21.まるでプロポーズみたい
その夜、わたくしは一人、秘密の小部屋で鏡の前に立っていた。
この古い鏡の奥には、魂が宿っている。わたくしの孤独も、悲しみも、すべてをそっと抱きとめてくれた、ラルフの魂が。
「今日、ブランカが婚約したの。筆頭公爵家の三男のエドモンドが相手よ」
わたくしがラルフに向かって語る声には、誇らしさが滲んでいた。けれど、わたくしの胸の奥には、まだ小さな寂しさがあった。
『あなたがブランカに与えたもの……。それは生きる力だ。血ではなく愛が、あなたとブランカの絆を育てた。あなたは継母でありながら、ブランカの本物の母となったのだ』
ラルフのやさしい声が、鏡の奥から届く。
わたくしはラルフにほほ笑みかけた。
けれど、鏡に映っているのは、わたくしの笑顔だけ。
傍から見たら、わたくしはとんだナルシストに見えるのではないかしら?
「わたくしのしてきたことは、本当に正しかったのかしら……? ブランカを大切にしているつもりでも、いつかひどく傷つけてしまうのではないかしら……? わたくしは時々……、自分が恐ろしくなるのよ」
『それは、あなたが前に話してくれた原作とやらが、気になっているからなのではないか?』
「ああ、そうね。そうかもしれないわ」
ブランカが愛らしければ愛らしいほど、わたくしは自分が怖くなる。
白雪姫の継母が、白雪姫を憎み始めたのは、白雪姫が七歳だったかしら……。もっと年上? たしか七歳とか十歳とか、そのくらいの、白雪姫がまだ子供の年齢だった気がするわ。
わたくしは、自慢の娘が美しく育っていくのを見ていると幸せよ。
だけど、いつ、わたくしの内側で『白雪姫の継母』が牙を剥いて、ブランカに襲いかかるかわからない。
この世界の時間が経過すれば、ブランカも自然と成長していく。それは止めようもない。
わたくしはたしかに、『白雪姫』の物語が気がかりだった。
『女王陛下、あなたはどれだけ孤独でも、ブランカ王女殿下を守り、人を信じることをやめなかった。いまだにルドルフへの気遣いもある。――そんなやさしい心が、私の魂を揺さぶった。自分のやさしい心を信じてみたらどうだ?』
「ただの『やさしい心』で、『運命の強制力』に抗えるかしら……?」
『人は間違うことだってあるさ。たとえ女王陛下と呼ばれようともな……。時には人を傷つけてしまうこともあるだろう。だが、私が思うに、女王陛下はわざと人を傷つけたりはしないだろう』
ラルフの信頼が、わたくしの胸の奥にある不安を温かく包み込んでくれる。
鏡が静かに光を放った。
光の粒が部屋に舞い、鏡の内側から吹いてきた風が、わたくしの頬を撫でてくれる。
どこか懐かしい花の香りまでする。
『そんなに心配することはない。私が人間の姿になれるようになったら、私があなたを止めよう。私のあなたへの想いが、私に人間の姿を与えようとしている。……長く待たせて申し訳ない。もう少しだけ待っていてほしい』
鏡の中で、銀の髪と蒼い瞳の男が、ゆっくりと姿を現していく。
「ラルフ……!」
わたくしが名前を呼ぶと、ラルフは鏡の中でひざまずき、わたくしに向かって手を伸ばした。
『私は、あなたのために生まれ、あなたのために生きる定めだったのだろう。女王陛下、いつか私が鏡から人になれる日が来たら、どうかこの手を取ってほしい。私は……、あなたのそばで生きていきたいのだ』
ラルフの言葉は、まるでプロポーズみたいだった。
わたくしは鏡に向かって、その手を取るような動作をした。
「もちろんよ! いつか人間になったラルフの手を握れる日が来たら、その時には、この国の女王は王配を得るわ! ラルフ、王配って知ってる? 女王の配偶者という意味よ!」
『配偶者……。配偶者か……』
ラルフはただの鏡に戻ってしまった。
しかも、黙り込んでしまっている。
ラルフが人間だったら、顔が赤くなっているとか、わかるんだけどなぁ……。
わたくしは鏡に変色しているところがないか、隅々まで見てみた。
鏡の左右にある耳っぽい蔦の葉が、いつもは銀色なのに、新しい十円玉みたいな明るい茶色になっていた。
これは位置的に考えても、ラルフの耳がほんのり赤くなっていると考えていいのかしら?
どうやらラルフは長く付喪神をしているだけあって、『配偶者』という言葉の意味を知っていたみたいね。




