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霧にさおさしあやかしつく夜  作者: マスケッター


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二十一、焼け石に舌 一

 舟が出てすぐ、三つめの桟橋も霧に閉ざされて見えなくなった。


 西陽は、地平線に辛うじて頭頂を残しているようだ。霧を透かして幾筋かの細い光が、水面に吸いこまれている。


 磯女のこともあり、念入りに周囲を警戒しながら、龍左衛門は舟を操った。


 そのお陰かどうか、やけにあっさりと四つめの船着場が間近になった。誰の姿もない。桟橋の下にでも隠れて、不意討ちを狙う手もあるが、河童からは何もいってこない。順当に進めば、血判状を回収し、線香を上げてここでの用は終わる。


 舟が桟橋につくと、櫛田はすぐ降りた。左右冠者も後を追い、龍左衛門は錨を降ろして舳先を桟橋に固定した。河童も川から桟橋に手をかけた。


 ここまでしても、つぶて一個浴びせてこない。


「まずは血判状だな」


 聞きなれない声が、背後から寄せられた。


「ああ、ちょっと泳いで……ええっ」


 無意識に、かつ反射的に答えた龍左衛門は、振りかえって仰天した。


 桟橋の、川に当たる方の一端。その真上にあたる空中に、大きな赤い口と舌がぱっくり開いている。龍左衛門さえ一呑みに出来そうな寸法だ。上唇の上には獣じみた低い鼻があり、さらに上にはぎょろっとした丸い両目がらんらんとこちらを睨んでいる。首から先は霧にまかれていてはっきりしない。口の横には、鉤爪のついた手とも足ともつかない『()』が招き猫よろしくおいでおいでをしている。一応、指は五本あるらしい。一本一本が三尺はありそうだが。そして、顔も指も、茶色がかった緑色の毛にびっしりと覆われていた。


赤口(あかくち)……よりにもよって」


 右冠者が、いつの間にか龍左衛門の足元に来ていた。


 龍左衛門も、本で読んだことはある。はっきりした説明は覚えてないものの、右冠者の口ぶりから、いない方がいいあやかしのようだ。


「どうした。血判状を手にするのだろう」


 赤口は、重ねて呼びかけた。喋りおえるとまた口を開けた。


「お前が口を閉じなければ、行けるものも行けないぞ」


 右冠者は、半ばなじるように答えた。


「どういうことだ」


 櫛田が、龍左衛門の隣に来て尋ねた。


「こやつが口を開いていると、周囲数十間で何かしらの不幸不運が起こるのです」


 右冠者が伝えると、龍左衛門は肩を落とした。これ以上、話をややこしくしないで欲しいというのが本音だ。


「なら、閉じてもらえば良かろう」

「熱いから嫌だ」


 櫛田の提案を、他ならぬ赤口が一蹴した。


「熱い……どういうことだ」


 櫛田の疑念に、赤口の口の中がめらめらと燃えあがった。


「なら、川の水でも飲めよ」


 面白くもなさそうに、龍左衛門が勧めた。


「いくら飲んでもすぐ熱くなる」

「じゃあ、せめてよそへ行っちゃいな」


 河童も、龍左衛門と同様、まだるっこしいやり取りは苦手だった。


「どこに現れてどこに消えるのか、自分でもままならん」

「始末が悪い奴だな」


 呆れはてた龍左衛門は、両手で頭を抱えた。


「とはいえ、まだ我々には何の凶事も起きてないぞ」


 ざばっと水から上がる音がして、一同の視線が赤口から外れた。


 上半身裸で、股引をはいて頭に布包みを縛りつけた男が、桟橋に這いあがる。若く、初めて見る顔だが、どこか龍左衛門の記憶に引っかかるものがあった。


 わずかな時間差を置いて、さっきの忍び宿で銃殺された忍び……いや、のっぺらぼうを思いだした。顔はまるで別人ながら、微妙な表情の変化が似ている。もっとも、龍左衛門は商売柄、人を観察する機会に恵まれている。その経験あったればこその話だ。


「誰だ、お前ら」


 半裸の男は、一同に聞いてきた。


「お前が誰だ」


 龍左衛門達は、全員で聞きかえした。


 半裸の男は、口論などせず、頭から布包みを外した。


「やる気だ、こいつ」


 緊張も露わに、河童が叫んだ。櫛田が脇差の柄に手をかける。


 半裸の男は布包みから棒手裏剣を出そうとして手を滑らせた。棒手裏剣はそのまま水中に落ちた。無表情なまま、半裸の男は布包みを足元に置いた。しゃがんで二つめを出そうとしたら、足を滑らせ、仰向けに転んでしまう。


「ぷっ。あはははははははっ」


 河童は腹を抱えた。


「笑っている場合ではないぞ」


 右冠者が厳しくたしなめた。


「だ、だって、クソ真面目にすげー間抜けなことやってるし」

「つまり、赤口の能力は誰に対しても当てはめられるということか」


 櫛田が冷静に理解した。


「このままじゃお互いらちが開かない。赤口をどうにかするために、手を組まないか」


 ようやく起きあがった半裸の男が、なかなかに興味深い提案をしてきた。


「なら、お前の正体をはっきりさせろ」


 即座に櫛田が条件をつけた。


「俺が答えたら、お前らもそうするか」


 半裸の男もまた、負けじとやり返した。


「お前が余すところなく正体を晒せばな」


 櫛田の言に、半裸の男は自分の目鼻を自分の顔に埋没させた。口と耳だけは残っているが、余計に不気味だ。


「これで説明になっただろ」


 顔を元通りにして、半裸の男はいった。


「風魔衆の一人ということか」


 なおも櫛田は手を緩めない。


「その通り」

「さっきの忍びを撃ち殺したのはお前か」


 仮に櫛田の想定通りなら、輪をかけてややこしい事態になる。


「さあね。今度はそっちの番になるんじゃないかい」


 目鼻のないまま、のっぺらぼうは要求した。


「良かろう。私の名前は櫛田。元川舟改役の櫛田家を出奔して来た」


 櫛田に続き、龍左衛門達は各自一言ずつ自己紹介した。


「さて。お前達が知ってるかどうかは知らんが、この赤口って奴は酷い厄介者だ。しかし、口を閉じさせれば退散する」

「みんなで取りついて、無理矢理やらせるってのは駄目なのかな」


 河童が一番安直な発想を持ちだした。


「さっき、こやつが足を滑らせたのを笑ったのはお前だろう。赤口の周りで試されたことは、大抵失敗するのだ」


 右冠者にあっさり否定され、河童はむくれて桟橋の足場を軽く蹴った。途端に河童も仰向けに転んでしまった。


「ぶはははははは、人を笑っておいて何だそのザマは」


 のっぺらぼうに笑いかえされ、河童はぶすっとした顔で起きた。


「とにかく、些細な動きでも損するように仕向けられるのだな」


 櫛田は口に手を当てて考えこんだ。


 こうなると、手詰まりである。ぐずぐずしていると、桐塚を逃がしてしまう。


「それにしても、どうして口の中がそんなに燃えているんだ」


 何か糸口が欲しくなり、龍左衛門は赤口に尋ねた。


「覚えてない」

「覚えてないんじゃなくて、思いだしたくないだろ」


 のっぺらぼうが口を挟んだ。


「知ってるのか」


 素で龍左衛門は驚いた。


「ああ。少しだけ」

「やめろ」


 赤口は、眉に(しわ)を寄せた。


「お前は、鎌倉幕府が滅んだ時、北条家の御家人だったにもかかわらず味方を裏切った」

「やめてくれ」


 赤口の懇願ぶりは、恐ろしげな風貌と似ても似つかない。


「それを非難した神職を、神社ごと焼き殺して、神罰が当たってこうなった」

「やめてくれーっ」


 赤口は、口から炎の塊を吐いた。それは一同の頭上三間ほどのところへ昇り、すぐに消えた。かすってもいないが、龍左衛門の額には汗が浮かんでいた。


「どうせなら、地獄にでも閉じこめておけばみんな迷惑せずにすんだのに」


 河童の主張は、少々勝手な反面同意したくもあり、龍左衛門は小さく笑った。


「ああそうとも。俺はろくでなしの没義道(もぎどう)だ。何百年も忌み嫌われながらさまよってる。でもな、これで生きてくしかないんだよ」

「開きなおればいいってわけじゃない」


 あやかしというより化け物だ。龍左衛門は、嫌悪感を隠さず言葉にした。


「ふんっ、俺の口が閉じない限り、お前達はずっとここで立ち往生だ」

「最低」


 河童も、遠慮なく論評した。


「お前はずっとそのままでいたいのか」


 静かに櫛田が聞いた。


「そんなはずがあるか」

「お前の口ぶりだと、そのままでいたくてたまらないと思えたがな」


 情け容赦なく、櫛田は追いうちした。


「どうしてそう思えるんだ」

「他人が不幸になればなるほど、お前の溜飲は下がるからだ。案外、神罰ではなくて、自分からそうなったんじゃないのか」

「黙れ」

「さっき河童が足を滑らせた時も嬉しそうだったしな」


 黙れといわれて黙る櫛田ではない。


「黙れといってるだろう」

「お前こそ静かにしたらどうだ」

「うるさい、指図するな」

「なら聞くが、笑える機会があれば笑うのか」

「ああ笑ってやる。いっておくが、通りいっぺんの与太話では怒りだすぞ」


 はっと龍左衛門は気づいた。力ではなく智恵だ。会話は普通に成立している。そこに突破口がある。

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