第33話 醍醐味
「て、店長、さっきご来店したお客様、今にも別れ話でも切り出しそうな雰囲気です」
「いや、まさか。別れ話をしにわざわざこの店にはこないだろう」
「それが……」
そう言ったウェイトレスに合わせて、店長の男も顔を向ける。
「あれは、確かに」
質問への回答を先延ばしにすることへの罪悪感と、答えたくなさそうな質問への回答を急かした罪悪感。2人の向ける視線の先にはそれらが作り出した間が存在していた。
気まずさから、理巧も百華も注文を決めてから会話をしていない。かと言ってケータイを見る気にもなれないので、理巧は遠くをボーっと眺め、百華は俯きながら手を組んだり解いたりしている。
「店長、このままじゃこのお店が『カップルで入ると別れる店』としてSNSで広められて……って、店長?」
ウェイトレスの悲観的な妄想を余所に、店長は厨房に向かって何かを用意する。
「あ、次元くん、料理届きそうだよ」
「そうですね」
「「————」」
会話は続かなかったが、料理は届くので、手持ち無沙汰にはならずに済みそうだ。
「あれ、すみません。そのお皿は頼んでないと思うんですけど」
「お客様、こちら当店からのサービスでございます。新しいソースの味をお試しください」
名札に店長と記された男は驚く百華にそう言って、フライドポテトの入った皿とソースの入った小皿テーブルに並べた。ソースを試すのにポテトをおまけでつけるとは若干大盤振る舞いな気もするが。
「あ、ありがとうございます」
ポテトの皿は1つだ。正直言って手を伸ばしづらい。
「八代先輩、どうぞ先に食べてください」
「いいよ、先に次元くんが食べなって。……じゃあせーので食べる?」
確かにどちらか先に食べるかの問題も、意図せず同時に手を伸ばしてしまう問題も、2人で同時に食べることによって解消される。
「そうですね。分かりました」
百華の提案を承諾して、理巧はポテトに手を伸ばす。続けて百華もポテトを摘みとる。
ソースの入った小皿は全部で3つ。赤、緑、白のソースがそれぞれ入っている。
「じゃあまずは、これから」
2人はフライドポテトを赤いソースにディップして頷くと、「「せーの」」で同時に口に運ぶ。
「やっぱりちょっと辛いね」
想像はしていたが、やはり赤いのは唐辛子の入った辛いソースだった。
唐辛子の辛さの正体はカプサイシンという脂溶性の化合物なので、フライドポテトの油に溶解して舌へのダメージが和らいでいる可能性はあるが、
「まあでも中辛レベルですね」
鳥類は哺乳類と違い、食物を噛まずに丸呑みする。鳥類の受容体は哺乳類のそれと違い、カプサイシンに反応しない。トウガラシ属はカプサイシンを持つことで、哺乳類から種を守り、鳥類によって効率的に生息域を拡大したのだ。
そういう意味では「中辛」などと辛さを楽しむヒトほど、トウガラシにとって恐ろしい生物はいないだろう。いや、栽培はされるのでwin-winの関係かもしれないが。
さて、続いて緑色のソースをディップして食べてみる。
「これは……ほうれん草、かな」
「でも、えぐ味が全くないですね」
ほうれん草のえぐ味の主な原因はシュウ酸だ。カルシウムと結合して体内で石になってしまうので、摂取量を抑えるために水につけたり茹でたりすることが推奨される。しかし、茹でたとしても完全になくなるわけではないので、この味は異常とも言える。特殊な調理法か、それとも品種改良の結果だろうか。
疑問も生まれたが、2人は白いソースも試す。
「ん?」「なんだろこれ」
このソースは今までに感じたことのない味をしていた。
「チーズみたいに濃厚なのに」
「ヨーグルトみたいにスッキリした甘みですね」
酸味と甘味、そして旨味のバランスも絶妙だ。ただ一言で表すなら、
「「美味しい!!」」
2人がソースを絶賛すると、ちょうど店長がやってくる。
「お料理の準備ができましたので、よろしければこちら紙エプロンをお使いください」
「ありがとうございます。それで、このソースなんですけど」
渡されたエプロンを広げながら百華がソースについて触れる。
「あ、お口には合いましたか?」
「えぇ、それはもう。ね? 次元くん」
「はい。特に白いソースが。牛乳が元っていうのはなんとなく分かるんですけど、レシピはオリジナルなんですか?」
理巧の言葉に百華も頷いている。
「実は知り合いの中国人の料理人が、古い文献に載っていたレシピをハンバーグに合わないかと送ってくれまして、3つともそのレシピどおりなんです」
「もしかして……醍醐」
「先輩、ダイゴってなんですか?」
「醍醐味って聞いたことあるでしょ?」
「乳製品の最上級。今は製法の失われた珍味の名称でしたか」
理巧の代わりに百華の質問に答えたのは店長だ。
『譬牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生酥を出し、生酥より熟酥を出し、熟酥より醍醐を出す如し』とは、仏教の経典『大般涅槃経』の書き下し文の引用である。醍醐は、仏教が最上の教えであるという比喩にも用いられたほど美味だったのだろうか。
百華の言った「ほんとうの面白さ」という意味の醍醐味という言葉の語源もここにある。
「合ってるのか確かめる術はないけど、ロストテクノロジーの復活に関わってるかもと思うとワクワクするね!」
「はい、そうですね!」
「——ただいまハンバーグをお持ちいたしますね。」
2人の様子を見て店長も安心して料理を取りに厨房へ戻る。そこにはもう先程までの気まずさは無くなっていた。
「それにしても、ロストテクノロジーもオカルトに関わるんですか?」
「それだと私、オカルト以外の知識ないみたいじゃないかな」
「すみません」
「まぁ、関わらないかで言えば関わるんだけどさ。ロストテクノロジーって言っても単に製法が失われた醍醐みたいなものから、現代でも再現できない古代技術みたいなものも含まれるわけよ。アトランティスみたいな高度な古代文明の存在を期待させてくれるのもロストテクノロジーの醍醐味だと思うんだよね」
やはり、オカルトについて話しているときの先輩の目はキラキラしている。
「——その、すみませんでした」
突然謝る理巧に百華が「えっ」という顔をする。
「好奇心に任せて、答えづらい質問をしちゃったみたいですよね」
「あぁ、それはうん。でもこっちもごめんね。後で後でってどんどん先延ばししちゃって。どこかで話さなきゃかな。でも、これは燐ちゃんと境くんもいるときに話したいな。UFO騒ぎが解決した頃に。また先延ばしになっちゃうけど」
「分かりました。でもそれに先輩は謝る必要ないですよ。”食べ終わってから”に違いはありませんから」
「ふふっ。理系的には合ってるのかな」
「国語は非形式な論理学ですよ」
「ふふっ、なにそれ」
変な会話に百華が笑う。やはり素で笑っている方が百華らしいと理巧は思った。
「お待たせいたしました。こちら、石焼き満足ハンバーグの180gおふたつですね。おろしポン酢の方は——」
理巧が手を挙げる。
「あ、彼氏さんですね」
カレシ酸? 脈絡も無く出てきた言葉に、理巧は頭の上に疑問符を浮かべる。ポン酢に入っているのは酢酸やクエン酸ではなかろうか、などと理巧が頓珍漢な思考を巡らせている中、百華は顔を真っ赤に染めていった。
「か、彼はただのサークルの後輩で……」
「————?」
「し、失礼いたしました」
店長は料理を並べるとそそくさとウェイトレスの方へ向かい何かを話している。
「先輩、顔赤いですけど大丈夫ですか?」
「あーさっきのトウガラシかな~」
「なるほど、じゃあ僕もちょっと顔赤いですかね」
「うん。そうだね……」
目を逸らして百華が答える。
カレシサンは物質名でないと理巧が気が付いたのは、会計で店員に謝られたときだった。




