第四十九話 情けない男
「今日こそ……今日こそお前に勝つぞ、マリア!」
「……なにしてんだよ、お前」
風呂上がり、濡れた髪の毛をタオルで拭きながら自室の扉を開けた俺の目の前に飛び込んで来た光景は、ポテチにチョコレートの袋、それにペットボトルまで完備して正座をして待っているラインハルトの姿だった。テレビには昨日、俺がコテンパンにしてやった例のレースゲームの画面が映ってやがる。
「決まっている! リベンジだ! 昨日は酒が入っていたから不覚を取ったが……今日は、今日こそは負けん!」
まるで漫画の悪役の様な事を言ってコントローラーを差し出すラインハルト。なんとなく、『梃子でも動きません!』みたいな面をしているラインハルトに溜息を吐きつつコントローラーを受け取りかけて。
「……んで? お前はなにやってんだよ、お前は」
「……は、はろ~」
ラインハルトの隣、読んでいた漫画から視線をあげるヒメと目があった。コイツも風呂上がりか、いつもはポニーテールに結んだ髪をおろしてやがる。良く暖房のきいている部屋プラス風呂上がりのせいか、心持上気させた頬がなんだか色っぽい。
「そ、その……ほ、ホラ! ラインハルトがマリアとゲームをするって言うから……ちょ、ちょっと私も混ぜて貰おうかな~って。その……い、イイ?」
そう言って、首を小さく傾げて見せるヒメ。その拍子に、さらさらの銀髪からシャンプーの香りが鼻腔を擽る。
「……そりゃ――」
……あれ?
「――……あれ?」
なんだ、これ? なんか……あれ?
「……どうしたの?」
不意に黙った俺を、心配そうな表情を浮かべてヒメが覗き込んで来る。キラキラと輝く、まるで吸い込まれそうな瞳を見つめて。
「あー……いや、なんでもねーけど……お前だけか? サクヤとかは?」
――なんだろう? すげー、イライラする。
「サクヤちゃん達は勉強してる。クレアが教えるって」
「クレアが? え? アイツ、受験生に勉強教えられんの?」
「『理系科目は得意であります!』って言ってた。年が明けたらすぐ受験なんでしょ? だから、邪魔しちゃいけないかな~って……」
「……ふーん」
「……だ、ダメ……かな?」
「いや、別にダメじゃねーよ」
うん、別にダメじゃない。ダメじゃないよ、全然。そっか、それじゃゆっくりしてけよ。俺はラインハルトとゲームを――
「……なんだよ? そんなジトーっとした目しやがって。なんだ? 俺の顔になんか付いてるか?」
「そうじゃないけど……」
そう言って、なぜかモジモジとし出すヒメ。ああ、そっか。
「トイレは部屋を出て、真っ直ぐ行って右だ」
「違うわよ! なにデリカシー無い事言ってんの! っていうか、何日お世話になってると思うのよ! トイレの場所ぐらい分かるわよ! そうじゃなくて……そ、その……マリア、もしかして……お、怒ってる?」
「…………は?」
怒ってる? え? 何言ってんの、ヒメさん。別に俺、怒ってないぞ?
「だって……なんか、怖い顔してる」
「……なに? お前、俺の事ディスってんの?」
怖い顔は元々なんだが? 半眼で睨む俺に、ヒメは慌てた様に首を左右に振った。
「そ、そうじゃなくて! その……なんか、何時もより機嫌の悪そうな顔してるから……」
「いや……別に、機嫌悪くねーぞ?」
なんとなく、『イラッ』とはしてるけど。別に怒っちゃ――
「……どれだけ初々しい会話をしているんだ、マリアとヒメ様は」
「……ラインハルト?」
俺とヒメの会話に割り込んだラインハルトに訝し気な視線を向ける。そんな俺の視線を受けて、ラインハルトが肩を竦めて溜息を吐いて。
「……まあ、お前の気持ちも分からんでもないがな?」
そう言って、立ち上がると棒立ちの俺の隣をすたすたとドアの方に向かって歩き出すラインハルト。お、おい! 何処行くんだよ、お前! ゲームはどうした、ゲームは!
「……済まないな、マリア。私も少し配慮が足りなかった。侘びよう」
「は? わ、侘びる? 侘びるって……な、なにを?」
意味が分からず、頭に疑問符を浮かべる俺。そんな俺に、ラインハルトはもう一度盛大に溜息を吐き。
「……ヒメ様の隣は、お前の『指定席』だった、という話だ」
「………………は?」
「鏡を見て見ろ。酷い面構えになっているぞ?」
ポカンとバカみたいな顔をする俺に手をヒラヒラさせながら、ラインハルトがドアを開けて室外へその身を押し出す。そんな姿を、呆然と見つめて。
「……ヒメ」
「……え? っ! な、なに?」
「机の上、鏡あんだろ? ちょっと取ってくれ」
「か、鏡? え、えっと……こ、これ?」
ヒメの顔を見ない様、差し出した手に渡された鏡を覗き込む。何度見ても変わる事のない、相変わらずの世紀末覇者の顔の上に乗っかってる表情は。
「…………ははは」
……なるほどね。そりゃ、酷い顔してるわ、こりゃ。
「……ええっと……ま、マリア?」
背中から聞こえるヒメの声に、情けないやらみっともないやら、複雑な感情のままに俺はガシガシと頭を掻く。
「……マリア?」
「あー……もう、情けねーな!」
なんだかアホらしくなり、俺はヒメの隣にドカッと腰を降ろす。『ひぅ』と不意の行動に驚いたか、ヒメの喉奥から声が漏れ――それでも、逃げようとはしないヒメに、少しだけ安堵の息を吐く。
「……あのな、ヒメ?」
……一息。
「……今のお前、すげー『いろっぽい』んだよ」
「…………………は?」
「だから! 今のお前は色っぽいの! 髪をおろしたトコとか、シャンプーの匂いさせてるトコとか、頬を上気させてるトコとか! こう……なんだ? とにかく、ものスゲー別嬪さんに見えるって事だよ!」
「え、えっと……そ、その? あ、ありがと……?」
俺の言葉に頬を真っ赤に染めながら、頭に疑問符を浮かべて謝辞を述べるヒメ。そんなヒメの姿に……情けないながら、『ヒかれないで良かったぁーー!』と思いつつ、俺は言葉を続ける。
「だから……その、まあ、なんだ? 幾らラインハルトだと言ってもだな? その……な? 分かるだろ?」
「……ごめん、全く分からないんだけど?」
「だから! 今のお前はすげー色っぽいんだよ! そんなお前とだな! イケメンのラインハルトの二人っきりだろ? だー! もう! 大体分かれよ、このバカ!」
「ば――! わ、分かる訳ないでしょ! 何が言いたいのよ、マリア! 言いたい事があるんだったらはっきり言いなさいよね!」
「――っ~~! だから! イヤだってんだよ!」
「だから、なにがよっ! 何がイヤなのよ!」
このバカがっ!
「ラインハルトと『二人きり』で居た事がだよっ!」
大体分かれよ! 言わすな、恥ずかしい!
「――あ」
……ホレ、見ろ。お前だって顔真っ赤にしてるじゃねーか。だから言わすなって言ってたんだよ、このバカたれ。
「……」
「あ……そ、その……ご、ごめんなさい」
「……ふん」
「そ、その……あの……ほ、ホントにごめん」
今にも泣きだしそうになりながら、俺に向かって頭を下げるヒメ。その姿に、頭に昇った血が急速に降りて行く感覚が襲ってくる。
「……あー……いや……その、こっちこそすまん。八つ当たりだな」
「う、ううん! わ、私が悪いの! そ、そのね? 私って……い、一応、『お姫様』な訳じゃ無い? だ、だから……そ、その……こ、こういう事も慣れて無くてね? ちょ、ちょっと抜けてるって言うか、その……ゆ、『油断』っていうか……あの、その……あ、あんまり考えなく、こう……つ、つい……ほ、ほら! 此処って、マリアの部屋じゃん? だ、だから、その、も、問題ないかな~って……そ、その……お、思って……」
「あ、いや! お前は全然悪くない。悪くないんだ。ホント、すまん。ただの八つ当たりだ」
情けねーよな、俺。
……だってコレ、唯の『嫉妬』だぜ?
「どんだけ気持ち悪い奴だよって話だよな? いや、マジですまん。悪いけど、忘れてくれると助かる」
「そ、そんな事ないよ! その……ま、マリアには申し訳ないけど……ちょ、ちょっと嬉しかったり……す、するし……」
口元をもにゅもにゅさせながら、そんな事をのたまうヒメ。頬を染めながら、それでも少しだけはにかんだ笑みを浮かべるとか、マジでズルくない? 天使か。
「あー……とにかく、すまんかった。今のは全面的に俺が悪い。勘弁してくれ」
そんな俺の言葉に、もう一度はにかんだ例のエンジェルスマイルを浮かべ――そして、遠慮がちに言葉を紡ぐ。
「……ね、ねえ、マリア?」
「……なんだよ?」
「そ、そのね? わ、私、今、凄く嬉しくて、凄く幸せなんだ」
「……そうかい」
「だ、だから! そ、その……もうちょっと、我儘言っても……い、いい?」
「……出来る事ならな?」
「そ、その……あ、頭を撫でてくれない?」
「……は?」
ちょ、おま! 何言ってんだよ? 頭を撫でろ? バーカ、そんな木っ端ずかしい事――
「……ちょっとだけだぞ?」
「……うんっ!」
――まあ、するけどな? おずおずと、あまり重みが掛からない様に手を置いて、指で漉くようにヒメの髪を撫でる。
「……」
「……」
「……ねえ?」
「……なんだ?」
「その……マリア、頭撫でるの巧くない? なんか凄い気持ちいいんだけど?」
「巧いとか下手とかあんのか、頭撫でるのに? あー……でもまあ、奏とか結構撫でてたからな? そこそこ慣れて――いてぇよ! なんで脇腹摘まむんだよ!」
「バッカじゃないの!? なんで此処でカナデちゃんの名前出すかなぁ!」
「いや、理不尽過ぎやしないか!? お前が聞いて来たんだろうが!」
「でも、普通はこういう時に別の女の子の名前を出さないの! 『そうかな? そんな事ないさ、フッ!』とか言っておけばいいじゃん!」
「……」
「な、なによ?」
「……それ、俺がやったら怖いと思わねえか?」
「……」
「……」
「…………ちょっと……思う」
「良かった。意見の一致を見た」
絵面が放送事故だ。
「まあ……確かに女の子の髪の毛撫でながら、別の女の子の話をするのはあんまり宜しくないわな」
「あんまりじゃなくて、がっつり宜しくないわよ!」
「すまんすまん。配慮不足だった」
「……反省してる?」
「してます」
「……うん。宜しい。それじゃ……今回だけ、許してあげる」
「有り難き幸せに御座います、お姫様」
「ぷっ! なにそれ」
そう言って、ヒメが楽しそうに笑う。なんだか胸の奥がホッコリする様なそんな感覚に、ついつい俺の頬も緩む。
「……ねえ」
「……なんだ?」
「その……本当に、ごめんね?」
「……あー……まあ、気にすんな。いや、気にすんなって言うのもアレだけどよ? 俺の我儘だしな」
「でも……ごめんね? 実はね? マリアに『嫉妬』して貰って、私は凄い嬉しいんだ」
「……」
「だって、私がマリアにとって『なんとも思ってない』女の子だったら、嫉妬もして貰えないでしょ? でも、マリアが『イヤだ』って思ってくれるって……そ、その……う、嬉しいかな~って」
「……女の子、嫌じゃないのかよ? 嫉妬深い男は」
「他の子は知らないわよ? 私は嬉しい、ってだけで」
「……そうかい」
「あ! で、でも嬉しいからってもうしないから! マリアに嫌われたくないし!」
「……そうだな。そうしてくれ。情けねー話だけど」
「情けなくなんかないけど……うん、そうする」
「……」
「……」
「……ね、ねえ?」
「……なんだよ?」
「その……ちょ、ちょっと、寒くない?」
「……そっか? 風呂上がりだからか、むしろ熱いぞ俺」
「そ、そんな事ないよ! 寒いもん!」
「……ええっと……暖房上げれば良いのか? リモコン、その辺にない――って、だからいてーよ! なんで一々脇腹摘まむんだよ!」
「バカ! そうじゃないわよ! そうじゃなくて!」
頬を真っ赤に染めたまま。
「――も、もうちょっと……ち、近くに行っても……良い……?」
……なに、この可愛いイキモノ。
「……あ、ああ」
「……あ、ありがとう。そ、それじゃ……そ、その……お、お邪魔します」
そう言ってヒメが、俺の近くに体を寄せる。さらさらと流れる銀髪と、鼻腔を擽るシャンプーの香りに思わず『くらっ』と来かけて――
「――――きゃぁーーーーーーーーーーーーーーーー!」
――そんな俺を一気に冷静に戻す様な、咲夜の声が響いた。




