第六十九話 ピーターの娘
空から降って来た大量の『にんにく』により、室内は一気に……悪臭、というと世のにんにく農家の方に怒られるであろうが、それでもある種独特の臭気に包まれた。辛うじて霊長類ヒト科の俺ですら思わず眉を顰める匂いだ。種族としてにんにくが嫌いなヴァンパイアであるピーターは無論、俺の比ではなく。
「くっ……新魔王よっ! これが……これが、貴方に背いたヴァンパイア族に対する仕打ちかっ! なんと卑劣な!」
苦悶の表情を浮かべながらそんな事を叫んでやがる。
「……」
にんにくの山に埋もれて、顔だけ出すっていうシュールな光景で。いや……その……え……ええ~……
「……おい」
「……」
「おい、ヒメ!」
「……へ? えっ! わ、私!? 私のせいなの、コレっ!?」
俺のジト目と声音に言わんとしている事を悟ったのか、ヒメが素っ頓狂な声を上げる。いやな? 別にお前が悪いって言うつもりはこれっぽちもねーんだよ。ねーんだけどよ?
「……あれ、魔王様が持たせてくれたモンだろうが」
「そ、そうだけど! あ、あれ? 別に私、悪く無くない!? これ、私のせいになるの!?」
「振り上げた拳はどっかで降ろさないと収まりがつかんだろうが」
「い、言ってる意味は分からなくはないけど! え、ええ~……」
俺の言葉に、困ったように眉根を寄せるヒメ。まあ、流石にこれまでヒメのせいにされたらちょっとな~って思う所はあるっちゃあるんだろうけど……
「……にしても……流石魔王様というか……なんというか」
ピンチになったら使え、って渡された魔石割ったらにんにくが大量に出て来るとか、どんな超展開だよ。なんか一周回って尊敬しそうだよ、マジで。
「しかもあの『にんにく』、多分魔力でコーティングされてるわ」
「魔力でコーティング?」
なんだ? 匂い倍増機能でも付いてんのか?
「ピーターは魔術の得意なヴァンパイア一族の、しかも族長よ? ただのにんにくなら――」
「――っく! こ、このにんにく……どうやっても『存在』を消す事が出来ないだと!?」
「――ああいう感じ。多分、ピーターの魔力を打ち消す魔法でも掛かっているんでしょう」
自ら説明をしてくれた感すらあるピーターの言葉に、俺はジト目を向けて見せる。言いたい事は腐る程あるんだが……なんだよ、にんにくに魔力を付与って。つうか、存在を消すとか、そんなオーバーな話なのか、これ?
「……まあイイ。そんで? これ、どう決着を付けたらいいんだよ?」
「へ? え? そ、それ、私に聞く!?」
「だってお前のママさんが持たしてくれたモンのせいでこうなってるんだぞ?」
「魔石使ったのはマリアじゃん! なんとかしてよ!」
「いや、なんとかって言われても……」
言いつつ、視線をピーターへ。まあ、アレだ。首から上だけを出してうんうん唸ってる姿は既にシュールを通り越して可哀想にすらなってくる。人として、助けてあげたいとは思うんだ。思うんだけどよ?
「……すげー匂いが付きそうだよな、アレ」
いや、マジでにんにく農家の方には土下座する勢いで謝る所存だよ? 俺だってにんにく自体は大好きだよ? ステーキとかにんにくが無いと食った気がしないし、ガーリックパウダーとかも大好きなんだよ? 大好きなんだけど……でもな? 流石にイイ大人がすっぽり埋まるにんにくの山の中に突っ込んで行く度胸はないんだよ。
「……うん。その気持ちは痛いほど分かるわ。わ、私もにんにく、嫌いじゃないのよ? でも……や、やっぱり匂いも気になるし……」
俺と同種の感想を抱いたのか、ヒメももじもじしながら上目遣いでそんな事を言ってきやがる。まあ、年頃の娘さんであるヒメならそりゃそうだよな。
「……っていうか、あの光景がちょっとシュール過ぎて……なんか、逆に怖い」
「……なんとなく分かるわ、それ」
単体で見ればどうって事も無いのに、アレだけ大群になると怖いよな。かといって、このまま放置したら一向に話が進まんし、さてどうしよう……と、そう思い、如何したモノかと俺が顎に手を当てて視線を中空に向ける。
「――お父様っ!」
中空に向けると同時、俺の後方からバーンっというけたたましいドアが開く音と『お父様』と叫ぶ声が聞こえて来た。もう既に十分聞き慣れたその声の主に当たりを付け、俺は中空に飛ばしていた視線を後方に向けて。
「……クレア」
「マリア様!? こ、これは……」
扉を開けて入って来たクレアは、『目の前でにんにくの山に埋もれている実父』という、色んな意味でトンデモナイ光景に目を見開き固まる。が、それも一瞬、そのまま『きっ』とした視線を俺に向けて来た。
「この様な酷い仕打ち、お父様に為されたのはマリア様でありますかっ!」
……どうしよう。物凄く『うん』って言いたくない。
「……まあ、色々事情があるにはあるんだが……一応、うん」
「本官達ヴァンパイア一族に取って、『にんにく』とは聖水、十字架に並ぶ凶器であります! そ、その様な凶器の中にお父様を放り込むとは……マリア様! 貴方は悪魔でありますか!」
「いや、魔王なんだけど……」
「ともかく! 本官が来たらもう大丈夫であります! お父様、今行くでありますっ!」
俺と口論する時間すら惜しいと思ったのか、クレアがピーターに向けて走り出す。部屋中を満たすにんにく臭に、それでもクレアは眉を一瞬顰めただけでピーターの下に走り出して。
「来るなっ!」
そのクレアの足を、ピーターの声が制す。
「来るな、クレア!」
「お、お父様! だ、大丈夫であります! 本官がきっと、助けるであります! なので、なんの心配もしなくて良いであります! ご心配なく、お父様! 本官は『にんにく』などに――」
「そんな事を言っている訳ではないっ!」
「――負け……え?」
ピーターから出た言葉に、クレアの目が大きく見開く。そんなクレアの姿を見つめ、眉を苦々しく顰めて。
「――お前の様な『半端者』に助けて貰う必要などないと……そう言っているのだっ!」
実の娘に掛けるには余りにも冷たい言葉を、ピーターは放った。




