第十一話 魔王は聖母に祈らない!
『後でちょっと寄らせて貰うから』と言うヒメに連れて来られた部屋は、流石は王城と云うべきか、俺の想像を悠かに超える豪奢さを誇っていた。日本準拠で言えば二十畳程度ある部屋に、全面に意匠の施された鏡台と高そうな机、それに天蓋付のベッドなんぞが置いてある。
「……つうか、天蓋付のベッドって」
俺にお姫様の様に寝ろってか? 流石に絵面が放送事故になるぞ、それ。何考えてんだよ、ヒメのヤツ。
「……こんな豪華な部屋じゃなくていいのに」
根っからの小市民である俺、流石にこんな豪華な部屋はなんだか居心地が悪い。そもそもあの鏡台、なにに使うんだよ? アレか? 朝起きて自分の顔に驚けって事か? 舐めんなよ、ヒメ。今年はまだ、三回しか驚いていねぇよ。
「……さて。それじゃ『ヤル』か?」
そんな益体の無い自身の考えに苦笑を浮かべながら、俺は駅前から着っ放しだったダッフルコートを脱ぐ。皺になるのは勘弁願いたいのだが……
「お! ハンガーあるじゃん」
部屋の中を探索中に見つけたウォークインクローゼットの中にダッフルコートを突っ込み、下に着こんでいたセーターも一緒に放り込む。何か特別な魔法でも利いているの、暖房器具の類が見えない室内なのに思った以上に寒くない事に少しだけ良かったと思い――同時、少しだけ残念に思う。
「……ま、タダでスイートみたいな部屋に泊めて貰ってるんだ。文句は言えねーよな?」
苦笑を浮かべながら、俺は天蓋付のベッドに手を掛ける。そのまま、上の服とジーンズを脱ぎ捨て、ベッドに足を掛けて。
「……ごめん、マリア。ちょっと――きゃあああああああああ!」
――不意に部屋に入って来たヒメに、パン一姿を、見られた。って、ちょ、おま!
「ば、バカ野郎! 人の部屋に入って来るのにノックしないヤツがあるか! こっち見んな! 後ろ向け!」
「ご、ごめん! だ、だって……っていうか、なんでマリア裸なのよ! 後で訪ねるって言ったじゃない!」
「流石にノーノックで入って来るとは思わなかったんですよ、お姫様! いいから、取り敢えず後ろ向け! 直ぐに服を着るから!」
俺の言葉に、慌てた様に後ろを振り向くヒメ。その姿を確認し、俺はいそいそと先程脱いだばかりの服を着こむ。つうか……これ、逆じゃね? 俺がヒメの着替えを除いて『きゃー』とか言われる展開が――ないな、うん。それもどう考えても絵面が凶悪犯罪にしか見えんし。
「……もういいぞ?」
「……う、うん」
俺の言葉に、ゆっくりとヒメがこちらを振り返る。心持、頬を紅潮させるヒメがなんだか色っぽい。
「……え、ええっと……その、ごめん」
「……あ、ああ。まあ、なんだ? その、俺も人の家だってのに配慮が足りなかったよ」
こういう事もあるかも知れない、と警戒をしておくべきなのに、家と同じ対応を取った俺にも非はある。まあ、流石にノックもせずにドアを開けられるとは思っていなかったが。
「ええっと……それで? マリアは何してたのよ? そ、その……は、裸で。しゅ、宗教かなにか?」
「……マッパでベッドに足を掛ける宗教なんて斬新過ぎて誰も入信しないと思うがな。そうじゃなくて……アレだ。筋トレだ」
「……筋トレ?」
「筋力トレーニング。此処には器具が無いから大した事は出来ないけど、それでも腕立てと腹筋、スクワットぐらい出来るからな」
「いえ、筋トレの意味は分かるんだけど……なんで?」
「日課だよ」
このガタイで弱かったら格好も付かんからな。それも含めて毎日してるから……まあ、アレだ。気持ち悪いんだよ、体動かなさいと。
「は、裸で?」
「汗かいたらイヤだろ? シャワーも……あるのかも知れないけど、流石に貸してくれとは言えないからな」
「それぐらい、言ってくれれば用意させるのに」
「遠慮深いんだよ、日本人は」
「そっか」
俺の言葉の何がおかしいのか、クスリと笑って見せるヒメ。その後、居住まいを正し丁寧に頭を下げてきた。なんだよ?
「……その……ごめん、なさい」
「何に対する謝罪だよ、それ」
「こんな事になって……本当に、ごめん」
こんな事って……ああ、ラインハルトとの勝負か?
「気にするな。別にお前のせいじゃねーだろうが」
アレはあのお転婆ママさんのせいだ。ヒメのせいじゃねーよ。
「で、でも! そ、その……私が、魔界に連れてきたせいで……」
「それこそお前のせいじゃねーよ。俺がお前に優しくした結果だろう? そもそも、『魔王』を引き受けたのは他ならぬ『俺』だ。俺の責任を奪うな。俺、嫌いなんだよ。成功してる時は手柄みてーな顔してる癖に、失敗しだしたら『だからやりたくないって言ったのに!』とか言う奴」
結構多いんだよな、そういう奴。
「だから……まあ、全部俺が選んだ、俺の責任だ。お前に謝って貰う事じゃねーよ。『家訓』だしな」
「……『家訓』?」
「『男なら、言い訳するな』」
俺の言葉にポカンとした後、ヒメが泣き笑いの表情を浮かべて見せる。どうでも良いケド、美少女ってどんな顔しても可愛く見えるのって不思議だよな?
「……ホントはね?」
一頻り笑った後、ポツリと。
「ホントは……言おうと思って来たんだ」
「なにを?」
「明日の『試合』が始まったら……直ぐに降参して、って」
「……降参?」
「……ラインハルトは強いわ。オーク自体が戦闘に特化した魔族だし……きっと、ラインハルトと戦ったらマリア、怪我しちゃう。そんなの……そんなの、イヤ」
「……ああ、なるほどな」
スタート直後に降参するって方法もあるか。
「ね? 一度も拳を交える事無く、降参すれば……そうすれば、マリアは怪我をしなくて済むじゃない? それどころか、そうすれば『魔王候補』は終了出来るし……」
……まあな。そうすればイイ事ばかりだろうな。怪我もしないし、なんだか良く分からない『魔王候補』も終了する。俺はそのまま家に帰って、いつも通りの日常を送るだけの話だ。
「でも、お前言ってなかったか?」
――俺は、だが。
「……私?」
「『今の魔界を変えたくないから、どうしても『魔王』になりたい』って」
「……うん」
「ラインハルト、言ってたじゃねーか。魔王に即位したら、今まで通りじゃいかねーぞ、って。それって……まあ、良く分かんねえけど、お前に取ってベストの選択じゃないんじゃないか?」
「……多分。オーク族は、戦闘を好む魔族だから。今のこの、『優しい』魔界は過ごしにくいと思ってるだろうし……」
あの見た目だしな。魔王様の言葉じゃ、魔法だって使えねーんだろうし、知力……つうか、文官系って柄でもなさそうだしな。
「嫌なんじゃないのかよ、そんな魔界?」
「イヤ! ……だけど……」
「……まあ、お前の言ってる事も分かる。戦わずに逃げれば、多分怪我もしねーんだろうな? でもな? それってお前に取って幸せな事にはならないんだろう? 単純に、俺が逃げてるだけじゃねーか」
「……うん」
「目の前の難題から逃げるってのは別に否定しねーけど、それって結局問題の解決にはなんねーんだよ。困難からずっと逃げ続けられる訳じゃねーしよ?」
楽な事ばっかりな人生送れるなら、逃げるのも良いんだがな。残念ながら現実は結構非情だりするんだよ。
「だったら、逃げる訳にはいかねーだろ? しかも今回は肉弾戦だぞ? お前、この体見たら分かるだろうが? 俺、結構格闘技強いぞ?」
「で、でも! 強いって言ってもそれは人間同士の戦いでの話でしょ! オークって、本当に強いのよ! マリアが腕に自信があった所で、勝てるわけないじゃない!」
そう言ったヒメの瞳から涙が零れる。そんな姿に苦笑を浮かべて俺は――柄でも無い事は百も承知だぞ? 百も承知だけど、人差し指でヒメの目元の涙を拭う。
「勝てるなんて楽観的には思ってねーよ」
「だ、だったら!」
「でも……此処で、俺の得意な肉弾戦で逃げたら、なんだか俺はずっと逃げ腰になると思うんだよな。だって得意な事ですら逃げ出すんだぞ? 苦手な事だったら逃げるに決まってんじゃねーか」
割合直ぐ投げ出しがちだしな、俺。
「……でも……相手は、オークだし……今回は例外って事で……」
「その線を何処で引く? 相手がオークだったら逃げても良いのか? 相手がボクシングの世界チャンピオンだったら逃げても良いのか? 相手が武器を持ってたら逃げても良いのか? ああ、相手の強さだけじゃねえな。相手が十人だったら逃げても良いのか? 九人だったら? 八人だったら?」
「……そ、それは……」
「此処で逃げちまうと、俺はドンドン自分で『線』を引きそうだからな。自分に都合の良い様に……『弱い』方に」
所謂、『逃げ癖』ってやつだ。そして、俺は俺自身、そんな自分が許せないからな。
「……だからまあ、コレは俺のケジメみたいなモンだ。魔王様も言ってたけど、殺し合いする訳じゃねーんだしな。だから、お前が気にする必要はねーし……心配スンナ。殴られるのは慣れてるしな。親父の愛の鞭という名の鉄拳制裁で」
「……うん」
瞳に涙を溜めたまま、コクリとヒメが頷いて見せる。なんだかその姿に急に照れ臭くなり、俺はソッポを向いた。
「……まあ、そもそもだな? ヒメみたいな美少女が、俺の勝利を望んでるんだろう? 此処で頑張らないと、男じゃねーだろうが?」
だから、こんな軽口も出て来るってもんだ。
「あ……それとも、ラインハルトと結婚したかったか? 俺、負けた方が良い?」
「そ、そんな事はない! ま、マリアが勝った方が良い!」
おお、イケメン。残念だったな? 今お前、お前の与り知らない所でフラれたぞ?
「……もう」
自身の言葉にこちらも照れ臭くなったか、ヒメが頬を膨らまして軽くこちらを睨む。そんな姿が可笑しくて、俺も思わず噴き出した。最初こそこちらを睨んでいたヒメも、なんだか馬鹿らしくなったのか同じように声を上げて笑い出した。
「……ありがとう、マリア」
「礼を言われるような事はしてないぞ?」
「それでも……ありがとう、マリア」
そう言ってヒメは嫋やかに笑い、徐に膝を付くと俺の右手を取った。
「ヒメ?」
「……だから……貴方に、負けて欲しくないから。傷付いて欲しくないから」
そう言ってヒメはゆっくりと俺の手を上に持ち上げて。
「――――は?」
俺の、右手の甲に、キスをした。
「――っ! ちょ、ひ、ヒメ! お前、何してんだよ! つうか絵面! 世紀末覇者に美女が膝付いてキスって絵面が悪すぎる! 普通逆だ――ああ、ダメだ! 逆だと思ったけど、そっちはそっちで犯罪臭しかしな――って、いってーーーーーーー!」
パニックに成りながら、マシンガンの様に言葉を発していた俺の右手、ヒメにキスされた所に激痛が走る。慌ててそちらに視線をやると、そこにはくっきりと痣が付いていた。
「……え? なにこれ? ヒメ、キスすると痣が出来る能力とかあんの? やだそれこわい」
「な、無いわよ! こ、これは……そ、その、『誓約』の印よ!」
「……誓約の印?」
「魔族が、生涯の伴侶として認めた人間に付ける印の事よ!」
「……ほう」
ヒメの言葉に、しげしげと右手の甲を見つめる。ミミズ腫れの豪華バーションみたいなその印を一頻り見つめた後、視線をヒメに戻す。
「んで? これ、なんだよ?」
「そ、それがあると……その、ま、『魔王』の伴侶として正式に認められるっていうか……その……な、なんていうか……」
「……結婚指輪みたいなもんか?」
「けけけけけけっけ結婚!?」
「一々取り乱すな。それで? この『印』が付くとなんかイイ事あるのか? こう……魔王のチカラが使えたりとか、そういうのが」
まあ、テンプレ物ではそうだろう? 『契約した事により、魔王のチカラが使える』とかさ。勝てないのは仕方ないが、別に負けたい訳じゃないしな? そう思い、少しばかりワクワクする俺にヒメは一つ頷いて見せ。
「右手、見つめて見て?」
ヒメの言葉に、俺は右手をじっと見つめる。
「……おお」
不意に、右手の痣が光りだした。ヒメの瞳を思わせる様な、ブルースカイの幻想的な光にしばし見とれた後、もう一度視線をヒメに向ける。
「……それで? これ、どうなるんだ?」
「……」
「……ヒメ?」
俺の言葉に、ヒメはソッポを向いて。
「……終わり」
「……」
「……」
なんとも言えない沈黙が流れる。永久に続きそうなその静寂の時間を破ったのは、俺だった。
「あ……アホかっーーーーー!!」
夜中だというのに……近所迷惑を考えず、俺は絶叫を放つ。アホか、アホの子か! いや、若干『あ、コイツ結構残念かも……』と思ってたけど、まさか此処までアホの子とは!
「アホとはなによ、アホとは!」
「アホ以外のナニモノだ! あんのか? 右手が光る意味があるのか!」
「で、でも……タイマー付きよ、それ!」
「だから! だから何!?」
「た、例えばカップラーメンを食べようとお湯を入れて、ついつい三分すぎる事があるじゃない?」
「……あるけど」
「そんな時タイマー機能を付けて、右手が光ったらどう? もう、私達は伸びたラーメンを食べなくても良いのよ!」
「どんだけ局地的な需要なんだよ!」
「そ、それじゃ……そ、そう! た、例えば渋谷で待ち合わせをした時など、右手を光らせれば!」
「ハチ公前で光ってる人間なんか嫌すぎるだろうが!」
「や、山で遭難して山岳救助隊に救助して貰う時に!」
「そのシチュエーションに出くわす可能性は俺の人生で数パーセントも無い!」
「女の子を口説き落とす時のムード作りに!」
「逆にドン引きだ! そしてそれは仮にも『伴侶』に言う言葉じゃねえ!」
「お部屋のお供に」
「いらんわ!」
「実は、七色に光る!」
「右手がレインボーって、ただ光るよりも気持ち悪すぎるわ!」
ぜーはーと肩で息をするヒメ――と、俺。なんだこの突っ込み地獄。
「……だって」
んだよ? まだあるのかよ?
「……だって……私には、それぐらいしか、出来ないんだもん……」
「……」
「マリアに、チカラを分けて上げる事も出来ない。マリアと、共に戦って上げる事も出来ない。ママを倒して、マリアを危険な目に合わない様にすることも出来ない」
「……ヒメ」
「だから……私に出来るのは、祈る事ぐらい。『お守り』じゃないけど……どうか」
どうか、マリア、と。
「……怪我だけは、しないで……」
濡れた瞳をこちらに向けて来るヒメ。ったく……このバカが。
「なんだろうな? お前って、実は結構『残念』なヤツだとは思ってたけど……まさか、此処まで残念だとはな」
「ざ、残念!? 私の評価で生まれて初めてなんですけど!」
「そうか? じゃあ、お前の周りの魔族は節穴ばっかだな。いいか、ヒメ?」
耳の穴かっぽじって良く聞けよ?
「――そういう時は、『勝て』って言え」
……男はバカだからな。美少女の声援っつう、たったそれだけで頑張れるんだよ。
「あ……う、うん! 頑張って! 私、マリアが勝てるように祈って――」
「バーカ」
「――る……ば、バカ!?」
「お前、候補とはいえども『魔王』だろうが」
バカだな~、ヒメ。君は実にバカだ。知らないのか?
「――魔王はな? 聖母に祈らねーんだよ」
ドシンと構えて、ただ、『信じ』とけ。




