10.ボードゲーム、幸福な時間。
昨日は解散したあと、一通り食事や家事等を済ませたら、その後はすぐに寝た。
そして今日、昼から企画をまとめるために集まる事になっている。
バイトは入れていないので、午前中は特にすることはない(正確には学校の課題をやるつもりだったが)。よって、今日も神様の下へ足を運ぶ。
『いらっしゃい』
「おう」
階段を最上段まで上ると、例によって神様が迎えてくれた。
『あれ? 今日はいつもと服が違うね』
「今日は学校がなかったからな」
今までは学校帰りに直で寄ってたから、制服のままだった。だが今日は、私服。
Tシャツにフードつきの薄手の上着を羽織って、ジーパンをはいただけというラフな格好だ。
「あくまで俺の興味本位だが、あんたって服とか着替えられんの?」
祠の縁側に座りながら言った。
『うーん、脱ぐことはできても、着るのは難しいかなぁ。私が着てるこの服以外はすり抜けちゃうから』
脱ぐことはできても……。ダメだダメだ、変なことを想像するな。
「……だよな」
神様は、ほとんどのものに触れることが出来ない。
祠もすり抜けてたし、漫画も持てないって言っていた。
誰にも気づいてもらえず、この神社の敷地内から出る事が出来ず、物に触れることも出来ない。
『あらゆるモノは、人に認識して初めてそこに存在する』という考え方がある。
物を物と認識する人がいないなら、それは存在しようがしまいが変わらない。それもそうだ。
つまり、数日前までの神様が、それに当てはまるわけで、これだけ好奇心を持っていても、これだけ人間臭くても、いないのと同じ。
そして、このままいけば、本当にいなくなる。それだけは絶対にさせない。
「昨日は急に帰って悪かったな」
『ううん、いいよ。何か収穫はあった?』
「ああ、かなり収穫があったぞ」
俺は昨日神様と別れた後の出来事を話した。
友達のこと、会議のこと、神様のことを伏せたこと。覚えていることのほぼ全てを。
『そんなことがあったんだぁ』
「その、あんたのこと伏せたのは、良かったのか悪かったのかは、まだよくわからねぇ。けど……」
『うーん、でも、私は日本ではいないとされてる存在だから、伏せた事は悪い事じゃないと思うよ』
そういうことじゃないんだ。俺のこの行動が、あんたを『いないこと』にしているんだ。
人に認識されて、初めてそこに存在することができる。
と、言ったが、俺一人があんたを認識していたところで、共感するやつがいないなら、俺の妄想となんら変わりはないんだ。
それがわかっていても、俺はどこか恐れている。
この神様が、本当に俺の妄想なんじゃないか?
はたまた、証明する時にいきなり消えていなくなったりはしないだろうか?
そして、なにより……。
『俺だけの』じゃなくなることが。
自分の服を掴む。
恐れている理由全てが、自分のための、自己中心的なものだ。自分が嫌いになる。
『大丈夫だよ』
神様が、そっと後から抱きしめてくれた。
それは、恋人にするそれというよりは、子供にするものに感覚が近い気がした。
『君が、何を思って何に苦しんでるかは、言ってくれないとわからない。でも、言いたくない理由で苦しんでるっていうのはわかるよ』
簡単に見通されている。どれだけわかりやすいんだ、俺は。
『でも、私は君がいるだけでも、十分幸せ。
君が私の最期まで一緒にいてくれるなら、君の好きにして良いんだよ? お友達に私を紹介する必要もないし。辛いなら、私を助けようとしなくても良い。だって、君の人生は君のものだもん。ほんの少し分けてくれるだけでも、私は幸せだから……』
神様が言葉を紡げば紡ぐほど、俺の罪の意識はより深く刺さってゆく。
そして、その優しさに、気遣いに触れるたびに痛感する。この神様が好きなのは、『俺』じゃなくて『人』なのだ、と。
家族でもない、友達でもない、仲間とも言い難いし、ましてや恋人なんかじゃない。
なんでもない、特殊で不安定な関係。
『言いたいことは言え』と、言ったが、本音を隠しているのは俺じゃないか。
でも、なかなか本音を明かせない。それはとても難しいし、恐ろしいことだ。
『いつかかならず』とは思うが、『今すぐに』は無理だ。
「さて、と」
考え込むのはいったん終わり。
俺の場合、こうやって自分に言い聞かせないと切り替えられない。そして、切り替えれば、無理にでも考えないようにしている。
「今日は何する? 女子向けじゃないが、二人で出来そうな遊び道具持って来たぞ」
『ほんと?』
神様の表情がパッと明るくなる。
その姿は無邪気で、さっきまでの大人びた台詞回しとは真逆に見えた。
「よっと」
カバンから取り出したのは、一枚の板。
そこには縦横で区切られたマスがある。それを神社の縁側に置いた。
『これは?』
「実家から持って来たゲームボードでな。
オセロ、将棋、チェス、囲碁、バックギャモン、ダイヤモンド、上板を差し替える事でいろんなゲームが出来るやつなんだ。
これ系だったら、あんたが口で指示して俺が動かせば二人で出来る。あと、別でトランプとスゴロクも持って来た」
『へー……?』
「つっても、初見じゃピンとこねぇか、とりあえず簡単なオセロからやってみようぜ」
靴を脱いで、縁側で足を組む。
『うんっ』
オセロの簡単なルールとちょっとしたコツを説明。ルールの確認ついでにゲームを開始する。
「白と黒どっちがいい?」
『私は白がいいなー』
「んじゃ、俺が黒。先手な」
最初はどこに置いても変わらないので、適当な場所に置き挟んだ白を裏返す。
「どこ置く?」
『今置けるのはここかここだよね?』
神様が指を差して確認してくる。
「ななめもいけるぞ?」
『あ、ここもかぁ。じゃあななめで』
「おう」
黒をななめに取れる位置に白を置き、黒をひっくり返す。
『最近の子は、みんなこうゆう遊びやってるんだね』
「いや、これは俺らより1~2世代前の遊びって感じだな。今は電子ゲームが主流だ」
会話しながら、ゲームを進めていく。
『でも、みんなでやってるんでしょ? えー……っと。ここ』
神様の指示通りの場所に石を置いてひっくり返す。
「やりたいんだが……誘ってもみんな相手してくれねぇんだよ」
瑞樹は全くやってくれないし、蓮はこういうの強いんだが、一戦やったらその日は終わり。
小雨は頑張って相手してくれたんだが、あまりにも弱い上にやらせてる感が強くて、2回目以降は誘えなかった。
『ここに置いたら、二つ取れるんだよね?』
「おう」
オセロの場合ゲームの性質上、序盤は石を取る数を抑えたほうがいいんだが、まあ、ルールを覚える段階でそんなこと言っても仕方ないか。
『じゃあここ』
神様が黒の石を2つ取れる位置を指差したのでその通りにする。一手一手、石が白色に変わるたび嬉しそうだ。
そういや、俺も最初オセロやったときはこんなだったな。
父さんや、じいちゃんに何回もやってってせがんで。父さんは加減してくれずに、全部負けて。じいちゃんは、たまに勝たせてくれた。その、たまに勝てるのが嬉しかったんだよな。
いまはもう、定石覚えたり、CPU対戦やネット対戦やりすぎて、父さんもじいちゃんも相手にならないが。
「あんた、ひとりでいるときは何してるんだ?」
喋りながらもさらに石を置いていく。
『うん? 鳥居から町を眺めたり、鳥や虫や商店街の声を聞いたり。たまに訪れる人を観察したりとかしてるよ』
「ふーん」
やっぱり、外に影響を与えることが出来ないから、見たり聞いたりしか出来ないんだな。
このオセロみたいに、自分の考えが外の世界に反映される。そんなことでさえ神様にとってははじめてなんだ。
『あと、夜はお星様を見たり、でも曇ってる日は暗くてちょっと怖いんだ』
「ちょっと怖いって、神様のあんたがなに恐れてるんだよ」
『いきなり物音がしたりとか、何かいそうな気配とか、怖くなぁい?』
「怖くなぁいってなぁ……。もしかして、神様以外にも超常現象っているのか? 幽霊とか」
『え? それは……うーん、わかんないや』
神様がえへへと笑った。否定もせず肯定もせず。
でも、神様がいるんだ、それを前提に考えると、幽霊とか悪魔とか、なんなら超能力や魔法だって、俺が知らないだけで確かに存在しているのかもしれない。
それにしても、夜が怖い、か。
俺が神様なんて特異な存在だったら、獣も幽霊も怖くないと思うが、それは、無宗派で科学が根っこまで浸透している俺の尺度だ。
だが、宗教そのもので科学なんてものに触れる機会すらない、神様は違う。
それに、ここは町の明かりも届きにくいだろうし、月明かりがなければおそらく真っ暗。
そんなところに一人ぼっちだったら、確かに怖いかもしれない。
そしてそれ以上に……心細いだろう。
『次ここ』
「おう。なら、角貰うぞ」
『角って良いの?』
「さっき説明したろ? 角は挟めないから有利なの」
『あー、そうだったね、じゃあこっちにする』
「……そう来たか」
『ん?』
ボードゲームは基本『待った(後戻り)』なし。なんて、説明してねぇもんな。
「まあいいけど」
どうせ負けないし。
とりあえず何回か俺が勝って、そのあと一回負けてやるか。
そこで勝利の嬉しさを知ってもらって、ボードゲームにハマって、あわよくば俺の対戦相手になってくれたら、なんて思ったりもする。
『次はー……ここっ』
「おう」
神様は初心者だし、もちろんへたくそで。
ゲームすら成り立っていないような状況だけど、そんなハンパなものでも、やっていると楽しくて、暖かい。
神様と話せば話すほど、いや一緒にいればいるほど、死なせるわけにはいかない理由が増えてく。
さっきは自分が嫌いだなんて思ったが、今、この瞬間の自分は、割と気に入っている。