第三十九話 クレアさんの秘密
「……は? 貧血?」
ラインハルトと格ゲー(ストリートでファイトするやつ。ちなみにラインハルト、無茶苦茶つえー)をしている俺の部屋に、真っ青な顔で飛び込んで来たヒメ。『クレアが……クレアが!』とおろおろと狼狽えるばかりのヒメの必死の形相に血の気が引くのを覚え、慌てて二階の客間に向かった俺は、あわあわする妹達と、目をぐるぐるとさせたクレアの姿を見た。後ろからおろおろ状態で付いて来たヒメを宥めながら、ラインハルトに頼んでクレアを俺の部屋に運んだのが今から三十分前の事だ。ちなみに妹ズには『心配いらねーから寝ろ!』と言ってあるので、今この部屋には俺とラインハルトとヒメ、そして俺のベッドで正座して小さくなってるクレアの四人しかいない。
「……貧血ではないであります。血管迷走神経反射であります」
「……なんだ、その必殺技みたいな名前は」
「神経調節性失神で最も多い症状であります。極度のストレス下……私の場合では『血』を見た場合に発症いたします。主に、立位状態でかかる失神であり下腹部に血液が集中する事により一時的に失神状態にな――」
「説明がなげーよ!」
なんだよ、神経調節性失神って!
「……簡単に言えば、血を見ると意識が朦朧とし……最悪の場合、本日の様に気を失う事もある神経性の疾患であります。症状自体は貧血に似ているでありますが、血が足りない訳では無く下に集まっているだけでありますので、横になれば治る類のモノではあります」
「……んじゃクレア、いっつも血を見たら失神するのか?」
「いつも、という訳ではないであります。無論、気分が悪くはなりますが……本日はお酒を少々頂いておりましたので……その……何時もより、体調的には優れなかったであります」
「……マジか」
まあ……確かに漫画やドラマで女の子が『血』を見てフラっとする描写はあるから、そんな症状があるのも分からんではない。分からんではないが……
「…………クレアって、ヴァンパイアだよな?」
血を見たら失神するって、死活問題じゃねーのかよ? そんな俺の視線に、クレアは気まずそうに視線を外した。
「……無論、ヴァンパイア族的には褒められた事ではないであります」
「……だろうな」
むしろ種族のアイデンティティとかに関わるんじゃねーか、おい。つうか、生きて行けるのか?
「ヴァンパイアは人の生き血のみで生命の糧を得ている訳ではありません。というよりも……仮にもノーライフキングと呼ばれる我が一族ですので、『死』という概念自体が人間に比べると希薄であります」
「……はあ」
良く分かんねーけど、ようは死なねーって事か?
「有体に言えば。ただ……先程も申した通り、ヴァンパイアの、それも族長の一族でありながら血が吸えないと云うのは恥ずべきことではあります。どころか、血を見たら失神するなど……本官は……本官は! 本官はなんと云う体たらくなのでありますかぁー!!」
「だー! 分かった! 騒ぐな! 静かにしろ!」
「昨今、蚊ですら血を吸っているというのに! 本官は蚊以下です!」
「蚊と一緒にするなよ! つうか、騒ぐなって言ってるだろうが! 夜中だぞ、今!」
何処で心の琴線に触れたか、ぐぐぐっと拳を握りしめて叫び出すクレアに思わず俺の声も大きくなる。そんな俺の勢いに負けたか、はっと気づいた顔になったクレアが慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ないであります。その……つ、つい」
「あー……すまん、俺も怒鳴って悪かった」
そう素直に頭を下げられるとこっちも困る。眉根を下げる俺に、ラインハルトがポンっと手を打った。
「……なるほど。『秘蔵っ子』とはそういう意味か」
「知っているのか、ライデ――ラインハルト」
「『デ』?」
「こっちの話だ」
「? おかしな奴だな? まあ良いが……例えばマリア、私が……そうだな、『戦うのが怖い』と戦場で震えていたら、どう思う?」
どう思うって……そりゃ。
「頭が可哀想な事になったと思う」
……数秒の沈黙が流れた。
「……おい」
「……え? だってそう思わないか?」
明らかにお前、バトルジャンキーじゃんか。
「……言い方を変えよう。私に弟がおり、その弟が戦いではなく、平和を愛し、花を愛でる様な男であれば……マリア、お前はどう思う?」
「どう思うって……」
そりゃ、平和で良いんじゃねーか? 農業だって好きそうだし、今後のオーク一族に必要な人材――って、うん?
「……ああ、なるほど」
俺の気付きに小さく頷くラインハルト。その姿に、クレアも頷いて言葉を続けた。
「ラインハルト殿の仰る通りであります。戦いを恐れるオークが笑い話にもならない様に、我らヴァンパイア族は人間の生き血を吸うが宿命です。その宿命すら果たせぬヴァンパイアなど……あまりにも、世間体が悪いであります」
「……ああ……まあ……うん」
「しかも我がレークス家はヴァンパイア一族を統べる家。その娘が血を見て気を失うなど、レークス家の存在自体を否定しかねない重大事であります」
「……確かに……」
聞いた事ねーもん。血が吸えないヴァンパイアなんて。
「ヴァンパイア族は個々の能力が高い一族でありますが……同時に、個々の能力の『高過ぎる』種族でもあります。族長と言えども真に他を圧倒している訳ではなく……簡単に申せば、族長の娘が『欠陥品』と知れ渡れば、一体どの様な波乱が巻き起こるか、見当も付かないであります」
クレアのその言葉に、頭に疑問符を浮かべたラインハルトが首を捻って見せた。
「そうなのか? いや……我らオーク族から見れば、ヴァンパイア族は非常に統制の取れた一族であり、多少の事では揺るがない団結だとみているのだが……」
ああ、そう言えばラインハルト、そんな事も言ってたな。
「だ、そうだけど?」
「逆でありますマリア様、ラインハルト殿。我らヴァンパイアは個のチカラが強いが故に、非常に厳しい統制を布いて、強いているのであります。そうで無ければ、『ヴァンパイア』という種族が崩壊してしまうが故に。基本、ヴァンパイアは我儘ですので」
……なるほど。アレか? 進学校程、意外に校則が緩いってヤツの逆パターンか。ルールが無いと無茶苦茶するって事か。
「……そ、その……」
そんな事を無言で考える俺に、クレアが少しばかり焦った様に言葉を継いだ。なんだよ?
「そ、その……本官は確かに血の吸えないヴァンパイアでありますが、それでも他のヴァンパイアよりも優れている点があるであります!」
……優れている点?
「具体的には?」
「まず、十字架に耐性があるであります! 神の家である教会のベンチで昼寝が出来る程度には! 最近では教会が一番安眠出来るまであるであります! 他のヴァンパイアを気にする必要も無いでありますし!」
「発想が便所飯! つうか教会のベンチで昼寝するなよ。説法を聞け、説法を!」
「うぐ……ち、ちなみに流水も渡る事が出来ます! むしろ、夏場の流れるプールは大好きと言っても過言ではないであります!」
「それ、優れているって言えるのか?」
「に、ニンニク! ニンニクも食べる事が出来るであります! 勿論、ニラも食べれるのでありますよ!?」
「ニラとニンニクは別の食べ物だぞ? いや、まあ……好き嫌いが無いのは良い事だけどよ?」
ちなみに、ニラはユリ科で、ニンニクはネギ科だ。
「で、では……あ! ま、招かれなくても他人の家に勝手に入る事が出来ます!」
「不法侵入だろう、それ!」
そして確実にメリットじゃねーよ! つうかだな?
「……何をそんなに必死になってるんだよ?」
別に構わねーぞ? お前が血が吸えないヴァンパイアだからって……一応、種族『人間』的には有り難い事こそありこそすれ、困る事は一つも――
「――お、追い返さないで欲しいでありますっ!」
――――は?
「ほ、本官は確かにヴァンパイアとして落ちこぼれではあります! ありますが、誠心誠意、マリア様、ヒメ様にお仕え致します! 致しますのでどうぞ、本官に『お暇』を出さないで欲しいであります!」
「ちょ、ちょっと待て! は? ひ、暇?」
何言ってるか良く分かんないんだけど!
「ただでさえヴァンパイアとして『落ちこぼれ』である本官が、魔王城でもお暇を出されたとなればレークス家の凋落は必至であります! どうか! どうか!」
鼻息荒く詰め寄るクレア。顔と顔、殆ど唇が引っ付きそうな程の近さと――その、近付いた顔があまりに綺麗に整っている事に思わずドキリとし、俺は慌てて自身の顔を逸らす。
「………………鼻の下、伸びてるんだけど? みっともない」
「――っ! の、伸びてねーし! 何言ってるんだよ、ヒメ!」
「……ふんっ」
「せ、誠心誠意! 誠心誠意尽くさせて頂きます! 朝は勿論、そ、その……必要であるのであれば……よ……よよよよよよよ夜のお供もっ!」
「お前はお前で何言ってんだよ!」
「き、生娘ですが、ち、知識だけはあるであります! 必ずや、マリア様をご満足させる事が出来るかと!」
「本当に何言ってるの、お前っ!? いい! そんな事しないで良いから!」
「はんっ! バッカじゃないの?」
「さっきからお前は何を怒ってるんだよ、ヒメ!」
「マリア様! マリア様! どうか……どうか、御慈悲を!」
「ちょ、止めて! 引っ張るな! ズボンを引っ張るな! 脱げる!」
「ちょ、ちょっと! 何してんのよ、貴方達! クレア、やめなさい!」
「だー! お前も引っ張るな! 出ちゃうから! 大事なモノが『こんにちは!』しちゃうから!」
ヘルプ! ヘルプミー!
「……なあ、マリア?」
「ラインハルト!! 助けて! 助けて――って、お前、何持ってんの?」
「このゲーム、プレイしても良いか? オークの里には無かったんだ。まさかこんな所で出逢えるとは……感無量だ」
「お前はお前で自由過ぎるだろう! いいから助けろ!」
……真夜中のこの大騒動は結局、『うるさいっ!』と妹ズが乗り込んで来るまで続いたとか、続いてないとか。なんだろう? 年下の妹達に『大人になれ』って諭されるのがこんなに辛いとは思わなかったよ、うん。




