1.宇宙飛行士OB会の記者会見
田中飛行士が2度目の宇宙滞在を始めてから2か月後の事であった。
それは日本宇宙航空研究開発機構(JAXA)の会議室で行われた。
宇宙飛行士OB会の記者会見は、異様な空気に包まれていた。集まった報道陣は、普段の和やかな会見とは違う、ピリピリとした緊張感を察知していた。
OB会長であるベテラン宇宙飛行士、佐藤は、ゆっくりと、しかし確かな重みのある声で語り始めた。
「私は、地球を、宇宙ステーションから見てきました。皆さんが日々暮らしているこの星は、驚くほどに美しく、しかし、驚くほどに脆いのです」
佐藤は、スクリーンに地球の映像を映し出した。
「たった一枚の薄いベールのような大気で、地球は守られている。ほんの僅かな汚染や温度の変化で、そのバランスは簡単に崩れてしまう。私たちが宇宙から見たのは、その崩壊の始まりでした」
佐藤は、壇上で静かに、しかし、熱を込めて語り始めた。
「宇宙から見ると、日本の農地はパッチワークのようです。しかし、そのパッチワークが年々、小さくなっているのが分かります。減反政策…なぜ、自国で食料を生産する力を自ら削いでいるのか? 宇宙では、食料は命そのものです。ほんのわずかなクランブルも、無駄にはしない。なのに、この国の政府は、豊かな土地を遊ばせて、食料自給率を下げる愚かな政策を続けている。これは、飢餓という形で、将来世代への責任を放棄しているに他なりません」
彼の言葉は、会場の報道陣の心に深く突き刺さった。
「そして、地球温暖化対策。政府は、CO2排出量削減目標を掲げ、国際社会に約束しました。しかし、宇宙から見ると、その約束が、ただの『絵に描いた餅』であることが分かります。工場から排出される煙、車の排気ガス。それらは、確実に地球を覆う大気を汚染し、異常気象を引き起こしている。あなた方は、この目で見たことがあるだろうか? 巨大なハリケーンが、都市を飲み込む姿を。それは、地球の悲鳴なのです!」
その時、会見場の扉が激しく開かれた。
政府の広報官と、内閣府の担当者が、険しい顔で乗り込んできた。彼らは、報道陣の前に立ちふさがった。
「会見を中止してください! 宇宙飛行士OB会の発言は、国民に無用な不安を煽るものです!」
広報官は、声を荒げて叫んだ。
「これらの発言は、宇宙飛行士の職務を逸脱した、根拠のない憶測です! 政府の政策を批判する意図的な扇動行為であり、断固として認められません!」
しかし、佐藤は、微動だにしなかった。彼は、冷静に、しかし、強い眼差しで政府の担当者を見つめた。
「根拠? 私の目は、この地球を、この目で見てきた。あなた方は、地上で、パソコンの画面の数字だけを見て、机上の空論を語っているだけだ。私たちが話しているのは、数字ではない、この星の命運なのだ!」
佐藤の言葉に、会場の報道陣は、シャッターを切り続けた。
「我々は、ただ真実を語っているだけだ。あなた方には、その真実を受け止める勇気がないのか!」
会見場は、怒号とフラッシュの嵐に包まれた。
この日を境に、宇宙飛行士OB会と政府の対立は、国民を巻き込む一大論争へと発展していくことになる。そして、この対決の裏に、田中飛行士の失われた記憶が絡んでいることは誰も知らなかった。