第2話 死体発見
ヴァンロドリア南区。
灰色の運河に面して、煉瓦造りの五階建てが静かにそびえていた。
グレイフォード・リバーサイド館。
外壁は端正なヴィクトリア様式。
黒鉄のバルコニー。
尖塔のように張り出した管理室。
その小窓から、かつて一人の男が館内を監視していた。
管理人トマス・イヴァリング。
住民からは陰でこう呼ばれていた。
規制虫。
廊下の掲示板には、羊皮紙が幾重にも貼られている。
「午後十時以降、水道使用禁止」
「訪問者は事前申告制」
「廊下での私語は三十秒以内」
「笑い声は騒音と見なす」
規則は増え続けた。
人間も。
怪物も。
悪魔も。
この館では、等しく管理対象だった。
三階の看護師ミア・ホルブルックは夜勤のたびに注意を受けた。
四階の記者ライル・ハートマンは記事の構想を脅された。
半狼人ドーランは足音を理由に罰金を科された。
影喰いの少女リゼルは監視カメラに衰弱した。
堕天使ノアは双眼鏡の所持を咎められた。
悪魔セレスティアでさえ例外ではなかった。
全員が、彼を恨んでいた。
その朝、最初の悲鳴が運河に響いた。
地下のゴミ保管室。
石床の上に、イヴァリングは座り込むように倒れていた。
目は見開き、虚空を睨む。
口には丸められた管理規約。
両手は胸の上で組まれている。
まるで自らの掟に縛られたまま、裁かれたようだった。
血は多くない。
だが後頭部に陥没。
即死に近い。
「後ろから一撃だな」
低い声が響く。
振り返ると、ガルム警部補が石段を降りてきていた。
長身、無駄のない動き。
灰色の外套が霧に溶ける。
彼は遺体の頭部を慎重に確認する。
「鈍器による強打。争った痕跡は少ない。不意打ちだろう」
地下室の扉は内側から施錠されていた。
窓はない。
通風孔のみ。
密室。
「怪物の仕業だと言い出す者が出るぞ」
ガルム警部補は低く言った。
実際、既に廊下では囁きが広がっている。
影喰いの少女。
半狼人。
悪魔。
疑いは“人ならざる者”へ向かう。
そのとき、階段の上から二人の姿が現れた。
アレクシス。
そしてミレイア。
アレクシスは地下室を一瞥し、何も言わずに通風孔へ歩み寄る。
金属の縁を指でなぞる。
微かな繊維。
「興味深い」
「何がだ?」とガルム警部補。
「怪物に怪力は要らない。だが人間にも怪力は不要だ」
ミレイアは管理規約の紙を見つめた。
「まるで、彼自身の宣言ね」
地下の静寂。
アレクシスはゆっくりと首を振る。
「いや……これは“返答”だ」
その視線は、館の上階へ向いていた。
監視塔の小窓。
赤いランプは、まだ灯っている。
まるで。
誰かが監視をして、まだ見ているかのように。
霧が、運河を覆った。
こうして。
星霧探偵社による、
霧都ヴァル・ロンドリア探偵事件簿
『規制虫』事件が幕を開ける。




