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Code Ω  作者: ニコル
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第54話「もう一人のダニエル」

『久しぶりだな、ダニエル』


 スピーカーから響いた声に、ダニエルは銃を構えた。


「ノー・ゼロ……なのか?」


『その名前で呼ぶなら、そうだ』


「ふざけるな。お前が本人なのか、それとも残された記録なのか、まず答えろ」


 短い沈黙が流れた。


『いい質問だ。だが、今の私にそれを証明する方法はない』


「なら、本人だと信じろっていうのか?」


『信じなくていい。疑ったまま聞け』


 ダニエルは引き金に指をかけたまま、リナに目配せした。


 彼女はすでに通信経路を調べ始めていた。しかし、送信元を特定できないらしい。音声は施設内のスピーカーを経由しているのに、その発信元となる端末が見つからない。


「リナ、どうだ?」


「施設の中にはいない。少なくとも、通常の通信経路からは発信されていないわ。古い管理システムの記録領域を経由しているみたい」


『相変わらず優秀だな、リナ』


「私を知っているの?」


『知っている部分もある。知らない部分もある』


「曖昧な答えね」


『それが今の私の限界だ』


 その言葉に、ダニエルは眉をひそめた。


 以前のノー・ゼロは、何もかも見通しているような話し方をしていた。だが、今の声には、知らないことを隠そうとする気配がなかった。


 それが演技である可能性も、もちろんある。


「お前は三年前、俺が撃ったはずだ」


『そうだな』


「認証装置を撃った。お前を殺すつもりではなかった。でも、お前の姿は消えた」


『その結果、私の認証情報は破損した。だが、すべてが失われたわけではなかった』


「つまり、今の声は残された記録か?」


『記録だけなら、もっと簡単に答えられる。あらかじめ決められた言葉を返せばいいからな』


 ダニエルは黙った。


『だが、私はお前の質問に、すべて答えられるわけではない。お前が三年前に何を考えていたかも、今この瞬間に何を選ぶかも、私にはわからない』


「それで、何が言いたい?」


『私は、少なくとも今、お前の選択を代わりに決めるつもりはない』


 ダニエルは銃を下げなかった。


「だったら、なぜ第六の接続を守ろうとした?」


『第六を切り離せば、独立した人格が維持できなくなる可能性があったからだ』


「それだけか?」


『それだけではない』


 声の調子が、わずかに変わった。


『第六は、失敗作として処分されるはずだった。だが、人格統合に失敗したことで、予想されていなかった存在になった。あれを単なるデータとして消すことは、私にはできなかった』


「お前が、第六を守ったのか?」


『守ろうとした。それが成功したかどうかは、第六自身が決めることだ』


 リナが端末から顔を上げた。


「ねえ、ダニエル。通信の中に、古い管理記録が混じっている。でも、今の応答に使われている処理は、記録の再生だけじゃない」


「どういうことだ?」


「こちらの質問に合わせて、応答内容が変わっている。少なくとも、単純な録音ではないわ」


 ダニエルはスピーカーを見た。


「お前は、どこにいる?」


『場所を示す身体は、もうない』


「身体がない……?」


『少なくとも、私が今使える記録領域の中にはな』


 その答えは、以前アレクサンダーが語った内容とも一致していた。


 ノー・ゼロの身体反応は、三年前に途絶えている。


 だが、それが本人の死を意味するのか、それとも別の場所に移されたのか。まだ確かな証拠はない。


「なら、お前は何のために、今まで残っていた?」


『残ろうとしたわけではない。消えることも、完全にはできなかった』


「また曖昧な答えだな」


『お前が私を撃ったとき、認証装置だけでなく、私自身の記憶構造にも損傷があった。残された情報は断片的だ。三年前のすべてを覚えているわけではない』


 ダニエルの脳裏に、記憶の断片がよみがえった。


 赤い瞳。


 白い部屋。


 そして、あの言葉。


 ――わからないまま選べ。誰かが決めた正解を選ぶな。


「お前は、あのとき俺に何をさせたかった?」


『何も』


「嘘をつくな」


『お前に選ばせたかった。それだけだ』


 ダニエルは唇を噛んだ。


「俺が選んだせいで、あの少年を置いて逃げることになった」


『違う』


 声が即座に返ってきた。


『お前は逃げた。だが、その後に何をするかまで、あのとき決まったわけではない』


「……」


『自分の選択をなかったことにするな。だが、その一度の選択で、お前の残りの人生まで決まったと思うな』


 その言葉は、三年前に聞いた声と同じだった。


 ダニエルは、銃を持つ手から少しずつ力を抜いた。


 許されたわけではない。


 少年が過ごした孤独が消えるわけでもない。


 それでも、過去の自分を罰し続けることが、少年との約束を果たすことではないのだと、今はわかる。


「……それで、次段階ってのは何だ?」


 ノー・ゼロは、すぐには答えなかった。


『メインシステムの解除が完了すれば、並列ネットワークに残された管理命令も停止できる可能性がある』


「可能性?」


『並列ネットワークのすべてを把握しているわけではない。私が管理できるのは、古い保全領域の一部だけだ』


「なら、なぜ解除を進めろと言った?」


『今のままでは、CODE Ωの管理命令が残り続ける。解除を止めれば、その状態が固定される可能性があった』


「第六を切り離すなという指示も、そのためか」


『あれは第六のためだ。少なくとも、私が把握している範囲ではな』


 ダニエルは、リナと目を合わせた。


 すべての謎が解けたわけではない。


 だが、ノー・ゼロが何を守ろうとしていたのか、その輪郭は少し見えてきた。


 彼は、システムそのものを守ろうとしているわけではない。


 システムの中で、消されるはずだった存在を残そうとしていた。


「最後にひとつ聞く」


 ダニエルは、スピーカーに向かって言った。


「お前は、俺の敵なのか?」


 長い沈黙があった。


『三年前、私はお前を危険な選択へ導いた。それは事実だ』


「質問に答えろ」


『今のお前にとって、私が敵かどうかは、お前が決めればいい』


 ダニエルは、思わず苦笑した。


「本当に、最後までそれかよ」


『お前に教えたのは、そういうことだったからな』


 通信に小さなノイズが走った。


 リナが端末を確認する。


「ダニエル、通信が切れそう!」


「待て。まだ聞きたいことがある!」


 ダニエルはスピーカーに向かって叫んだ。


「お前は、本当にあのとき死んだのか!」


 ノイズが強くなる。


 その中で、ノー・ゼロの声がかすかに聞こえた。


『……それを確かめる前に、お前がやるべきことがある』


「何だ!」


『解除を終わらせろ。リナの権限が消えた今、残された管理命令を止められるのは、お前たち自身だ』


 通信が途絶えた。


 静寂が戻る。


 ダニエルは、しばらく動かなかった。


 ノー・ゼロが本人なのか、断片的な記録から応答する存在なのか。


 結局、決定的な答えは得られなかった。


 だが、ひとつだけ確かなことがある。


 ノー・ゼロは、ダニエルに答えを与えなかった。


 そして、ダニエルも、もう誰かに答えを求めるだけではなかった。


「リナ。解除を再開しよう」


「わかった」


 リナが端末を操作する。


 解除処理は、最終工程へ向けて動き始めた。


 そのとき、少年のカプセルから、小さな音が聞こえた。


 ヴィクターが振り返る。


「おい、今の……」


 モニターに映る少年の指が、ほんのわずかに動いていた。


 神経反応が、わずかに上昇している。


 リナが数値を確認し、首を横に振った。


「覚醒の兆候と断定するには早い。今の変化だけなら、解除処理による反応の可能性もある」


 ダニエルはカプセルに近づいた。


 少年は目を閉じたままだった。


「……無理に起きなくていい」


 誰に聞かせるでもなく、彼はつぶやいた。


「でも、目が覚めたときには、もう誰にもお前の未来を決めさせない」


 返事はない。


 それでも、ダニエルはその場を離れなかった。


 CODE Ωの解除は、まだ終わっていない。


 ノー・ゼロの正体も、すべてはわからない。


 だが、もうひとつだけ、以前とは違うことがあった。


 ダニエルは、過去の真実を知るためだけに戦っているのではない。


 これから先を、自分たちで選ぶために戦っているのだ。

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