22.立太子式
初夏の風が若葉を揺らし、王宮の尖塔に掲げられた王家の紋章入りの赤い旗が、青い空を彩っていた。
澄んだ青空に映えるその旗は、まるで新たな時代の始まりを告げるかのように、力強く翻っている。
今日は、王位継承権第一位であるブランカが、正式に王太子となる日だった。
早朝から王宮は慌ただしく動き始め、文官や武官から下働きまで、誰もが大聖堂で行われる儀式の準備にかかりきりだった。
そんな中、国内の主だった貴族たちや、近隣諸国からの使節団、そして、各商業ギルドのギルドマスターらが次々と集っていた。
隣国である小人の国からは、使節団として七人の小人たちが来た。
七人の小人は、『白雪姫』の物語では、国の代表になるような感じの暮らしはしていなかったはずだけど……。
まあ、『白雪姫の継母』だって、王を追い落として女王になったしね……。
七人の小人が、小人の国の使節団を任されるような存在になっていることだってあるわよ。
……うんうん、あるある。あるわよね。ここまで来たら、もうなんだってありだわ!
隣国の王子の一人が、いきなりブランカに騎士の誓いをするという事件もあった。
「私は白雪姫を見ないでは、もう生きていけないのです! 白雪姫こそ、この世で最も美しい!」
などという、ちょっとヤンデレが入っているんじゃないかと不安になるようなことを叫んでいたらしい。
たぶんあの王子は、毒林檎のせいで仮死状態になった白雪姫に口づけをした王子だわ。
この王子とブランカが恋仲になって、わたくしに『焼けた靴で踊り死にエンド』が訪れると困ると思ったんだけど……。
この王子は、ブランカに婚約者がいようがなんだろうが関係なく、とにかく一生、美しいブランカを見ていたいらしい。
「お母さま、あの方はなんなのでしょう……? なんのために、わたくしをあそこまで見ていたがっているのでしょう……?」
わたくしは怯えるブランカに問われた。
「さあ……。なんのためかしら……? とにかく美しいものを見たいようではあるけれど……」
わたくしは理由を考えてみたのだけれど、結局わからなかった。
あの王子は『白雪姫こそ、この世で最も美しい!』なんて叫んでいるし、もしかしたらルドルフに次ぐ『運命の強制力』として来たのかもしれないわね。
だけど、おかしなヤンデレぎみの王子がいくら『白雪姫こそ世界で一番美しい』と叫んでみても、わたくしが病んでブランカを殺す展開にはならないと思うのよね……。
もしかして『運命の強制力』も、やる気を失っているのかもしれないわ……。これが『運命の強制力』の仕業だとしたら、いくらなんでも仕事が雑すぎよ……。
おかしな王子は、とにかくブランカを見ていさえすれば幸せなようなので、様子を見ていろいろ大丈夫そうなら、いつかブランカの護衛騎士にしてあげようと思う。
まあ……、あの王子は童話の『白雪姫』でも、白雪姫の死体を持って帰ろうとしたりする、かなりの変わり者だったものね。
見境のない美しい物コレクターとかだったのかしら?
あの王子について一番警戒しないといけないのは、ブランカが王子と恋仲になって、わたくしに真っ赤に焼けた鉄の靴を履かせてくることなんだけど……。
ブランカが婚約者であるエドモンドと婚約破棄して、あの王子と結婚しようとするとは、わたくしには思えなかった。
だって、わたくしが見る限り、最近のブランカとエドモンドは、お互いに初めての恋をしているもの。
大聖堂の高い天井からは、祝賀の星の飾りが、たくさん吊り下げられていた。
ブランカの立太子式のために集まった人々は、宝石をあしらった豪華な衣を身に纏い、整然と並んで式の始まりを静かに待っていた。
わたくしは大聖堂に運び込まれた玉座に腰を下ろし、儀式の始まりを告げる鐘の音を聞きながら、人々に向かって笑みを浮かべてみせていた。
大聖堂の扉が開けられて、厳かなパイプオルガンの曲が流れる中、ブランカが赤い絨毯の上をまっすぐに歩いてくる。
白地に金糸の繊細な刺繍が施された、豪華絢爛たるドレスは、ブランカの希望で、わたくしとお揃いだ。
ブランカは堂々と、玉座に座るわたくしの前まで歩いてきた。
音楽が止まり、ブランカがわたくしの前でひざまずく。
「我は、王国を抱く三つ頭の翼獅子たる女王陛下の義娘にして、王家の血を継ぐ者。ここに誓う。民を慈しみ、この国を守る、未来の翼獅子たらんことを――」
ブランカの澄んだ声が、大聖堂に響き渡る。
わたくしの胸の奥に、言葉にならない思いが広がる。
王太子となったブランカは、いずれこの国の女王となる。
わたくしはブランカに玉座を譲るまでに、この国をもっと豊かで良い国にするわ。
わたくしはブランカの堂々とした姿に目を細めた。
女王としてではなく、母親として。
娘の晴れ舞台を誰よりも誇らしく思う、ただの一人の母として――。
儀式を終えた数日後、わたくしはブランカと共に、王宮の一角にある花園を歩いていた。
初夏の風は穏やかで、咲き誇る白いライラックの花が甘やかに香り、いまだに残る立太子式の熱気を、やさしく冷ましてくれているかのようだった。
わたくしとブランカは、無言のまま、しばらく並んで歩いた。
どちらからともなく足を止めた時、わたくしは思わずつぶやいた。
「立太子式には、ルドルフ陛下が乱入して来なくて良かったわ」
「はい、そうですね」
ブランカはわたくしを見上げて、ふわりと笑った。
ブランカがもっと小さな頃から、よく見せてくれていた、柔らかな笑みだ。
でも、今はブランカの笑顔が、なんだか大人びて見える。
「たとえ、お父さまがまた来たとしても、もう怖くありません。わたくしには、お母さまがいてくださいます」
わたくしは思わずブランカの手を取っていた。
小さくて頼りなかったブランカの手は、王太子教育の一環として本格的に習い始めた剣や弓矢や乗馬のせいで、なんだか少し硬い感じがした。
ブランカのこの手は、次代を担う王太子の手だ。
けれど、わたくしにとっては、いつまでたっても愛しい娘の手だった。
「王太子になっても、あなたはわたくしの娘よ。わたくしはいつだって、あなたのお母さま。困った時には、これからも、いつでも遠慮なく頼ってくれていいのよ」
「はい、お母さま」
ブランカの大きな目が潤んでいる。
「お母さま……。わたくしも、いつかお母さまのような、立派な女王になってみせます」
初夏の風がまた通り過ぎ、ライラックの花が揺れている。
ライラックの花の白さは、わたくしがブランカから初めて声をかけられた、あの朝に積もっていた雪を思い出させた――。
侍女がブランカを呼びに来て、ブランカはエドモンドに会うために、王女宮へと歩いていった。
わたくしはブランカの後ろ姿を見送ると、白い木製のベンチに腰を下ろした。
青々とした若葉が風にそよいでいる。
その向こうにある青い空には、雲一つ浮かんでいない。
――ブランカが初めてわたくしを『お母さま』と呼んでくれた日のことを思い出す。
冬の寒い朝だった。
ブランカは今よりずっと幼かった。
そんなブランカが、少しだけ躊躇いながら、わたくしの手を取ってくれた。
あの時の温もりは、今でも忘れられない。
わたくしはこの世界で、最初は『白雪姫の継母』でしかなかった。
そんなわたくしが、この国の女王になった。
ブランカも、今では王太子だ。
わたくしとブランカは、時に戸惑い、時に傷つきながら、この王宮で身を寄せ合って、今日までなんとかやってきた。
血がつながっていなくても、わたしたちの間には親子の絆がある。
ブランカは大聖堂で王太子として国民に誓いを立てた。
ブランカの凛とした姿を見た時、わたくしは泣きそうだった。
ああ、もう――。
誇らしいわ。ブランカが誇らしい。
初夏の風がわたくしの髪をなでていき、どこからか小鳥のさえずりが聞こえた。
わたくしは目を細め、青空を見上げる。
――ありがとう、ブランカ。
この空の下に、あなたという愛娘がいてくれること。
わたくしをあなたの『お母さま』にしてくれたこと。
ブランカがもっと嫌な性格をしていたら、わたくしの『白雪姫の継母』としての人生は、きっと今のようなものではなかったわ。




