第十五話 おいでませ、オークの里!
地下室の床一杯に書かれた転移の魔方陣。その上に乗れというヒメの指示通り、俺とラインハルトはその魔方陣のほぼ中央部に立つ。そんな俺らを見て、ヒメがうんと一つ頷いた。
「ラインハルトは慣れてるでしょうけど、マリアは初めてよね? ちょっと揺れるけど、目を瞑ってたらあっという間だから。くれぐれもビックリして暴れたりしないでね? 魔方陣から出たら何処に飛ばされるか分かったものじゃないから」
「……は? なにそれ、超怖いんですけど」
「『こちら』と『あちら』を繋ぐのが転移の魔法だから、空間の軋みでどうしてもちょっと揺れちゃうのよ。慣れないとちょっと怖いって人も居るんだけど……」
そう言ってチラリと俺の顔をみるヒメ。何だよ?
「……うん、マリアは大丈夫そうね! 怖いモノとか無さそうだし!」
「顔か! 顔で判断か!? お前、ソレは流石に失礼だろ!」
俺だって怖いモンぐらいあるわ!
「え? それってアレでしょ? 饅頭とかでしょ?」
「落語か! 普通にジェットコースターとか苦手だよ、俺は!」
そもそも、スリルを楽しむとか意味が分からん。金払って命の危険を体験するって、ナンセンス過ぎると思うんだ、うん。
「……え? 絶叫系の乗り物、苦手なの?」
「……悪いか?」
「悪いって云うか……意外?」
「……俺はこの体だからな。他の人よりも目方がある分、早い乗り物は怖いんだよ」
まあ、流石に壊れる訳はねーとは思うんだが……いや、怖いんだよ、マジで。ちょっと古いジェットコースターとか、俺が乗ったら揺れ方半端ねーし。
「……なんでもイイがそろそろ行かないか?」
そんな俺たち二人の会話に、少しだけ呆れた様な表情を浮かべるラインハルト。その視線に、頬を赤らめて慌てた様にヒメが手をわたわたと振った。
「そ、そうね! ラインハルトの言う通りね! それじゃ、行くわよ!」
「ちょ、おい! 説明が中途はん――」
ぱ、まで言わせて貰えない。
「――っ!!!」
ヒメが『えいっ!』とばかりに手を振った瞬間、天地が逆さまになったんじゃないかって程の浮遊感が俺を襲う。上へ、下へ、左へ、右へ。ぐらぐらと、まるで洗濯機に入れられたんじぇねーかって程の感覚に、思わず開いていた眼を閉じた。
「……着いたわよ」
一体、どれぐらいの時間が経ったか。ヒメの言葉に、俺は固く閉じた瞳を開ける。眩しい光に目をしぱしぱさせながら、俺は眼下に広がる光景を目を凝らして見つめる。
「……ここ?」
「……流石に転移の魔法は早いな。ようこそ、ヒメ様、マリア。此処が我らが暮らすオークの里だ」
鬱蒼と茂った森の中央に、二股に分かれた川が流れている。その中洲、と表現したらいいのか、遠目ではあるが、さして広くは無いであろうそのスペースには、所狭しと家……というか、モンゴルのゲルみたいなのが立ち並んでいた。
「……あれだけ? え? オーク族って多産で長寿で数が多いんじゃねーのかよ? あれだけなの?」
「あそこはオーク族の里の中心部といった所だからな。全員が収容できる訳ではないから、他のオークは森の中にそれぞれ小さな家を構えているな」
あの真ん中の家が私の家だ、というラインハルトの言葉に目を凝らして見る。なるほど、確かにそこには他の家よりも大きい家が建っていた。まあ、家と言ってもゲルだが。
「ちなみに族長は今日、御在宅?」
「ああ。ちょうど今日は月に一度の会議の日だ。族長を初めとしたオーク族の有力者が集まる。マリア、お前の話もそこでしよう」
「そうね、マリア! 私も手伝うわ! きちんとオーク族に説明して、農業をして貰いましょう!」
ヒメの言葉に小さく頷き、ラインハルトとヒメを連れて俺は今いる小高い丘からオーク族の里の入り口までの道程を歩く。時間にして十分ほど、ほどなくオーク族の里の入口が見えて来た。
「――ラインハルト様? あれ? ラインハルト様じゃないですか! 魔王城に行かれたって聞いてたんですけど……もう帰って来られたのですか?」
里の入口で歩哨の様に立っていた一人のオークがラインハルトを目敏く見つけて声を掛けて来る。身長は俺と同じくらい、顔は……人の事は言えないが、若干残念な造形をしたオークだ。そんなオークに笑顔を浮かべながら軽く手を上げ、ラインハルトが口を開いた。
「今帰った、ハサン。会議はまだ始まっていないのか?」
「そろそろ始まる頃じゃ無いかと思います。なんにしても、間に合って良かったです。お早めに集会所にお向かい下さい。それで……」
そう言ってハサンと呼ばれたオークがチラリと俺に視線を向けて来る。その視線に奇異なモノを見る色が含まれている事を感じた俺は、なるだけ、なるだけ優しい笑顔を浮かべて見せた。折角の俺の素晴らしい笑顔に、ハサンの顔が先程以上に胡散臭そうに歪んだ。
「……ええっと……見た事ない顔ですが、野良オークですか?」
「おい!」
なんだよ、野良オークって!
「こら、ハサン。失礼を言うな。こちらの方はマリア・オオモト殿。現魔王、アイラ・マ・オー・エルリアン様のご息女、ヒメ・マ・オー・エルリアン様の……伴侶となられるお方だぞ? 言ってみれば、次期魔王の最有力候補だ」
ラインハルトの説明に、目を点にするハサン。どうだ、ハサン? 野良オークじゃねーんだよ、俺は? 分かったか? 分かったらへん――
「……コレが?」
「――おっけー、分かった。ブッ飛ばす!」
返事はしなくても良い。右の頬を出して、その後に左の頬を出しやがれ!
「し、失礼しました! つ、つい……」
唯でさえ眼光鋭いと評判の俺の視線に、慌てた様にハサンが首を左右に振って見せる。
「そ、その……と、いう事は、そちらにおられる女性の方は……」
恐る恐る、と言った感じ、そう問いかけるハサンに、ラインハルトは茶目っ気たっぷりに笑んで見せて。
「――ヒメ・マ・オー・エルリアン様だ」
今度こそ、仰天した様にハサンが飛び上がって直立不動の姿勢を取った。おい。俺の時と対応が違い過ぎやしねーか?
「し、失礼しました! 私、オーク族モンクの息子、ハサンと申します! ヒメ・マ・オー・エルリアン様に置かれましてはご機嫌麗しゅう!」
ガチガチに緊張し、頭を下げながらそういうハサンとは対照的、恐らく『こういう扱い』に慣れているのであろうヒメは自然に笑顔を浮かべてハサンに言葉を掛けた。
「頭をあげなさい、ハサン。私はヒメ・マ・オー・エルリアンと申します」
「は、はい! 存じ上げております!」
尚も頭を下げ続けたままのハサンに、ラインハルトが苦笑を浮かべながらハサンの頭を掴み無理やりその頭を上げさせる。おい、ラインハルト。なんか『ぐきっ』て聞こえちゃいけない音が聞こえた気がするんだけど?
「こら、ハサン。ヒメ様が顔を上げろと仰ったんだ。不敬だぞ?」
「で、ですがラインハルト様! わ、私の様なモノが、そ、その……」
「全く、お前と云う奴は……ヒメ様? このハサンは私が右腕と頼む、オーク族の戦士です。今はまだ年若いですが、長じた暁には必ずやヒメ様の盾となる逸材でございます。是非、覚えておいてやって頂ければ」
「まあ、そうだったのですか。ハサン、ラインハルトを良く助けているのですね?」
「はっ! い、いえ! え、そ、その……も、勿体ないお言葉です!」
「それ程までに緊張しなくても良いですよ。これからもラインハルトと共に、より良い魔界を作り上げる手助けをお願いしますね?」
そう言ってハサンの手を握り、にっこりと微笑むヒメ。その笑顔に、ハサンは顔を真っ赤に染めて。
「――か、必ずにゃ!」
噛んだ。『にゃ』って。オークが『にゃ』って。
「……おい、ラインハルト。オーク族は人材不足か? あんなんで右腕、務まるのかよ? つうか、お前の右腕が里の入口で歩哨なんかしていていいのか?」
下っ端の仕事じゃねーの、あれ?
「それは発想が逆だ。大事な里の入口の警備、武の立つ者でないと任せる事は出来んさ。里には女子供も居るからな」
「……ああ、なるほど」
そういう考えもあるのか。そりゃ、あっさり里の警備が破られたらそれはそれで問題だよな。
「……にしても、緊張しすぎじゃね?」
「ヒメ様は魔界の王女殿下だぞ? 本来であれば族長か、それに近しい魔族以外はそのご尊顔を拝す事など出来んのだ。緊張するなと云う方が無理だ」
「……王女殿下ですか」
まあ、確かにそりゃそうっちゃそりゃそうなんだろうけどな? 何だろう? 今までが今までだけに、ヒメは『残念』ってイメージしか無いんだが。
「まあ、それは私達とお前の認識の差だ」
「……怒らねーの?」
「何がだ?」
「『私達、魔界の王女に失礼な!』とか」
よくあるじゃん? こう、本人はあんまり気にしていないのに御付の者の方がブチ切れるパターン。ああいうの、ねーのかよ?
「いつでも王女が王女である必要はあるまい。マリアの前では唯の『ヒメ様』であっても別に構わんさ」
そんな俺の言葉に、肩を竦めて微笑を浮かべるラインハルトさん、マジイケメン。
「お前、ぜってーモテるだろう?」
「……」
「……なんか言えよ、おい」
「……私は族長の息子だからな。ヤラしい話だが、地位もある。それだけの話だ」
こ、コイツ、否定しやがらねー! 嘘でも『そんな事はない』とか言うと思ったのに!
「今、分かった。お前はやっぱり俺の敵だ」
「……そんな事で敵と認定してくれるな。想いを寄せて貰えるのが嬉しくないとは言わないが、それでもオーク族に取っては女の興味を引く事になど、大した価値はない。それよりも、大事な仲間を守る方が余程価値があるし、貴い」
「……お前は聖人か何かか?」
「……失礼な事を言うな」
心底イヤそうに顔を顰めるラインハルト。そんなラインハルトに、未だヒメの前で顔面トマト状態だったハサンが上ずった声を掛けた。
「そ、それで、ラインハルト様? ヒメ様と……ま、マリア様? お二方が遠路わざわざオークの里を訪ねて来られたのは……?」
頭に疑問符を浮かべながらのハサンのそんな言葉に、心持顔を苦めるラインハルト。言い難そうなその姿に、溜息を吐きながら俺はラインハルトの代わりに口を開いた。
「オーク族と語りに来たんだよ、俺らは」
「……語りに、ですか? えっと……」
何を? と目線だけで問いかけて来るハサンに。
「『農業、やってみませんか? 意外に楽しいかもよ?』ってな?」




