事情を聞く
「この度は…ご迷惑をおかけしました」
リンカの弟は当主に向かってそう言うともう一度頭を下げた。
「君がリンカの弟か」
そう声をかけられると「はい。ライアと申します」と彼は顔を上げ名乗った。
この礼儀正しい態度にルシファーは面食らう。
私への態度とはずいぶん違う…
てっきり知らせの一族への嫌悪が彼にあんな態度を取らせたのだ思っていたのだが…
今まで付き添っていたエマが部屋を出て行った後、ルシファーと当主は3人掛けのソファーに座り、向かいの一人用ソファーに座るようライアに勧めたが、ライアは座ろうとしなかった。
「君が腰掛けなければ話ができない」と彼にルシファーが声をかける。
ライアはチラとルシファーを見たが、一向に座る気配がない。
この彼の態度に当主は感じるものがあった。
「ルシファー、席を外しなさい」と父親に言われルシファーは驚く。
「君の前では彼は話をしたくないようだ」
ルシファーは不愉快を感じる。
ライアの態度も態度なら父の命令も命令だ。
なぜコイツの機嫌をとって自分が退出しなければならないのだと。
けれど彼はその感情を抑え黙って部屋を出て行った。
その頃リンカは宿直室を抜け出して周囲を気にしながら廊下を歩いていた。
明らかに今日の屋敷はいつもと違う。
廊下を行き交う人々の足音の多さ。
食事を持ってきてくれた使用人のそわそわしとした様子。
昼下がり、遠くから聞こえてきた馬のいななき。
あれはこの屋敷の馬のものではなかった。
なにか、あった?
もしかして弟のことで進展があったのだろうか。
でもそれなら何故私に知らせが来ないの?
もしかして…良くない知らせなのだろうか…
そんなことを考えていたらいてもたってもおられず気がつけばリンカは部屋を抜け出していた。
恐る恐る廊下を歩いていた彼女は玄関ホールに出だところでルシファーにばったり出会ってビクッとする。
まずい、怒られると思って。
そんな彼女にルシファーは命令した。
「リンカ、宿直室に戻れ。君の弟が見つかった」
「えっ」
リンカの複雑そうな顔を見てルシファーは彼女の心配を察する。
「大丈夫だ。
生きている。
元気に生意気な態度を取っている。
今父が家出の事情を聞いている。
それが終われば父は彼を宿直室に向かわせるだろう。
それまで君は宿直室で待っていろ」
それを聞きリンカはひどく興奮した。
嬉しい!
嬉しい!生きてた!
リンカはその場で小さく跳ねた。
今すぐにでもライアのいる部屋に駆けつけたい気持ちだったが、それをがまんして彼女は宿直室に戻ろうととした。
今はライアを見つけ出してくれた知らせの一族の当主の考えに従うのが一番だと思い。
ところが数歩歩くと急にリンカは立ち止まり振り返ってルシファーを見た。
そして「…大丈夫なの?」と質問した。
少しめんどくさそうにルシファーがそれに答える。
「だから言っただろう、元気だと」
「そうじゃなくて…
あなたが…
あなた真っ青な顔をしているから…
どうしたの?ルシファー」
そう言われたルシファーはひどく忌々しげな顔をした。
リンカは初めて見るルシファーの表情に益々疑問を持つ。
「君は…弟の心配だけしていればいい」とリンカに言った彼はひどく不機嫌だ。
いつもと違うルシファーの様子が気にはなったが、弟に早く会いたい気持ちが彼女をその場から立ち去らせた。
一方、ルシファーも早足で玄関に向かうとドアを大きく開き屋敷を出て行った。
ここ最近考えないように考えないように考えないようにしていたことがルシファーにはある。
父親と自分の関係に対するある疑い。
それがさっきの出来事がきっかけで押さえきれなくなった。
決して間違ったことはしていない。
父は。
事情のあるデリケートそうな少年の気持ちを尊重するのは大人として当然の対応なのだろう。
一見冷たそうに見えるけれど、あの人は情のある優しい人間だと思う。
ただ同じなのだ、他人に対する情のかけ方と私に対する情のかけ方が。
そこに差はない。
公平と言えば公平。
が、不満だ、それが。
私は父親が知らせの一族の当主だということで、こんな辛い人生を歩まねばならなくなったというのに彼からは他人と同じ愛され方しかしていない。
…どうしても疑ってしまう。
父は本当にこの一族の鎖から放とうとして赤ん坊の私を捨てたのだろうかと。
私を疎んじていたのは母ではなく父の方だったのではないのかと。
ある理由があって。
それに私が気づくことを恐れて父は私に母親のことを教えてくれないのではないか?
父は幼少期から孤独の中にいた。
青年期に手に入れた妻はそれなりに大事な存在だったはずだ。
それなのにあのリベラルな父が母をひどく嫌っている。
それは…
その理由として考えられることは自分には一つしか思い浮かばない…
ルシファーは自分の手を視線の高さに持ち上げてまじまじと見た。
十代の男にしては大きくて節の目立つ手。
父をはじめ城に集う貴族たちとはまるで違う種類の手。
明らかに労働者階級を思わせる手。
ああ、だめだ。
これ以上考えては。
答えが出た時に私は友人も恋人も肉親もいない人間になってしまう…
ルシファーはいつのまにか馬小屋に来て馬に鞍をつけようとしている自分に気づく。
「あ…?なにをしようとしているのだ、私は。
私に行く場所などないというのに…」
そう言ってうなだれた彼には暗闇だけが寄り添っていた。




