第7話 降霊
すでに榊や未杉が阿綜先生と共に降霊場所で用意にいそしんでいる頃、綾達は家を出発し、両親の墓へと砂利道を歩きだした。
空は晴れ、曇一つない。
青々とした空が広がっている。
早い山の夕方がしだいに到来しはじめ、山の木々はいくぶん赤みを帯びてきていた。
かぁーかぁーと烏が家路に急ぎ、澄んだ空を一直線に横切っていく。
あたりは、昼から夕へと刻々と変化をとげていた。
団扇を片手にした綾たち一行は、食後の散歩と言った体でゆっくりと歩いていた。
下駄の砂利を踏む音が響く。
鳥が鳴き、風がざざざっと木々を揺らす。
人々の声。
辺りは不思議な音で満ちていた。
柳を一本過ぎ、二本過ぎやがていちばん大きな柳が見えはじめる。
そのすぐ隣に、森をバックにした大きな灰色の墓石。
今日は、その上に鳥がたたずみ、下でなにやら用意をしている榊達をじっと見つめているようだった。
その鳥がついっとこちらを向いたかと思うと、やがて驚いたように森へと飛びだってしまった。
それに気づいた榊が立ち上がって、こちらに手を振る。
綾達が手を振り返し、そして、墓の前についたのだった。
「それじゃあ、はじめますかの……」
まるで子供を前にして紙芝居を始めるかのように、阿綜先生は墓石のすぐ前で呟いた。
少し離れて綾が、そして一列にならんで美里、由喜、未杉、弥生、御影とならび、最高列に背の高い理事長と榊が。
そして、なぜかみずきが榊のすぐ横にいた。
「榊のにいちゃん」
袖を引っ張られた榊は、どこか嬉しそうに笑いながら、しゃがみこんだ。
ここらでみずきが誰かに声をかけ、どこかへ消えていってしまうだろうことを榊は知っていた。
その最後の話し相手に、綾でもなく、御影でもなく、自分にかけられたことにちょっとした嬉しさを憶えながら、すでに何を聞かれるか、何を答えたらいいかまで思いつきながら、みずきの言葉を待った。
「兄ちゃん、けっこう強そうで安心したんやけど、まだいまいち心配なんや。榊のにいちゃんも、姉ちゃんを守ってくれんかなぁ」
榊はじっとみずきの瞳を見つめ、一呼吸おいてから語り始めた。
「お前のお兄ちゃんとお姉ちゃんは、誰よりも優しく、正しく、そして強い人達だ。でも、暗いところを知らない。俺は微力だが、そのぐらいのサポートは一生してやろうかと思っている」
みずきも榊が全てを承知していることを知っているらしく、その解答にさして驚いた様子もみせず、喜んでうなずいていた。榊はさらに言葉を続けた。
「両親に伝えてくれないか? 後のことは僕たちに任せて欲しいってね」
「うん、わかった。じゃあ頼むぜ」
榊はしっかりとうなずいた。その時のみずきの満足そうな顔を、榊は一生忘れないだろう。
榊は立ち上がって、二度と横を見なかった。
いや、見る必要はなかった。すでにその時、榊の横に人の気配はなかったのだから。
ゆっくりと墓の前に煙が立ちこめていく。
白い線香にも似た煙が綾の前にたちこめていき、やがて懐かしい面影を見せる二つの像が浮き上がってくる。
綾の心にも、だんだんと煙のようなもやもやが沸き上がり、それがいつの間にか一つの意識となった。
一つの意識は、よりはっきりとした意志となる。
そして、はっきりとした意志はやがてあつい、熱の塊となって胸に広がっていった。
苦しいほどのいとおしさ。
最後に会ったときと寸分変わらぬ姿が、慈しむように綾に向かって微笑みながら、そこに立っていた。
触れることができそうで、それでいて、崩れてしまいそうな感覚。
胸一杯に広がる熱い塊はいつか、静かな涙に変わり、うつむきかげんの綾の頬を伝う。
もう誰も、声を出さなかった。
誰もが静かに、一年ぶりの親子の再会を見つめていた。
静かに。
遠くを見つめるように。
おだやかな風がふき、辺りはだんだんと赤く染まりはじめていた。
煙はしだいに綾に近づいていく。
やがて、綾を抱き込むように包み込むと、綾は目をつぶった。
もう二度と味わえないと思っていた、親の抱擁を体一杯に感じる。
涙は止まらなかったが、いとおしさが嬉しさに変わり、いつしか綾は微笑んでいた。
有り難う………
そう思ったとき、周りを包み込んでいた感触は、消えたのだった。
日もすっかり落ち、理事長が泊まっていくよう勧めたが、阿綜先生は固辞して自家用車で帰ることとなった。
「それでは」
といってにこやかに微笑む阿綜先生に、理事長は「気をつけて」と声をかけた。
「今日は有難うございました」
綾もそう言うと、阿綜先生は嬉しそうに微笑んだ。
そして、全員が見送る中、車は漆黒の闇の中へと消えていったのだった。
こうして、降霊の幕は閉じた。
阿綜先生についてはまだ追記がある。
暗い夜道を走っていると、坂の途中で子連れの三人組がライトに照らし出され、びっくりして速度を落とした。
するとその親子らしき三人組はすれ違う寸前、彼に向かっておじぎをしたのだった。
その顔に見覚えがあり驚いて振り返ってみたが、すでに三人の姿は闇の中にかき消されていた。
確かに見覚えのある顔だった。
親の二人は忘れるはずもない今日「降霊をした二人」であり、もう一人は確か、降霊を見ていた「みずき」とか呼ばれる小さな子供だった。
ああ、そうか………
彼も榊と同じ解答にたどりつくと、ほっと息をついた。
どうやら彼のやったことは、生きている人達だけにではなく、あの世の人達にも感謝されることであったらしい、と言うことを知ったからだ。
綾の笑顔を思い出しながら彼はガタゴトと揺れる車を操り、ふもとの町を抜けると速度をあげ、綾達の住む山をあとにしたのだった。
「あれぇ! あのガキがいない!?」
「あら、ほんと……帰ったのかしら」
「ねぇ、そんなことより、お願いだからトイレ行くの付き合ってよぉ」
「一人で行ってらっしゃい」
「そんなぁーーーー!」
部屋は、再びいつもの喧騒がよみがえっていた。広い部屋も全員が揃うと、狭く感じるほどだった。
「明日は、一周忌の用意か。お前ら、食った分は働けよ」
「げっ」
「あちゃちゃ……」
そんな会話がTV側で行われているとき、反対方向の場所ではばあやと綾が早くも布団の用意をしていた。
榊はみずきが聞きのがしただろう事を思い出し、綾のもとに寄って行った。
ふとあげた綾の目はまだ赤く充血していたが、何か吹っ切れた笑顔を榊に向けてくれた。
「みずき君、行ってしまいましたね」
綾は呟くように、語りかけてきてくれた。
みずきが自分の弟である事に、おそらく綾は気づいていないだろう。しかし、少なくとも、弟のように思っていたことは確かだろうな。
綾の表情を見て、榊はそう感じた。
「そうだね」
榊はうなずいた。
綾は手を止め、ふとみずきの事を思い出した。
元気いっぱいな少年の姿。彼の明るい笑顔を思い出し、ふと慰められているような気がして、綾は微笑んでしまった。
そんな表情を読みとると、榊は苦笑してしまった。
彼女はあまりにも、感情が表情に出すぎる。
心を読むのが得意な榊にとっては、綾の心のすべてが解ってしまう。
なんとなく、榊は恥ずかしくなって下を向きながら聞いた。
「生意気だったけど、どこか憎めない奴だったね」
綾は顔をあげた。
「ええ、私もあんな弟がいたらなって、思いました」
そう言って綾は微笑んだのだった。榊も答えるように微笑み、天井を……いや空を見つめて、こう呟いたのだった。
みずき……………、聞いたか?
外では一度だけ強い風がふき、山が震えているかのように木々が鳴いていた。
川のそばでは蛍が舞い踊り、漆黒の山肌には綾の家の明かりが浮かび上がる。
中腹に広がる墓場。
明かりの灯された、ふもとの家々。空には月がぽっかりと、白い光を放って浮かんでいる。
田舎の、夏の夜。
家の中ではいつまでも、人の笑い声が続くのだった。