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賢いメイド

ルシファーがリンカの弟を引き取りに警備所にいくのを見送ったメイドのエマは、これでリンカは宿直室を出て行くことになるだろう、ということは宿直の時このお屋敷の客間を使うことは無くなるわね…と少し残念に思った。


そして数日前のことを回想する。




エマは宿直を担当した日に客間のふかふかのベッドに横たわり、夢のようだと思った。

せっかくだから一晩中起きていようと思ったのだけれど、あまりの気持ち良さにすぐ眠りに落ちてしまった。


朝目覚めた時の気分も最高だった。

艶やかな絹のカーテンを透けて入ってくる微かな光が本当に美しい。

天井に貼られたファブリックのモチーフの天使も自分に微笑みかけてるような気がする。

部屋を改めて見渡し、まるでお姫様になったみたい…と思う。


ふ、25歳にもなってこんなこと考えるなんておかしい。

ああ、いつまでもこの部屋にいたいけど、そうはいかない。

シンシアさんの説得でご子息がまた朝食を取られるようになったから支度をしないと。


エマは前の日に洗面器に汲んでおいた水で顔を洗い、この屋敷の使用人にしては珍しい金色の髪を小さくまとめ、襟のないブラウスを着て足首までのスカートを履き、その上から白いエプロンをかけた。

そしてルシファーの部屋に行き、朝食をお運びしてもよろしいですかと声をかける。


「もってきてくれ。

…そうだ、エマ、カップを二つ持ってきてくれ」


彼にそう言われてエマは不思議に思った。

なぜ二つ?


調理場ですでに用意されていた朝食のセットにもう一つカップを追加し磨き上げられた銀のお盆で運ぶ。


小さいテーブルセットの上にそれを置いたところでエマは「向かいに座れ」とルシファーに命令された。


ぎくっとする。

何か粗相をしただろうかと思って。

気を引き締めた彼女に向かって彼は「半分食べるのを手伝ってくれ」と言った。


「あ、いけません、怒られます」と断りながらティーポットからルシファーのカップに紅茶を注ぐ。


「冷たいんだな…」とつぶやくルシファーに思わず「お寂しいのならリンカを呼んで一緒に召し上がればよろしいかと」とエマは言ってしまう。


ふぅ、とルシファーがため息をついたような気がした。


「も、申し訳ありません、出すぎたことを」と慌てて謝る。


エマにはリンカが殴られていると報告した時のルシファーが部屋を飛び出す後姿や、リンカの怪我を診断したときの優しい手つきが印象に残っていた。

それがカリイナが突然この屋敷を出ていってしまったのは彼とリンカが情を通じていたことが原因だと言う噂の裏付けのような気がしてたので、ついこんな言葉が出てしまったのだ。


「いいから座ってくれ」


そう言われてエマは仕方なくルシファーの向かいに座る。

すると彼は彼女の前にカップを置き、それに紅茶を注いだ。


「皆が私の前で彼女の名を口にする。

エマ、私とリンカはどんな風に見えているのだ?」


そう聞かれエマは答えに困った。

少し考えてから「美男美女だと思います」と言った。


「ふふ、はぐらかして…

それに嘘つきだな、君は。

リンカは美女だろうが、私は美男ではないだろう」


「容姿とは関係なく、言動を見ればやはり美男と言えるのではないかと」


「容姿とは関係なく…か。

はは、前言撤回する。

君は正直だな」


「し、失礼しました」


エマはルシファーに頭を下げる。


「正直な君に尋ねたい。

私とカリイナは似合っていたか?」


また答えに困ることを…とエマは思う。


正直に言うとカリイナとルシファーはあまり似合っているようには見えなかった。

二人の間にはお互いを想う熱量に差があるような気がしていた。


差があると感じたのは気持ちだけではない。

カリイナは使用人解雇の際にこそはっきりと話し、強気の態度をとっていたが、あれ以降の彼女はほんとに内気で人見知りする少女のようになってしまっていた。

多分そちらの方が本当の彼女なのだろうとエマは思っていた。


何事にも長けていて、大量解雇を期に使用人たちにも堂々と振舞うようになったルシファーとは真逆の人間に見えた。


考えあぐねた末にエマはこう答える。


「…私には皆に似合わないと言われても、とても大事にしている服があります。

似合うとか、似合わないとか、そんなことはどうでもいいと思わせると大好きな服が」


そう言ったきり、エマは黙る。


「…それが私の質問への答えか?」


「はい」


ルシファーは神妙な面持ちで少し考えた後「…君は賢いな」とつぶやいた。




「立ち入ったことを聞いてもいいか。

エマはなぜこの屋敷に入った?」


ルシファーのこの質問にエマは晴れやかに答えた。


「復讐のためでございます」


「え…」


「私は継母に育てられました。妹たちとは随分差別されて。

妹たちを女大学に入れる費用を貯めるために、私は十五歳の時に就職をすることを求められました。

その時私は悔しさのあまり家族への復讐の手段として、知らせの一族の屋敷に就職することを決めたのです。


私がこの屋敷に就職したせいで継母が可愛がっていた妹たちには就職先も縁談もありません。

継母の友人や親戚も彼女から遠ざかっていったようです。

私は貯金が目標額に達したら、遠いところに土地を買いひっそり時給自足の暮らしをしようと思っております」


そう言ってエマはにこりと笑う。


彼女はてっきり呆れられると思ったのだがルシファーはなるほどと言っただけだった。




「せっかくシンシアが用意してくれた料理だが量が多すぎる。

せめてこのりんごだけでも食べてくれないか?」と頼まれてエマは渋々それを食べた。

この無作法を後々咎めないと約束してくださるのならと言って。


彼女がリンゴを食べ終わるのを見届けてから「下げてくれ」とルシファーは命令した。

そして彼女が部屋を出て行く際、声をかけた。

「エマ、なるべく長く屋敷にいてくれよ?」と。




エマが部屋を出て行ったあと、ルシファーはシャツの袖口が黄色く汚れていることに気づく。

ポーチドエッグを食する際皿の上をかすめてしまったのだろう。


彼は着ているシャツを脱ぎ、新しいシャツを選ぶためにクローゼットの前に立つ。


そして新しいシャツを取り出しながら呟いた。


「エマ、カリイナは自分にとって大好きな服でも似合う服でもないような気がする。

ただそれしかないから着ていた服だ…」と。

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