三十三、最後の風魔 五
「そんな、もったいない。というか、水臭いですよ」
龍左衛門は、かえって恐縮してしまった。
「いや、実のところ、私だけでは到底勝てなかっただろう」
無残な屍をさらす鮫を見ながら、近山は明言した。
「それをいうなら、誰が欠けても同じです」
龍左衛門は、嘘偽りなく本音を述べた。
鮫の死体は、桐塚に姿を戻したりはしなかった。
「桐塚のこと……どうなさるおつもりでしょう」
櫛田が、思いだしたように二丁の銃を捨ててから、近山に質問した。
「遊廓に入りびたって行方不明。不届き者につき、所領没収の上で追放……となる」
桐塚は、品川の遊廓通いを隠れみのにして策略を練っていた。遊廓での揉めごとがやられ損というのは、数百年に渡る常識である。
「主はまだ、ピンピンしてるんですよね。どうすればいいんでしょう」
龍左衛門は、そこをぼかして帰る訳にいかない。
「そこで、中断された話の続きとなる。しかし、ここはもうそんな場所ではなくなったな」
狭苦しい上に、鮫の血でべとべとになっているとあっては、一刻も早く後にしたい。
「ならば、出入口の丘の上はいかがでございましょうか」
右冠者の提案に、一同は賛成した。桟橋まで帰っても良いが、いささか遠い。
「私は良いと思う」
近山は即答した。龍左衛門以下も異存ない。
「血判状もお忘れなく」
「無論だ」
近山は、左冠者の助言も踏まえ、干飯袋から血判状の箱を四つ出した。抜かりなく中身も確かめ、無事と理解してから蓋を閉じて懐に入れる。
こうして、一同は丘の中腹まで登った。大きな岩がそこかしこにある、ほどほどに開けた場所だ。各自、好きなように座ることにした。
「まずは、龍左衛門。これを渡そう」
近山は、懐から油紙の包みを出した。幸いにも、鮫の血はかかってない。
受けとった龍左衛門が、油紙を外すと、『茶家見川大鮫縁起』と題名のついた本が月光を浴びた。龍左衛門の親指くらいは厚みがある。海老茶色の表紙は古びているが、まだまだ頑丈だった。
「こ、これは……これこそが……」
不覚にも、声と手が両方震えた。
「そう。原本だ」
「近山様は、どうやって手に入れたんです」
龍左衛門は、まさに譲れないことを問いかけた。
「簡単だ。その本は、私の母親が書いたからだ」
「近山様。そのう……」
衝撃で舌が麻痺した龍左衛門に代わり、櫛田が持ちかけた。
「ああ、お千栄。いいたいことは分かる。結論からいうと、私の母親はのっぺらぼうだ。つまり、風魔衆となる」
「そ、そんな……」
櫛田の顔から、血の気が引いた。これで平気なら、愛だ度量だという前に異常だろう。
「風魔衆にも色々いる。母親は、幹久の直系の子孫なのだ。幹久は、血判状の秘密を、自分の家族にだけ伝えていた。家族は裏切り者の血縁という村八分に耐えながら、秘密を守っていた」
二の句が告げられず、櫛田は立ちあがって両手で自分の頬を抑えた。
「そんなある日、私の母親は、とある武士の子ども……つまり私を身ごもった。細かいなりゆきまでは知らない。ただ、人間との間に子をなしたことで処刑されかけ、里から逃げだした。江戸のどこかに潜伏しながら私を生み、『茶家見川大鮫縁起』を書きあげてから、本と私を人づてに私の父親に渡して姿を消した。その時の私は、五つか六つだった」
近山は、淡々と語った。その横顔を、そよ風が撫でるようにすぎていった。
「もう五十年ほど前の話だ。いうまでもなく、父親はとうに死んだし、姿を消した母親とも、一回も会ってない。それから、私は、顔や姿を変えることは出来ない。ただ、人間離れした寿命を持ち、他のあやかしにも自由に接触出来る」
特に誇る風でもなかった。さりとて邪魔なようでもない。生きるために使える物は使う、という感覚のようだ。
「父親は、私に一通りの武芸や学問を施してから、隠密への伝手を紹介してくれた。風魔衆の歴史については、隠密になってから知った」
「そ、それが、どうして俺の両親と……」
口を挟むのは失礼だが、これが黙っていられようか。
「お千栄のお父様は、茶家見川埋めたてについて、自力で桐塚が黒幕だと見抜いた。それだけでも相当大したものだ。私は、お千栄のお父様のご尽力を知り、人づてに本の題名と概要だけを知らせた。もっとも、川の主のくだりや血判状の真意については差し控えた」
「どうして、じかに渡さなかったんです」
とがめるつもりはないのに、つい声が鋭くなった。
「お互い、相手を良く知らなかった。隠密は、仲間の隠密同士でさえ秘密主義を徹底する。ましてあの時点では、お互い桐塚側の人間だと疑いあってもおかしくない。それでは足の引っぱりあいになるから、失礼を百も承知で、回りくどいことをやった」
「でも、本は流されてしまいました」
「龍左衛門。間接的にしろ、私のせいで、ご両親が亡くなったのは後悔に絶えない。本当に、申し訳ない」
「……」
「龍左衛門のご両親に渡したのは、一部を抜粋した写本だった。川の主はただの伝説という位置づけにしてあるし、血判状は忍び宿の破壊を示しあわせただけの品になっている。でないと、頓珍漢な噴飯物と見なされていただろう」
「写本は、近山様がなさったんですか」
あらかた把握は出来そうなので、仕上げに龍左衛門は聞いた。
「その通り。とにかく龍左衛門のご両親は、お千栄のお父様から依頼された仕事だと明言した。持ち主、つまり私に聞かれたら、はっきりそう答えて構わないとあらかじめいい渡されていたそうだ。それで、私とお千栄のお父様は連携を直接取るようになった。蛇足だが、私の母親については明かしてない」
もっともなことではある。仕事に関係ない。
「こうして、私とお千栄のお父様は、桐塚の野心を一回は挫いた。改めて本の写しを渡すかどうかは、話しあいの末、保留とした」
「二回目に備えて、とある武家の息子という姿を取られたのですね」
櫛田の確認に、近山は深くうなずいた。
「断っておくが、お千栄に武術の鍛錬を頼んだのは、純粋にお千栄のお父様のご意思だ。私がお千栄と結婚する気になったのは、純粋に私の意志だ」
「まぁっ……やっぱり……」
変なところで、櫛田は頬を染めた。河童が呆れて空を見あげる。
「お千栄が知っているところの、私の父親と称する武士は隠密だ。後は、およそみんなが知る通り」
「近山様は、左右冠者や河童のことはご存知だったんですか」
櫛田は、素に戻って大事な質問を重ねた。
「いいや。嬉しい誤算だった」
「風魔衆の四人組は、大阪夏の陣で死んだり裏切ったりした忍び達と関係があったのですか」
「ない。私が、仲間割れを起こしそうな連中を選んで血判状の存在を教えた」
「忍び宿は、川の主と関係があったのですか」
「ない。全て、単に地理的な都合で決まっただけだ」
「良く分かりました。ありがとうございます」
櫛田は、深々と頭を下げた。
「さて。最後の仕上げがある」
近山は、すっくと立ちあがった。
「主ですね」
「そうだ、龍左衛門。渡した本の、末尾の頁を開けてくれ」
「はい」
そこには、平仮名で真言が記されていた。
「血判状は、『茶家見川大鮫縁起』の真言を踏まえねば効果を発揮しない」
その辺の枯れ枝を何本か集めながら、近山はいった。
「じゃあ、風魔衆は結局、血判状を集めても何も出来なかったのかぁ」
河童が、頭の後ろで両手を組んだ。
「そうとも。何をどうしても、私が『茶家見川大鮫縁起』を持っている限り」
言葉を選ばないでいいなら、四人組の風魔衆は犬死にとなる。まして里の面々に至っては、理不尽な結末としかいいようがない。
せめて近山の母親をそっとしておきさえすれば、彼らが全滅することはなかっただろう。反面、もし近山が里の一員として育ったなら。桐塚 重斎は忍び宿をテコに私利私欲を尽くし、日ノ本の政治はめちゃくちゃになっていた。
「滅ぶには、滅ぶなりの原因があるものでございます。豊臣家にせよ、風魔衆にせよ」
右冠者は、苦味の混じった感慨を口にした。
「風魔衆も、元は善良な村人達だったろうに……」
櫛田は、火打石と火口で枯れ枝に火をつける近山を見つめながら呟いた。
近山は、河童に答えてからは無言で、四枚の血判状を出して一枚ずつ炙った。それぞれ本来の文字が消え、何やら平仮名が数行浮かぶ。
「私が、血判状に浮かんだ真言を読み上げる。それが終わったら、龍左衛門が本の末尾にある真言を呼んでくれ。大声を出したり、抑揚をつけたりはしなくていい。棒読みで結構だから」
「はい」
近山の真言を耳にしながら、龍左衛門は、感動とも感慨ともつかない自らの心の揺れを懸命に沈めていた。ほんのわずかながら、恐怖も混じっている。




