九、祖先の実績 四
つまんで引っぱり出すと、漆塗りの細長い箱だった。振るとかたかた音がする。
「念のために、開けて確かめろ」
「良し」
左冠者に応じて蓋を開けると、油紙に包んだ小さな巻物が露わになった。
「これか。二百年前の品にしては、良く保存されているな」
「忍びが丹念に作ったからな。箱も、ちゃんと閉じれば、少しくらい水をくぐらせても平気だ」
「なら、早く帰ろう」
龍左衛門は、箱を閉じてから少し具合を試した。そうして、また水に潜った。
猪牙船のすぐ手前に浮かび、龍左衛門はまず大きく息を吸った。ついで、箱を舟に入れてから桟橋に上がる。
「お待たせし……」
櫛田は、両手で包むように一本の簪を持っていた。地味で鈍い銀色の一本足に、梅をあしらった珊瑚細工がつけてある。
半ば放心したような姿に、龍左衛門は彼女が恋人の姿を心で強く思い描いていると悟った。とはいえ、濡れたままふんどし一丁でいると風邪を引く。鉢巻きを拾ってほぐし、それで身体を拭いた。しかる後に、服を身につけた。そこまでしても、彼女は、素人目にもそれと分かるくらいに無防備だった。
「あ、ああ。龍左衛門。骨折り」
簪を右手に下げてから、櫛田はねぎらった。いつもなら、本当に骨が折れるところでしたよ、とでも冗談を飛ばしたところだ。
「その簪、どうしたんです」
私物なら、立ちいった質問は避けねばならない。反面、仇討ちにかかわるのなら知っておいた方が良い。
「私の持ち物だった」
だった、とはまた微妙な表現だ。
「恋人が養子に行かされる際、私から贈った物だ。これを私と思って欲しいと」
ある意味で、二百年の血判状よりはるかに衝撃を受ける説明だった。
「どうして、それがここに……」
「私が知りたい」
濡れてもいない櫛田の足元で、桟橋の板がかたかた鳴った。人は、純粋な恐ろしさでだけ震えるとは限らない。一度は受けいれたはずの悲劇に、期待や希望が混ざり、それが結局は無意味だったとなる可能性にも震える。龍左衛門は、まさに実地で学んだ。
「可能性は二つ。一つは、恋人以外の何者かがここにもたらした。そして、もう一つは……」
目にも止まらない早さで一文銭を両断した櫛田が、ごく当たり前の推測をずっとためらった。
「生きている。恋人は、生きてここに足を踏みこみ、簪を落とすか置くかした」
自分の左手で、櫛田は両目の端をぬぐった。
軽々に口を開けていいことではない。だから、龍左衛門はじっと黙っていた。黙っているのは河童も左右冠者達も同じながら、心境としてはより強い共感と疑問を抱えていると自覚していた。前者は深掘りするまでもない。後者は、櫛田の身の上や自分の両親とはまた別なところから来ている。
自分はそこまで、一人の人間への想いを煮詰めることができるだろうか。流左衛門時代だったら、逆立ちしてもそんな内省が湧いて来ることはなかっただろう。おふみに雇われ、彼女の抱える痛みと自分のそれが重なり……。櫛田の姿に触れることで、ようやく発芽した。
「それと、すまない。もう服を着たんだったな」
「え」
「目のやり場に困っていた」
「い、今そこですか」
「そこも大事だ。そもそも私は、父の裸さえ見たことがない。弟ならあるが、元服してからはない」
「なるほど」
何がどう、なるほどなのか、我ながらさっぱり分からない。
「さておき、もしお相手が生きていらっしゃるなら、仇討ちもいささか様子が違ってきます」
右冠者が、一同を現実に戻した。
「当然だ。殺すにしても、恋人の生死と居場所をはっきりさせた後になる」
殺すという言葉が、平然と口をついて出る辺り、桐塚への敵意は少しも衰えてない。
「血判状を検めてもいいか」
「はい。というより、櫛田様がお持ちになった方がいいと思います」
龍左衛門は、箱を手渡した。
「そうだな。そうしよう」
「あと、俺も読んで構いませんか」
「差しつかえないといいたいところだが、不本意な事態に巻きこまれかねないぞ」
「そりゃあ、今さらでしょう」
苦笑しながら龍左衛門が答えると、櫛田はうなずいた。箱を開けてたもとにしまい、中身を広げる。
古びた紙に古びた字ながら、確かに血判状だ。『風魔衆を侮った櫛田 頼元ならびにその成果物に、天誅を与える。同志一同、天地神明に誓って裏切るべからず。同志四人に応じて四枚作成』と書かれ、一人一人の名前と血判が並んでいた。幹久を筆頭に、秀座、藤桑、璧弁とある。
「秀座、藤桑、璧弁らはいずれも幹久の同僚で、追放されております」
右冠者は、龍左衛門の左肩から解説した。
「あっ、いつの間に」
龍左衛門は首を曲げて右冠者を見た。相変わらずクソ真面目な顔をしている。
「礼ならもっと素直にいえ」
「礼じゃない、とがめているんだ」
「左冠者に負けず劣らず礼儀を知らない奴。ある意味で、恐れ多くも頼元様を背負っているのと似たようなものなのだぞ」
「どうでもいいだろ、そんなこと。重たいから早くどけよ」
「わしは船頭よりずっと礼儀正しいに決まっている。右冠者こそ、頼元様をかたって図々しい」
左冠者が、龍左衛門の足元で喚いた。
「何をっ。左冠者、日輪があるからといって……」
「桐塚に協力する、風魔衆の子孫はどうしている」
虚しい口論が、櫛田の一言で収まった。
「どうしている、とは」
右冠者が、龍左衛門の肩に乗ったまま聞きかえした。
「桐塚のお忍びには同行しないのか」
「さすがに、そこまでは突きとめておりません。わしは、頼元様のご命令で、子孫のあなた様にお渡しする知識や品を守ってきたのみでございます」
「現代のことは、あくまで現代の私が探って解決しろということか」
「おっしゃるとおりです」
「それじゃ、残る三枚を……」
「そっくり頂くのは我」
予想だにしなかった声が霧のむこうから放たれ、櫛田は急いで血判状を箱に入れてたもとに戻した。
「小豆とごうか人取ってくおうか」
同じ声音でそう告げてから、墨染衣を身につけた四尺ほどの老人……と思しき何者か……が姿を現した。左手に、ざるをはめた丸い箱を持っている。箱からは、しきりにしょきしょきと音がした。
「小豆とぎ。何故ここに来た」
右冠者が、ずっと龍左衛門の肩から降りないまま、冷ややかに尋ねた。
「先ほど伝えた」
そう答えて、小豆とぎは右手で箱からざるを外した。
「危ない、よけろっ」
左冠者が警告する余裕もあればこそ、小豆とぎは箱の中身を水まきのように龍左衛門らにぶちまけた。
「痛っ」
箱の中身がつぶてのように当たり、河童はたまらず桟橋から落ちた。櫛田にも当たるはずだったが左冠者が飛びあがって跳ねつけた。龍左衛門は、自力で避けた。
「何が狙いだ。風魔衆に報酬でも約束されたか」
櫛田が、懐剣を抜いてから厳しく質した。
「風魔衆。そんな連中はどうでも良い」
「血判状がお前にどんな得になる」
「我の投げたつぶてを見よ」
懐剣を構えたまま、なおも尋ねる櫛田へ、小豆とぎは無造作に答えた。
龍左衛門も、櫛田にならい、用心しつつも桟橋に落ちたつぶてへ視線をむけた。小指の爪くらいな大きさをした人の首が、そこかしこに転がっている。おふみなら血の気を失って気絶しただろう。
「小豆は血の色。非業の死を迎えた者の首を縮めてざるに入れ、洗っては箱に収める。それが我の役目」
「こやつ……まともではない」
「俺達は、河童も入れたら三人だぜ。どう奪うつもりなんだよ」
「三人とは、わしらを省いてか」
右冠者が、龍左衛門の耳元で憤慨した。
「つぶてから千栄様をお守りしたのはこのわしじゃ」
左冠者も、味方のはずの龍左衛門に怒っている。
「い、いや、そのなりで喧嘩ってわけにもいかないだろ」
つまらないところで二人をなだめる他なくなる龍左衛門であった。
「ふふん。川を見よ」
自信満々に、小豆とぎが命じた。




