第90話 竜人と人間の争い
竜人の英雄、アルセウス・マードリックは、赤茶の縞模様に見える鱗を持ち、両の腕だけが人間のものである、竜の因子は強いものの異形にちがいなかった者である。
竜人は竜の因子が強ければ強いほど長命となり、生命力も強くなる。病気をしても、怪我をしても、簡単には死なない。そういう体を持つことができる。
そうした特性から竜人という存在は憧れられもしたが、恐れられもした。竜人はこの世界の存在であるにも拘わらず、別世界の生き物のような扱いを受け、人間に馴染むことができなかった。
人間と馴染めなくても、竜人は長命で強い生命力がある。森などの狩場も近くにあったし、食うにも困らなかった。
だが、人間は竜人を脅威と思い、排除しようとけしかけてきた。竜人を殲滅するために竜人の使う湖に毒を仕込んだり、爆撃を行ったり。竜人は簡単な毒では死なない。生命力も強いから、怪我をしてもすぐ回復する。けれど、死なないわけではないし、苦しむことは変わらない。大人なら生き延びられても、子どもだと未発達なため、死んでしまうこともある。
竜人は人間と争いたいわけではなかったため、自分たちとの祖先とも言える竜と対話を行った。その結果、人間が立ち入らないように竜が森に結界を張ることとなった。
それで竜人たちに安寧が訪れるかと思いきや、今度は竜が現れた、と人間が竜を討伐しようと決起してしまう。
そうして、森が火の海に包まれた。それが竜人の棲む渓谷が荒れている理由だ。
「しかし、竜の友って人間の一族とは上手くやっているんだろう?」
「そうでございます。けれど、彼らは当時、竜と話すための竜の言語は扱えましたが、その代わり、長い間人間と関わらなかったため、人間の言語を忘れてしまっていたのです」
アルセウスの問いに竜人の長老オウルが答える。
アルセウスはひとまず、長老に言われ、「ゼウスさま」という扱いで洞窟に入れてもらった。そうしないと、落ち着いて話もできないからだ。宴も竜人たちで勝手に盛り上がってきたところで、アルセウスは長老から「ゼウスさま」の話を聞いていた。
アルセウスは赤虎猫の獣人のはずだ。体を覆うのは鱗ではなく毛である。子どもが無邪気に「ゼウスさまってもふもふしてるんだねー」と言ってきたときには笑ってしまった。
けれど、何故だろう。自分は竜人と人間の諍いの話を知っているような気がした。長老くらいの年嵩の人物が、伝説や伝承と謳うくらい、大昔の話のはずなのに。
「ま、人間はその土地柄に合わせた生き方をするもんだからな。人間の数より竜の数が多けりゃ、竜に合わせた生活を選ぶか。言葉の通じない相手との交渉は難しい」
「その通りでございます。人間は問答のできない相手に対して、容赦をしませんでした。そんなとき、竜人の元にエルフの少女がやってきたのです。エルフも長命ですから、見た目通りの年齢ではないのでしょうが……彼女は[精霊の巫女]と名乗りました」
精霊の巫女。アルセウスはエルフの幼気なエルフを思い出す。精霊と精霊王の寵愛を受けたエルフの中でも特別な存在だ。
何故か今はスミレ、ナリシアと共にマイムから指名手配されているが。
オウルの話は続いた。
「精霊の巫女は精霊王に命じられて、竜人の方に来たと言いました。森を焼かれて精霊が悲しんでいる、と。精霊王は本来、この世界を守る存在らしく、エルフに囲われているため、精霊王国を居にしていますが、竜人にも手を貸してくれることとなりました。
といっても、エルフは人間含め、他種族、及び外の世界というのを嫌っておりますから、彼らを頼ることは精霊王もしませんでした。精霊王がしたのは命を司る精霊に呼びかけ、新たに生まれる竜人に祝福を与えること」
「それで生まれたのがゼウス?」
「そうでございます。奇形の竜人が生まれるだろうが、分け隔てなく接するように、と精霊の巫女が言いました。奇形のものが生まれたところでどうなるのか、と思いましたが……」
生まれたゼウスは人間の腕を持っていた。竜の因子も強いけれど、ほぼ全身を鱗が覆う中、剥き出しになった人間の形をした腕は竜人の間でも異様とされた。
けれど、ゼウスが人間の腕をしていることが大きな意味をもたらすようになる。
「竜人の手は人間の形に近い者もおりますが、基本的に肉体を武器とするため、鋭く固い爪が生えております。この爪はどんなものでも切り裂くことができますが、細やかな動きはとてもではありませんが、できません」
それは宴で振る舞われている豪快な料理たちとそれを鷲掴みで食べる様子からわかる。竜人は人間の使うフォークやナイフは使えない。
だが、ゼウスは違った。
人間と同じ腕の造りをしているということは、知恵さえ使えば、人間の扱うものを同じように使えるのだ。
ゼウスは剣を持って、人間と話し合いに向かった。人間はゼウスの奇形に驚いていた。
竜人のパワーに人間の手先の器用さが加わった存在。一目見てそうとわかった人間たちはゼウスを脅威とし、ゼウスに攻撃をした。ゼウスは一つの剣で攻撃を弾き、悠然と立ち続けたという。
一筋、腕に傷がつき、そこからつうっと赤い血が流れる。
「そこでゼウスさまは『お前たちの血は何色だ?』と人間に問いました。人間は動揺し、まともに答えられる者はおりませんでした。ゼウスさまは竜の因子が強く、殊更体が頑丈です。腕以外に当たった攻撃はその頑丈な肉体に弾かれ、傷一つつけることも叶わないのです」
「そいつぁすごいな」
「ゼウスさまは、剣で一人の人間の足を刺しました」
おっと……とアルセウスは話の風向きが変わり始めたのを感じる。まあ[狂戦士]と呼ばれるくらいだ。荒っぽい伝説じゃない方がおかしいだろう。
刺した人間の足からは、どくどくと赤い血が溢れたという。それを持ち上げ、人間たちに見せる。
「全く同じではないだろうが、俺もお前らも同じ赤い血をしている。これまでお前らが竜人族を攻撃してきたことで、俺たちばかり赤い血を流した。終わりにしないか」
「異形の分際で、何を言うか!」
人間の心無い言葉に対して、ゼウスは自らの足も刺してみせた。人間なら致命傷になってもおかしくない、太腿に、躊躇いなく。
どくどくと、その鱗を伝ったのは赤い血だ。
「これで竜人にも赤い血が流れているとわかったか?」
「ひ、ひぃっ」
「狂ってる……」
「それでもやめねえってんなら、いいぜ」
アルセウスの中に声が閃く。
「思う存分殺り合おうぜ、人間サマよォ」
人間が蜘蛛の子を散らすように逃げたのが、脳裏で蘇った。




