦者となるのは、ラウールのような上級役人名義がほとんどで、学校関係者の推薦状は殆ど発行されない。貴族本人はそもそも発行権がない。後見人になりたい貴族などの依頼によって中央の役人名義で推薦状を発行するのが通例だ。
内政の最高位である宰相の名前による推薦状などきいたこともないし、実際ないだろう。確かに宰相も役人の一つであるから推薦状を出すことはできる。ただしそれは制度的に可能というだけである。そしてフィリップは皇位継承権を持つ五大家リシュリュー公爵家の出身で、そしてなにより現皇帝の乳兄弟という大貴族中の大貴族でもある。その宰相フィリップが発行する特待試験受験推薦状となると政治的影響力は前例のないことも合わせて計り知れない。
それを公爵家だけでなく、一地方商人の奉公人の子供に出そうというのだ。
やはり、碌でもなかったな。
ラウールは内心でため息を付く。
フィリップはそんな心内を読んでいるのかニヤニヤと笑っていた。




