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霧にさおさしあやかしつく夜  作者: マスケッター


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二十五、焼け石に舌 五

「仮にそうでも、道具がないだろう」

「いや、そうでもないよ」


 河童は、素手でやすやすと桟橋の床板を一枚剥がした。


「ま……まあ……その……ケガのないように」


 呆れかえった櫛田は、ごく凡庸な一般論でしめくくった。


「ほいきた。じゃあ龍左衛門、板を重ねて縛って」

「分かった」


 話がまとまると、龍左衛門も動きが速い。


 風魔衆二人を乗せるための、即席(いかだ)は、あっという間に完成した。桟橋は半分以上なくなってしまったが、この際仕方ない。


 筏には、柱が二本立ててある。龍左衛門は、二人をそれぞれ柱に縛りつけた。『進水』は、さすがに元いた桟橋からではやりにくい。しかし、どこの船着場でも複数の桟橋があるので、隣に行けば済んだ。


 河童と二人がかりで隣の桟橋の端まで運び、一度降ろしてから竿を持って来た。


「じゃあ、行くぞ。せーのっ」

「せーのっ」


 筏を水面へ落とした。柱の風魔衆の、鼻先辺りまで筏は沈んだが、すぐに浮きあがる。龍左衛門は、竿で筏をつつき、本流に乗せた。あとは、海まで行こうが砂浜に座礁しようが、彼らの運次第だ。残る一人の風魔は、もうすぐここの忍び宿に来る。秘密の出入口が陸地にある以上、入れ違いになるのは分かりきっていた。つまり、仲間に助けられる可能性はほぼない。第三者に助けられたとしても、いくら顔や姿を変えたところで、異常な状況に変わりはない。噂が噂を呼び、彼らの仕事を妨害する不確定要素となる。二人が自害しても効果はない。


 それでも、龍左衛門達にとってはぎりぎりの選択だった。無慈悲というなら、いきなり殺しあいを仕掛けてきた風魔衆こそ無慈悲だろう。少なくとも、生きている限りは、二人にもほんのわずかな名誉挽回の可能性がある。この後どうなるかまでは責任が持てないし、そのつもりもないが。


「風魔衆の目的は分かりましたが、血判状をどうします」


 流れさっていく筏を見ながら、龍左衛門は櫛田に聞いた。


 風魔衆が、ただ自分達の解放のためだけにそれを集めているなら、むしろくれてやっても良さそうなものではある。


「いや。やはり集めたい」


 そう答える櫛田の横顔は、寂しそうでもあり、厳しそうでもあった。


「親御様の手助けで、ですか」


 繊細な問題なのは百も承知だ。ここからはいっそう、目的意識を共有しないと連帯が乱れる。命がいくつあっても足りなくなるだろう。


「そうではない。近山様の真意をただしたい」


 櫛田の目的は、一つもぶれてない。


「やっぱり、生きていらっしゃると思ってるんですね」

「ここまで証言がそろったら、疑う方がおかしい」


 櫛田は、我知らず胸の上で両手を握りしめていた。簪こそ出していないが、心の中では出しているに違いない。


「血判状を集めるなら集めるで、これまでよりも、はるかに命がけになります。いざって時に誰かが死んでも、やめたりくじけたりはしませんか」


 ついさっき、風魔が風魔に殺されたばかりである。


「しない。私一人でも続けるし、帰りたければ帰るといい」

「つれないことをいわんで下さい。ここまで来たからには、つきあいますよ」

「おいらも」

「当然ながら、わしらも」


 龍左衛門以下は、本音を述べた。


「そこまでしてもらっても、私には支払える報酬がない」

「いや、三両も頂戴してますから」


 それもまた、龍左衛門の真意である。仕事云々というより、自尊心の問題だった。


「おいら、好きでくっついてるだけだし」

「これ、言葉を選べ」


 右冠者が河童に小言を垂れた。河童は肩をすくめただけで終わらせた。


「わしらはあなた様のご先祖との約定ですので」


 左冠者は、事実を口にした。


「そうか。ならば、まさに乗りかかった舟だな」


 龍左衛門の仕事になぞらえて、櫛田は軽く笑った。


「粋な洒落ですね」


 龍左衛門も笑った。


「おいらは泳ぎだけど」

「河童……」


 右冠者が静かな怒気を言葉に込めた。


「もちろん、櫛田様のために命がけで頑張りまーす」

「かたじけない。それで、血判状の位置は分かるのか」


 櫛田は、右冠者の説教を中断させた。


「はい。基本的に、どの血判状も同じように隠しております」

「じゃあ、また泳ぐか」

「おいらも」

「待て。あと一人の風魔が、どこから来るかわからん。河童は、川底の岩をどかせたら、すぐ桟橋に帰れ」


 左冠者が、適切な想定をした。


「おいら抜きで大丈夫かい」

「心配するな。箱を取ってくるだけだ」


 龍左衛門は胸を張った。右冠者には悪いが、櫛田に河童がついてくれるのは非常に心強い。さっきのような奇襲も、用心して二度はやられないだろう。


 見得を切りつつも、おふみをつい思いだしてしまった。真剣ではあるものの、櫛田のように、一途に恋してはいなかったと自覚している。おふみは、鯉志の経営を安定させることに頭がいっぱいだし、弟の死についてもじっくり落ちついて受けいれたいだろう。それが分かるからこそ、龍左衛門も踏みこめないでいる。


 綱男の雨笠が、鯉志の壁に残っている限り、龍左衛門はおふみに近づきたくとも近づけない。櫛田を助けていけば、少しは隙間を埋められるのだろうか。


「ぼつぼつ出発するぞ」


 左冠者が、両足を屈伸させながら催促した。


「おっと、服を脱がなきゃな」

「頼む」


 櫛田は後ろを向いた。龍左衛門はふんどし一丁になり、川に飛びこんだ。


 水底のからくりを作動させるところまでは、一回目の要領をおさらいして進んだ。河童は手を振って浮上し、龍左衛門と左冠者は隠し穴を進んだ。


 血判状を入れた箱は、龍左衛門の覚悟とは裏腹に、すぐ見つかった。長居する筋あいはない。速やかに、隠し穴を経て桟橋に帰った。そして、予測してはいたが、まさかとも思っていた事態に出くわした。


 短筒を構えた男が、櫛田と河童と右冠者を牽制している。龍左衛門と左冠者は、それと知らずに櫛田の側に上がってしまった。


 厄介なのは、短筒の銃身が一つではないことだ。台座には、二つが水平に据えてある。つまり二連発。距離は三間ほどか。櫛田と河童が同時にかかっても、どちらか一人は確実に銃殺されるだろう。右冠者は、踏み板の上で、迂闊に動けない。


「おっ、役者がそろったか。血判状の回収、ご苦労だった」


 短筒の男は、龍左衛門を挑発した。


「最後の風魔か」


 ふんどし姿で、右手に血判状の箱を持ったまま、龍左衛門は確かめた。


「ああ、そうだ。さっさと血判状をよこせ」


 龍左衛門は、奥歯を噛みしめた。これまでの風魔衆は、なるべく姿を見せず、いわば搦手から攻めるようなやり方をしてきた。二連短筒があるとはいえ、こんな正面きったやり方を取るとは。


「どのみち、血判状がお前らの手に負えるとは思えないな」


 龍左衛門は、時間稼ぎだけでそういったのではない。船頭をしていると、仕事の流れというものを毎日体感する。上手くいきそうな時も、その逆も。


 風魔衆の悲願は理解できるが、彼らは流れに沿えてない。沿えていれば、これほど強く超人的な能力を持っている以上、とうに血判状をそろえている。二連短筒で、それが修正できるとは到底思えなかった。むしろ、ますます自分らの首を絞めているようにすら感じられた。


「余計な世話だ。お前から殺してもいいんだぞ」


 最後の風魔は、銃口を龍左衛門につきつけた。


「やむを得ない。龍左衛門、血判状を彼に渡せ」


 櫛田は、苦渋の決断をした。


「ならば、わしらが引きうけます」


 左冠者が志願した。『ら』というからには右冠者も。


「つまらない小細工をしたら、ふんどしと女を撃つ。この距離なら眉間を外さないからな」


 河童の血も、即死してしまえば意味をなさない。そこを、最後の風魔は突いた。

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