十六、岩に柔肌 四
今度は、河童が背中を守っているのではない。煙侍がその気になれば、一太刀で終わる。だからこそ、本気で激怒している櫛田を説得する気迫が生まれる。
「落とし物ですよ、櫛田様」
龍左衛門は、簪を彼女に見せた。
「しまった。私としたことが……」
「こんな異常ななりゆきなら、仕方ないです。ましてや、小豆とぎとのいきさつといい、誰でも忍耐の限界に来ます」
「気遣い無用。これしきのことでへこたれていては話にならない」
「でも簪は置いておけないでしょ」
「だから刀を収めろとでもいうのか」
「磯女は、俺達がむかっ腹を立てるような仕掛けと、素で刃傷沙汰を起こす仕掛けとを使い分けているんですよ」
龍左衛門は、磯女の一連のやり口からまとめた結論を明かした。
「多分、俺の背後にいる煙侍を殺したら、櫛田様に大きな災いが振りかかるようになっているはずです」
「放っておくのか」
「根っこを断つことが肝心だって……」
説得を重ねながら、ふと気づいた。
「右冠者、ここには忍び宿への秘密の出入口があるんだよな」
「そうだが、それがどうした」
秘密の出入口は、当然、地下道に至る。磯女は、座っていた岩を川底から剥がされて打撃を受けた。
「櫛田様、まず、床に脇差を突きたてて下さい」
「何故そんなことをする」
「お手間はかかりません。俺の考えが間違っていたら、ここをどきます」
櫛田は、床を片膝をついた。脇差では短かすぎて、そうしないと切っ先が届かない。
思いきりやると、切っ先が欠けるかもしれないので、櫛田は軽く当ててからおもむろに力を入れた。
「痛いっ」
磯女の悲鳴が、誰の耳にも届いた。そうなれば、櫛田は決断が早い。ずぶずぶと切っ先を沈めていく。
「ぎゃあああーっ。や、やめろーっ。痛い痛いーっ」
脇差が半分ほど食いこんだところで、辺りの風景が一変した。
龍左衛門達は、桟橋にいる。荒く息を継ぎ、うつ伏せになって手足を痙攣させているのは磯女。
「なぁんだ、みんなここにいたんじゃないか」
甲羅に切れ目が入っているにもかかわらず、河童は拍子抜けした声を出した。
「とどめを……」
「待って下さい」
またしても、龍左衛門は櫛田を止めた。
「この期に及んでまだためらう理由があるのか」
櫛田は、とにかくこの不快極まりないあやかしを抹殺したくてたまらない。
「まだ聞いておくことが残ってます。それがすんだら、俺はもう差出口を叩きません」
それでなくとも、不可解なことばかりだ。どうせあと二つの船着場でも、似たようなことがあるなら、探ることは全て探っておきたい。
龍左衛門がそう考えるのは、忍びや目明かしのような観点からではない。心によぎったのは、綱男……おふみの弟の遺品となった雨笠だった。
綱男は一流の船頭だが、わがままな客に押しきられて死んだ。あの時、綱男は天気が荒れるのを予測していた。しかし、客から横車を押されることまでは予測できなかった。普通、そんなことまで探れるはずがない。綱男に何の落度もないのは、分かりきっている。
探りとは、ただ探るだけではない。入手した事実について、様々に角度を変えて考察を重ねるのも、広い意味での探りだ。
綱男は、法度にでも触れない限り、客の依頼を断らない主義だった。だから、厄介客にどう対処するのかといった知見には、ほとんど興味を示さなかった。一つには、船頭という仕事は火消しとならぶ江戸の華である。つまり、客だからと図に乗った態度を取る人間が、ほとんどいなかったことからも来ていた。
いうまでもなく、おふみにそんな理屈は絶対いえない。あくまで客観的な考察として、自分の頭の中だけで終始している話だ。
「いいだろう」
櫛田は、柔軟な賢明さを示した。
「ありがとうございます。磯女、そろそろ起きろ」
起きろという時に起きないと、櫛田からの制裁が待っている。だから、彼女は両手で身体を支えながら起きた。胸の傷は開いたままだし、左肩にも親指の先端くらいな穴が開いている。やはり、血は出ていない。
「俺の質問に答えてもらう。まず、近山様は何を目的として、お前に血判状を教えた」
「取引きだった。あたしは、教えてもらった代わりにこの船着場に面した船宿と忍び宿を守ることになっていた」
「なら、どうして俺と血判状を交換したがった」
「川の主にもちかけられた。近山との約束を反古にして、自分に力を貸せば、血判状よりもっと良い物をやると」
「もっと良い物」
龍左衛門は、にわかには想像できない。銭や豪邸の類でないと察しがつく程度だ。
「男の魂。あたしの足元にあった男ども。川の主から贈られた」
「岩みたいに見えたのは」
「幻にすぎない」
「川の主は、どうして男の魂なんかをたくさん持っていたんだ」
「大鮫は、川の主になってから何百年もの間に、川で死んだ人間の魂を集めていたから。男だけではない」
「そんなことをして、あいつに何の得がある」
「集めれば集めるほど、人間を操る力が強くなる。そして、自分の遺骨を掘り起こさせ、復活する」
「復活してどうする気だ」
「海の帝になる」
「海の帝……」
話が飛躍しすぎる。まるでピンと来ない。
「海を手前勝手に牛耳るということじゃな」
左冠者が、ここで初めて自分の所見を述べた。
「そう。逆に、誰かが血判状をそろえると、帝どころか下僕にさせられる」
「なら、話がまとまった時点で、血判状なんて破り捨てたら良かったじゃないか」
龍左衛門は、鋭く質問した。
「そういわれた。あたしは、あいつを完全には信用できなかった。それで、あと一人男の魂を手に入れられたら、血判状を廃棄すると川の主に持ちかけた。あいつは承諾した」
「俺達がお前のいいなりになったら、血判状を渡すつもりだったのか」
「いいや。お前達の目の前で引き裂くつもりだった」
龍左衛門は、櫛田をちらっと見やった。無言無表情のままだ。
「仮に、川の主からの持ちかけがなかったら、どうするつもりだった」
「他の持ち主達と血判状をそろえ、川の主に願いごとを叶えてもらうつもりだった」
「願いごと」
「あたしの場合は、裏切り者への制裁だ」
「裏切り者とは」
「あたしは、島原の乱に参加して原城にたてこもっていた」
龍左衛門が生まれる百年以上前の話だ。当時の肥前島原藩主だった、松倉勝家の課しためちゃくちゃな重税とキリシタン弾圧が、一揆を起こした。一揆勢はまたたく間に四万人近い数に膨れあがり、廃城であった原城を修復してたてこもった。一年ほどで乱は鎮圧され、一揆勢の大半は戦死か処刑された反面、幕府側も八千名以上の死傷者を出している。
「じゃあ、お前はキリシタンだったのか」
「違う。遊女だった。出島の近くにいた」
「乱に加わった理由は」
「馴染み客の浪人から、原城にいくのでお前も来てくれといわれた。あたしは、その浪人に惚れていた。だから応じた。でも、城が落ちる少し前、その浪人はあたしを見捨てて幕府に降参した」
全滅したとされる反乱勢も、実際には、最後の決戦までに降参したり逃亡したりする者が一定数いた。
「城が落ちた時、あたしは裏にある崖から身投げして死んだ。でも、気がつくとこんな姿になっていた。男という男を、あたしは憎み、誘惑しては殺して死体を積みあげた」
「どうしてわざわざ江戸まで来たんだ」
「九州の男に飽きた。どうせ殺すなら、江戸の方が良い。見栄っぱりで派手好きな連中ばかりだし」
「来たのはいつだ」
「つい最近だよ。どうせお化けになってしまったんだし、百年かけてのんびり来た」
津々浦々で男を餌食にしながら……とは、聞くだけ野暮だ。
「近山様とはまともに交渉したのは何故だ」
「これまでのどの男にもない、誠意と勇気にあふれた人間だったから。いっておくと、惚れたんじゃない。その逆さ。惚れる必要がない。あたしは初めて、男だ女だを離れた立場で自分を見てもらえたんだ」
櫛田が、はっと目を見開いた。なるほど、櫛田ほどの実力と人格の持ち主が愛するからには、磯女が語るだけの下地があって然るべきだ。図らずも、磯女は、近山の一面を正確に把握していたことになる。
「にもかかわらず、結局お前は近山様を裏切ったな」
「ああ、そうさ。何たって、島原であたしを裏切った男の魂をもらえるんだから。あいつ、はるばる江戸まで来てたんだ。品川の遊女に入れこんで、当の遊女のヒモに殺されてたのさ。ちょうど、この川で」
「川の主は、この川で死んだ人間の魂なら好きにできるのか」
龍左衛門は、櫛田以上に自分の手足が震えるのを意識した。もしそうなら、両親と会う機会がどうにかして生まれるかもしれない。だいいち、磯女は、幻術とはいえ二人を登場させている。
「さあね。裏切り者はそうだった。でも、一から百までそうなるとは確かめてない。いっとくけど、あんたらに見せたのは、あくまであんたらの頭の中にあった思い出や後悔からこしらえた虚像だから。あたしの力で」
「そうだったのか」
何ともいえない、虚しい脱力感に襲われかかった。だが、一人で悲嘆に暮れているわけにはいかない。
「でも、近山が生きているのは、多分間違いないね」
「ほ、本当か」
櫛田は、手にした脇差を放りださんばかりに食いついてきた。
「あたしだってあやかしのはしくれだ。あんたが持っている簪から、わずかなりと感じるんだよ。生きている人間の気配を」
そうだ、返すのを忘れていた。とはいえ、後で良い。
「近山様は、最初からお前がここにいると知った上で接してきたのか」
「知らない。ただ、話しかけてきたのは向こうからだった」
自分や櫛田ではない人間が、どうやって……。そこは、さすがに本人に聞かねばならないだろう。
「近山様は、簪をわざとここに落としたのか」
「それも知らない。あたしも、お前が持ってきてようやく知ったくらいだし」




