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オーバー・レブ・ヒストリー 〜車を愛し過ぎた少年の国家魔改造録〜  作者: tky
第6章:天空の覇権と、継承される狂熱

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最終話:星海へのブラックマーク

昭和五十三年(一九七八年)。


かつて「極東の島国」と呼ばれた日本の帝都・東京は、人類が到達しうる最も洗練された未来都市として、世界経済と技術の絶対的な中心に君臨していた。


スモッグなど存在しない、透明なサファイアのような青空。


その空を突き破るように、三本の「軌道エレベーター」の強靭なケーブルが、赤道上の各大陸から宇宙空間へ向けて真っ直ぐに伸びているのが、ここ品川からでもうっすらと視認できた。


九条秀一が敷いた「規格」と「特許」という名の見えざる檻は、地球上から国境の意味を完全に消し去った。


エネルギーは無尽蔵のクリーン技術で賄われ、通信は一瞬の遅延もなく世界を繋ぎ、軍隊という野蛮な暴力機構は、九条のシステムに依存しなければ動けないただの「警備隊」へと形を変えた。


戦争も、飢餓も、資源を巡る醜い争いも存在しない、完全なる平和と秩序。


人類はついに、テクノロジーによるユートピア(あるいは美しきディストピア)を完成させたのである。


だが、人間の内側に眠る「闘争本能」と「熱」までが消え去ったわけではない。


九条芳信は、その持て余した人類の熱量すべてを、自らが用意した果てしない「遊び場」へと注ぎ込ませた。


地球から三十八万キロメートル離れた静寂の星、月面。


『第十回 ムーン・ラリー世界選手権』の決勝ステージ。


かつてアポロ計画で星条旗が立てられた静かの海は、今や世界中から集まった数百万の観客が、軌道エレベーターと連絡船に乗って押し寄せる、巨大なコロシアムと化していた。


真空の空間に音は響かない。


だが、観客用ドームの分厚い防弾ガラス越しに、地響きのような振動と、エンジンの暴力的な鼓動が確かに伝わってくる。


「左舷スラスター、出力三パーセント低下! 氷室監督、これ以上のロールは危険です!」


月面ピットの管制室で、ヘッドセットをつけたチーフエンジニアが叫んだ。


芳信と綾子の一粒種であり、二十三歳という若さでKRDの最高技術責任者(CTO)となった、九条光信である。


「構わねえ! 姿勢制御の遅れは、ドライバーの腕でカバーさせろ! ここで出力を絞ったら、三菱の新型に喰われるぞ!」


かつて「野生児」と呼ばれ、今やKRDの月面総監督を務める氷室涼が、年甲斐もなく熱い怒号を飛ばす。


コース上では、重力六分の一、空気抵抗ゼロの真空空間を、ピアノ線とチタンで編まれた金属タイヤを履いた漆黒のマシンが、スラスターの青白い炎を吹き出しながら時速五百キロメートルでクレーターをドリフトしていた。


マシンのステアリングを握っているのは、かつての絶対的エース・神谷蒼の直弟子である、次世代の若き天才ドライバーだ。


「……教官が言っていた通りですね。重力が減っても、この質量をねじ伏せる時の『暴れるような命の手応え』は、地球のサーキットと何一つ変わらない」


光信は、テレメトリーの完璧な数値を見つめながら、亡き大叔父・華族の誇りを継ぐ者たち、そして父・芳信が愛した「車」という機械の美しさに、静かに酔いしれていた。


同時刻。


帝都・品川の九条自動車本社、最上階の執務室。


還暦を迎えた芳信は、真っ白な髪を後ろに撫でつけながらも、その体躯は若かりし頃と変わらず分厚く、瞳には未だ衰えることのない狂信的な光が宿っていた。


彼はソファに深く腰掛け、月面から送られてくる高精細な生中継モニターを、極上のバーボンを片手に眺めている。


「……氷室の奴、また無茶なセッティングをさせやがって。マシンのフレームが悲鳴を上げているのが画面越しでも分かるぞ」


芳信が楽しそうに笑うと、対面で静かに紅茶を傾けていた秀一が、ふっと息を吐いた。


秀一の髪もまた白く染まっていたが、世界を支配する冷徹な帝王としての威厳は、年を重ねてさらに研ぎ澄まされていた。


「光信も立派に育ったな。お前の狂気と、私の計算高さを、絶妙なバランスで受け継いでくれた。……これで、九条家の未来も安泰だ」


秀一は紅茶のカップを置き、窓の外に広がる完璧に統制された平和な帝都を見下ろした。


「私の仕事は終わったよ、芳信。人類はもう、我々の敷いたレールの上から降りることはできない。……これからは、退屈な平和を永遠に管理するだけの仕事だ」


秀一の言葉には、すべてを成し遂げた者の達成感と、ほんのわずかな虚無感が混じっていた。


だが、芳信はバーボンを飲み干し、氷をカランと鳴らして立ち上がった。


「退屈だと? 冗談じゃない。兄さんの『箱庭(地球)』は完成したかもしれないが、俺たちの遊び場はまだまだ無限に広がっている」


芳信は執務机に向かい、その上に広げられていた巨大な青写真ブループリントを秀一に見せつけた。


そこには、月面の低重力バギーとも、地球のアスファルトを走るフォーミュラカーとも全く異なる、異形の巨大なオフロードマシンの構造図が描かれていた。


「……芳信。お前、まさか」


「次は火星だ。……あの赤い砂漠の暴風と、極端な温度差。あそこで、地球のどんな車メーカーも造ったことのない、最強の四輪駆動車を走らせる」


芳信の瞳には、大正の世に生まれ落ち、初めて内燃機関の産声を聴いたあの日と、全く同じ純粋な狂熱が燃え盛っていた。


「神谷も、赤星も、マキも、まだ俺の造った機械に満足しちゃいない。黒木の爺さんの弟子たちも、次の図面を待ちわびてウズウズしている。……重力がどうだろうが、大気がなかろうが関係ない。俺はただ、俺の造った最高の車が、未知の路面にブラックマーク(タイヤ痕)を刻み込む瞬間が見たいだけだ」


秀一は、その全くブレることのない弟の姿を見て、ついに肩を震わせて笑い出した。


「ふっ……はははっ! お前という奴は、本当にどうしようもない『車バカ』だな」


「ああ。俺はただ、速い車を造りたかっただけだ。兄さんが勝手に、それを平和の道具にしたんだろ」


芳信もまた、悪びれることなく笑い返した。


九条芳信。


彼は冷徹な為政者でも、人類を導く聖人でもなかった。


ただ純粋に、狂おしいほどに「速度」と「機械」を愛し、物理法則の限界をねじ伏せることだけに生涯を捧げた、一人の果てしない技術の怪物であった。


だが、その圧倒的なエゴイズムと熱狂こそが、人類を泥沼の戦争から引きずり出し、空を越え、静寂なる星の海へと導く最大の原動力となったのである。


「待っていろ、赤い星よ。……俺の造った最高のエンジンが、すぐにお前の砂を掻き回しに行ってやる」


芳信は図面を丸めて小脇に抱えると、新たな熱狂が待つ地下の秘密ガレージへと向かって、軽やかな足取りで歩き出した。


彼らが刻み込む星海へのブラックマークは、これからも永遠に途切れることなく、宇宙の果てまで伸びていくのだろう。

これで完結とさせて頂きます。

最後までお読み頂いて、ありがとうございました!

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