十一、祖先の実績 六
「はるか昔、まだ安倍晴明が生きていた時分の話になる。瀬戸内海で暴れた大鮫が、鮫狩り衆に追われた。どうにか関東まで逃げのびた大鮫は、さらに圧迫され、苦しまぎれに陸地を食いながら山へ登ろうとした。しかし、すぐに力つきて死んだ。それが茶家見川の由来で、大鮫の魂は今も川底に潜んでいる」
「いくら苦しまぎれだからといって、魚が陸地を食うって筋が立たないぜ」
龍左衛門からすれば、まるで信用できない。
「山の神になれば、もはや魚でなくなる。だから、退治されることはないと踏んだのだろう」
「鮫狩り衆はどうしたんだ」
龍左衛門はなおも聞いた。
「大鮫が死んだ証拠として、背びれを切り取り持って帰った。それ以上のことはしてない」
「それにしても、いくら大鮫だからって、陸地を食えるわけないだろう。砂でも飲んだのならまだしも」
「鼻先から尻尾の端まで、二十五町あった」
「はあああっ」
茶家見川そのものの長さと同じ。龍左衛門は、船頭として川の長さを頭に叩きこんでいるだけに、仲間達より驚きの質が違った。
「物の例えで、元は海賊か何かが当時の役人にでも倒された話だろう。歳月を経て、誇張されたりすりかわったりしたということではないのか」
櫛田が、大鮫よりはずっと理解できる推察を述べた。
「血判状を四つ集めれば、自ずと白黒つく」
「大鮫のおの字もないのにか」
暖かみの欠片もない、櫛田の指摘にも、小豆とぎは動じなかった。
「炙りだしをすればいい」
「子どもの忍術ごっこだな」
「信じないのは勝手だ。どのみち、炙りだしをしても紙は傷まない」
「仮に血判状を四枚そろえて、川の主とやらを操るようになったら、お前は最終的にどうするつもりだった」
「この生首どもを供養する」
「供養だと」
尋問を重ねる櫛田が、ここで明らかに虚を突かれた。
「この連中は、大阪夏の陣で討ち死にした亡者だ。陣営に関係なく、敵も味方もいる。我は、あの当時、城の近くにあった寺の破戒僧だった。死者の身ぐるみを剥いで売り、博打の借金を清算しようと目論んでいたら、死者の怨念が当たってこんなあやかしになってしまった」
「そんなきっかけであやかしになったとは、初耳じゃ」
左冠者が思わず呟いた。
「あやかしだって、親から生まれるもんだろう」
河童も首をひねっている。
「わしらのように、気づくとそうなっていたあやかしもいるから、一概にはいえん」
右冠者の意見が、龍左衛門にはもっとも納得できた。
「我は、罰として、縮んだ生首を清めさせられる破目になった。その内に、生首から箱へと怨念が凝りかたまるようになった。それ故、箱を粗末に扱うと、手当たり次第に祟る。我は、川の主の力で、箱の中身から自分からみんな成仏させたいと思った」
「襲ってきた時のお前は、とてもそんな殊勝な様子に思えなかったが」
納得しさえすれば、櫛田は切りかえが早い。尋問が再開された。
「我は、箱に集った怨霊に、心を半ば操られていた。しかし、幸いにも、完全に乗っとられたのではない。怨霊はお前達に打ちやぶられ、もはや以前のような力はなくなっている。だから、我も怨霊も、もうお前達を害しはしない」
「血判状の秘密を知った手だては何だ」
「死者の中に風魔衆が一人いた。死ぬ間際に、血判状のことを伝えてから息絶えた」
「その者の名は」
「秀座」
血判状にあった名前だ。
「忍びが名を明かすのは、よほどのことでなければならない。一応いっておくと、わしらは大鮫云々の時代にはまだ生まれていない」
右冠者が、間接的に小豆とぎの主張を補強した。
「おいらも」
河童も認めた。
「一応、話は掴んだ。ちょうど、線香を……」
と、ここで櫛田の台詞が止まった。川に落ちたのだから、ずぶ濡れに決まっている。寒いせいだろうか、わずかながら震えていた。余りにも非常識なことが次から次に続いたせいで、ごく当たり前な現象が誰の頭からもすっかり忘れられている。いかに残暑のしつこい時分とはいえ、放っておくと櫛田は風邪を引いてしまうだろう。
「もう一度忍び宿にいけば、着がえから線香から、一通りはそろっているはずだ。わざわざ水中を進むまでもない。本来の出入口は、陸地にある」
右冠者の説明は、龍左衛門にとってもありがたい。
「なら、さっさと用事をすまそう」
龍左衛門は、一刻も早く櫛田に乾いた服を身につけて欲しかった。いくら強いといっても、客の安全に責任を持つのは船頭の役目だ。
「結局、小豆とぎをどうする」
河童が、自分の足元にあったざるを軽く蹴った。
「我が知っていることはみんな喋った。頼む。箱に戻してくれ」
「また襲われちゃたまらないぜ」
龍左衛門は、自分だけなら放置すると確信している。
「戻したら、お前達はどうなる」
「我は正気を回復しているし、怨霊はもう力がない。だから、この川辺で生首を洗う」
「やめてくれよ、傍迷惑な」
ゲンが悪いにも程がある。龍左衛門からすれば、よそでやって欲しい。
「我の姿は、普通は人目に触れない。それに、お前達のお陰で、ようやく人間だった頃の本道へ復帰できそうだ。川の主のことは、もうどうでもいい」
「どうします、こいつを」
「願いのままにしてやろう」
髪の毛先から水を滴らせたまま、櫛田はかがみ、箱を拾った。
「じゃあ、おいらも」
河童が、散らばった生首を手でかき集めだす。
「川に落ちた生首はどうする」
右冠者が尋ねた。
「それはもう仕方ない。残った分だけでもお願いし申す」
小豆とぎが答えると、左右冠者も作業に加わった。龍左衛門も、かすかに溜め息をつき、両足を桟橋につけて生首を拾い始めた。
そう長い時間はかからなかった。見いだせる限りの生首を箱に入れると、霧に紛れて、どこからともなく小豆とぎがやって来た。元の姿になっている。
「心からお礼申し上げる」
小豆とぎは頭を下げ、櫛田から箱とざるを受けとった。無言で桟橋をたどり、また霧の中に消えた。
「小豆とごうか首を洗うか、しょきしょき」
そんな鼻歌だけが聞こえてくる。
「時間が惜しい。忍び宿には、私や龍左衛門でも出入りできるのか」
「普段ならいささか困難ながら、わしらがお力添え致します」
右冠者が頼もしく請けおった。
「そうか。なら、案内してくれ」
「はい」
「じゃ、俺が先頭になります」
櫛田以下は、龍左衛門を追う形になる。
「河童、わしを肩に乗せてくれ」
「うん」
河童が左冠者に協力した。
相変わらず、霧は最低限の視野を残して垂れこめている。
龍左衛門は、右冠者の指示に沿って歩いた。
「幹久も、追放ですんだのか」
櫛田は、歩きながら聞いてきた。
「はい。本来なら打ち首のところ、頼元様が格別のお慈悲を示されました」
「でも幹久は、感謝どころか血判状まで作って仕返しを目論んだ、と」
河童が、両手を頭の後ろで組んだ。
「これ、河童。わしの話を勝手に先どりするな」
「同じ話を二百年くらい聞かされてるから、いい加減はしょりたくもなるよ」
「まあ、そういってやるな。右冠者にすれば、これが唯一の楽しみじゃ」
左冠者が河童の肩を持った。
「うぬっ、いわせておけばっ」
「わー、怖い怖い」
河童がわざとらしく、両手で自分の頭をかばった。
「先を急いで欲しいのだが」
櫛田が要望すると、あやかし一同は静かになった。
「着きました」
思ったより長くかかった。龍左衛門達を、半壊した鳥居が迎えた。石でこしらえてはいるが、左半分は見えない力で叩きつぶされたかのように崩れている。
「ここは知ってる」
思わず、龍左衛門は声に出してしまった。
「おいらと龍左衛門が、相撲取ってるところだ」
河童が背後から、龍左衛門の気づきは誤りではないと保証した。
「そして、私が隠れていた場所でもある」
櫛田も、強い因縁を感じているのだろう。
「案内しておいてこう申し上げるのも何ですが……。血判状はともかく、忍び宿は、できれば使わないにこしたことはございません」
右冠者は、遠慮しつつも明かした。
「我々の痕跡が残るからか」
櫛田はすぐに察した。
「ご賢察の通りでございます。しかし、この際、お召し物は動きやすいものにした方がよろしいかと。龍左衛門、そのまま進むのだ」
「良し」
龍左衛門は、右冠者と共に、率先して鳥居を抜けた。短い参道を経て、干からびた手水舎を横目に、拝殿の前へと至る。
河童とは、ここで相撲を取った。当然ながら、今はそんなことをしている場合ではない。
拝殿は、鳥居と同じように、半分が崩れていた。残る半分は、瓦も壁も一応まともに残っている。
「私は、この拝殿に隠れていた」
「左様。裏にある枯れ井戸が、出入口となります」
櫛田が来る前、鯉志の桟橋で河童から聞いた話を龍左衛門は思いだした。
「全ての忍び宿の出入口が、この井戸なのか」
「いいえ、ここからは、あくまで二つ目の忍び宿としか繫がっておりません。他の忍び宿も、それぞれ別な出入口を備えております。ただ、血判状の隠し場所は大して変わりません」
「つまり、その度に俺は水泳するわけか」
冗談めかして龍左衛門が混ぜ返し、河童が軽く笑った。




