(5)勇者に託された仕事
「え……?」
見覚えのある部屋を眺め、アッシュが呆然とつぶやく。
「お久しぶりと言うべきでしょうか?」
彼を出迎えたのは、すでに面識のある魔導士システリプスだ。
キョロキョロと回りを見渡したアッシュが、動揺しつつも質問をぶつける。
「な……、なんで、俺をもう一度召喚したんだ?」
前回の召喚で、アッシュは彼女の望みに応えた。ただし、彼女の予想とは正反対の、魔王の敗北という結末で。
彼女が自分に恨みを持つのも当然で、彼女が口にするであろう答えは彼もすでに察がついた。
「くそっ!」
とっさに構えた武器が、キュレイフと打ち合っていた木剣だと気づき、アッシュが愕然となる。
「このような物で私は倒せませんよ」
システリプスは、自分に向けられた木剣へ無造作に右腕を伸ばす。
警戒したアッシュは、木剣の先端を翻して、システリプスの右腕をしたたかに打つ。
異変が起きたのはその時で、彼女の腕も服の袖も陽を浴びた飴細工のようにグニャリと溶解した。先端が三本に分かれたかと思うと、触手のようにうねって木剣に絡みつく。
「うわっ!?」
慌てて引こうとした木剣は、力ずくでシステリプスに奪われてしまった。
「私の水の精なので、姿も自由に変えられます。このような魔力も帯びていない武器では、傷つけることもできません」
前回、凍結の石が通用したのもそれが原因だったのだ。
再び腕の形状を取った右手で、システリプスは役立たずの木剣をアッシュに差し戻す。
「……魔王の復讐をするつもりか?」
魔王を倒すまでは聞かされた英雄譚の様に実感も薄かったが、恨みを買った状態で平然としていられるほど図太くはない。なにしろ、実績に比べ、経験が浅すぎるのだ。
「気を落ち着けて、先ほど自ら口にした言葉を思い出してください。殺すような目的で召喚しても、転移はなされない。その様に言っていたのではありませんか?」
「それはそうだけど……、俺の事を恨んでないのか?」
「恨んではいませんが、困ってはいます」
「困ってるってのは、魔王が倒されたから?」
「もちろんです」
「俺をどうする気だ?」
「アッシュ様をどうにかするつもりはありません。ですが、魔王様の代わりを務めて頂こうと考えています」
「代わり?」
「先代魔王に変わって、新しい魔王になって頂きたいのです」
「新しい魔王? なんで俺がそんなもんにならなきゃいけないんだ」
「先代魔王を倒したからです」
「いや、だって……、それでみんな納得するのか? 魔王に忠誠を誓ってた魔族とか、俺に復讐したいと考えているんじゃないか?」
「その点についてはご心配の通りです。全員を納得させることは難しいでしょう。アッシュ様に恨みを持つ者もいるでしょう」
「だったら、俺なんかじゃなくてもいろいろいるだろ。魔王の子供とか一番偉い将軍とか」
「子供はおりませんでした。どの将軍に任せるとしても、内紛は避けられないでしょう」
「俺がなったって同じだろ」
「いいえ。先代魔王を倒したアッシュ様なら、皆を納得させやすいのです」
「……俺は魔王になるつもりなんてない。なんだって、魔族のために魔王にならなきゃいけないんだ」
この世界の情勢にまるで疎いアッシュだが、勇者ギルドで耳にする話は当然の如く魔族が悪役として登場する。そうなれば、おのずと魔族は倒すべき敵という位置づけで認識されるようになってしまう。
「人間であるアッシュ様がそう考えるのは当然のことだと思います」
「だったら、諦めて返してくれない?」
「意図的に帰還させることは無理だと伝えたはずです。確か、召喚者を納得させる必要があったのでは?」
「断ったらどうするつもりだ?」
「その場合は、先代魔王を殺した実行犯として、将軍達の前に差し出すこととなります。話の流れによっては、殺されたいと望むほどに過酷な責めを負うかもしれません。それが不可能かどうか試すことになるでしょう」
「……お、脅すのか?」
「脅すつもりはありません。アッシュ様ご自身で魔王位の継承を望むのが最善かと思います」
「だから、なんだって俺が魔族のために……」
「人間のためだと考えてはいかがでしょう?」
「え……? 魔王になることがどうして人間のためになるんだ?」
「先ほども説明しましたが、人間勢力は圧倒的な劣勢に陥っています。魔王位を争って内乱が始まれば、領地や奴隷を求めて人間を襲う者も出てくるでしょう。人間の英雄が生まれるのを期待した先代魔王の掣肘がなければ、すでに滅んでいてもおかしくないのです」
「俺が魔王になって、人間を襲わないようにまとめろってわけか?」
「その通りです。アッシュ様にとっては異世界の人間に過ぎませんし、見捨てるというのも選択肢の一つでしょう。アッシュ様は勇者としてどのような判断を下すおつもりでしょうか?」
難しい選択を強いるシステリプスを、アッシュは不機嫌そうににらみつけるが、彼女はまるで表情を変えない。生物とは違うようなので、感情の揺らぎが表情として現れるかどうかもわからないのだが……。
「魔王っていうのはどういう仕事をするんだ?」
「魔族を束ねる事です。力を誇示し、手綱を握り、導いてください」
「俺は貴族だったこともあるけど、帝王学とか学んだことがないんだ。指導力なんて期待されても困る」
「人間と魔族では考え方も大きく異なりますから、経験の有無は考えなくてもいいでしょう。一番必要なのは、皆に実力を示すことです」
「実力って言っても……、『運命の小枝』をもう一度準備できるか?」
勇者が持ち帰った装備は、悪用を避けるため勇者ギルドの管理下におかれている。アッシュの『運命の小枝』もまた、フィオーネの手を経由して、同じ扱いとなっているはずだ。
「……難しいでしょう。アッシュ様には強力な加護となったかもしれませんが、一般的に見てお守り以上の価値を持たないため、魔族で所有してるものはおりません。どうしてもと言うなら、人間を襲って差し出させるのが、一番早く手に入れる手段かと」
「それは駄目だ」
「今回の召喚に備えて持ってこなかったのですか?」
「召喚のタイミングを決められるのは、最初の一回だけなんだ」
異世界というのは、時間も空間も隔てられて場所なので、二つの世界間に時間的な関連性は存在しない。
異世界で行われた召喚の時刻と、イグドラス世界で翌日の十刻を同調させるといった方法で、最初の召喚は行わる。
これにより、二世界の時刻に橋が架かった状態となるため、それ以後は同じ時間が経過するようになる。
説明の最後に、アッシュは端的な事例を口にする。
「だから、俺とシステリプスが再会するまでの時間も同じはずだ」
「……なるほど。『橋』のような接点が残っているなら、送還の魔法を構築することは可能かもしれませんね」
「その送還魔法が完成するのはいつになるんだ? そもそも、どこまでやれば魔王を終われるんだ? 誰かに譲るまでか? それとも、死ぬまで魔王をやらなきゃ駄目なのか?」
「その疑問は、この世界へいつまで拘束されるか、という不安でしょうか?」
「そうだよ。だって、魔王をさせるのが目的なんだろ?」
「その点についてはご心配なく。もうそろそろ帰還できるでしょう」
「なんだそれ? 根拠はどこにあるんだ?」
「私が召喚した目的は、魔王位を継いでもらうことと、今後の方針を定める事でしたから」
「……ん? えっと、じゃあ十年とか二十年とか、魔王を強制するつもりじゃなかったわけ?」
「いえ。強制はするつもりでしたが、途中で帰還することも想定にしていました」
「そうなの?」
「実際に戻れるかどうかは、すぐに判明するでしょう。アッシュ様の帰還後、魔王軍の主だった者に経緯を説明しておきます。襲撃される危険もありますので、『運命の小枝』は肌身離さず持ち歩くようにお願いします」
「宝物庫に保管してるんで難しいけど、なんとか交渉してみる」
「数日後もすればアッシュ様を……」
言い募ろうとしたシステリプスの声が途切れた。
アッシュの足下に魔力が渦巻き、今日だけで四度目ともなる転移が始まったからだ。
気がつけば、アッシュは再び稽古場に出現していた。
先ほど去った時とほぼ同じ光景だ。
日が傾いたことで、多少は形式が朱色に染まっているように見える。
皆の注意を引いていた、アッシュとキュレイフの戦いが中断したことで、見物人達もそれぞれの行動に戻っていた。
明確に異なる点として、立木への打ち込みを行っているのがゴードンからキュレイフに替わっていた。
「くそっ! くそっ! あんなくずがっ!」
立木を誰に見立てて木剣を振るってるかは、すぐに察しがつく。怒りを向けるべき相手に逃げられたことで、立木に怒りをぶつけているのだろう。
前述の通り、勇者ギルドが重視するのは結果であり、課程の占める割合は比較的軽いものだ。
それは、勇者の行動や人格についても言えることで、どれほど冷酷であろうと、残忍であろうと、結果を出すことが求められる。
勇者の中には、直情的で損益を度外視する者もいれば、社会性に乏しく身勝手な者もいる。
テュランデ王国貴族が排除されずにいるのは、そのような背景があるからだった。
身の危険を感じたアッシュが、逃げ出すよりも早く、周囲の人間がこちらに気づいてざわざわと騒ぎ出した。
アッシュが背を向けたところで、キュレイフの怒声が響き渡る。
「また逃げるつもりかっ! 貴族に対する態度を、今度こそその身体に叩き込んでやる!」
この場を逃げ出したとしても、頭に血が上ったキュレイフは追いかけてきかねない。
右手の木剣を握りしめ、応戦しようとしたところでアッシュは気づく。
「……?」
呪文らしき詠唱が耳に届く。しかし、声が小さすぎて、意味までは把握できない。
迫ってくるキュレイフの動きが鈍り、その足はすぐに止まった。
透明な力がキュレイフを取り押さえていた。
不可視の怪物などではなく、透明な物体によるもの。正体は水だ。
棺桶を縦にしたような形状の水が、キュレイフの全身を包み込み、その動きを封じ込めている。
逃れるべく手足をばたつかせているが、わずかに浮いた足は地面を蹴ることもなく、振り回した手はどこにも届かない。
「がばっ、ごはっ!」
キュレイフの発する驚愕や困惑の声は、泡となって水中に消えていた。
アッシュに限らず、居合わせた人間が周囲を見渡すも、魔法使いの姿はみつからなかった。
「誰か先生を呼んでこい」
仮勇者を導く先生というのは、成長を終えて帰還した本勇者達だ。中には、剣を使わずに魔法のみ戦い抜いた者までいるのだ。
『生かしたままの方がよろしいでしょうか?』
そんな質問がアッシュの左耳に届く。
左方向、アッシュの視界の隅を何かがかすめた。
目の焦点を変えることで、ようやくアッシュは声の正体を視認できた。
彼の左肩の上には、握り拳程度の大きさの、ぬいぐるみ風にデフォルメされた魔導士の姿があった。
『どうします? このままでは死んでしまいますが?』
重ねて問いかけるシステリプス。
彼女は、新魔王の状況を正確に把握するため、身体の一部をアッシュの服に染みこませ、この世界へと送り込んでいたのだ。