表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

変わらない日常①

初投稿です。

よろしくお願いいたします。

 夜明け前の宿屋は、まだ寝静まっていた。

 

 宿屋の一階にある酒場の椅子は卓の上に伏せられ、昨夜の喧騒の名残だけが、床板に染みついた酒と肉の匂いとして残っている。厨房の炉には灰が眠り、宿屋の裏庭にある井戸端には、空の水桶がいくつも並べられていた。

 

 グレッグは、音を立てぬように裏口を開けた。

 

 背は高く、肩幅も広い。扉をくぐるだけで窮屈そうな大男だったが、その動きは意外なほど静かだった。まだ夜の色を残す空の下、彼は井戸の縄を引き、水を汲み上げる。

 

 桶を満たし、厨房へ運ぶ。

 また井戸へ戻る。

 それを何度も繰り返す。


 厨房の水瓶がいっぱいになる頃には、東の空がわずかに紫を帯びてきていた。

 

 次は薪だった。


 裏庭の隅に積まれた丸太を台に置き、斧を振り下ろす。乾いた音が、朝の冷えた空気を割った。


 一振りごとに、丸太は素直に割れ、薪の山がみるみる増えていく。グレッグは汗を拭いもせず、淡々と斧を振るった。


 水汲みも薪割りも鍛錬になる。世話になっている宿の役にも立つ。

 それで誰かが助かるなら、騎士の務めとして十分だった。


 見習いであっても、心は騎士であるべきだ。


 そう信じるグレッグは、もう一度斧を振り上げた。


「……薪割りが本当に騎士様のお仕事なんですか?」


 背後から声がした。


 振り返ると、裏口のところに宿屋の娘、リタが立っていた。寝起きなのか、栗色の髪は少し跳ねている。腰に手を当て、いかにも呆れたというポーズだが、表情は柔らかい。


 斧を下ろし、グレッグは真面目に答えた。


「人を助けるのが騎士の務めだ。薪がなければ朝食も作れないだろう?」


「それは騎士様じゃなくて下働きの仕事ですよ」


「……そうだな、そうかもしれない」


「そうです」


 リタはそう言って、またふっと笑った。


「我が宿の心優しき騎士様、いつもお務めありがとうございます」


 からかうような声だったが、それは素直な心のこもった優しい礼だった。


 グレッグは少しだけ目を伏せる。申し訳なさそうに。


「こちらこそ、長いこと世話になっているからな」


 実際、グレッグがこの宿『銀の三日月亭』を常宿にして六年以上になる、当時十歳だったリタも今年十六歳になった。

 それ程の期間、未だ称号が『見習い騎士』のまま結果を出せずにいる。その居心地の悪さを、こうやって宿の下働きの様な手伝いをして、誤魔化しているのかもしれない。そう思ったのだ。


「そういうところ、本当に真面目ですよね、グレッグさんは」


 リタは嘆息して裏口から厨房へ戻っていった。扉が閉まる直前、彼女がもう一度こちらを見て笑ったのが見えた。


 グレッグは斧を握りなおすと手早く残りの薪を割り始めた。


 ◇

 

 朝食の頃には、宿屋兼酒場にも人の気配が増えつつあった。


 厨房からは焼いたパンとスープの匂いが漂い、注文とそれに応える快活な声が聞こえる。リタは客席の間を忙しなく動きながら、時折グレッグの皿に何かを足した。


「今日も迷宮ですか?」


「午前は討伐依頼を受ける予定だ、午後から迷宮調査に入るかもしれない」


「また服に穴を開けて帰ってくるんですね」


「……なるべく気をつける」


「グレッグさんの“なるべく”は信用できません」


 リタはきっぱりと言った。


 返す言葉は見つからなかった。実際、昨日も袖口を裂いて帰ってきたばかりである。


 リタは小さくため息をつきながら、彼の前に追加のパンを置いた。


「ちゃんと食べてください。大きいんですから、燃料もいるでしょう?」


「……ありがとう、助かる」


「それと、帰ってきたら先に中庭ですからね。血まみれで酒場に入らないでください」


「分かっている」


「本当に分かってます?」


「……努力する」


「そこは断言してください」


 周囲の常連客がくつくつと笑った。グレッグは居心地悪そうに背を丸め、パンを口に運ぶ。


 大男が年若い看板娘に説教されて小さくなっている姿は、この宿酒場ではもはや日常だった。


 朝食を終えると、グレッグは部屋へ戻り、装備を整える。


 鎖帷子、鉄板を仕込んだ皮の鎧と兜、使い込まれた剣、傷の多い盾。どれも高級品ではない。だが手入れだけは行き届いていた。

 剣帯を締め、盾を背負い、最後に胸元の小さな護符に触れる。


 光の精霊の印。


 グレッグは一度だけ目を閉じ、それから宿を出た。


 ◇

 

 街はまだ完全には目覚めていなかった。


 石畳には夜露が残り、通りの端には薄い朝靄が漂っている。パン屋の煙突から最初の煙が上がり、遠くで荷車の軋む音がした。


 東の空から差し始めた光が屋根の端をなぞるように、街を照らしていく。

 街が目覚める直前の空気をグレッグはゆっくりと肺へ送った。彼はこの静謐さすら感じる空気感が好きだった。


 グレッグは冒険者ギルドへ向かう道を少し外れ、周囲の建物から浮いた白い建物へ向かった。

 この街にある光の精霊を奉った聖堂である。


 白い石で造られた聖堂は、朝の光を受けて淡く輝いている。大聖堂と呼べるほど立派なものではない。だが、この街の人々にとっては祈りの場所であり、傷を癒やす治療院でもあった。


 その前では、若い助祭が箒を手に石段を掃いていた。

 グレッグに気が付くと彼女はぱっと顔を上げた。


「おはようございます、グレッグ様」


 朝の光を受けたその笑顔は、聖堂の白壁よりも明るく見えた。


 グレッグは立ち止まり、頭をそっと下げる。


「おはよう、セラ殿。今日も早いな」


「グレッグ様こそ。いつも通りですね」


「いつも申し訳ない、今日も良いだろうか?」


 セラは一瞬、何かを言いたそうにした。だがすぐに微笑み、腰の鍵束を取り出した。


「すぐに開けますね」


 聖堂の扉が、静かな音を立てて開く。


 中はまだ薄暗かった。高い窓から差し込む朝日が、祭壇の前だけを細く照らしている。空気は冷たく、澄んでいた。


 グレッグはいつもの場所へ向かう。


 祭壇の真正面ではない。人々が祈りに来た時、邪魔にならないように、柱の陰に近い隅の席。そこが彼の定位置だった。


 大きな身体を小さく折るように膝をつき、両手を組む。


 そして、祈り始めた。


 一度祈りに入ると、グレッグは動かなかった。


 目を閉じ、手を組んで、ただ静かにそこにいる。呼吸すら、聖堂の静寂に溶けてしまうほどだった。


 セラは祭壇の燭台を整えながら、ちらりと彼を見る。


 大きな背中、ぼろぼろの鎧、傷の残った手。

 伸びた黒髪から覗く伏せた目は、どこまでも穏やかであった。

 

 華やかさとは無縁の、風雨に晒され削り取られてきたような冒険者の姿。それでも、セラにはその祈りが美しく思えた。

 それは、深い森の中に座す苔生した巌の様な、そんな不思議な尊さと安心を感じていたからかもしれない。


 セラは慌てて視線を戻した。自分が何を考えていたかに気づいて、少しだけ頬が熱くなる。


 やがて、聖堂の外が明るくなり、街のざわめきが少しずつ増えていった。


 一時間。


 グレッグはきっかり一時間、微動だにせず祈り続けた。


 そして静かに目を開けると、もう一度深く頭を垂れた。

 

「今日も祈らせていただいた、感謝する」


「いえ、こちらこそ、いつもありがとうございます」


 セラはそう言って微笑んだ。


「どうか、ご無事で」


「ありがとう」


 グレッグは微笑み返すと聖堂を出た。


 その背を、セラは扉の前で見送った。彼が角を曲がって見えなくなるまで、ずっと。


 ◇

 

 冒険者ギルドが開く時間には、ちょうど間に合った。


 木造りの大きな建物の前には、すでに数人の冒険者が集まっている。扉の横、壁にもたれるようにして、一人の女性冒険者がグレッグを待っていた。

 しきりに指先で自分の髪をいじっている。落ち着かない時の癖だ。


「マリー」


 グレッグが近付いて声をかけると、マリーと呼ばれた彼女冒険者は顔を上げた。朝日を受けた金の髪がきらりと光る。

 表情がぱっと変わった。どこか物憂げだった彼女の顔に、大輪の花のような笑顔が広がる。

 そしてすぐに口元を引き締め直した。


「遅い」

 

 第一声は、それだった。

 グレッグは足を止める。


「すまん、約束通りの時間じゃなかったか」


「私が待ってたんだから、遅いの」


「そうか、すまない」


「そこで素直に謝るところ、ほんと調子狂うんだけど」


「……すまん」


 マリーは頬を膨らませるように言ったが、機嫌が悪いわけではなさそうだった。


 周囲の冒険者たちがにやにやと笑う。


「おう、『猪殺し』!今日も姫さんを待たせたのか」


「朝から仲がいいねえ」


「そろそろ待ち合わせ場所をギルドじゃなくて宿にしたらどうだ?」


「というか爆発しろ」


 マリーの顔が一気に赤くなる。


「う、う、うるさい!そんなんじゃないから!」


 グレッグは真面目な顔で首を傾げる。


「宿で待ち合わせると、マリーの家から遠くならないか?」


「グレッグは黙って!」


 なぜ怒られたのか分からず、グレッグは黙った。冒険者たちの笑い声が大きくなる。


 マリーは耳まで赤くしていたが、やがて肩を怒らせながらギルドの扉に手をかける。まだ囃し立てていた周囲の冒険者たちを睨んで黙らせると、グレッグを従えて建物に入った。


「ほら、行くよ。今日は午前中に討伐、午後から迷宮調査の依頼を見るんでしょ」


「ああ。そのつもりだ」


「なら、受付が混む前に決めるよ」


 彼女はそう言って、グレッグの半歩前を歩き出し、グレッグはその後を追う。朝のざわめきが二人を迎えた。


 掲示板には新しい依頼書が貼り出され、受付のカウンターには職員が帳簿を広げている。酒場とは違う、冒険者たちの一日の始まる音がそこにあった。


 グレッグとマリーは掲示板の前で足を止め、依頼書に素早く目を走らせてゆく。


「この森の魔物討伐はどう?」


「……『角兎』、増えすぎて畑にまで出ている、ふむ」


「場所は西門から出た先の畑地帯だね、午前中で片付くかな」

 

「急ごう、畑が荒らされれば農奴の皆が困る」


「そう言うと思った」


 マリーは小さく笑った。


「午後はこっち、迷宮の中層調査……未確認の通路が見つかったって」


「……例の、『遺物』の噂がある階層か?」


「場所は近いと思うよ、どんなふうに繋がっているかによるけど」


 グレッグの表情が、わずかに引き締まったのをマリーは見逃さなかった。


「……焦らないこと、いい?」


「分かっている」


「グレッグの“分かっている”は、たまに信用できない」


 今朝、別の少女にも似たようなことを言われた気がする。


 グレッグは少し考えたが、反論はしなかった。


「気をつける」


「うん、それならよしっ」


 マリーは満足したように頷き、依頼書を二枚剥がした。


「じゃ、受付行こ」


「ああ」


 二人は並んでカウンターへ向かうのであった。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ