第43話 対面
アドム、と繰り返す声が聞こえる。
魔王の唱えた破壊の魔法によって崩壊した空間の中に昴は迷わず飛び込んでいった。
真実を確かめたい。信じられないのだ。純冷が負けたなど。
と、飛び込んだはいいが。
「わあぁぁっ!??」
予想以上に落差がある。
「……ラヴァン」
シエロがそっと風の魔法を使い軟着陸させてくれた。
「ごめん、ありがとう」
「向こう見ずなあたりが誰かさんにそっくりだ」
シエロがぼやく。誰かさんとは誰だろうか。
それはともかく、と昴は純冷の方に寄る。純冷は大きく目を見開いて、固まっている。
「純冷?」
声をかけるが純冷は呆然と一点を見つめたまま動かない。昴はその純冷の視線を辿った。住宅街の向こう──爆発が起き、煙を上げている場所は。
「病院……?」
なんとなく、だが。建物に赤十字のマークが入っているように見えた。全国にある赤十字病院。大学病院に並んで設備の整っている病院、というのが昴の中の認識だ。
となるとやはりこれは元の世界の景色の再現なのだろう。何故そんな場所まで詳細に再現しているのかは全くわからないが。
「……き……鍔樹!」
純冷の掠れた叫びが耳に入る。振り向くと、純冷の目に映るのは、絶望。
「ツバキ? って」
「鍔樹が、鍔樹があそこにいるんだ。あそこに!」
ツバキという人物に関する説明は全くなかったが、昴は察した。
純冷はこれを現実だと錯覚しているのだ。ツバキとは純冷のとても大切な人で、病院にいる。その病院がブレイブハーツの魔法で破壊されたことで気が動転しているのだ。
要は、アドムと叫び続けている人物──少々老けたアグリアル・タイラントとおぼしきやつを止めればいい。
昴はタイラントに視線を移す途中に、純冷が対戦していたらしいテーブルを見る。ダメージは5。確かに純冷が敗北していた。
が、純冷にアドムの炎が放たれた様子はない。
「おい、アグリアル・タイラント!」
思い切り名前を呼ぶと、タイラントは狂気に見開いた目をぐるりと昴に向ける。仄暗い愉悦に満ちた瞳とぐにゃりと歪んだ笑みを象る口元が織り成す表情はなんとも不気味だった。
「なんだ、小童? 我輩の愉しみの邪魔をするでない」
「愉しみ? これのどこがだよ! 幻影を壊して何が愉しい?」
「これだから童は。我輩が壊しているのは幻影などではない」
タイラントは下卑た笑みを浮かべる。
「そやつの心よ」
ぶわりと、昴の中で何かが沸き立った。
頼みもしないのに、タイラントは説明する。
「ここはお前たち異世界人の故郷によく似ているだろう? 実はただの魔法映像じゃない。実際の世界とリンクしているんだ、と伝えて建物にアドムを放ったら、どうだ? 情けない顔になりよった。滑稽滑稽! 世界の並行を管理するアイゼリヤにおいてかようなこと、あり得ぬだろうに、愚かにも信じ、打ちのめされておる。これが愉しくなくて何なのか!」
「下主が!」
純冷の近くにいた三対の翼を持つ人物が叫ぶ。
オレンジ色の両の目でタイラントを射殺さんとばかりに睨み付ける。
「あなた、一体何のつもり? ヘレナ姫の定めた法則をねじ曲げて、利用して。関係のない一般人を巻き込んで、自分の歪んだ愉悦のために壊す。わけがわからないわ! あなたは何が望みなの!?」
「望み? はっ、笑わせてくれるじゃないか、天使様。我輩から望みを奪ったのはあなた方だというのに」
我が望みはただ一つ、とタイラントは続ける。
「ブレイブハーツを制し、この世界を我が物にすることだ!」
所謂世界征服というやつだ。
誰もが唖然とした。
「我輩はブレイブハーツをできないよう隔離された。ブレイブハーツウォーズから外されたのだ。その時点で望みを奪われたも同然。邪魔な白の王を上手く退けたというのに、全てが水の泡だ。隔離されたこの状況下で客人を招いて遊ぶことの何が悪い?」
その言葉に動いたのは、四人。
タイラントに向かい駆け出す昴をシエロが羽交い締めにし、タイラントへの敵意を察知した虎猫の獣人がタイラントの前に立つ。
が、魔の手は思わぬところから伸びた。
「ぬおっ!?」
うねうねと地面から伸びた黒い触手がタイラントを絡めとる。じたばたとタイラントが足掻くものの、むしろ触手が絡まり無駄どころの話ではなくなっている。
どう見てもその触手は黒の魔法だ。この場にシャホールを使える人物など一人しかいない。
呪文を唱えることなく、魔法を繰り出したその人物はじっとタイラントを見据えていた。
昴はその目を不思議に思う。そこには憎しみも怒りも何も感情が含まれていなかったのだから。本来ならタイラントの先程の言動に最も激昂しそうな人物が、ただただ静かに、しかし容赦なく、魔法でタイラントを締め上げている。
「お前か。白の王を黒の王の許に寄越したのは」
問いかけではなかった。確認のような語調。まるで他人事であるような。
タイラントは笑って答える。
「ああそうだとも。白の王に黒の王と話し合いをしてほしいと頼んだ。黒の王と対話できるのはやつくらいだからな。快諾したあいつは見事にブレイブハーツで負けてくれた。そして黒の王の……魔王の魔法を受けて、死んだ!!」
タイラントの高笑いが響く。降りてきていたアミが眉をひそめ、耳を塞ぐ。無遠慮で利己的なその声は不快であった。
「まっこと愉快であったよ。これで我輩の邪魔者は消えた。だが、そこに来てこの隔離だ。せっかくかの西の領土を取り戻せそうだったのに、つまらんことよ」
だが、とタイラントは口端を持ち上げる。
「面白い遊びを見つけた。適当なやつを見繕って、心を折る遊びをな」
昴はタイラントを睨んだまま叫ぶ。
「シエロ、放せ!」
「スバル、少し堪えろ」
「くっくっくっ、そこな童のことならもう遅い。終わったからな」
「何を」
ぱちん、とタイラントが指を鳴らす。すると、純冷のテーブルから、カードが消えた。
どこに消えたかと思えば。
「くく、童、こっちだ」
タイラントが触手に絡まったまま、ぶらぶらと自由な手を振る。その手にはデッキが一つ。まさか。
不意に、ばさっとカードがぶちまけられた。タイラントが落としたのだ。散らばったカードは青属性なのがわかった。唖然としてシエロの力が緩んだ隙に抜け出ると、昴はカードに歩み寄る。知っているカードがあった。[Rainy]──純冷のリバースメインアーミーだ。
拾おうと手を伸ばす。
ばちぃっ
「っ痛!」
カードに触れる寸前、電撃のようなものが昴の手を弾いた。痛みが走る。昴は何が起こったのか理解できず、もう一度手を伸ばした。だが、結果は同じ。
何度か繰り返し、カードの周りに結界のようなものがあることがわかった。何の、と思ったが既に焼け爛れた昴の手を見て、シエロが止めに入る。
「純冷のカードだ。拾わなきゃ」
「馬鹿。お前の手がいかれちまう。ブレイブハーツで他属性に触れた際にこんな反応が起こるんだったかは忘れたが、それならそれで本人に拾わせりゃいい」
「無駄だよ」
タイラントは嘲笑う。
「そのカードらは確かに持ち主にしか触れられんようになっている。だが、その持ち主は今や我輩だ」
「……何?」
シエロの声にも険が混じる。触手に絡まり、碌に身動きも取れないくせに、余裕の表情でタイラントは告げた。
「我輩はブレイブハーツウォーズから外れた。それによって手に入れた能力がある。それは、デッキの所有権の剥奪だ」




