第4話 現場検証
霧は、まるで意思を持つかのように村を覆っていた。
アレクシスとミレイアは警察へ通報を終え、ダミアン邸を遠巻きに見つめていた。
「この霧……」
ミレイアが小さく呟く。
「まるで、私たちが解き明かさなければならない秘密を隠しているみたいだな。」
アレクシスは頷く。
「見えないものに覆われている。だが霧は永遠ではない。必ず晴れる。その時、隠されたものも露わになる。」
「……それが人間であれ、魔獣であれ?」
「そうだ。」
数分後、二人が屋敷へ近づくと、玄関前には規制線が張られていた。制服姿の警察官が立ちはだかる。
「こちらは殺人現場です。関係者以外は立ち入り禁止です。」
アレクシスは冷静に名刺を差し出した。
「私たちはエドワード・ヘイル村長から正式に依頼を受けています。調査のため中を見せていただきたい。」
警察官は眉をひそめる。
「しかし、現場検証は我々の管轄です。あなた方に何ができると?」
アレクシスはわずかに微笑んだ。
「ガルム警部補をご存じですか? 私の名を出していただければ話は早い。」
警察官の顔色が変わる。
「ガルム警部補をご存じなのですか? ……私の憧れの方です。至急連絡を取ります。」
数分後、立ち入り許可が下りた。
居間の扉を開いた瞬間、鉄臭い空気が押し寄せた。
ミレイアが息を呑む。
「……ひどい……」
家具は転倒し、魔導ランプは砕け、床には血痕が点々と続いている。
中央に、ダミアン・グレイヴァーの遺体。
喉は深く裂かれ、背中からは古びたサーベルが突き立っていた。
だがそれ以上に目を引くものがあった。
床。
巨大な足跡。
血を踏み荒らし、居間を円を描くように動き回った痕跡。
窓辺へ続き、そして庭へと消えている。
「……魔獣犬。」
ミレイアが震える声で言う。
足跡は常識外れの大きさだった。人間の手ほどもある。
「アルドリック氏が飼っていた……パブス……?」
アレクシスは膝をつき、足跡の縁をなぞる。
「爪が深い。体重も相当ある。通常の犬ではない。」
さらに、壁。
血で書かれた文字があった。
【地の血判状を忘れるな】
赤黒く、生々しい。
ミレイアが低く囁く。
「残留思念が渦巻いています……恐怖、怒り、そして……“裁き”。」
「裁き、か。」
アレクシスは立ち上がる。
「さて、問題だ。」
「魔獣が犯人なのでしょうか?」
「可能性はある。」
「ですが……」
ミレイアは壁を見上げる。
「魔獣が、文字を書けるでしょうか?」
沈黙。
アレクシスの目が鋭く光る。
「そこだ。」
彼は壁の文字に近づいた。
「筆圧が一定ではない。指でなぞった跡だ。しかも高さが人間の肩ほど。」
「……つまり?」
「この文字を書いたのは人間だ。」
「でも足跡は……!」
「確かに存在する。」
彼は部屋を見回す。
「しかし妙だ。足跡は“見せる”ように中央を通っている。無秩序に暴れた獣の動きではない。」
ミレイアの瞳が揺れる。
「では……誰かが魔獣を使った?」
「あるいは、魔獣がここにいたのは事実だが、犯行の主体ではない。」
窓の外、霧が濃く渦を巻いた。
その向こうに、一瞬、巨大な影が動いたように見えた。
ミレイアが息を呑む。
「今……何か……」
アレクシスは振り返らない。
「恐怖は視覚を歪める。だが、恐怖の源が存在しないとは限らない。」
「魔獣は……いる?」
「いるかもしれない。」
彼は静かに言う。
「だが“犯人”かどうかは別問題だ。」
外で村人のざわめきが高まる。
「魔獣の裁きじゃ!」
「血判の呪いだ!」
「地の掟に背いたからだ!」
恐怖が村を支配し始めていた。
ミレイアは小さく言う。
「もし本当に掟を破った者を裁く存在がいるのだとしたら……」
「それは法律よりも古い秩序だな。」
アレクシスは帽子を整える。
「だが私は、人間の理性を信じる。」
彼は再び足跡を見る。
「魔獣が現場を荒らしたのは事実だ。だがこの文字は人間の手だ。
つまりこの事件には二つの存在が関与している可能性がある。」
「人と、魔獣……」
「あるいは。」
彼の目がわずかに細められる。
「人が“魔獣を利用している”。」
霧の奥で、遠吠えが響いた。
低く、腹の底を震わせる声。
居間の空気が一瞬で冷え込む。
だがアレクシスの声は揺るがない。
「面白い。」
その瞳は恐怖ではなく、純粋な探究心に燃えていた。
「この村の闇は深い。だが闇が深いほど、真実は鮮明になる。」
霧はなおも渦巻いている。
そしてどこかで、何かが我々を静かに見ている。
だがそれが“犯人”なのかどうかまだ、誰にも分からなかった。




