第12話 理想期待
「じゃあ最後に、次元君の仮説を聞いてみようじゃないか」
百華は可愛いとも綺麗とも形容できる顔を理巧の方に向け、何やら期待もしている様子だ。その期待に応えられるかは少々怪しいが
「僕の、僕らの仮説は、瘴気による精神汚染です」
「「精神汚染?」」
さて、魔法学には結界と呼ばれる概念がある。以前述べたとおり、魔法を顕現させるには潜界の情報を書き換える必要がある。このとき書き換えに用いるのは11次元の情報波なのだが、結界はこの波を反射させる性質を持つ膜だ。
結界には主に2種類がある。自然結界と生体結界だ。
自然結界はどこにでも見られる。異なる物質の境界や温度の境界がそれに当たり、空気や建造物の壁の境界にも当然結界が存在する。そのため、壁越しに魔法を顕現させようとしても、反射せずに透過した一部の情報波しかビット情報を書き換えられないために魔法は不完全な状態となる。
生体結界は名前のとおり生物の全身を覆うように張られた結界だ。宇宙、深海と並び、未知の領域とされてきた脳。ここ数十年の研究で量子的なはたらきが重要な役割を果たしていることが判明してきた。生体結界はその過程で発見された。身体と外界との境界の自然結界にカモフラージュされなかなか発見されなかったのである。
この結界は耳の近くの脳、張結界器官と呼ばれる部位によって形成されている。人間の成人のそれは情報波を全反射するほど強力で、その結果として悪意ある者に魔法を体内に顕現させない効果があるが、この部位は現代の魔術が開発されるよりも遥か太古に、進化の過程で発達したものだと考えられている。そうなると生体結界の存在する理由は、魔法の内部顕現を防ぐためではないはずなのだ。
ではなんのために。
――自己同一性の確立のために。
これが現在最も有力とされている説である。
「まず、自己喪失性感情伝播共鳴症候群って聞いたことありますか?」
「えっと、なんて?」
百華が困った顔をして尋ねる。
「自己喪失性感情伝播共鳴症候群です」
「これだ」
ファイが空中結像で文字を表示してくれた。漢字は見ればなんとなく意味が伝わるのが優れた点だ。
「ちょっと長いので次からは略称のスレプル症候群っていいますね。僕も詳しく知っているわけじゃないんですけど、近くの同じ状態の人間と感情や思考が混ざったような状態になる病気です。いまだ完全な原因は分かっていませんが、張結界器官に何らかの異常があると、このスレプル症候群を発症するとのことです」
「まぁ何となくは分かったかな」
百華は分かった風にそう言った。
「そういえば、量子脳理論の教科書になんかそういうことも書いてあったような気がするな」
那由多は知ってる風にそう言った。
「それが精神汚染ってことなんだな」
「それで、瘴気による精神汚染って言ってましたけど、瘴気って化学式でPh_3って書くあの気体ですよね。もしかして、瘴気は張結界器官に悪影響を与えるとか?」
先輩2人に続けて陽斗と燐も反応する。
「ご明察」
三原子霊素。慣用名として瘴気と名付けられたこの物質は、特異臭のする薄紫色の気体である。元来の瘴気と言う言葉は、まだウイルスや菌類が発見されていなかった時代、熱病を起こすとされた山川の悪い気という意味であった。その名を借りたこの物質もまた強い霊化――広義の意味での酸化作用を持ち、人体には有害である。
「さっきの2人の仮説でもあったけど、当日は激しいゲリラ雷雨だった。そして、雷は空気中の霊気を瘴気に変える。酸素をオゾンにするのと同じようにです」
「確かに、それで1人でもUFOを見たって勘違いでもすれば、そのスレプル症候群ってやつで勘違いが伝播するし、中心の人が倒れる程の錯乱を起こせば伝播して順に倒れるか。まぁ確かにこれで説明がつくことは分かるが、でも」
那由多の反応にファイが「そう、でもなんだよ」と話す。
「雷で発生する大気中の瘴気の濃度なんて高が知れてる。張結界器官を侵すとは到底考えられない」
理巧もファイもこの仮説の根本が怪しいことには気が付いていた、が。
「とはいえ、UFOの目撃証言を説明するには、ボクらの仮説は惜しいとは思わないか」
「あぁ、そうだな。調べてみる価値は十分ある」
那由多にそう言わせてファイは満足げだ。
「これで僕らの仮説の説明は終わりです」
理巧もまたホッとして説明を終える。
「うん、3人とも期待どおり、いいや期待以上だよ! 3人が入ってくれて本当に良かった。もちろんファイちゃんもね」
「そういうのは、全部解決してから言った方がいいんじゃねぇか」
那由多の指摘に「あ、確かに」と、後悔する様子の百華。だが、すぐに表情を明るくし仮説討論会を締めに入る。
「それじゃあ、燐ちゃんと境くんの雷雨ぜんそくと次元くんとファイちゃんの、えっとスレプル症候群?が有力仮説として、明日の現場検証に臨もうね」
「それと、宇宙人か秘密結社の乗り物説もありましたよね」
理巧が笑いながらそう百華に話しかける。
「ちょ、ちょっと先輩をからかっちゃ、ダメで、しょ、……あれ、からかってるわけじゃないの?」
でも、嘲笑なんてものではなく、素直に可能性の1つとして面白いと感じている笑みであって、
「からかってなんかないよな、理巧」
「全くないと言えるのは、別の仮説が立証されてからです」
陽斗と燐も理巧と同じ気持ちだ。
「ねぇ雨宮。やっぱり、入って来たのがこの3人で本当に良かった」
1年3人組と1羽は訳が分からず顔を居合わせるが、「そうか」と返した那由多の顔には、百華につられて少し微笑んでいた。




