【第7章 4話】
光輝の様子はいつも通り。
防御力も運動性も優れない服装。
ともすれば無気力にさえ感じる気だるそうな顔。
ただ違うのは目だ。
真っ赤に充血している。
「コーキ、泣いていたのか?」
「そういうのを聞くんじゃねえよ。
ったく、お前はデリカシーに欠けるよな」
「すまない。悪かったな」
光輝が人を殺めたのは初めてのはず。
相手の命を絶つというのは、言葉で表しきれないプレッシャーがある。
やはり自分がやるべきだったかと思うが。
「クゥ・リンもテルティウスも消えちまったからな。
あいつらのこと、好きだったんだよな。
プロとして情けないのは解ってるが、やっぱ応えるんだよ」
槍が手からこぼれる。地面に落ちて派手な音を立てた。
それほどのショックだった。
マルグレットにとって戦いは日常の一部だ。
死は身近なところにある。
もちろん、友人や知人が亡くなるのは辛い。
だが、それは彼らに生き残る力が不足していただけ。
悲しいが、ある種の割り切りがある。
いや、割り切らないと生きていけなかったのだ。
そして、それは誰しも同じと思っていた。
ヴァルハラは英雄の集う場所。
とにかく戦い、沢山の屍を乗り越えた戦士達ばかり。
親しい相手でも、ひとりの死はひとりの死に過ぎない。
それが普通の考えのはず。それなのに。
それなのに、この自称殺し屋は友人の死を心から悲しんでいる。
「マルグレット、どうした?」
「……お前は私が消えても悲しんでくれるのか?」
「冗談でも下らないことを聞くんじゃねえ。
死ってのは敬意を持って遠ざけるもんだ」
憤りがこもっていた。
その口調にマルグレットは答えを感じ取り、そして思い至る。
「あの賢者が言ってたのは、これか」
光輝が持つ他のエインヘルアルにない貴重な特性。
それは他者への情の深さだ。
先天的なものではない。
武器を取らずに生きていける、平和で愛溢れた世界。
そこで成長することで育まれた、他者への慈愛。
言うなれば底抜けのお人好しさ。
エインヘルアルは高い戦闘力を持つが故に、突き詰めれば孤独だ。
そんなエインヘルアルにとって、倒れれば心から悲しんでくれる人がいる。
最期まで身を案じてくれる人がいる。
これは大きい。
簡単には諦められなくなる。そして、その意識は大きな力に繋がる。
バラバラのエインヘルアルが、一丸となって戦う時がくれば、自ずと中心に立つことになるだろう。
「変なことを聞いた。すまなかったな」
光輝は「なんだよ。素直で気持ち悪いぞ」と露骨に身を引く。
その態度に微笑を返しながら槍を蹴り上げ掴む。
軽くひと振り。
石突きで光輝の額を叩く。
痛みに蹲るのに目を細めつつ、ふんと鼻を鳴らした。
「優しく撫でただけだ。大袈裟な奴だな」
「くそ。筋肉バカの優しさが理解できねえぜ。
ま、いいや。それより真面目な話だけどな」
表情を引き締める。
「流歌の話で解ったと思うが、ヴァルハラにも敵が潜んでいる。
生き残った俺達は狙われると考えておいた方がいい。
ヴァルハラで仕掛けてくるような無謀はしないと思うが、任務やコンペ中は気を抜けなくなる」
「やはり、そうなるか」
黒く禍々しい刀身。塩の山になったふたりの少女。
断片的な負のイメージが脳をよぎる。
胸を押さえつけられるような圧迫感。だが。
「だからどうした。お前が守ってくれるんだろ」
自身の言葉に不思議と心が落ち着いた。
光輝は一瞬面食らったようだったが、直ぐに不敵な表情に変わる。
「そうだったな。俺はお前を守るよ。
どんな手を使っても、な」
「私はお前の敵を討つ。どんな手を使っても。
どこに問題がある?」
「問題なんてあるはずがないか。
これからも頼むぜ、相棒」
言いながら右手を差し出された。
「ああ。
この聖……マルグレット・ルーセンベリを頼るがいい」
応えようとする。
が、指先が触れたところで。つい手を避けてしまった。
どうしようかと慌てた瞬間。何故か横面を打ってしまう。
「あ」と間抜けた声が漏れた。
「てめぇ、何しやがる」
「こ、ここ、これは、その、そうだ。気合いだ。
気合いを入れてやったんだ。
ふん。感謝するんだな。
このマルグレット・ルーセンベリ直々に気合いを入れてもらえるなんて。
こんな幸せなことはまずないぞ」
早口で並べ立て、くるりと背を向ける。
「さっさとヴァルハラに戻るぞ」
そのまますたすた歩き出す。
文句を言いながらも、ついて来る気配に安堵しつつ、自身の手を見つめる。
急に気恥ずかしくなったのだ。
何故か解らないが、とにかく。
「あいつが悪いに決まっている」
良く解らない結論に落ち着けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
ヴァルハラの館、エインヘルアルが生活する居住区の螺旋通路。
「閉じこもったまま顔も見せないなんて、どういうつもりだ」
マルグレットがぶつぶつと不満を漏らした。
見つめるプレートは「シラカワ コーキ」。
「別に心配しているのではない。
ただ、今後のプランを練っておく必要はあるはずだ」
マルグレットは私服、薄黄色のシャツとロングスカート。
どちらもタック付きで、柔らかい印象のデザインになっている。
舞い散る花びらが刺繍されたハーフマントを羽織り、腰には護身用の短剣。
長い銀髪はストレートに下ろし、頬には淡いチーク。唇も少し朱を刺した。
険しい聖騎士というより、可憐な乙女らしさが強調されている。
ヴァルハラに戻って直ぐ光輝とマルグレットは、ハーディンに任務報告を行った。
光輝は事件の顛末について、首謀者が流歌であった事、彼女がヴァルハラに敵対する組織の一員であった事、彼女の短刀で傷を受けたテルティウスとクゥ・リンが塩になってしまった事を告げた。
そして辛うじて流歌を撃退し、その武器を回収したと短刀ひと振りを渡す。
「ハーディン、死んで塩になるなんて初めてだ。
ふたりは大丈夫なんだろうな?」
詰め寄る光輝の隣でマルグレットは発言を控えた。
必要最低限の確認に対し、首を数回縦に振っただけ。
嘘をつくのが苦手な自分は、口数を増やすとボロが出る。
そのくらいは、わきまえているつもりだ。
対するハーディンのリアクションは気楽なもので。
「エインヘルアルは不死身の存在だよ。
おそらく魔術的な力で塩にされたんだろう。
でも、明日には復活しているさ。
それより気になるのは敵対組織とやらだね。
僕は管理者として君達より随分長くここにいるが、そんな話を聞いたことがない。
とりあえず上に報告しておくよ。僕もただの中間管理職だからね」
その場は終わった。事態が動いたのは翌日である。
早朝、再びハーディンから召集を受けた。
前日と打って変わって、ハーディンは沈痛な様子だった。
「辛い報告がある。テルティウスとクゥ・リンは再生されなかった。
彼らふたりは消滅した。
すまない。
流歌という反乱分子に気付かず、チーム編入した僕に責任がある」
深々と頭を下げる仮面の青年に、マルグレットと光輝はやはりショックを受けた。
クゥ・リンの推論は誤りで無事に復活した。
そんな都合の良い事があっても、と思っていたからだ。
しかし、衝撃的な話はそれで終わりではなかった。
「昨日一日で三十名以上のエインヘルアルが姿を消した。
もちろん、大半は犠牲となった者だが、流歌のような裏切り者も含まれているはずだ。
ヴァルハラには、いやヴァルハラの主であり、この世界の神である存在には敵対する者がいるらしい。
ヨートゥンという連中だ。
巨大な身体を持つ異形の集団らしいのだが、まさかヴァルハラと同様に人間の英雄を集めていたなんて、完全な想定外だったそうだ」
いつもの飄々とした雰囲気はなく、憔悴した感じすらある。
「他にもまだヨートゥンの手先はいるかもしれない。
僕の方で調査を進めるつもりではいるが、その、このことについては……」
「解ってる。秘密にしておくよ」
「頼む。
ヴァルハラに敵が潜んでいることと、彼らがエインヘルアルを消滅させる方法を持っていること。
これは、しばらく伏せておきたい」
「ああ。もちろんだ。そんな話が流れたら、ヴァルハラは大混乱。
ヨートゥンとやらの思うツボだからな。
その代わり、ヨートゥンについて少しでも解ったら教えて欲しい。
テルティウスとクゥ・リンの仇をとりたい。
あいつらは俺にとって大事な友達だったんだ」
「できる限りの情報は渡すよ。
その気持ちに応えたいだけじゃない。
ヨートゥンの件については、最も信頼できる仲間になるからね。
マルグレット、君にも力を貸してもらいたい」
「もちろんだよな、マルグレット。
俺達でヨートゥンを潰してやろうぜ」
「解った。
コーキがそう言うなら、微力ながら力を貸そう」
そう約束を交わしてから、もう五日が経つ。
光輝は自室にこもったまま。
朝昼晩、食事時を見計らって、マルグレットは光輝の部屋に繋がるプレートまでやってきているのだが。
「声を掛けてみるべきか。
いや落ち着け。
それでは私が心配しているみたいではないか」
プレートの前で小一時間迷った挙げ句。
「今日のところは止めておこう」
いつも通りの結論に達し、ひとりで食堂に向かおうとしたところで。
「マルグレットさん」
通路を曲がって現れた。
ゆったりしたブルーのワンピースに一本角の髪飾り。
ソバカスのある頬に、驚きを滲ませている。
「シャルロッタ、久しぶりだな。
前の任務では助けられた。今更だが礼を言わせてくれ」
「あ、いえ、そんな。
私、役立たずで迷惑掛けてばかりですし」
「そんなことはない。お前は十分働けている。
私の方が見習わないといけないくらいだ」
「あの、マルグレットさん、ですよね?」
「他の誰に見えるんだ?」
「いえ、あの、なんか、雰囲気が、その」
もにょもにょと続きを揺らす。
「いつも凄く怖いのに」とは言えない。
「雰囲気? ああ、少しな。少しだけ紅を入れてみた」
「あ、あぁ。凄く可愛い感じで、びっくりしました」
「そうか」
素っ気なく答えるが、口元がやや綻んでしまう。
と、慌てて引き締め。
「それよりコーキに用があるのか?」
「用ってほどでもないんですけど。
ここ数日、食堂で見かけないですし。
ほら、クゥ・リンさんとテルティウスさんが異動になったじゃないですか。
仲の良かったふたりがいなくなって、ちょっとガッカリしてるんじゃないかと」
消えたメンバーについては、ハーディンから新設部署に移ったと説明があった。
ヴァルハラの上位組織という事になっている。
「そうか。ふたりはいなくなったからな」
「マルグレットさん?」
突如弱くなった語調に首を傾げた。
その真意を確認すべきか、シャルロッタは迷うが。
「なんでもない。
コーキは意外とナイーブだからな。
シャルロッタがそこまで言うなら仕方ない。
中を確認してやろう」
否定から謎の着地点に跳躍。
プレートに手を伸ばす。
指先が触れる寸前だった。
「お、これは珍しい組み合わせだな」
「美女がふたり並ぶと、殺風景な通路も華やぐね」
やって来たのは対照的なふたり。
ボサボサ髪で簡素な服の野生的な少年と、丁寧に梳かれた金髪に清潔な服装の青年。
ゲナンディとアポロニウスだ。
「そんな美女だなんて。
マルグレットさんは美人ですけど、私なんて」
身体をくねくねさせながら照れるシャルロッタ。
対するマルグレットは真剣な表情になって、呼吸をひとつおいた。
深々と頭を下げ「すまなかった」と告げる。
「ふたりの気遣いを、踏み躙り続けていた。
言い訳はしない。許して欲しい」
いきなりの謝罪にゲナンディとアポロニウスだけでなく、シャルロッタも言葉を失った。
三人、それぞれが反応を窺って視線を交わし合う。
じんわりと数秒が過ぎて。
「別にどうでもいいや、そんなの。な、アポロ」
「うん。そうだね。
何があったのかは解らないけど、吹っ切れたようで良かったよ」
「ああ、そうだ。
楽しくやっていこうぜ、シャルロッタもな」
「はい。
おふたりの足を引っ張らないように精一杯頑張ります!」
拳を作って誓うシャルロッタに、顔を上げたマルグレットが尋ねる。
「三人は同じチームになるのか?」




