8 俺の
「あー……言うの、一個じゃねぇわ。追加させて」
不安定な姿勢で固まっている猫のところまで行き、スマホを床へ置いてあぐらで座る。
コイツの姿勢をそのままにしておくのは危ないからと、「ちょっとすみませんよ、こっちに移動してもらって大丈夫ですかね」と断りを入れて。
何かあったら危ないから、の意識を緩めないように、ゆっくり手を伸ばして、ゆっくり抱き上げて、ゆっくり、そこで丸くなってもらうように膝の上に乗せる。
ふわりと、雨が上がったばかり、夜明け近くの海と同じ潮の香りがした。
「そんでさ、追加で言いたいことだけど」
かがみ込むみたいに顔を近づけて、喜びが滲んでしまう声で。
「あん時、助けてくれてありがとな。お前が生きてて良かったよ。また会えた、会いに来てくれたっぽいのも、めちゃくちゃ嬉しいよ」
俺、今、自分で言った通りに嬉しそうな笑顔になってんだろな。
やっと真正面から伝えられたよ。
お前、ずっとぼかした態度取るから、ちゃんと言いたいの我慢してたんだぞ俺。
彫像、見た目があれだから、フィギュアみたいだな。
どっちにしろ、まだ固まってるけど。
心臓ちゃんと動いてるし、息もしてるし、気絶してる訳じゃなさそうだから、意識もあるはずだ。
だから、聞こえてると思う。
聞こえてなかったら、もう一回言えばいいし。
「危ないことしたくないしさせたくないけど、お守りっつーか、お前が守ってくれんなら、そういう状況に、どうしてもなっちゃうなら。お前が危ないの、俺、嫌だし。俺もお前を守るよ」
固まってるのに、尻尾だけ動いてピンと立った。
どういう理屈だ。
……震えてんなー尻尾。
言わないほうがいいな、たぶん。
聞こえてるって分かったし、このまま続けるか。
「お前がどう思ってんのかはよく分かってないけど、俺はお前のこと、すっごく大事に思ってるんだからな?」
え、あれ? 喉鳴ってね?
ゴロゴロ言ってる。マジ? 初じゃない?
録音したいんだけど。
あーでも、録音、再生するとなんか波の音とかになるんだよなー。
……くっそ……猫じゃない要素が邪魔してくる……。
ま、猫じゃなくても猫でも、どっちでもいいからな。極論。
「お前は俺の、大事な」
地元の、エメラルドグリーンからコバルトブルーのグラデーションなんて言われたりする、遠浅の海と同じ色をした毛並みを、背中をゆっくり撫でて。
「大事な大事な、家族だから──ぶっ?!」
顔面全力猫パンチ。
なんで?
良いこと言ってたと思うんだけど?
あとやっぱり、コイツの全力はだいぶ痛い。
爪を出さないでくれたのは、情けかな。
相当機嫌を損ねてしまったらしい。
耳を後ろへ反らして怒りの形相をしているコイツから、最初より少し軽いけど、それでも痛い猫パンチを次々と食らわされる。
結構時化が強い時の潮の香りもしてる。
膝の上から降りるつもりは無さそうだし、猫パンチの的も腹に変更されたから、完全に怒らせた訳では無い、と思いたい。
「ごめんて。悪かったって」
猫を怒らせてしまった場合、距離を取って怒りが収まるまで待つのが良いはずなんだけど。
「すみませんでした。申し訳ございません」
コイツに今、それをすると、さらに怒らせる気がする。
前もそういうのあった。
猫パンチされながら謝り倒して、
「マジでごめんて、なぁ、機嫌直してくれよ、ちゅら」
「……」
名前を呼んだ辺りでやっと、猫パンチ連打、やめてくれた。
ちゅらは俺を見て、ふすん、と鼻を鳴らす。
──小童が。
まだ怒ってる雰囲気のちゅらは、海の中から見える夕焼け色の瞳で、それをドスが効いている眼差しにして伝えてきた。
──だから小童なのだ、小童めが。
重ねて、教え込むみたいに伝えられたあと、膝の上で丸くなり、ふて寝と分かる寝方で寝始めた。
猫、マジで未知の存在。
いやコイツ、猫か分からんけども。
「……なあ、ちゅら」
猫でも、猫じゃなくても、ホントに。
「俺、お前のこと、大事で大切に思ってんの、本気の本音だぞ?」
言ったら、チラリと目を向けられた。
──当然だろう。
まだちょっと怒っている、けれどどこか得意そうな目で言って、また、膝の上でのふて寝を再開させたちゅらに。
「……|ちゅらさぬちむがなさん《美しくて愛おしい》、わんがちゅら」
背中を撫でながら、囁くように、伝えた。
ら。
「おぶぉっ!」
顔面に猫体当たり、からの、
「ごめんごめんごめん、ごめんって、ちゅら」
体当たりの衝撃で仰向けに倒れた俺の額に着地したちゅらに、俺の眉間を的確に狙う、全力猫パンチ連打を再開されてしまった。
眉間を連打されてるから上手く目が開けられなくてよく見えないけど、怒ってるのは分かる。
さっきより怒ってるってのが。
大型台風が直撃した時の海とか、春か夏かよく分からん季節の海とか、潮の香りはなんかすんごいことになってるけども。
薄目の視界から見えるちゅらのカオは、薄目でも分かるくらいに不機嫌そうなので。
「すいませんごめん。ごめんすいませんごめんなさいちゅら、ちゅら、ごめんって」
使い慣れない言葉を使うもんじゃねぇ。
地元民だけど。
あそこ生まれだけど。
誰もがお国言葉を使いこなせる訳じゃないんすよ。
俺、ミックスだし。
……ちょっと言い訳っぽいかも。
「ちゅら、ちゅらさん、ごめんて、あ」
ちゅらさん、に反応したのか、猫パンチが止まったが。
「いや、今の、さん付けで名前を呼んだだけでして……いだっ!」
正直に言ったら、だと思ったけど、容赦ない猫パンチ連打がまるでマシンガンみたいに!
目ぇ開けとくの無理だこれ。
潮の香りもさっきに増して訳分からん。
怒ってるだろうってのは、止まる気配がない連打猫パンチで察せるけども。
「ごめんごめんすみません、ごめんマジですみません、ごめんって、ごめん」
謝り倒しながら、ちゅらの気が収まるまで猫パンチを食らった。
本当すみません。
でも、ちゅらって名前を選んだの、お前だからな。
俺が色々候補並べた中で『ちゅら』を選んだの、お前だからな。
半分くらい、お前の責任も……無いっすね。
俺も『ちゅら』、似合うと思ったもん。
今の姿も、俺を助けてくれた時も。
たぶん、きっと、絶対、ガリガリにならずに済んでたら、その姿だって。
どんなお前も、綺麗なんだよ、お前は。
そこだけは絶対譲らんからな、俺のちゅら。




