第2話 村の掟
翌朝、ブラッドフォージ村を震撼させる報せが駆け巡った。
大地主アルドリック邸が、一夜にして炎と灰に包まれたのである。
焦げた木の匂いが村の石畳を満たし、立ち上る煙は霧と混ざり合って、
異様な朝を告げていた。
アルドリック・グレイヴァー(68)は自宅の奥の寝室で倒れていた。
火傷の痕はほとんどなく、診断は一酸化炭素中毒による窒息死。
村人たちは現場に集まり、震え声でささやき合う。
「やっぱり呪いだ…」
「血判に逆らった報いじゃ…」
「火事なんか偶然なはずがない…」
アレクシス・グレイヴンと秘書ミレイア・ルーベンも、
煙の立ち込める焼け跡に駆けつけた。
アククシスが慎重に足元を見ながら歩く。
「これは…単なる火事じゃない。油の痕跡がある。燃え方が尋常じゃない。」
その横で、ミレイアが焦げた紙片を拾い上げた。
「アククシスさん…これを見てください。」
紙はほとんど炭化しており、読める部分はごくわずか。だが、その中で赤黒く滲んだ文字が、まるで炎すら拒んだかのように鮮明に浮かび上がっていた。
『ダミアン・グレイヴァー』
アレクシスは低く息を吐いた。
「血判状だ…。」
周囲の村人たちは一斉に顔色を変える。
「出たのか…血判が…」
「やはり呪いは本当だったのか」
「もう村は終わりだ…」
恐怖に駆られたざわめきが、灰の中で震えるように広がる。
ひとりの老婆が、かすれ声で呟いた。
「……それを口にしてはならん」
別の男が慌てて老婆の肩を押さえる。
「やめろ、余計なことを言うな!」
村人たちは怯えたように視線を逸らす。まるで、名前を口にするだけで死が訪れるかのようだった。
エドワード・ヘイル村長が険しい表情で前に出る。
「皆の者、落ち着け。」
声は低く、しかし会場に響き渡った。人々は思わず背筋を伸ばす。
「アルドリック・グレイヴァーの死は…偶然ではない。だが、今は憶測を口にするな。村の掟に背くことは、さらなる災厄を呼ぶ。」
老婆が震える手を前に差し出す。
「でも…村長、やはり呪いじゃ…血判に逆らった罰…」
エドワード村長は鋭く老婆を見つめる。
「黙れ。口にするな。血判のことは、村の歴史に深く刻まれた掟だ。軽々しく言葉にするものではない。」
若い男が声を震わせた。
「でも、どうしてこんなことが…契約書はもう…」
「契約書の有無ではない。」
エドワード村長はゆっくりと歩み寄り、焼け跡の中を指差す。
「見よ、この炭化した紙片を。そこにあるのは、血と掟の象徴だ。だが…誰が裁きを下したかは…言うまでもない。」
人々の顔色がさらに青ざめ、ざわめきは止まった。
「村に生まれ、村の掟を知る者は理解しているはずだ。掟に逆らう者には、古より…報いが訪れる。」
ミレイアが低く息を吐き、アレクシスの肩に手を置いた。
「村長…これは…いったい…」
エドワード村長は深くうなずき、鋭い目で二人を見つめる。
「今は、真実を追うのは慎重にな。外部者が深入りすれば、さらなる悲劇を招く。」
彼の声には揺るぎない重みがあった。
「灰の中の血判状、赤黒く滲む署名…これを口にする者は、己の身を危うくするだけだ。」
周囲の村人たちは顔を伏せ、ささやき声も途絶えた。
「…ああ、村長の言う通りだ…」
「何も知らぬ振りをしていよう…」
ミレイアは握った紙片を見つめ、灰の匂いと煙の残る空気を胸に吸い込む。
アレクシスは低くつぶやいた。
「…この村には、想像を絶する何かが潜んでいる…」
エドワード村長の目が鋭く光った。
「探偵殿。この村には、この村の秩序がある。外の理屈で測らぬことだ。」
その言葉には、単なる忠告以上の重みがあった。
まるで
村そのものが、何かを守ろうとしているかのように。
霧の向こうで、何かが動いたような気がした。
だが、振り返ったときには、ただ揺れる古樹の影しかなかった。
こうして、血判の名を巡る沈黙と恐怖は、より濃く村を覆っていった。
そしてアレクシスは確信する。
この村には、単なる殺人事件以上の“仕組み”がある。
だがそれが何であるのかまだ誰も、知らない。




