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オーバー・レブ・ヒストリー 〜車を愛し過ぎた少年の国家魔改造録〜  作者: tky@複数作品を同時連載中
第5章:狂熱のハイウェイと、緑の地獄

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第71話:神聖なる儀式と、静寂の狩人

昭和二十七年(1952年)春。


全長二十キロメートルの『緑の地獄』を二十五周、総走行距離五百キロメートルに及ぶ過酷なサバイバルレースは、開始から一時間半が経過し、中盤の大きな山場を迎えていた。


気温の上昇と共にアスファルトは熱を持ち、極限のGと摩擦によって、各マシンのタイヤは悲鳴を上げて融解し始めている。


「赤星、次の周回でピットに入れ。右フロントタイヤの温度がレッドゾーンだ」


KRDのピットで、若き天才エンジニアの真田源が、送られてくるテレメトリーの数値を見つめながら無機質な声で無線へ指示を飛ばした。


「了解だ! だが、アルベルトの野郎がケツに張り付いて離れねえ!」


時速二百八十キロでストレートを疾走する赤星のクーペの背後には、イタリアの真紅のマシン『ロッソ』がピタリとスリップストリームに潜り込んでいる。


ピットロードの入り口が近づく中、赤星は強烈なブレーキングと共にピットレーンへ車体を滑り込ませた。


驚くべきことに、背後のアルベルト、そして少し離れて走っていた三菱の真壁一輝も、まったく同じタイミングでピットへと飛び込んできた。


コンマ一秒を争う、メカニックたちの戦争の始まりである。


「ジャッキアップ! タイヤ交換、給油、急げ!」


赤星のマシンが停止した瞬間、真田の指揮下にあるKRDのメカニックたちが、まるで精密な機械時計のような連携で車体に群がった。


芳信の「狂った図面」を現実にしてきた黒木伝蔵が鍛え上げた職人たちにとって、タイヤの脱着と燃料補給など、目を瞑っていても数秒で終わる作業だ。


ガロン単位の特殊燃料が瞬く間にタンクへ注ぎ込まれ、熱で溶けかかったタイヤが新品のコンパウンドへと交換されていく。


「三菱のピットワークも速い。だが、我々の方が一・五秒上回っている」


真田がストップウォッチを一瞥し、冷静に状況を分析する。


隣のピットでは、羽村翔の檄が飛ぶ中、三菱のメカニックたちが必死で真壁の『零神』を送り出そうとしていたが、わずかなタイムロスが生じていた。


「出ろ、赤星! 真壁の前に出られるぞ!」


ジャッキが下ろされた瞬間、赤星はアクセルを蹴り飛ばし、タイヤスモークを上げてピットロードを駆け出していった。


ピット作戦というチームの総合力によって、赤星は事実上の二位争いの先頭へと躍り出たのである。


しかし、彼らが激しいピットの攻防を繰り広げているその頃、コース上に一台だけ、まったくピットに入る素振りを見せないマシンがあった。


「嘘だろう……。橘のマシンは、まだ一度もタイヤを換えていないのか?」


モニターを見つめていた他チームのエンジニアが、信じられないというように呻いた。


橘マキの駆る『KRDスタビリティ』は、すでに十三周を消化しているにも関わらず、そのラップタイムは全く落ちていなかった。


「タイヤが摩耗するのは、無駄な摩擦熱を発生させるからですわ」


コクピットの中で、マキは優雅に、しかし極限の集中力でステアリングを操っていた。


ミリ単位の正確な荷重移動と、クリッピングポイントを舐めるような黄金の軌跡。


彼女の走りは、タイヤへの負担を極限までゼロに近づける「究極のエコラン」でありながら、全体としての平均速度を誰よりも高く保っていた。


他の男たちが二回のピットストップ(二回交換)を強いられる中、マキはたった一回のピットストップでこの五百キロを走り切る作戦に出ていたのだ。


「男たちの熱量なんて、知性でいくらでも出し抜けるのよ」


マキのマシンが、ピットインで順位を落とした上位陣をごぼう抜きにし、ついに神谷に次ぐ実質的な二位へと浮上した。


表のサーキットがピット戦略とタイヤマネジメントの知的な闘争で沸き返っている頃、コースから離れた緑深い山中では、まったく別の「戦い」が人知れず行われていた。


「……各ポイントの爆薬の設置は完了したか。九条の鼻を明かしてやる絶好の機会だ」


迷彩服に身を包んだ数名の工作員たちが、サーキットの基幹電源を担う変電施設へと忍び寄っていた。


彼らは、先の「無血の占領」で九条のシステムに屈辱を味わわされた欧州某国の残党勢力であり、世界中が注目するこのレースを大規模な停電とクラッシュによって台無しにしようと企てていた。


しかし、彼らが変電施設のフェンスに手を掛けようとしたその瞬間。


「そこまでだ、ネズミども」


虚空から、死神のような冷たい声が響いた。


工作員たちが振り返る暇もなく、森の暗がりから音もなく現れた黒ずくめの部隊が、瞬く間に彼らの四肢を拘束し、地面へと押さえつけたま。


彼らは、進藤拓也中将が率いる統合防衛司令部の特殊部隊であった。


九条のネットワークと連動した最新の光ソナー網は、サーキット周辺の山林に侵入した生体反応を、数十キロ先から完全に把握していたのだ。


「貴様ら……! 日本の軍隊が、なぜこんな裏山に!」


「お前たちのような羽虫が、我らが総帥の『神聖なる儀式』を汚さないよう、あらかじめ殺虫剤を撒いておいただけのことだ」


特殊部隊の隊長が冷酷に言い放ち、工作員たちの首筋に非致死性の麻酔デバイスを押し当てた。


声一つ上げることなく、工作員たちはその場で意識を刈り取られていく。


メインスタンドのVIPルーム。


九条秀一は、懐の小型レシーバーから聞こえた「全区画のクリアランス完了」という短い報告を聞き、満足げに片眉を上げた。


「どうやら、コース外のゴミ拾いは無事に終わったようだな」


秀一がワイングラスを傾けると、隣で食い入るようにコースを見つめていた芳信が、不思議そうに振り返った。


「ゴミ拾い? 何のことだ、兄さん。それよりも見ろ、マキの走りを」


芳信の瞳には、一切の政治や陰謀などは映っていなかった。


ただ純粋に、自分が生み出した機械と、それを操る人間たちの美しき闘争だけを愛でていた。


「いや、こちらの話だ。芳信、お前は存分に楽しむといい。この箱庭には、お前を不快にさせるようなノイズは一切入り込ませないからな」


秀一は薄く笑い、コースへと視線を戻した。


世界を裏から支配する冷徹なシステムと、表舞台で狂おしいほどの熱を放つ極限のモータースポーツ。


九条家が創り上げた二つの力が、このサーキットで完璧に噛み合っていた。


「さあ、後半戦だ。ここからが、真のサバイバルの始まりだぞ」


芳信の言葉通り、コース上ではピットアウトした真壁とアルベルトが、鬼神のような猛追を開始していた。


神谷蒼の圧倒的な独走。


それを一回ピット作戦で追う橘マキ。


そして、フレッシュなタイヤに履き替え、牙を剥き出しにして迫る赤星、真壁、氷室、アルベルトの四つ巴。


緑の地獄の後半戦は、誰一人として結末の予想がつかない、灼熱のデッドヒートへと突入していった。

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