第十話 最弱のチャンピオン
「ま、ママ!」
俺、ラインハルト、そしてヒメ。誰もがポカンとバカみたいに口を開ける中、最初に正気に戻ったのはヒメだった。
「ん~? なーに、ヒメちゃん?」
「『なーに』じゃなくて! ママ、ママが言ったんでしょ! 私に、日本で『伴侶』を見つけて来なさいって! だから、私はこうしてマリアを見つけて来たのよ? そ、それがなんで、ラインハルトとマリアの一騎打ちになるのよ!」
「だって、ラインハルトの言っている事だって分かるし。確かに、ヒメちゃんの旦那さんになる人にはヒメちゃんを守って貰わなくちゃいけないじゃない? それなのに、ラインハルトより弱かったら話にならないもん」
「で、でも……でも! ママが言ったんじゃない! 私に、人間界で三回優しくして貰えって! 私は約束を守ったのよ! ママもちゃんと約束は守ってよ!」
「ああ、そうね。んじゃ、ヒメちゃん! 私が言ったことは取り消す! いや~、無駄足だったね、ヒメちゃん。めんご、めんご」
「――っ!! な、なに言ってるのよ、ママ! そんなの、認められると思ってるの!」
そんなヒメの怒声に。
「え? 思ってるよ?」
にこやかに笑いながら、魔王様はそう言って見せる。
「ま……ママ? な、なに言ってるのよ!」
「ヒメちゃんこそ何言ってるのよ? 思ってるのかって? バカだな~、ヒメちゃん。思ってるに決まってるじゃん」
だって、と。
「私は『魔王』様だよ? 魔界を遍く統べる、魔族の頂点に立つ女だよ? その私が言った言葉だよ? なに言っても許されるに決まってるじゃん」
絶句するヒメに、笑顔を向けたまま。
「――それがイヤなら、ヒメちゃん? 私に勝てばいいじゃん。私の言ったことが納得できないんだったら、私を倒して、新たな魔王にさっさとおなりなさいな。何時でも挑戦は受け付けるわよ~」
そう言ってヒラヒラと手を振った後、魔王様はラインハルトに視線を向ける。
「ラインハルトだって思うでしょ? 貴方、マリア君の下に付くのが納得できる? 弱っちい、唯の人の子であるマリア君の下で貴方はその武勇を働くの? 貴方が……力に依るオーク一族の族長の息子である貴方が、自身より弱いマリア君の下で。そんなの、貴方は納得できるの?」
「納得……は、出来ませんが」
「じゃあ、異存はないわね? マリア君との一騎打ち」
「は、はい」
言いながら、打ちひしがれた様に俯き拳を握りしめるヒメを気遣う様に見やるラインハルト。その悲痛な姿に心を打たれたか、やがて意を決した様におずおずと口を開いた。
「……その……ですが……よ、宜しいので?」
「宜しい?」
「その……マリアはヒメ様が御自ら選んだ人間です。その様に、魔王様のいちぞ――っ!」
最後まで、喋れない。
「――あれ?」
射抜くような魔王様の瞳に、ラインハルトがその口を閉じる。脂汗を流しながら、必死にその視線の圧に耐えるラインハルトに、魔王様がゆっくりと言葉を続ける。
「ラインハルトまで私の言葉に逆らうつもり? 悪いケド、ラインハルト? 私は貴方にまで『優しく』するつもり、無いよ? 逆らうのであれば――」
「さ、逆らうなど滅相もございません! は、はい! 異存はありません!」
まるで赤べこの様に首をガクガクと上下に振るラインハルト。その姿を満足そうに見つめた後、視線を俺の方に向けて来る。
「それじゃ、マリア君? そういう事になったから」
「いや……なったからって!」
ちょっと待ってくれ? なんだ? 俺、あの誰よりも愛深き故にみてーなオークと戦えってか? 無理だろ、それ!
「んー、もう! なに?」
慌てる俺を、魔王様はジトッとした目で睨み。
「――皆、私に逆らうの? カンジ悪ぅ~」
――そう言って、少しだけ睨んだその視線と眼があった瞬間。
「――――っ!!」
金縛り、なんてちゃちなモンじゃねぇ。心臓を初めとした体中の臓器のその全てが、まるごとぎゅっと握られた様な圧倒的な不快感が全身を襲う。あまりの苦しさに膝を付こうとするも、まるで空間に縫い付けられたかのよう、それすらも叶わない。そんな、まるでなぶり殺しの様な感覚に、立ったまま、苦しいのに、身悶えする事すら許されるままに、俺はのたうち回る。体が、じゃない。心が、だ。
「かっ――はっ!」
「……ん~、ダメだよ、マリア君? これぐらいは、さっきラインハルトも耐えたんだから。そんな弱っちい事じゃ、ヒメちゃんは守り切れないゾ!」
「あっ――かっ――はっ!」
「ん~、ちゃんと喋れないか。でも、まあいっか。取り敢えず、マリア君の意見は聞きませ~ん。コレ、決定事項でーす」
「ママ! もう辞めて!」
「もう……はいはい、分かりました~。それじゃ此処までね」
そう言って、苦笑しながらパンと柏手を打つ。その瞬間、先程までの不快感が消えうせ、ようやく体の自由を取り戻す。肺に入る空気と止まらない汗に、たまらず俺は膝を付いた。
「いま……の……い……った……」
「ヤだな~、マリア君。今のなんてただの金縛りだよ~。ヒメちゃん、使ってないの?」
パタパタと手を振って見せる魔王様に、俺は戦慄を覚える。アレが? アレが、ヒメの金縛りと同じ? 嘘だろ、おい。
「マリア、大丈夫!」
愕然としながら、それでもいう事を聞か無い体で片膝を付いたままの俺に、ヒメが駆け寄って背中を擦ってくれる。くそ……情けねぇ。
「ママ! マリアは魔界に来たばかりよ! まだ、魔界にも、そもそも魔族にも慣れていないのに、なにをするのよ! それに、いきなり勝負なんて絶対にダメ!」
「んー、もう! ヒメちゃんってば! だから魔王の意思なんだって。ヒメちゃんに反対する権利なんてないの~」
「そうだとしても!」
魔王様の視線を跳ね返す様に、強く、強く魔王様を睨み付けて。
「そんな事、この私が認めない! ダメなモノはダメ!」
そう、言い切るヒメ。その視線を受けながら、魔王様は小さく溜息を吐いて肩を竦めて見せた。
「んんん、もうっ! 我儘だな~、ヒメちゃんは」
「どっちがよ! ママの方が我儘でしょ!」
ヒメの絶叫に、やれやれと首を振る魔王様。
「分かった、分かりました~。それじゃ……そうね、一日だけ時間を上げる。今の状態じゃマリア君だって戦えないだろうし、特別にヒメちゃんがサポートする事を許します。それと……そうね。この戦いは『試合』という事にしましょう。どっちかが『参った!』って言うまで戦う。良い、ラインハルト? 命のやり取りはなしだよ。全力で戦ってくれればいいケド、殺すまではしちゃダメよ? これはあくまで『試合』なんだから」
「……ですが、それでは……あ、いえ! これは逆らう訳ではなく」
「分かってる、分かってる。勿論、手を抜けって言ってる訳じゃないから。試合中の不慮の事故なら仕方ないけど、とどめを刺す様な事はしてはいけない、って意味」
「……」
「貴方なら出来るでしょう、ラインハルト? 貴方は、『強い』から」
そう言って、よっと玉間から飛び降りると、魔王様がゆったりとした足取りでラインハルトの傍まで歩みを進める。慌てて畏まるラインハルトの傍まで寄ると、俺たちにも聞こえる様な声で。
「――魔王になりたくないのか、オークの御子よ?」
俺たちにも聞こえるのに……まるで、囁くように。
「魔界七大魔族とはいえ、オーク一族の力なんて全然貧弱だものね? その繁殖力と数の力でどうにか七大魔族の一つに数えられる程度の脆弱な種族でしかないものね? 魔法も使えず、知力だって魔界随一って訳じゃ無い。武辺一辺倒の、ただその戦闘力のみを拠り所にする貴方たちオーク一族が、この魔界を統べる『魔王』になるなんて、とてもじゃないけど出来ないわよね? 貴方達、そう思って生きて来たんじゃないの? 自分たちが魔王になるなんて、そんなもの現実味のない――夢物語だって、思っていなかった?」
ラインハルトの瞳が揺れたのが、遠目でも分かる。
「……はい。思ってきました。そして……それを、悔しい事だ、とも」
「醜く、弱い貴方達は何時だって、魔界で虐げられて来たでしょ? たかがオークとバカにされ、所詮オークと侮られ、どうせオークと侮辱されて来たのでしょう? ラインハルト。オーク一族が『魔王』になる、これが最初で最後で……そして、最大のチャンスかも知れないわよ?」
神々しい、というと、変な話。
だが、詠う様に言葉を紡ぐ魔王様の姿は、神々しいとしか形容出来ない程の威厳に満ちていた。
「――貴方がマリア君に勝てば、私は貴方をヒメの伴侶として認め、そしてその為に全力を尽くす事を約束するわ」
それが、決め手。
「……ほん……とう、ですか?」
揺れていた瞳に、意思が宿る。降って湧いた幸運を確かめる様、ラインハルトが魔王のその蒼色の瞳を見つめる。
「ええ、本当よ? 魔王であるアイラ・マ・オー・エルリアンが認めるわ。貴方を、ラインハルト、オーク族の族長の息子である貴方、次期魔王に推挙してあげる」
「……」
「さあ、ラインハルト?」
「……一つだけ、質問をしても?」
「どうぞ」
「……私の望む魔界の姿は、貴方や、コースケ魔王様が築き上げた魔界の形とは違うものになるでしょう。それでも、アイラ魔王様。貴方は……私を、推挙下さると?」
そんなラインハルトの問いに大きく一つ頷いて。
「――勿論。だって、貴方は『魔王』になるんですもの。魔王は、何をしても許されるの。何を言っても許されるの。何を望んでも許されるの。だって――『魔王』ですもの」
さあ、どうする? と、問いかける魔王様に。
「……やります」
ラインハルトはそう言って、意思の籠った瞳で頷く。その姿に、満足そうに魔王様は一つ俺の方にその視線を向けた。
「そういう事で、ラインハルトはやるって。ああ、言っておくけどマリア君? 逃げようなんて思っても無駄だよ? 地獄の底まで追いかけてやるんだから」
「ママ! さっきも言ったでしょ! 私は――」
「ヒメちゃんの我儘は聞いて上げたじゃん。だからもう、お仕舞い」
「ママ!」
「大体ね? 『ヒメちゃん争奪レース』の暫定王者はマリア君なんだから、逃げるなんて選択肢は無いのよ。恋愛は戦争でしょ? 勝った方が、奪い取るもんじゃん? どうしてもラインハルトがイヤで、マリア君がイイって言うなら……ヒメちゃん? 貴方が何とかしなさいね」
楽しそうに、笑って。
「――さあ、チャンピオン? 精々、私を楽しませてね?」




