二十、岩に柔肌 八
となれば、さっきの緊張は徒労だったことになる。安心……とはいかないが、ほんの少しは落ちついた部分があるのも事実だった。
「図星のようです」
右冠者が判定した。
「人に化けているのか。正体をはっきりさせろ」
櫛田が問いつめると、忍びの顔がなくなった。目や鼻が、肌に吸収されていくかのように消えていく。
「のっぺらぼうだったのか」
龍左衛門としては、初めてお目にかかる。察するに、他の仲間達も同様だろう。
「どうして、のっぺらぼうが忍びになった」
櫛田は、尋問を続けた。
「風魔衆は、最初からのっぺらぼうの集団だった」
目鼻をさっきまでのように戻してから、忍びは答えた。
「桐塚もそうなのか」
「いや、桐塚はただの人間だ。偉くはあるが」
偉くはあるがという口調からは、さほどの敬意を感じなかった。
「のっぺらぼう以外のあやかしは、風魔衆にいるのか」
「いない」
小豆とぎや磯女は、無関係だと判明した。
「こんな能力があれば、どうにでも逆らえるはずだろう」
「無理だ。桐塚は、先祖代々、茶家見川の主から力を借りて我々を支配している」
「主とは、安倍晴明が生きていたころの、大鮫か」
櫛田から、両親の求めた書物にかかわるあやかしの名前が出てきた。誇らしいような物哀しいような気分になったが、そんな感傷を表に出すべき時ではない。
「そうだ」
「大鮫が、のっぺらぼうを支配するとは、どのような仕組みだ」
「大鮫は、生身が死んだ時、日ノ本中の怨みや呪いを集める磁石のような存在になった。我々は、箱根の山奥で平和に暮らしていたのに、室町三代義満の時……」
のっぺらぼうは、奥歯を頬に浮くほど噛みしめた。
「南朝の残党に襲撃され、皆殺しになった。特に、男は老いも若きも面をそがれた。憎くてされたのではなく、面白半分にそうされた。我々の怨みを大鮫が吸い寄せ、のっぺらぼうにして世に放った。我々はまず、自分達を殺した連中に報復した。頭目が一人だけ生きのび、大鮫に力を借りた」
「大鮫が、生身の人間に力を貸すのか」
「業の深い者なら貸す。そこからは、頭目の手駒だ。時代に応じて、仕える相手を変えてきた。最終的には、徳川家の配下となった」
少なくとも忍びをさせられた根源については、気の毒としかいいようがない。そこで、内心気づくところがあった。
小豆とぎも磯女も、元は人間だった。あやかしには、そうした者もいる。殺されるのが人間かどうかで、はらはらしたり安心したりするのは……本音にせよ……ある種の自分勝手な傲慢さだ。わざわざ他人に喋るつもりはないにしろ、反省すべきはせねばならない。
「頭目とやらの子孫が桐塚か」
「そうだ」
「お前達はのっぺらぼうになったのに、頭目はただ人間として生きかえったのか」
「そうだ。我々を支配する力はあったが」
「主が、お前達にそんな差をつけた目論見は何だ」
「知らん」
「では質問を変えよう。桐塚やその先祖は、どうせなら将軍にでもなれただろうに」
「極端に責任の重くなる地位にはつかない。そういう用心は代々受けつがれている」
が、桐塚は用心を捨てて野心をむき出しにしている。いよいよ捨ておけなくなった。
「ならば血判状は、むしろ主からの解放を目指して作ったのか」
「最初はそうだった。裏切者がいて、中途半端になった」
「裏切者とは誰だ」
「名前は……」
銃声が轟き、忍びの側頭部に親指ほどの穴が開いた。かっと目を見開き、鼻と口から血を流して忍びは即死した。
「鉄砲だっ」
右冠者が叫び、櫛田の胸にへばりついた。これは、次の銃弾から彼女の心臓を守ろうとする行為である。同じ理由で左冠者は櫛田の頭にかぶさった。
かすかながら、走る音が螺旋階段の方から漏れて来る。
「待てっ、慌てるな」
勇んで足を踏みだそうとした龍左衛門と河童を、左冠者が制した。
「だって、撃った奴が逃げるよ」
「それを見越して罠を用意しているかもしれん」
不服げな河童に、左冠者は説いて聞かせた。
「俺とお前で、螺旋階段の安全を確保しよう」
龍左衛門が持ちかけると、河童は嬉しそうにうなずいた。
二人で螺旋階段に行くと、取りたてて異質な点はないように思えた。
「ちょっと覗いて見よう」
河童が持ちかけたので、龍左衛門は同意し、二人で両手両膝をついた。慎重に螺旋階段の穴の縁から顔を出すと、底に近いところにまき菱が撒かれていた。
「左冠者のいうことを聞いて良かったな」
龍左衛門は、まき菱を見ながらいった。
「うん」
「俺が降りて、まき菱を払っておく。上から見ていてくれ」
「良しきた」
龍左衛門は、螺旋階段をゆっくり降りた。手で触る気になれないので、足で地下通路の隅に蹴りだしておく。
そこで、はたと迷った。拘束されていたとはいえ、忍びの頭を一発で撃ちぬくような手練れが、こんな露骨な妨害だけで満足するのか。むしろ、より大きな仕掛けを隠しているのでないのか。
「降りてきてくれ」
「うん」
河童はすぐ背後まで来た。
「まだ何かあるかもしれん。ここから先は、お前の方が目がいいだろ」
左冠者がいないと、螺旋階段から少し隔たったらたちまち暗くなってしまう。
「へへっ。まかしときなって」
張りきって、河童は地下通路の端まで視線を走らせた。
「細い糸と……弓矢がある。糸に足がかかったら矢が放たれる仕組みだ」
「やったな。じゃあ外そう」
「合点承知の助」
こうして、二つ目の罠も解除できた。
「もう仕掛けはないよ」
「どうやら大丈夫そうだな。俺が呼んでくるから、すまんがここを見張っていてくれ」
「ああ、行ってこい」
龍左衛門は螺旋階段を昇った。
「櫛田様、もう大丈夫です」
「やはり、細工があったか」
左冠者が尋ねた。龍左衛門は簡単に説明し、礼を述べた。
途中で気づいたが、撃たれて死んだ忍びの目は閉じられていた。櫛田か左右冠者のどちらか、いちいち確かめはしないが、無残な様相がわずかながらもましになった。
「では、ここを出よう」
「はい」
櫛田の決断を得て、龍左衛門は回れ右した。
地下道で河童と合流し、蔵へと繋がる螺旋階段の下端まで来た。
「待て。わしがまず様子を伺う」
左冠者が、螺旋階段に踏みこんだ。龍左衛門達は、黙って見守った。
「大丈夫じゃ。龍左衛門から上がってこい。櫛田様はその後で」
龍左衛門は軽くうなずき、地上に出た。竿を拾っていたら、櫛田達も時間をかけずにやって来た。
「まずは桟橋へ行きたいです。舟が心配ですから」
忍びが殺された経緯からして、龍左衛門は舟の具合を何よりも先に点検したかった。
「わしも同感です」
左冠者が即座に応じた。
「分かった。では、進もう。あと、右冠者はそろそろ降りてくれ」
「これは失礼」
右冠者は、蔵の床に降りた。
こうして、一同はようやく桟橋まで帰ってきた。舟は何事もなかったかのようにたたずんでいる。
「舟底は、おいらが見てくるよ」
まさに河童の独壇場だ。
「助かる」
龍左衛門も、ためらいなく感謝した。
河童は即座に川へ飛びこみ、龍左衛門は竿で軽く舟のあちこちを突いた。ぐらぐら動きはするが、浸水はしない。どこをどう取っても、かすり傷一つない。
「舟底、異常なしだね」
水面に顔を出し、河童が伝えた。
「それにしても、忍びを殺した奴はどこの誰なんだか」
龍左衛門は腕を組んだ。
「こんな状況で忍び宿に出入りするからには、ましてやわしらではなく忍びを狙ったからには、同じ風魔だろう」
右冠者が、明確に断定した。
「関係ないあやかしの可能性はないのか」
龍左衛門は、なおも納得したかった。
「鉄砲まで使って忍びを殺す必要がない」
「なら、どうして味方を撃った」
「秘密を漏らしていたからだ。もっとも、最初は打ちあわせか何かで合流するつもりだったのだろう。偶然、わしらの尋問にでくわし、速やかに方針を切りかえたということになる」
「救出も試みずにか」
「わしらは五人いる。忍びが一人で来たなら、どう考えても分が悪い」
「慈悲もクソもあったもんじゃないな」
「それが忍びだ」
「風魔なら風魔として、何人いるのか分からない奴らと戦うことになるのか」
櫛田が質問したのは、無論、臆病風に吹かれたのではない。相手の戦力も不明なまま闇雲に突きすすむのは、愚か者のやることだ。
「いえ……先ほどの忍びは、死ぬ直前、裏切者がいたと口にしておりました。それに、まとまった勢力が加わっているなら、とうに我々の命は消えております」
「そういやあ、忍びが殺されてからは、罠はあっても俺達を直に攻撃しては来なかったな。舟も無事だし」
龍左衛門も、一度飲みこめば理解が早い。
「そういうことだ。殺された忍びは桐塚の手の者だった。となれば、風魔衆の中でも、桐塚が動かせる人数には限りがある。多くとも、せいぜい十人いるかいないかだろう」
「そこまで絞りこめるものなのか」
「風魔は日ノ本中に名の知られた忍びだ。それが、逆にいうと、数の少なさに繋がる。風魔衆全体でなら何百人かはいるのだろうが、こんな重大な仕事を任せられる者は、ほんの一握りにすぎん」
「なるほど」
控えめにいっても、一定の説得力がある意見だ。
「次の桟橋で、その十人なら十人が待ち構えている可能性はどのくらいだ」
櫛田は、あくまで現実に根ざした判断を追求した。
「そこは、さほど心配いりますまい」
「どうして」
「近山様が生きてらっしゃるからです」
右冠者は、まさに櫛田の急所を突いた。
「ど、どうして……そうなる」
「近山様が、血判状にかかわっているのはもはや明らか。桐塚の手勢は、大半が、近山様の捜索に当たるほかございません」
「ならば、私が一つ一つの桟橋を訪れる度に、彼奴らは撹乱されるのだな」
「御意」
「ならば、早く次へ……の前に線香を上げねば」
慌てていい直し、櫛田は線香と香炉を出した。河童も、一度桟橋に上がった。
これで、鯉志で済ませた分も含めると、三つめがすんだ。二つめに比べて、危険も困難も予想をはるかに超える重さだった。
引きかえに、得たものも大きい。何より、近山が生きている可能性が非常に高くなった。いや、思う存分力をふるってさえいるであろうことも。
風魔衆がのっぺらぼうの一族で、血判状を使って主の力から抜けることを望んでいた。それを、桐塚はどこまで知っているのか。近山と会えば、かなり正確な事実を掴めるだろう。そこでようやく、両親が求めた『茶家見川大鮫縁起』の位置づけもはっきりする。
線香が燃えつき、櫛田は香炉の処置をすませてからしまった。
「四つめに行こう。これまでよりずっと難儀するだろうが、覚悟は良いか」
「櫛田様、失礼ですが、聞くだけ野暮ですよ」
龍左衛門は笑っていった。
「そうだったな。では頼む」
櫛田も笑った。




