三十、最後の風魔 二
桐塚は、敵になるしかない。櫛田を侮っての発言だろうが、せめて上辺だけでも味方になろうと持ちかけていたら。生きのこる目もあったろう。
「手の者とは、風魔衆のことか」
「むっ……」
余裕に満ちた桐塚の態度が、ここではっきりと硬化した。
「人数も当ててご覧に入れよう。全部で四人」
「ぬううっ」
「一人は仲間に射殺された。二人は筏に立てた柱に縛りつけて川に流した。残る一人は、貴公の命運を左右しかねない書類を持っている」
「お、おのれっ。いわせておけばっ」
ことここに至り、桐塚は立ちあがった。
「元々、便利使いされてきた風魔衆は、貴公に恨みこそあれ恩義など微塵もない。護衛を殺したのも、最後の風魔だろう」
「どのみち、風魔は私のいいなりにしかならんのだ。目の前に来たら、洗いざらい吐かせればすむ」
「それを無効にするのが、先ほど述べた書類だ」
「一体、何の話だ」
「私の父に、最後の風魔がそれを届ければ、貴公の命運は粉々に吹きとぶ。何しろ、恐れ多くも忍び宿に火つけしようという風魔衆の計画だ。そんな連中を手下にしているとあっては、貴公も連座して処罰されるだろうな」
川の主云々を桐塚に教えないのは、当然の用心である。また、彼のような俗物には、あやかしよりは公儀からの評価の方が致命的に効く。
桐塚の備える支配力は、ある種の制限がある。特に、抽象的な指示になると衰えるのだろう。例えば、自分に害をなすなと命じても、櫛田の父に書類を届けること自体は害にならない。その書類を煮ろうが焼こうが櫛田の父の勝手だからだ。
だいいち、桐塚の護衛を殺したのが最後の風魔であれば、桐塚本人に対してのみ支配力の効き目があるとしか判断できない。
「わざわざわしに告げずとも、黙って待てば良かっただろうが」
「私は、どうしても近山の生死をお前から直接尋ねないと気がすまなかった。そして、近山を害する意志を明確にした以上、私はお前をここで倒す。どのみち、天下の大罪人に変わりはない」
「どれほど腕に自信があるやら知らんが、図に乗るのもほどほどにしておくがいい。おいっ、そこの船頭」
介添え役に徹するつもりだったのに、いきなりお鉢が回ってきた。左右冠者は船底に伏せているので、桐塚からは見えない。
「何です」
「さっさとここを去れ。今なら、お前は見逃してやる」
「お断りします」
桐塚が生きのびたなら、どんな手段を使ってでも鯉志をつきとめ、口封じに殺すのは見え見えだった。
「ふんっ、ならばまとめてあの世に送ってやる」
「お前など、私一人で充分だ。抜けっ」
櫛田は脇差を抜いた。
桐塚は、右手で刀の鯉口を切ろうとした。櫛田が心持ち身体を沈めた直後、桐塚の右手は懐へと滑り、短筒に似た物を出した。最後の風魔が使っていたそれよりずっと小さく、火縄も用いない。代わりに、火打石を先端につけた、親指ほどの大きさの金具が引き金の横についている。銃であること自体は、龍左衛門にも理解できた。
櫛田が斬りかかる前に、桐塚は引き金を引いた。金具の火打石が、火皿に取りつけたもう一方の金具を削るように滑り、火皿の火薬に点火する。桐塚の手から煙が吹いたように見えたが、いうまでもなく錯覚で、火皿への点火が銃身内の火薬に伝わったものである。
弾丸は、櫛田の胸を直撃した。彼女はうめき、膝をついた。
「ぐぐっ……と、飛び道具とは……」
「お前ごとき小娘にはもったいないが、相当な手練れのようだからな。安心しろ、急所は外してある。だが、刀を振るうどころではあるまい」
桐塚は、筒先から昇る煙を吹きけし、懐に収めた。そして、さらに新たな銃を出した。短筒もそうだが、一回に一発しか撃てない。弾丸を込めなおす余裕がないなら、装填済みの銃を別個に用意するのが当たり前だ。
「おい、船頭。こやつを縛れ。舟の中なら縄ぐらいあるだろう。さもなくば、今度こそ頭を撃ちぬく」
「顔を洗うとでもいって、水を口に含んで行け」
左冠者が、小声で助言した。
「あんまり仰天したんで、汗まみれです。顔を洗わせて下さい」
「まあ、良かろう」
「ありがとうございます」
龍左衛門は、舷から身体を乗りだし、ざぶざぶと顔を洗った。怪しまれない程度に、水を口に含んでおく。それから縄と鋏を持って、一人で舟を出た。
河童が駆けつけてくれればありがたいが、その気配はない。ひょっとしたら、最後の風魔と水中で格闘しているかもしれなかった。河童のことだから、三度のしくじりはないはずだが、一刻も早く櫛田を治して欲しいところだ。
龍左衛門は、心の中で詫びつつ、櫛田を縛った。桐塚が監視しているので、下手な小細工は出来ない。
「ご苦労。では、褒美をやる」
桐塚は、龍左衛門の頭に銃の狙いを定めた。その瞬間、口の中の水をぶーっと火皿めがけて吹きつけた。
引き金を、引くことは引いた桐塚だが、龍左衛門が突拍子もない行動に出たせいで意表をつかれ、狙いがそれた。おまけに水のせいで火薬が湿り、まともに点火できない。それでも弾丸は発射され、勢いのぬるい状態で龍左衛門の頭をかすめた。痛くもかゆくもない。
「この野郎っ」
龍左衛門は、鋏を桐塚に投げた。銃でそれを弾いた桐塚だが、龍左衛門は飛ぶように間あいを詰めて桐塚の横っ面を思いきり殴り倒した。悲鳴も上げられず、桐塚は背中から倒れる。
龍左衛門は、桐塚に馬乗りになり、何発も何発も顔を殴り続けた。櫛田を撃っただけでも万死に値するが、少なくとも結果として両親の死にかかわっているのも憎しみを加速させている。
「龍……左衛……門。その……くらいにして……縄を解いて……くれ」
櫛田の弱々しい願いが、ようやく龍左衛門の拳を止めた。
「す、すみません。すぐに」
虫の息になった桐塚から離れ、龍左衛門は鋏を拾うや否や、櫛田の縄をすぐに切った。
「うううっ……」
よろめきつつも、櫛田は自力で立った。
「血、血を止めないと」
「いや……血は出てない」
「え……」
櫛田は、懐から簪を出した。くの字に曲がっている。
「これが、弾丸を……そらしてくれた。痛みは……きついが、耐えられない……ほどではなくなった」
「何と……大したお守りですね」
「感心……は……後だ。桐塚を……縛って……おくんだ」
「はい」
ついさっきとはあべこべに、桐塚が拘束された。とうに気絶している。
「こうなると、最後の風魔と対決しなくちゃいけませんね」
「河童が……心配だ……しかし、こちらから……水中に潜るのは……まずい」
そこは、龍左衛門も異論ない。唯一の救いは、四つめの血判状が、最後の風魔に渡った気配はいまだにないことだった。
「左右冠者も、とりあえず来てくれ」
もはや、舟に残っていても意味がない。二人はすぐに駆けつけた。
「危険を承知で、とにかく河童を探すか」
龍左衛門は、すぐにでも川に入りたかった。
「いや、似たような手口が一回あった。今度は……」
水しぶきを散らして、河童が桟橋に自力で上がって来た。右手には、最後の風魔を下げている。既にぐったりしていた。
「最後の風魔、やっつけたよ」
誇らしげに河童は告げ、魚でも横たえるように、最後の風魔を投げ落とした。
「殺したのか」
龍左衛門は反射的に聞いた。
「いや、気絶してるだけ」
「お前が一人で倒したのか」
我ながら、いささか失礼な質問をよこしてしまった。
「へへっ。まあね」
「せっかくの手柄に失礼だが……風魔がなりすましているのではないだろうな」
櫛田は、慎重に言葉を選びつつ、妥協しなかった。
「じゃあ、好きに確かめなよ」
それほど気分を害したようでもなく、河童は認めた。小豆とぎや磯女のくだりを二、三質問して、正真正銘の本物であるとはっきりする。
「疑って……すまなかった」
「俺も」
櫛田と龍左衛門は、頭を下げた。
「いいっていいって。それより、最後の風魔をどうする」
物にまで化けるのであれば、縛っても意味がない。究極的には、殺すしかない。気絶しているとはいっても、それほど時間はないだろう。
「龍左衛門を……危うく殺しかけた……奴だし、どのみち死は……覚悟しているだろう」
「おっと、こいつの前に、櫛田様の傷を解決しないと」
今更ながらに、龍左衛門は気づいた。
「いや……平気だ」
「強がってる場合じゃないですよ。河童、すまんが頼めるか」
「お安い御用だ」
「いや……その……弾丸の当たったところが……」
櫛田は胸を撃たれている。
「あ……す、すみません」
つまらないへまをやらかし、龍左衛門は詫びた。
「いや……心配は……かたじけない。ただの……打ち身だ」
櫛田はそれで良いとして、とにかく、最後の風魔。
「とどめを刺すしかないか」
龍左衛門は、他に思いつけなかった。




